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見えなくても絆はそこに

7/11 脱字を修正しました。ご報告ありがとうございました。


「結菜」

「んー?」

「明日の予報、晴れ時々曇りになってる」

「あれ、更新されて変わったんだ。じゃあお洗濯どうしようかなぁ」

「外に干したらどうだ? 昼間は母さんが家にいるし、もし小雨が降っても大丈夫だろ」

「そうしようかな……。まあ(あかね)さんが帰ってきたら、二人で決めるよ」

「わかった」


 幼馴染の伊織と結菜は、夕食後の穏やかな時間を楽しんでいた。

 伊織は結菜のお気に入りのソファに寝転がり、結菜はそんな彼の側で鼻歌交じりにアイロン掛けに励む。


 彼らにとって、今のこの時間はとても大切なものだ。

 伊織も結菜も、自室に一人で戻っていくことは滅多にない。

 大抵は食事後もリビングに残り続け、一緒に何かを行うことはなくても、同じ空間で同じ時間を過ごす。


「よし、また一着綺麗になった。ふふ」


 結菜は仕上げた伊織の服を持ち上げると、体の前で広げて嬉しそうに眺めた。

 それを着る本人からは感謝の言葉すら返ってこなかったが、彼女はまったく気にした様子もなく丁寧にそれを畳み始める。


 彼女は毎日ありがとうと言われなくても、伊織が自分のことを大切に考えてくれていると信じていた。

 それに、もし伊織の心遣いに不安になったとしても、結菜は彼の気持ちを確かめる(すべ)を数え切れないほど知っている。


 その日の結菜は、その彼の気持ちを確かめる術をイタズラ心から実行してみようと思い立つ。


「なんか、のどが渇いちゃった」


 結菜がつぶやくように言った一言は、しかしそれだけで大きな効果を発揮した。

 先ほどまでは自分の独り言に一切反応を示さなかった彼女の幼馴染が、その一言で上体を起こして視線を向ける。


「ちょうど俺も考えてたことがあるんだ。おまえも飲むか?」


 なにか楽しいことが始まればいい。

 そんなことを考えていた結菜は、しかし伊織に発言に「おや」と思って目を丸くした。


 彼女をもってしても、彼のその言葉が優しい嘘なのか本当に思っていたことなのかはわからなかった。

 もう一言二言話をしてみれば結菜も真偽に気付けるだろうが、その時の彼女は小さく笑うだけで真相を確かめようとはしなかった。


「(幼馴染同士、何か偶然でもあるのかな。そうだったら嬉しいな)」


 結菜はそう思いながら、笑顔で彼に振り向く。 


「飲む。何を用意してくれるの?」


 しかし結菜は、再び意外な展開に驚いた。

 彼女の返事に、伊織が困ったように眉をひそめたのだ。


「……コーヒー」


 そうして彼が言った言葉に、結菜は軽く吹き出しそうになりながら応じていく。


「寝る前なのに、伊織は私にカフェインを勧めるんだ?」

「俺も言ってから気付いたんだよ。でもちょうど、母さんが新しい豆を買ってたのを思い出していたから」

「ああ、冷凍庫にあるあの缶ね?」


 結菜は伊織の発言で、すぐに二つのことがわかった。

 一つは冷凍庫にあるラベルが見えない缶の容器がコーヒー豆だったということ。

 そしてもう一つは、最初に伊織が言った「俺も考えてたことがあるんだ」という言葉が真実だったということだ。


 伊織は肩を落としながら、彼女に言う。


「ああ、だから思わず口にしちゃったんだよ」

「ふふ。伊織は地獄へのお供にも、私を選んでくれるんだね」

「悪かったって。コーヒーはまた今度にして、今夜は別のものにしようぜ」

「えー? ――私、あなたとならどこまでも行けると思うの」

「あのな……。あっという間に声色変えるなって。思わず悪寒を感じちゃったぞ」

「あはは。ひどい言われようだね。よりにもよって悪寒とまで言うんだ?」

「事実だからな」


 今度の結菜は、伊織が本当に悪寒を感じていたのだろうと理解できていた。

 しかし、それでも彼女は楽しそうに笑い続ける。


 結菜の伊織への信頼は少々ありがとうと言われなくても揺らぐことはなく、また、多少否定的な言葉を投げかけられても同じように動じたりしなかった。


「とにかくコーヒーはまた朝にでも飲もうぜ。代わりに俺が何か用意するから、飲みたいものを言ってくれ。冷たいものでも温かいものでも、なんならコンビニまでひとっ走りしてもいいぞ?」


 伊織はコーヒーと言い出したときにはやや沈んでいた感じがあったが、今の彼は明るく代替案(だいたいあん)を提示してきていた。

 楽しそうに笑っていた結菜は、そんな彼を見て、表情を楽しさから優しさのそれへと変えていく。


「(疑ってなかったけど、あなたは私のつぶやき一つにも一生懸命応えてくれるんだね)」


 いたずら心から伊織の気持ちを確かめようとした結菜は、彼が全力で言った発言に心を打たれていた。

 彼女は心の中で「ごめんね」と短く謝ると、そのまま自分に微笑みかけてくる伊織から目が離せなくなる。


 伊織はそんな結菜の反応に、やがて違和感を覚え真顔になり、首を(ひね)った。

 それを見て結菜は笑い、彼に言う。


「ホットミルク」

「え?」

「伊織のホットミルクが飲みたいな。味を足さないホットミルク」

「……それって牛乳温めただけだよな? わざわざ伊織の、って付ける必要あるか?」

「電子レンジでチンしてくれるだけでいいよ」

「おまえがそれでいいなら、作るけどさ……」

「ふふ。お願い」


 釈然(しゃくぜん)としないものを感じつつも、伊織は後頭部を掻きながら結菜に答える。


「それなら、アイロンが終わりそうな十分後でいいか? 別に、すぐさまのどを(うるお)したいわけでもないんだろ?」

「……そうだね。じゃあそれでお願いできる?」

「あいよ。……ったく。こういうときのおまえは、ホント手間がかからないよな」


 そう答えて立ち上がり、背中越しにひらひらと手を振って去っていく伊織。

 結菜はその彼の背中を見送りながら、心の中で思う。


「(全然私のことを見てなさそうなのに、アイロンが終わる時間ものどの渇きも見抜かれちゃった。ちょっぴり悔しくて、そしてかなり嬉しいかも)」


 彼女は視線を落とし、アイロン台に置かれていた彼のシャツに愛おしげに触れた。

 その後結菜は小さく(うなず)くと、しっかりとアイロンを握って持ち上げる。


「(うん。なんとなく思い立った行動だったけど、とっても温かな気持ちになれちゃった。付き合ってくれてありがとう伊織)」


 そうして結菜は、アイロン掛けの続きを再開させる。

 明日も幼馴染が格好良く学校に登校出来るように、気持ちをこめて彼の服にアイロンを掛けていく。


 最後に彼女は、先ほどのやり取りでの見落としに気付く。


「(そういえば、伊織はいつも私のイタズラを警戒してるくせに、今日は無警戒に私に近寄ってきてくれたね)」


 結菜は一人、声を出さずに笑う。


「(今日の私は、遊び目的でのどが渇いたと言い出したのに。あなたはこういう罠には、今もホイホイ引っかかっちゃうんだね。可愛い人)」


 でも、優しい伊織には卑怯な罠だよね。

 彼女はそう思って自分を(いまし)めると、彼の言った十分後にピッタリと終わりを合わせるようにアイロン掛けを続けるのだった。



    ◇



「ああ結菜、今日美代子さんたちに燐音を紹介したよ」


 ホットミルクを飲みながらの談笑の最中、伊織は思い出したようにそんな話題を口にした。

 幸せそうに両手でコップを持っていた結菜は、彼の言葉に苦笑する。


「知ってるよー。休み時間に珍しい一団がいるって言われてたからね」

「む、そうだったのか」

「まあ伊織とリンちゃんが話してたのは前から知られてたし、悪目立ちはしてなかったけど」

「美代子さんたちは知らなかったみたいだけどな。俺と燐音が話してるってこと」

「まあ、滅多に話さないのも間違いないからね」


 結菜はそこで口調を楽しげなものに変え、彼に問いかける。


「でも、マコちゃんは相性良さそうだけど、ミミちゃんの反応はどんな感じだった?」

「彼女も悪くなかったよ。燐音の中二病的な会話には難儀してる感じだけど」

「あはは。その光景、目に浮かぶようだよ。でも、仲良くなれそうなんだね。よかった」


 嬉しそうにそう言う彼女を見ながら、伊織は会話を続けていく。


「そうだな。燐音のやつも、早速二人に愛称を付けてあげてたんだ。きっとすぐに友達になれるはず」


 それを聞いた結菜は嬉しそうに歓声を上げていたが、しかし同時に二つのことが気になっていた。

 彼女は少しだけ迷い、だがすぐに彼に言う。


「じゃあ、伊織の愛称のこともバレちゃったんだ?」

「ああ。話してきたよ」


 どこか誇らしげに言う伊織に、結菜はわずかに悲しそうな視線を向ける。

 しかしそれも一瞬のことで、彼女も明るく伊織に言った。


「ミミちゃんもマコちゃんも、着実に私たちの関係の深いところを知りつつあるねー」

「……まさかとは思うけど、なにか秘密にしたいことはあるか?」

「ないよー。全部話してもいいよー」

「…………」


 (ほが)らかに言う幼馴染を見て、今度は伊織が悲しげに目を細める。

 彼らはお金がなくて苦労した過去など、辛い時期を送ってきたこともある二人だ。

 伊織は次に話すべき言葉が思い浮かばなくなり、あいまいな表情で結菜を見つめる。


 そんな伊織に対し、結菜は殊更(ことさら)明るい声で言葉を続けた。


「それと私もう一つ気になってたんだけど、ミミちゃんとマコちゃんの愛称はどんなものになったの? 教えてよ」

「……北より真実を告げる者(ピュア・ノースライン)毒吐く子犬(ケルベロス・ベビー)だ」

「ケルベロスベビー!?」


 彼女の話に押されるように、伊織は思わず答えていた。

 それを聞いた結菜は、すぐに楽しそうに笑い始める。


「すごい。ミミちゃんには悪いけど傑作だ。リンちゃんはほとんど話したことがない相手なのに、よくそんな名前思い付くよね」

「……おまえなあ。美代子さんとは友達だろ? そこまで笑い飛ばしていいのかよ」

「友達だから全力で笑ってあげるんだよ。ミミちゃんはここで私に気を遣われるほうが嫌だと思うからね」

「……まあ、そうかもしれないな」


 笑い転げる結菜の姿を見て、伊織も小さく息を吐いて微笑み始める。


「それで伊織、どこまでミミちゃんたちに話したの?」

「んー、正直俺たちのことはあまり話してない。燐音が昔いじめられてて男が苦手ってことくらいかな」

「そっちを話したんだね。彼女が友達作れない理由として説明したんだ?」

「ああ。でも、今度お昼をみんなで一緒に食べる約束もしてる。燐音がオカルト部の部室に招待してくれるってさ。その時に改めて、俺達のことは話すと思う」

「そっかー。伊織は伊織たちで、楽しくやれてるみたいだねー」


 伊織はそこで、どこか切なそうに言った結菜のことが気になった。

 控えめな口調で、彼は幼馴染に(たず)ねる。


「結菜も……良かったら一緒に食べるか? 昼休みに抜け出してくるとかさ。部室に入ってしまえば人目は気にならなくなるらしいし……」


 結菜は伊織がそんなことを言い出すとは思えず、口を小さく開いて驚いていた。

 けれども、彼女は小さく笑うと首を振って言う。


「無理だよ。学校の私は何重もの糸に絡め取られてる。昼休みは特に無理だね。予定を入れてるわけじゃないけど、絶対に空いてないよ」

「そうだよな……。香月結菜が昼にぼっち飯なんてありえないよな」

「でも、私はあなたが望むなら、いつでもこの糸を断ち切る用意が――」

「んじゃとりあえず、週末にでも集まる予定立ててみるか。おまえもそれいいか?」

「……せめて最後まで言わせてよ」


 結菜は話を途中で(さえぎ)られた頬を(ふく)らませたが、伊織の反応は予想済みだったようだ。

 すぐに笑顔に戻った彼女は、伊織に向けて口を開く。


「私は気にしなくてもいいから、まずは伊織が楽しんできてよ。私は元々、学校での生活を楽しめてるし」

「……わかった。じゃあ俺はしばらくの間は、美代子さんと真琴さんが燐音ともっと仲良くなれるように橋渡しすることにするよ」

「うん、楽しみながら頑張ってね」

「ああ」


 学校で孤独にしていた伊織が友人たちを増やし始めている。

 女の子ばかりなのが少し気がかりになっていたが、結菜はそれでも伊織が活動的になってくれてよかったと考えていた。


「伊織」

「ん?」

「人目が気にならないという部室で、可愛い女の子ばかりに囲まれて暴走しないでね?」

「……俺がそういう性格だったら、真っ先におまえとの関係が今とは違ったものになってると思うんだよな」

「……なるほど。真理を突いたね?」


 結菜はそう言って笑うと、持っていたホットミルクを一口飲んだ。

 伊織も肩を(すく)めた後に、彼女と同じようにコップに口をつける。


「まあ、おまえも俺が心配なら、放課後とか週末に様子見に来いよ。みんな喜ぶぞ」

「うん、ぜひお邪魔させてもらうよ」


 嬉しそうに彼女は答え、しかし部室での伊織の様子はやはりわからないのだろうな、と彼女は思った。


「(けど、伊織なら大丈夫だよね。他の女の子ばかり見ていても、さっきのアイロンのときみたいに私のことも気にかけてくれているもの)」


 彼女は柔らかな表情で彼のホットミルクを眺め、そして次にチラリと伊織のことを見て心の中でイタズラっぽく笑う。


「(それに、さっきの発言は逆説的に考えたら、暴走するなら真っ先におまえを狙う、とも取れちゃうしね)」


 結菜は楽観的な少女だ。

 物事は前向きに(とら)え、また少々の問題で思い悩むこともない。

 それは持って生まれた性格であるとともに、神に愛された少女(ギフテッド)と呼ばれるほどの能力を持つ自信の表れでもあった。


 それゆえに、彼女は次の日も笑っていた。

 燐音が憤慨(ふんがい)する姿を見ても、またなんとかなるよと思いながら、穏やかに微笑んでいた。



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