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話し合いの前の小休止


「そっかー。ミミちゃんはバナナにやられちゃったのかー」

「やられたよ。久しぶりにガチの悲鳴を上げちゃった」

「伊織の前で?」

「……伊織くんの前で」


 泉燐音は食べ慣れた母のクレープを、いつもとは違う気持ちで味わっていた。

 目の前で制服姿の香月結菜と美桜美代子が雑談している。

 たったそれだけのことだが、彼女がそれが自分の部屋で行われていることが信じられなかった。


「ね、ねえ結菜、あなたもその……、バナナにやられたことがあるの?」

「ふふふ。ミミちゃん、私がいつもどれだけの視線にさらされてると思ってるの? 私がスマホを向けられても平気な顔をしていられるのは、伊達じゃないんだよ」

「……あんたはやっぱり化け物みたいな女だったわ。そんな女が隙とか見せて悲鳴とか上げるわけがなかった」

「そういうミミはちゃんは今日も毒舌だね。……でも、別にいいんじゃない? 好きな人の前では隙を見せても。私も伊織の前ではそうだよ?」

「す、好きな人って……」

「LOVEかLIKEかは言ってません。ふふ」

「あ、あなた本当に同級生? 達観したような発言といい、貫禄がありすぎるんだけど。ホントに化け物と話してるみたいで怖くなるよ」

「あはは、ひどい。二度も化け物呼ばわりされちゃった」


 結菜が燐音の部屋に来ることは珍しくないのだが、他の女の子と話しているのは初めてのことだ。

 燐音にはその光景が学校で結菜を遠くから見つめているときの記憶と重なり、不思議な感情が湧き上がっていた。


 そしてその燐音は、その時不意に自分の頭に大きな手が置かれる感触を覚える。


「どうした、もう食べないのか? 相変わらず少食みたいだな」


 それは伊織の手だった。

 彼は燐音がぼーっと結菜たちを眺めているのを見て、彼女が満腹になったのかと勘違いしたようだった。


 燐音は彼の発言には何も言い返さず、無言で両手で持っていたクレープにカプリと噛みつく。

 伊織はそんな燐音の様子を見て、「おや」と思い彼女に問いかけた。


「ん? 燐音、ひょっとして元気ないのか? 部室のことを思い出して不安になってるのか?」


 彼の燐音を案ずる発言に、彼女は弱々しく笑った。

 普段の燐音はお節介ごとには反発したくなるタイプなのだが、その時の彼女は(うつむ)きがちに静かに答える。


「別にそんなことない。ちょっとぼーっとしてただけ」

「そうか? ならいいんだけど」


 彼もそれがわかっているのか、それ以上掘り下げることなく別の話題を話し始めた。


「しかし、それにしても燐音の一口は小さいよな。今はゆっくり食べてるけど、これがお腹が空いているときになると小動物が食べてるみたいに見えるんだよな」

「大きな口を開けて食べると、ボクはすぐにおなかいっぱいになるんだ。だからイヤだ」

「それはただの気の持ちようだと思うけどな。ほら、試しに今ガブリと食べてみろよ?」

「…………」


 燐音は伊織に言われて数秒ほどクレープを見つめていたが、次の瞬間には彼の言う通り彼女なりに精一杯口を開けて勢い良くクレープに噛みついた。

 それを見た伊織は「おお」と声を出して微笑むが、しかし顔を上げた燐音を見て眉だけをひそめると、白いハンカチをポケットから取り出す。


「あーあー。口元がクリームで真っ白になっちゃったな。ほら、じっとしてろ」

「むぐ……」


 燐音は伊織にハンカチを押し当てられ、小さくうめき声を上げた。

 彼は丁寧に彼女の口周りを綺麗にすると、「よし」とつぶやいて微笑む。


「どうだ? 気兼ねなく遠慮なく盛大に食事にかぶりつくのも気持ち良くないか?」

「……わかんない」

「そっか。わかんないか」


 伊織は優しい口調でそう言って、何度か燐音の頭を撫でた。

 燐音は彼の行動を嫌がらず、再び無言で小さくクレープにかじりつく。





 一方、時間は少し(さかのぼ)り――。

 伊織がそのポケットからハンカチを取り出した瞬間、学校とは違い遠慮が必要なくなった結菜は彼の動きにいち早く反応していた。


 そしてその結菜の視線の動きで、美代子も彼らの行動に気付く。

 伊織と燐音は知らなかったが、彼が彼女の口周りを綺麗にしていく姿は結菜と美代子にしっかりと見られていた。


「おー、伊織攻めるねぇ。リンちゃんも文句を言わずに受け入れてるし」

「…………」

「そしてミミちゃんはギョッとして固まっちゃったし。私の幼馴染はこういうところに気が回らないんだよね」


 楽しそうに小声で喋る結菜の隣で、美代子は伊織と燐音のやり取りに心を奪われる。

 伊織の手がハンカチ越しに燐音の唇に触れ、美代子はその様子を見て頬を赤くしていく。


 そして次に彼女は、自分の手に持つクレープへと恐る恐る視線を落とした。

 結菜はその美代子の行動を見て微笑み、彼女の耳元でささやく。


「ミミちゃん、自分も生クリームをほっぺに付けてみようかな、なんて考えてる?」


 美代子は結菜に言われ、一瞬動かなくなった後、赤面しながら大きく肩を落とす。

 彼女は下を向いたまま、ため息混じりに結菜に言う。


「……あたしってさ、そこまでわかりやすい性格してるのかね? 自分でも情けなくなって、ちょっと泣きたくなってきたんだけど」

「ちょっと前には女の子にとって強烈なイベントもあったみたいだしね。悲しくなる気持ちはわかるよ」


 結菜は美代子に同意しながら彼女の背に手を置き、しかしそのまま自分の意見を言う。


「でも、ミミちゃんは性格のことで気に病む必要はないよ。ミミちゃんはちょっと厳しいところもあるけど、そのまっすぐで優しい性格が魅力なんじゃない」

「……恥ずかしい発言をしてまで、褒めてくれてありがと。でも、今はその発言を前向きに受け止めることは出来ないな」

「あらら。なら気分を変えて、クレープでも食べてみようよ。女の子なんだから、甘いものを食べて笑っていれば幸せな気持ちになれるよ」

「……わかったよ」


 美代子もそう言って、クレープを一口食べる。

 そんな彼女に結菜が「ほら、笑って」と声をかけ、美代子はややぎこちないながらも微笑みを浮かべた。


 結菜も笑顔で、その美代子に問う。


「どう? なんだか元気が出てこない?」

「悔しいけど、正直ちょっとは出てくる。でも逆に、やっぱりあたしって単純だなあって気分にもなるよ」

「それでミミちゃんが単純なら、私だって単純だよ。私も美味しいものを食べると嬉しくなるし」

「……そっか」


 そこで結菜もクレープを食べて「ほらね」とばかりに笑い、美代子も眉根(まゆね)にシワは残っていたが、今度は心から笑った。





 ゆっくりとおやつを食べ進めていた燐音は、結菜と美代子が笑顔でクレープを食べる光景を見て再びその動きを止めた。

 先ほど感じていた、不思議な感情がまたも燐音の心の中に湧き上がってくる。

 自分と同じものを楽しそうに食べる二人から、目が離せなくなっていった。


 しかしそこから先の状況も、また同じようなことが起こった。

 ポンと頭に置かれる伊織の手。

 彼は苦笑しながら、燐音に言う。


「燐音はホントに食欲が薄いんだなあ。今度はあっちの二人が気になるのか?」

「……ふん」

「まあ、おまえを置いて盛り上がってるようにも見えるけど、心配するなって。今日はおまえが主役なのは間違いないから、すぐに相手してくれるって」

「ぼ、ボクを寂しがり屋みたいに言うな」

「はは、そうだな。悪かったよ」


 伊織は笑いながら燐音の頭を撫で、燐音はその彼の手の下で、もう一度結菜たちの姿を見る。

 楽しそうに会話をしながらクレープを食べる結菜と美代子に、燐音も触発されたように笑うと小さな口で食事を再開させるのだった。



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