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ありえない。再び呟いて、リディは疲れたように肩を落とした。
「父のしたことを思えば、僕だって国政から締め出されても文句はいえないのだ。それもよりによって、エアルダールと隣接する要所の管理をまかせるなどと……」
「それほどに、陛下は此度のあなたの行いを気高いものと評価され、これからの王国を担う人物として期待を寄せておられるのです」
クロヴィスの言葉に、アリシアも深くうなずいた。
ただ単に功績を讃えるつもりであれば、寛大なジェームズ王といえどもこうはならない。
王も、枢密院も、おそらくは告発を受けたロイドですらも、あの場にいた全員がリディを認めたのだ。サザーランド家としての矜持を貫き、立ち上がる勇気をみせた彼を、このまま埋もれさせるわけにはいかぬと思わせたのだ。
「力を貸してほしいの」
いつかエラム川で対峙した時と同じ言葉を、アリシアは繰り返した。
「父を告発するために、力を貸して欲しい。あなたの言葉に、王国は全力で応えたわ。その借りを返すのだと、そう思ってはくれないかしら」
サザーランド家の応接の間に、沈黙がおりた。じっとアリシアを見つめるリディは、ふと、最後に父に掛けられた言葉を思い出していた。
“すまなかった。そして……、よくやったな”
小さく笑みを漏らしたロイドを見て、王国のために王国を裏切るという矛盾から解放されたために、父はあのような一言を残したのだと思った。
だが、あるいはそれだけではなかったのかもしれない。ジェームズ王や他の枢密院との付き合いが長いロイドは、彼らがこうしてリディを要職に望むことを予想したのかもしれない。
もし、そうだとしたら。
この国の未来を託して、最後に父親として微笑んだのだとしたら。
「すこし、外しましょうか?」
「お気になさらず。気のせいです」
頬を滑り落ちたしずくを強くぬぐって、リディは改めてアリシアと向き合った。その瞳にはもう迷いの色はなく、らんらんと燃える光を宿していた。そうして彼は再び立ち上がったかと思えば、ロイドを彷彿とさせる気取った仕草で跪いた。
「陛下にお伝えください。ご期待に添えるよう、このリディ・サザーランド、力を尽くさせていただきます」
「……嬉しい。あなたがそう言ってくれて、すごく嬉しいわ」
胸に熱いものがこみ上げて、アリシアは可憐な花がほころぶように笑みを咲かせた。王女にまっすぐな気持ちをぶつけられて目を丸くするリディに、アリシアは小さな手を差し出した。
「リディ卿。私も、あなたを頼りにしているわ。一緒に、がんばりましょう」
「アリシア様……」
わずかに顔を赤らめて、リディはアリシアの顔と手とを交互に見つめた。ややあって、恐る恐るリディが動き、二人の手が固く結び合わされ―――――なかった。
それまでアリシアの隣で静観していたクロヴィスが、ふいに横から割って入り、リディの手をさらりと奪ったのである。
「どうしたの、クロヴィス?」
「な、なんだ。お前も、僕と握手を交わしたかったのか?」
突然のことに目を丸くするアリシアとリディ。二人の視線を受けて、リディの手をしっかとつかんだまま、クロヴィスは優美に微笑んだ。
「……なんと申せばよいのでしょう。ちょっとした悪戯心、と申せばよろしいでしょうか」
「え?」
「は?」
「リディ卿が味方となってくださり、私もたいへん嬉しく思っております。あなたが共にハイルランドのために動いてくれるなら、どれほどに心強いことでしょう……。が、それはそれとして置いといて、大切な主人とあなたが握手を交わすのは邪魔したくなりました」
呆気にとられるリディに対し、クロヴィスは非の打ちどころのない完璧な笑顔をみせた。
「何せ、私とあなたの間には、色々とありましたので」
色々、の部分をことさらに強調して、にっこりと微笑むクロヴィス。その顔をリディはしばらくぽかんと口を開けて見つめていたが、やがて、ぽんっと火がついたように顔を赤くした。
「きーさーまぁ!! この僕に喧嘩を売るつもりかぁ!?」
「喧嘩? はて、なんのことでしょう? エアルダールへの遠征期間を含めて、むやみやたらと絡んできたのは、常にそちらの方だったかと」
「いいか、僕は謝らないぞ!! 大体な、僕は貴様のことが大っ嫌いなのだ! いつもいつも、澄ました顔でしれっと僕の先を行って。そうだ、クロムウェル、お前が謝れ!そしたら、ちょっとはお前のことを認めてやらんでもないぞ!」
「意味がわかりませんね。それに、私だってあなたのことは苦手ですよ。残念ながら」
「ぬぁんだとぉ!?」
けんけんがくがくと不毛な言い争いを始めた二人の青年に、アリシアは目をまん丸にした。
とっさに間に入って止めようか迷ったが、すぐにアリシアは、クロヴィスがこの口論を楽しんでいるらしいことに気が付いた。これが長年にわたる因縁に対する補佐官なりの小さな復讐であり、リディも素直に謝るのは照れくさいので、クロヴィスの仕掛けた復讐に素直に乗ったのだ。
そのうち、だんだんと聞いているアリシアもおかしくなってきて、小さく吹きだしたのをきっかけに笑い始めた。おかげで、騒ぎを聞きて駆け付けた使用人のアルベルトは、舌戦を繰り広げる青年二人と笑う王女という異様な光景に盛大に首を傾げた。
そうこうするうちに、屋敷を訪れた時から感じていた重苦しい空気はどこかに飛び去り、窓からうっすらと差し込む日の光の中、アリシアとリディとは改めて固く手を握った。
それは間違いなく、新たな時代に向けた王女アリシアの一歩であった。




