昼食会の後ゆえに
伊織と結菜は人生をずっとともに生きてきた仲だが、彼らを取り巻く環境は何度も様変わりしてきた。
小さいことから大きな事件まで。
生き方が大きく変わってしまった出来事もあった。
新しい話で言えば、伊織が女友達を作ったことだ。
それは些細な話のようにも思えるが、過去にも何度かあったように伊織と結菜の将来にも関わってくる大きな話かもしれない。
実際、近頃の彼らの生活は少しずつ変わってきている。
以前なら二人の日常に変化をもたらすのは結菜のほうからだったが、今や伊織が直々に動いて新たな変化を起こし、それに結菜が巻き込まれるということも起こり始めていた。
とはいえ、彼らの間には変わらないこともたくさんある。
人がどんな状況でも食事を必要とするように、彼らはオカルト部の問題に首を突っ込みつつも、自分たちの生活をしっかりと続けていた。
「伊織ー、耳掃除させてー?」
「はいよ」
結菜が燐音や美代子たちと昼食を一緒に取った夜。
珍しく一人でソファに寝そべっていた伊織は、聞こえてきた彼女の言葉に条件反射のように上半身を起こした。
すぐに彼は、リビングに入ってきたばかりの幼馴染の姿を捉える。
結菜はいつものように男物のシャツを着て、嬉しそうに微笑みながらこちらに歩いてきていた。
伊織はそんな結菜に、ソファに座ったまま話しかける。
「電話、珍しく長かったな」
「流れで二人続けて掛けることになっちゃったからね」
「んー……、了解」
伊織は結菜の発言に、若干あいまいな返事を返す。
彼は彼女の言った理由に、納得していなかった。
それにしては、リビングからいなくなっていた時間が長すぎると感じていたのだ。
疑問に感じた伊織は、少し注意深くなって結菜のことを観察し始める。
すると、異変がすぐに見つかった。
彼女の服装が、リビングを離れる前と後で微妙に変わってきている。
それを見た伊織はため息を吐くと、近付いてくる結菜に向けて言った。
「……なあ、何度も言ってるけどさ、そういう悪戯はやめてくれよ」
「んー? なんのことー?」
「そこも言わせるのかよ……。スカートだよ。さっきまではスカート穿いてたのに、なんで脱いできてるんだよ」
普段の結菜は、伊織のお古のシャツに部屋用のスカートという格好がお気に入りだ。
だが、リビングに戻ってきた彼女は、一見ブカブカのシャツしか着ていないような姿になっていた。
これから耳掃除をしてもらうために彼女の膝元に頭を下ろす伊織としては、少々敷居が高すぎる格好だ。
しかし、伊織はそんな刺激的な格好の結菜を前にしてもさしたる動揺を見せておらず、そして結菜も照れた様子もなく話し続ける。
「えー? ちゃんと下も穿いてるよー? ほら」
彼女はいつもと変わらぬ口調で、けれども大胆にシャツの裾を自分でめくりあげる。
とたんに露わになる太ももと、ホットパンツ。
ところが、裾をめくりあげる動きで顔を上げた結菜は伊織の様子に気が付いた。
彼は予想の範囲内だと言わんばかりに、顔に手を当て横を向いて彼女のことを一切見ていなかった。
そんな伊織に対し、結菜は裾を戻しながら気落ちしたように言う。
「読まれてた。恥ずかしいから目をそらしたんじゃなくて、ここまでイタズラがセットだってわかった上で避けられちゃった」
ゆっくりと悲しみと悔しさに包まれていく伊織の幼馴染。
しかし幸か不幸か、その結菜に思い悩む時間は与えられなかった。
結菜が裾を戻した気配に気付いた伊織がニヤリと笑うと、彼女に向かって追撃を放ったからだ。
「せっかく俺に見てもらうために、時間をかけて選んだのにな?」
「…………」
彼が状況から推測して言い放った言葉は、結菜の心に深々と突き刺さった。
彼女は滅多にないほど顔を赤くし、言葉も出ないといった様子で黙り込む。
その表情からも彼女に余裕がないことは明白で、結菜は困ったように恥ずかしそうに、伊織の前で動きを止めた。
彼ら幼馴染の関係は、大抵は彼女のほうが優位にあった。
伊織が結菜をやり込めることは稀なことで、だからこそ伊織は狙い通りに結菜を黙らせたことに優越感を感じていた。
しかしながら、彼も彼女も何かの場面で上に立ったからといって、そのことでずっと相手をからかうようなタイプではない。
伊織は結菜の顔色を見て満足し、そろそろ許してあげようかと思った。
あの生足は厄介者だが、この流れなら間に薄いクッションでも挟んでも文句は言われないだろう。
彼はそうも考え、そのことを告げようと口を開いた。
だがその直前。
結菜は無理して強引に笑うと、真っ赤な顔で伊織に向かって言った。
「ただでさえ恥ずかしい中で伊織に見られるんだし、少しでも可愛い格好したいと思うのは当然だよ」
彼女のその表情と言葉は、優位に立っていたはずの伊織の調子を狂わせた。
思わず彼も顔が赤くなり、即座に彼女に言い返す。
「は、恥ずかしいと思うくらいなら、止めればいいだろ?」
それは至極真っ当な意見。
しかし結菜はわずかな沈黙の後、再び彼に向けて微笑むと嬉しそうに答えた。
「だって楽しいんだもん」
子どものような喋り方と照れた顔。
伊織はその結菜の言動に、ぽかんと毒気を抜かれてしまった。
彼は苦笑すると、軽く首を振りながら言う。
「俺にはおまえのその発言が、本心から出た言葉だとわかるから恐ろしいよ」
「……それって、何を仕出かすか予想できないから怖いってこと?」
「それもあるし、楽しいことをするためには自分の身すら犠牲にするところが恐ろしくもある」
「うーん……。今回は恥ずかしいって気持ちはあったけど、何かを犠牲にしたって感覚はないけどね」
「犠牲にしてるだろ。学校でのおまえのイメージとか」
伊織は休み時間に、結菜がたくさんの女子生徒に囲まれて穏やかに笑う姿を思い浮かべ、そう言った。
けれども、それには結菜が苦笑して反論を返す。
「伊織は学校の私だけを見てるわけじゃないでしょ? 私が女の子としてちょっとはしたない行為をしても、あなたは幻滅したーとかこんな女だとは思わなかったーとか考えないでしょ?」
「……ふむ。たしかに一切考えないな」
彼が大真面目に答えると、結菜はちょっとムッとしたようだった。
彼女は赤い顔のまま伊織に一歩近寄ると、彼の腕を「この」と軽く小突く。
しかし結菜はそのまま伊織の顔を下から覗き込むと、表情を笑顔に変えて喋り始めた。
「でも、そこまで私のことを理解してくれている伊織だから、私は何も気兼ねすることなく全力で遊べるんだよ」
「……なんかいい感じにまとめようとしてるみたいだけど、俺が迷惑してるって話が残ったままだからな?」
「今日はもういいじゃない。ここで綺麗に終わらせようよ?」
「いやいや、強引すぎるだろ。そうやっておまえは――」
「待って伊織、このまま話を進めていくと、あなたは私の太ももに直接触れるのが迷惑ですって話にもなってくると思うよ?」
「…………」
至近距離でニコニコと微笑む結菜に、伊織は返事が返せなくなる。
結菜の体に触れるのが迷惑かどうか。
たしかにその話題は、彼にとって突き詰められたくはない話だった。
そうして伊織が沈黙すると、結菜はスルリと彼の前から移動してソファに――彼の隣に腰を下ろす。
すぐに伊織から何か言いたげな表情を向けられるが、彼女は彼の手を握りながら言う。
「というわけで、この話はおしまい。さあ伊織、私に頭を預けて? たっぷり癒やしてあげる」
結菜は今度こそ、強引に話を進めてきていた。
伊織はそんな結菜に対し、最大限苦々しい表情を浮かべ、告げた。
「……ズルいやつだよ、おまえは」
「こんな女だとは思わなかった?」
「いいや、まったく」
彼の言葉で、結菜は笑いながら伊織に肩をぶつけた。
彼女はそのまま伊織に寄りかかると、名案を思い付いたように言った。
「そうだ。じゃあ今日は先に伊織にやってもらおうかな?」
そう言いながら、結菜は伊織の前に耳掃除の道具を差し出してみた。
伊織は改めて苦笑すると、道具を受け取り彼女に答える。
「了解。そのまま寝てもらえると、おまえの服装なんて関係なくなるしな」
「ふふ、楽しみ。そこまで気持ちよくさせられちゃうんだ?」
「まあ、耳の中の掃除は長くは出来ないけどな」
会話を続けながら、結菜は無警戒に伊織の膝元へと頭を下ろした。
髪をかき上げ耳を露出させ、彼女は嬉しそうに笑う。
「じゃあお願いします」
「……はいよ」
伊織は若干躊躇う様子を見せた後、すぐに割り切って結菜の髪や耳元に触れ始めた。
結菜は少しくすぐったそうに笑い、そして体中の力を抜いてリラックスしていく。




