7-1
“私を、ハイルランドの次期王に指名してください”
“今すぐには、頷くことは出来ないよ”
父に直談判したところ、戻ってきた答え。
それは、否定も肯定もない曖昧きわまる返答であったが、少なくともアリシアの申し出を歓迎しているような話しぶりであった。
それだけで、アリシアには十分であった。
もともと、王国の未来に関わる重要事を、ほいほいと了承してもらえるとは期待していない。それに、“今すぐには”ということは、今後のアリシアの行動次第では頷く用意があるということだ。
(まずは、己の器を証明してみせろ。そういうことよね、お父様)
10歳の少女には重すぎる試練を前にしても、王女はその小さな胸の内にめらめらと闘志を燃やしていた。
「で、何をするかだけど……。前に、お前がエアルダール遠征の後で言っていた、”登用制度における、身分制度の撤廃”。あれに、取り組むわけにはいかないかしら?」
もはや作戦会議と化した、ある日の定時報告。そこで、昔に話した内容を思い出し、アリシアが提案するが、黒髪の補佐官は意外にも首を振った。
「ジェームズ王が言うように、あの提言をハイルランドで実行に移すには、あまりに障壁が多いのです。長期的な課題として、アリシア様が王になったときこそ、着手すべき課題かと」
「そっかあ……」
当てが外れたアリシアは、思わず机に頬杖をついた。いい案だと思ったのだが、書いた本人がそういうのだから、今のアリシアの力では難しすぎる問題に違いないのだろう。
意気消沈する主人に、クロヴィスが小脇に抱えた紙の束を差し出した。
「代わりと言ってはなんですが、こちらに着手してはいかがでしょうか? やはり難度は高いですが、アリシア様ならきっと、興味を持たれる内容かと存じます」
「地方院で却下された、領地からの提言?」
「ええ。さようにございます」
文書から顔をあげて首をかしげるアリシアに、黒髪の青年がにこりと微笑む。今日も今日とて、宮廷舞踏会では淑女の視線を独り占め間違いなしの色気と美貌を、忠誠という形で惜しげもなく己の主人に向けている。
眉目秀麗、頭脳明晰、さらに最近では文武両道とまでわかった完璧超人クロヴィスにそんな笑みを向けられたら、通常の女性ならばころりと落ちてしまうのだろう。
だが、そこはさすがアリシア王女。なぜ己の補佐官が一度却下された提言を自分に見せたのか、ただただ気になるのはそちらであった。
「ドレファスや文官たちが目を通した上で、補佐室まで上げる必要なしと判断したものなのでしょ?」
「はい。しかし、ドレファス殿は白黒はっきりさせる方です。案外、ばっさり切り捨てられた中にきらりと光る原石はないかと、ためしに目を通してみたのです」
なるほど、それでクロヴィスの目にとまったのが、この提言書だったというわけか。何が優秀な補佐官の琴線に触れたのか興味惹かれたアリシアは、改めて手元の文書に目を落とした。
少し前の彼女であれば、流れるような文体で書かれたその文書を、ちらりと見ただけで放り出していたであろう。しかし、すでに彼女は昔とは一味ちがう。
王の器ありと証明するために、何を為すべきか。その答えを探して、ここ最近のアリシアは国内外のあらゆる書物に目を通している。そのために、地方領主が書いた提言書のひとつやふたつ、目を通すなどたやすいことなのだ!
――と、勢いこんで提言書をめくりはじめて数分。
アリシアはしょんぽりと、涙目で黒髪の補佐官を見上げた。
「……クロヴィス、あのね」
「大丈夫です、アリシア様。読めるということと、頭に入るということは別にございます。僭越ながら、簡単に中身の概略をご説明させていただきましょう」
主人の反応を予想していたというように、すかさず恭しく頭を垂れるクロヴィス。
なんとなく悔しいが、仕方がない。どんなに背伸びして頑張って、しょせんアリシアは10歳の少女には違いないのだから。ちょっぴり拗ねつつも、気を取りなおして彼女は補佐官に尋ねた。
「まず、これはどこの誰が書いたものなの?」
「ローゼン侯爵、ジュード・ニコルでございます」
その名前に聞き覚えがある気がして、アリシアは首を傾げた。ややあって、王女はあっと声を上げた。
「そうだわ。確か、ナイゼルがあなたに抜き打ちテストをしたときに、出てきた名前ではなかった?」
「よく覚えておいでで」
アリシアの答えに、クロヴィスは切れ長の目を見開いた。それでアリシアの方も、当時聞いた話をいろいろと思い出した。
ジュード・ニコル。
彼をことさらに嫌うドレファス地方院長官が、「領地を没収してしまえ」と定期的に補佐室に提言を送りつけてくるという、あの。
(ローゼン侯爵領……。最近、いろいろ調べた中にあったわね)
ここ連日、図書室に通い詰めて得た知識を総動員して、ローゼン侯爵領についてアリシアは思い出した。
ローゼン侯爵領は、ハイルランドの北東部に位置する。その大半は牧歌的な農耕地帯であるが、一部が海に面している。特に大海に開かれた港町ヘルドは、国内外から人・物・金が集まる一大貿易拠点だ。
そんなローゼン侯爵領をおさめるのは、由緒ある貴族の名家、ニコル家である。その現当主ジュード・ニコルは、まだ30を過ぎたばかりの若い男であるのだが、これが変人奇人と有名なのだ。
「ところが、地方院で止められていた提言書に目を通したところ、なかなかに興味深いことが書いてあるのでございます。……ただし、真偽を見極めるのが難しく、それゆえに地方院で却下されたと推察できますが」
「で、肝心の中身はなぁに? 簡単に言うと」
簡単に言うと、の部分を強調して、アリシアは上目づかいに補佐官を促した。なんのかんので内容が気になる王女は、そろそろ待ちきれなくなってしまったのだ。
そんな王女を微笑ましく思いながら、クロヴィスは彼女の期待通り、シンプルかつ的確に内容を要約してみせた。
「領主制の壁を超えた、流通専門の広域商会を創設すべし。それが王国の未来を救うと、彼はそう言っております」




