赤緑-1
赤志は背中に大量の汗をかいていた。魔力がないだけでなく、体力も底をつきかけていた。
本郷も、尾上との戦闘の傷がまだ癒えていない。コートを脱いだため治り途中だった傷がそのまま残り、全身に痛みが走り始めた。
互いに魔法という能力を失い、すでに限界を迎えつつある状態だった。
だが、それでも。
互いの拳の威力は凄まじかった。
「ぐ……う、ぉおおおおおお!!」
「……っ!!!」
最初の一撃は。
「……ぁあああああ!!」
本郷だった。
拳を振り抜く。赤志が大きく後退する。
本郷は追撃を仕掛けた。それを待っていたとばかりに赤志は体を捻りながら跳躍。飛び後ろ回し蹴りを放つ。
蹴り技で最も威力が高いと言われている足技を、本郷は胸筋で受けた。そのまま赤志の足を掴む。
赤志は無事だったもう片方の足で本郷の腕を蹴る。
握力が弱まり脱出に成功。互いに再び構える。
本郷が刻み突きを放つ。赤志は拳を捌き、踏み込みで足の甲を踏まれないよう、一歩後退する。
────しまった。体入れて腹にパンチすりゃよかった。
本郷は気付いた。赤志の思考回路は攻めより受け、いや、逃げに徹していることに。
「お前はそれで回復するのか?」
本郷の言葉に意識が奪われる。
直後、赤志の膝が曲がりそうになった。
カーフキック。痛みと共に、力が抜けそうな感覚に陥る。
2発目が叩き込まれ、膝が笑う。
3発目が迫りくる。
「なめんなぁ!」
跳躍し爪先で相手の顎先を蹴り上げる。だが、相手の顔は天を向かなかった。不安定な体勢で蹴ったせいか、威力が伝わっていない。
着地した赤志に下段蹴りが強襲する。打ったら引くのではなくサッカーボールを蹴るように振り抜けた。赤志は耐え切れず吹っ飛ぶが、片膝をついてなんとかダウンを回避する。
視界に線が走る。防御の姿勢を取るが、腹部に本郷の爪先が突き刺さった。靴を履いているが故に絶大な威力を誇るトーキックが、鳩尾に叩き込まれた。
鉛玉を叩き込まれた気分だった。赤志はなんとか足を払うが、攻めることができない。
本郷が手出しでジャブを放つ。赤志は腕で捌く。
逃げてばかりじゃ勝てない。赤志は一歩踏み出した。
それと同時だった。相手も踏み出し、赤志よりも早く下突きを放つ。
両椀でガードしたが、吹き飛ぶような衝撃だった。
そのまま何度も浴び続け、たまらず頭突きを放つ。
それが狙いだったと言わんばかりに頭突きで迎撃される。鈍い音が周囲になる。頭が揺れた赤志は掠れた目で本郷を捉える。
右ストレートが鼻尖に突き刺さり、赤志は仰向けに倒れた。
「ぐっ……そっ……」
素早く立ち上がるがダメージは甚大だった。
ガクン、と膝が折れた。太腿を叩いてなんとか体勢を維持する。
「攻めてこい。赤志」
「……うっせぇ。こちとら、ゴリラと喧嘩できる体じゃねぇんだっつうの」
ただやられっぱなしは癪だった。
前蹴り。と見せかけて目打ちを放つ。防がれる。縦拳を放つが捌かれる。
奥襟を掴まれかけ、振り払う。
がら空きになった体に本郷のアッパーが襲い掛かる。赤志は逃げず、本郷の肘の内側に両腕を入れ、全体重をかける。
本郷の巨体が前のめりになった。チャンスだと思い両耳を掴み、跳躍。赤志は膝蹴りを放つ。
それでも、本郷の首は仰け反らなかった。離れることもできず、腰に手を回され、持ち上げられ、ウッドデッキに叩き落とされる。
背中で衝撃を吸収────しきれず、赤志は呼吸が一瞬できなくなった。
悶える赤志に対し、本郷は微かに息が上がるだけ。
「攻めてこい」
指を曲げ、挑発する。追撃するよりも立ち技で強さをわからせる狙いだった。
赤志は眉間に皺寄せ、水面蹴りを放つ。バチン、という肉と肉がぶつかり合う音がする。
上段順突き。本郷の顔に当たるがダメージはそこまで浸透していない。
本郷のフックが赤志の左わき腹に刺さる。
下段蹴りで膝を打つ。本郷の顔が歪む。
掌底が赤志の頬を穿つ。歯が内側の頬を裂いた。
再び下段。本郷の視線が下がったところで肘を打ち下ろす。本郷の額が裂け、血が飛散する。そのまま肘を何度も打ち下ろし、顔を上げたところに縦拳を叩き込む。
本郷が掴もうと腕を広げた。
赤志は肘で、相手の太い腕の内側を突いて回避。再び拳と肘の連打を浴びせる。
本郷の顔が血に染まる。
赤志が相手の膝を、外側から足で押す。外すことはできなかったが、本郷は片膝をついた。これで身長の有利を潰した。赤志は腕を大きく振って本郷の顔を強打する。
本郷が組みついてきた。
赤志はいったん離れ、組みつきを回避する。グラウンドポジションに移行されたらもう振りほどけない。
回避されたと理解した本郷は素早く立ち上がり、底拳打ち下ろしを放つ。
剛腕と共に放たれた鋼鉄の拳が、赤志の左鎖骨に当たる。
「ぐっ!!」
赤志が尻餅をつく。衝撃で意識が飛びそうだった。
あと一歩しゃがむのが遅れていたら、鎖骨が折れて終わっていた。後退りして、再び距離を取る。
互いに睨み合い。
「行くぞこの野郎!!」
「来いっ!!」
互いの拳が同時に頬を穿つ。
赤志の渾身の突きが肝臓に当たる。
お返しと言わんばかりのボディブローが、赤志の腹部に減り込む。赤志の体が浮いた。
呼吸を絶やさず赤志は蹴りを放つ。三日月蹴りが刺さった。本郷の足が笑う。赤志は足刀の連打を浴びせる。突き、振り上げ、振り下ろし、最後は浴びせ蹴り。相手が倒れないため、再び飛び後ろ回し蹴りを放った。
足技の連打を浴び本郷は後退する。
だが、膝を付いたのは赤志だった。体力の無い中で激しい動きに、体が悲鳴を上げている。
おまけにボディに浴びた一撃が重く、呼吸がし辛くなっていた。
互いの荒い呼吸音に、花火の派手な音が混ざる。
「……馬鹿みてぇだ!」
「何がだ」
「せっかくのクリスマスの夜に! こんなに綺麗な横浜の街で! 筋肉ムキムキのオッサンとガチで血塗れになって殴り合ってるなんて、馬鹿みたいだって言ってんだよ!!」
「だったら今すぐ倒れろ」
「やだねっ。喧嘩で負ける方がマジでやだ。このままじゃ新年迎えられん!」
「……馬鹿だな」
「ああ!? うるせぇ! んなことわかってんだよ!」
「違う。俺がだよ」
本郷は口角を上げた。苦笑いのようにも見える。その笑みに、狂気はない。
「赤志。正直に言おう。体が限界だ」
「嘘吐けよ……」
「本当だ。次で、最後にしよう。俺は右で打つ」
「なにその、宣言ジャンケンみたいな。どうせそう言いながら蹴りだろ?」
「警察は嘘を吐かないさ」
「自分で言ってて悲しくならない?」
赤志は右拳を見せた。
「本郷」
「ん?」
「……やっぱあんた強いわ」
「……お前もな」
2人、同時に駆け出す。
同時に拳を突き出す。
どちらも本調子にはほど遠い、弱々しいパンチだった。
だが、お互いが同時にダウンするには、充分な威力だった。
両者共に拳が顔面に当たり、仰向けに倒れる。
赤志は立ち上がろうとするが、足に力が入らなかった。
本郷は、立ち上がろうともしなかった。
「くそ……ジニア!!」
「え、あ、うん!」
ずっと戦いを見つめていたジニアがコートを抱きしめながら近づく。
「どっちだ!」
「へ?」
「どっちの勝ち?」
赤志が聞いた。
ジニアは視線を右往左往させ。
「ど……ドロー! です!」
勝敗の宣言をした。
「おいおい、待てよ審判。俺の方が立ってただろ」
「……いや。俺の方が1秒遅く倒れた」
「んなわけあるか! おいVAR使え! VAR!」
「サッカーじゃないだろ」
ジニアがクスッと笑う。
互いの元気な声と共に、これまでで最も大きい花火が上がった。
これが最後の花火だろう。
3人は、全員それを見ていた。
だから、尾上が起き上がっていることに気付くのが遅れた。




