5-1
クロヴィスは、待っていた。
艶めく漆黒の髪を無造作にセットし、ダークブラウンの外出用ロングコートを羽織って寛ぐ様は、まさしく休日を楽しもうとふらりと街をおとずれた貴族のスタイルである。
と、さきほどまで中できゃーきゃーと響いていた女性の声がやみ、クロヴィスの目の前の扉が開いた。中から出てきたアニは、いたずらっぽくウィンクをした。
「お待たせしました、若旦那様。妹君の御仕度がととのいましたよ」
アニが道を譲ると、その後ろからそろそろと小さな姿が現れる。
「どうかしら? おかしくない?」
チャコールグレーのフード付きポンチョをはおり、その下に控えめながらも可愛らしいデザインのモスグリーンのスカートをのぞかせて登場したのは、アリシアだ。慣れない服装のためか、もじもじと落ち着かない王女に、クロヴィスはにこりと微笑んだ。
「もちろん。とてもお似合いですよ、アリス」
時は、少し遡る。
革命にクロヴィスが参加していたこと。
彼が、アリシアを殺した張本人であること。
その二つをのぞいて、アリシアがクロヴィスに洗いざらい話してしまった後。王女が落ち着いた頃合いをみて、黒き補佐官が口を開いた。
「さて、未来を変えるにあたって、やはり目下のところ一番の問題は、エアルダールとの戦争をいかに防ぐかですね。といって、前世の情報だけではとても足りない……」
どうやら本気で未来を変えるつもりらしいクロヴィスに、自分のことは棚にあげて、アリシアは目を丸くした。そんな主人の前で、あれこれと思案する様子をみせてから、クロヴィスは真剣な顔で頷いた。
「少々、隣国の情勢について探りましょう。幸い、外交関係は補佐室の得意とする分野です。ついでにいえば、個人的に使節団時代のツテもある」
そう補佐官はたのもしく請け負うと、数日後にほんとうに隣国の内情をしらべてやってきたので、アリシアはますます驚愕した。
「まず、エアルダールですが、向こう5年は戦争を仕掛けてこないでしょう」
「そんな風に、断言できるものなの?」
もはや習慣と化した夕刻の顔合わせで、アリシアはぱちくりと瞬きをし、優秀な補佐官に疑問を投げかけた。なお、いつもはアニやマルサがそばにいることが多いが、今日は人払いをして、部屋にいるのはふたりだけだ。
「根拠はいくつかありますが、最も大きな理由は、エリザベス帝が取り組んでいる内政改革があげられます」
アリシアは緊張した面持ちで次の言葉をまち、ごくりと喉をならした。そういえば父王も、「ベスは国内の体制を整えるのに熱を上げている」と言っていた。
「これは、私たち使節団が派遣された理由にもつながることですが……。現在、エリザベス帝は、国家の中央集権化を推進するのに夢中になっています」
「……えっと」
アリシアは、おもわずぽかんと口を開いた。クロヴィスも、アリシアが混乱することを予想していたらしく、一枚の大きな紙を取り出した。
「ごらんください。これが、現在の我が国の政治体制です」
府庁の名前がかきこまれた用紙をみて、無意識のうちにアリシアの額にしわがよる。さすがのアリシアも、まだ政治体制だの帝王学だのまでは習っていないのだ。
むずかしく顔をしかめて主人に、クロヴィスは笑みを漏らした。
「すべてを理解されなくて結構ですよ。わかりやすい例をあげるなら、こちらです」
彼はそういって、“地方院”のまわりをくるりと指でなぞった。
「我が国では王国直轄領をのぞき、侯爵以上の爵位をもつ古参貴族に領地をあたえ、経営をまかせています。便宜上、領主たちは地方院の管轄下とされていますが、完全な実権をもっています。ここまでは、よろしいですか?」
「なんとなく」
神妙な顔で、アリシアは頷いた。
「対して、エリザベス帝がすすめている改革とは、領主制の完全廃止。たとえるなら、貴族領主にかわって、地方院直轄の役所がおかれると申しましょうか。当然、独立性は損なわれ、完全に中央の管理下に敷かれるようになる」
「難しいことは、よくわからないのだけれど……。そんなことをしてしまって、あちらの貴族は怒ってしまわないの?」
もし、ハイルランドで同じような改革を行おうとしたら、枢密院は黙っていないはずだ。なぜなら枢密院の構成員は、主要な領地をあたえられた有力貴族ばかりだ。それこそ、革命だか何だか、国が荒れてしまうことだろう。
しかし、クロヴィスは短く首をふった。
「あの女帝に、真っ向から睨み合える人間はいません。それに、エアルダールはもともと、集権的な色合いの強い国でした。ハイルランドとは違い、国境を接する国が多いため、早くから中央化が始まったのでしょう」
言いながら彼は、紫の瞳をアリシアに向けた。
「改革が成功すれば、エアルダールの国力は倍増します。啓蒙の広がりで、一般の民にまで上昇機運が高まっていますし、改革の非常によい追い風となっていることでしょう」
そんなせっかくの好機に、戦争などという無粋を挟むわけがない。
それが、すくなくとも5年は戦争を仕掛けてこない根拠である。
そう締めくくった美しき補佐官に、アリシアはただただ舌を巻いていた。




