顔を見たくて
門倉伊織の自宅には、香月結菜の私室がある。
平日の結菜はそこで泊まっていくことも多く、部屋の中は女の子らしい小物や彼女の服などであふれている。
だがその場所は――少しややこしい話だが――あくまで門倉の家の中にある結菜の部屋だ。
香月結菜の自宅はしっかりと別に存在しており、週末になると彼女はほぼ毎週その家に帰る。
それは伊織と距離を置いて一人の時間を楽しみたいわけでもなく、門倉の家にこれ以上入り浸るのを自粛しているわけでもない。
結菜は週末、自宅で彼女の母親と会っているのである。
「ただいまー」
「え、おまえなんで来たの?」
「伊織はねー、もうちょっと女の子に対する口の聞き方を覚えたほうがいいよ。本当に」
金曜日。
伊織は来ないと思っていた幼馴染の襲来に、素で驚きの声を上げていた。
もちろん彼も幼馴染の行動は把握している。
彼女の母親が今週末に帰宅するであろうことも知っており、なおのこと結菜の来訪が意外だったのだ。
「いや、もちろん俺だって、こんなこと他の女の人には言わないって」
「私だけ特別扱いしてくれるんだ? 嬉しいなー。伊織、大好き」
「……悪かったよ。反省するから機嫌直してくれよ」
「ふふ。まあ別に怒ってないけどね」
彼らはいつものように掛け合いを行い、そして結菜は話をしながら伊織が寝そべっていたソファへと近付いてくる。
伊織は渋々ながらもすぐに起き上がってソファに空間を作り、そこへ学校の制服を来たままの結菜が満面の笑みで飛び込んできた。
「あー、疲れたー!」
「制服着替えないのか? シワになるぞ?」
「そしたら伊織、アイロン掛けて?」
「……おまえの制服にアイロン掛けるの、めちゃくちゃ気疲れするって何度も言ってるだろ?」
「これが、気になる女の子の服に触るの緊張する~、って理由だったら可愛いのにね」
「下手なアイロン掛けでおまえを登校させたら、一瞬で新しい噂が立ちそうだからなあ。有名人は怖いよな」
「というのが建前で、真の理由は私の服に触るの緊張するからだよね?」
「……おまえやっぱ機嫌悪くないか?」
結菜は伊織のその言葉に声を出して笑い、そして彼に配慮したのか彼の体ではなくソファに深々と体重を預けた。
そうして彼女は大きく息をすると、ゆっくりと話し始める。
「まあ、こっちに来たのはね、リンちゃんのことだよ」
「え? 放課後何かあったのか?」
伊織がとっさに思い浮かべたのは、昨日の燐音の家での出来事だ。
彼らは四人で燐音の部活動のことを話し合い、燐音が今日部員に告知すると言っていたのだ。
「うん……。リンちゃんは部の現状と活動再開を部員に訴えたみたいなんだけど――」
「けど?」
「それを知った部員さんが、さらに二人辞めちゃったんだって」
「……そうか」
オカルト部に残っている部員たちは、元々幽霊部員のようなものだ。
燐音が告知したことで、抜き忘れた席が残っているということを思い出したのか、あるいは面倒だと感じたのか、とにかくさらに状況は悪化しているようだった。
「燐音の様子は? 会ってきたんだろ?」
「ちょっとだけだけどね。さすがにショックを受けているようだったよ」
「そうだろうな……」
「でも、こういうのは一人でも賛同して頑張ってくれる人が出てきたら嬉しいものだからね」
「なるほど。希望を失わず他の部員の反応を待ってるわけなんだな」
「そういうことだね」
結菜は笑顔で「続報待ちだね」と続けた。
伊織もそれに頷き、そして結菜に問いかける。
「それを伝えるためだけに、わざわざ来てくれたのか? 今日はここに泊まるわけにはいかないだろうに」
「んー……、伊織、一人でちゃんとご飯食べてるかなって思って」
「過保護なのか? 心配性なのか? いいから家に帰れ。送って行ってやるから」
追い返したがってるような伊織に、結菜は苦笑して話を続けた。
「それがお母さん、仕事で帰りが二時間ほど遅くなるみたいなんだ」
「あー、そうだったのか。え、でも、本気でその二時間で俺の夕飯作りに来てくれたのか?」
「作ってあげてもいいよ。伊織は何を食べるつもりだったの?」
「な、何だっていいだろ。それよりその言い方だと、工房に用があったのか?」
「あはは、見抜かれちゃった。うん。実はミシンを使いたかったんだ」
門倉の家にあるミシンは、貫通力などに優れた立派なものだ。
伊織は結菜の返答になるほどと思い、新たに浮かんだ疑問を彼女に尋ねる。
「ってことは、新しく何か作り始めたのか。ミシンを使うなら、やっぱぬいぐるみか?」
「当たりー。上手に出来たら、ミミちゃんマコちゃんにあげようかなって」
「昨日燐音の部屋のぬいぐるみに、美代子さん反応してたからなあ」
「そうだねー」
結菜は明るくそう答え、しかし直後にイタズラっぽく笑う。
「でも伊織、上手く話をごまかせたみたいに思ってるかもしれないけど、私は忘れてないよ?」
「な、何のことだよ?」
「今日の夜、一人で何食べるつもりだったの?」
「…………」
「私に嘘は通用しないって知ってるよね?」
「……ちゃ、炒飯と中華スープ……」
「それだけ?」
「あ、あと、果物も切って食べようかな、なんて」
「アウト」
「即答かよ! おまえの判断厳しすぎるわ!」
伊織の抗議を軽く流し、結菜は彼のために夕食を作ってあげようと笑顔で立ち上がろうとする。
しかし、そこは伊織も負けてはいなかった。
彼はすぐに声の調子を落とすと、真面目な口調で幼馴染に言う。
「いいから座ってろよ。おまえ、結構疲れてるんだろ? 今日は結構体を動かしていたようだし、その調子だとぬいぐるみを作るのに夢中になって、あまり寝てないっぽいな?」
結菜はピタリと動きを止める。
そうしてゆっくりと、彼女は伊織と視線を合わせた。
目が合った伊織は、間近の美少女に向けて静かに言い放つ。
「睡眠不足は肌の大敵なんだろ? 天下の香月結菜さまが、最近オーラがなくなってきたとか言われ始めたら大事だろ?」
そこで結菜は困り顔で笑うと、彼に言った。
「実は伊織って、私が考えている以上に私のことをよく観察してる?」
「さあな。でも、一番目に入ってくる人物だってのは間違いないだろ」
「……そっか」
「まあ休んでろよ。俺もおまえに心配されないような食事を自分で作るからさ」
「くぅ、伊織に言いくるめられちゃう。悔しい」
「そういう小ネタはいいから、大人しくしとけって」
「じっくりねっとり伊織に観察されて、私、丸裸にされちゃってる」
「だから止めろって言ってるだろ」
伊織の本気気味のツッコミを受けて、照れ隠しをしていた結菜は小さく舌を出して喋るのを止めた。
彼はそんな結菜を見て小さく息を吐くと、立ち上がってキッチンに向かい始める。
「おまえは家に帰って食べるよな? それとも何か飲むか?」
「んー、じゃあお水ちょうだいー」
「……いいけどさ」
すぐに伊織は買ってあった天然水をコップに入れて結菜のところに持ってくる。
彼女はありがとうと断ってから両手でそれを受け取ると、美味しそうに半分ほどそれを飲んだ。
「うん、満足した。残りは伊織にあげる。ありがとね」
「…………」
半分に減ったコップを突き返され、伊織は憮然とした表情を浮かべる。
しかし彼は長い間躊躇うような隙は見せず、その場で一気にそれを飲み干すとキッチンへと戻っていった。
結菜はその彼の後ろ姿をニコニコしながら見送り、そして彼が対面式キッチンに入るタイミングで視線をそらせた。
そして彼女は一人になったソファでのびのびと寝転がると、大きめの声で伊織に話しかける。
「よし、じゃあ幼馴染の意見を尊重して、少し休ませてもらうとしますか」
「ああ、そうしろ」
「ちゃんとしたものを食べてないと、あとで怒るからね?」
「はいはい、善処しますよ」
伊織の投げやりな返事に、結菜は心から楽しそうに笑う。
そうして彼が出す生活音を聞きながら、彼女はゆっくりと目を閉じるのだった。




