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「だがな、クロ。てめーはだめだ! 次に来た時は、うまい飯をいっぱい奢らせてやるから、覚悟して来い!!」
「なっ!?」
城郭の外からびしりと指さして、目を三角にしたエドモンドがクロヴィスに叫ぶ。そんなやり取りに周囲が笑い声をあげる中、アリシアの胸はどきどきと音を立てていた。
アリスという架空の人物ではなく、王女アリシアとして。
それでも彼は、アリシアを友と呼んでくれた。
「アリシアさまー!」
「クロさーん!」
「ありがとー!」
世話役がぺこりと頭をさげ、子供たちが口々にさけびながら、こちらを見上げて手を振る。ともすれば、アリシアの目からは涙がこぼれそうになって、王女は塀の石の影にひっこみ、ちょっぴり顔を隠した。
その傍らで、補佐官が柔らかく微笑んだ。
「民とうまくやるのが下手。やはり、そんなことはなかったのでは?」
「……お前、わかっていて、私を泣かせにかかっているわね」
「主人の功績を称えるは、臣下の務めと心得ますれば」
胸に手を当てて恭しく答えてから、クロヴィスは紫の瞳に主人を映した。
「従えるのではなく、集める」
きゃあきゃあと響く子供たちの笑い声や、何やら軽口を飛ばしあうロバートとエドモンドの声が、風に流れてアリシアたちの間を駆け抜ける。そんな中でも、補佐官が紡ぐ低めの澄んだ声が、一際はっきりと王女の耳を震わせた。
「君臨するのではなく、並び立つ。……民の心が離れ、滅亡を迎える国。そんな未来を変えるには、あなたのような王こそが、必要ではないでしょうか」
強い風が吹いて、アリシアの空色の髪が、ふわりと大空に舞った。
夕陽の中に佇み、黒髪を風に揺らす青年から、アリシアは目を逸らすことができなかった。その真剣な表情が、ごまかすこともはぐらかすことも、彼女に許してはくれなかった。
不思議と、アリシアの心は静かに凪いでいた。王国の未来を託す。そう星の使いに告げられたときから、いつかはこうした覚悟を求められる日がくることを、どこかで予想していたのかもしれない。
自分に務まるだろうかと、アリシアは考えた。
ぽっちゃりと人好きのする外見で親しまれながら、その懐の深さと優れた先読みの力で、賢王とたたえられる父。
苛烈な性格で恐れられながら、圧倒的なカリスマ性と何者にも代えがたい手腕とで、大国を統べる隣国の女帝陛下。
アリシアの周りにいるのは、偉大な人物ばかりだ。
けれども。
(けれど私は、もう見て見ぬふりはしないって、決めたんだ)
リディ卿に何やらささやかれ、みるみる顔を青ざめさせていく世話役を見た時。握りしめた手を震わせながらも、懸命に食って掛かるエドモンドに心打たれた時。
確かにアリシアは、一度は民から目を背けて、王国が終焉に向かうのを見逃してしまった。だからといって、今のアリシアが彼らを見捨てられるかというと、そんなわけがなかった。
行かねばと思った。
純粋に恋に胸を躍らせて、きれいなもの、好きなものだけを眺めて。
そんな、普通の女の子としての人生は、手に入らなくなるかもしれない。
しかし、王女として生まれた自分だから、出来ること。
一度間違えた未来を持つからこそ、選び取れる道があること。
なぁんだと、アリシアは一人つぶやいた。覚悟なんてものは、とっくの昔についていたんじゃないか。
「やってやるわ」
夕陽に染まる町を見渡せるその場所で、少しの揺らぎもなくまっすぐに補佐官を見上げて、アリシアは凛とした笑みを浮かべた。
強い方だと、クロヴィスは思った。10も年下の少女とは思えないほどに、覚悟を決めた王女の表情は凛々しく、そして美しかった。
「この国の次期王に、私がなってみせる」
けれど、と王女は肩を竦めた。
「私はちょっと未来を知っているだけで、すばらしく頭脳が回るわけでもなければ、何かとびきり腕が立つものがあるわけでもないわ」
「無用な心配にございます」
秀麗な顔に完璧な微笑みをのせて、黒髪の補佐官はさらりと答えた。
「仮にあなた様が道に行き詰ることあれば、私が全力でお支えします」
「ええ」
満足気に頷いてから、アリシアは己の補佐官の顔を覗き込んだ。
「頼りにしているわ。私の補佐官殿?」
「はい。喜んで」
だんだんと藍色に染まっていく空に、一番星がきらりと輝く。
数奇なめぐりあわせで出会った、小さき姫君と美しき青年。そんな二人が回す歴史の歯車が、また一つ、変えるべき未来のために動き出そうとしていた。




