17-2
10年ほど前。公爵家嫡男として、リディがロイドの領地経営を手伝い始めたころだ。
その頃に、イスト商会との昼食会など催しただろうかと。そのように記憶を探ってみて、すぐにリディは諦めた。
幼い頃から次期公爵として育てられてきたリディだが、領地経営に手を出してすぐは、さすがの彼も新しい物事を覚えるのに必死だった。加えて、王国随一の力を誇ったシェラフォード公爵のもとには、貴族、商人問わず、様々な者が訪れていた。今の時点でぱっと思い出すことが出来なければ、いくら頭をひねっても記憶がよみがえることはないだろう。
しかし、重要なのは、イスト商会とロイドを結びつけるものが見つかったということだ。サザーランド家の使用人たちによれば、左手に痣のある男は、最初は商人として屋敷に出入りをしていた。イスト商会と父が接触していたのなら、男が隠れ蓑としていた商会の候補にイストも上がってくるというものである。
「では、彼はイスト商会の者だったのかな」
緊張を悟られないように、何気ない口調でリディは切り出す。顎に軽く手をあてて考え込んでみせれば、案の定ふたりは興味をひかれたらしかった。
「リディ様の知り合いに、イスト商会の方がいらっしゃるのですか?」
「さて。一体、誰だろうな」
「名前はわからないんだ。随分前のことだし、なんなら僕が会ったわけじゃない。けど、我が家の使用人によると、父上がその者に随分と世話になったらしいんだ」
肩を竦めて笑顔を浮かべながら、リディは軽い調子で続けた。
「その者は左手の甲に痣……大きな火傷の痕があるらしい」
「え?」
手ごたえがあった。
ただし、バーナバスではない。――シャーロットのほうだ。
これには、尋ねたリディが虚を突かれた。
「シャーロット殿は、思い当たる者がいるのか?」
「は、はい。手に火傷痕のあるイストの方って、それは……」
「シャーロット」
静かに。それでいて有無を言わさぬ口調で。バーナバスが、シャーロットを遮る。
戸惑い気味に言葉を飲み込んだシャーロットが、心配そうにリディとバーナバスを見る。一方のバーナバスはというと、先ほどまでの気さくな態度が一転、出方を窺うように用心深くリディを見ていた。
「リディ様。お前さんは、その男を探してエアルダールに来たのか?」
「探してるだって? 僕はただ、ちょっと思い出しただけで……」
「……まあ、いいさ」
厳しい表情を浮かべていたバーナバスだが、ふいに息を吐くと、立ち上がってぱんぱんと膝裏などを払った。
「そろそろ行きます。おやっさんが、俺を探しているかもしれない。またな、シャーロット。リディ様も、次にお会いすることがあれば、もっと色々と話しましょう」
「バーナバス殿!」
立ち上がったリディは戸惑った風を装いつつ、内心に自分を宥める。本来、彼の性質は我慢強いとは言えなかったが、そこは元とはいえ公爵家嫡男。バーナバスが何かを隠していることは間違いないが、ここで深追いしてはならないと素早く判断した。
だからリディは、立ち止まって振り返ったバーナバスに親しげに手を広げた。
「せっかく会えたんだ。このまま別れて終わってしまうのは実に忍びない……。普段はどちらに?」
「――二週間ほど、キングスレーの商館にいます。その間に、彼女を通じて改めてお訪ねしますよ」
そういってシャーロットを見やりながら、バーナバスは逡巡するように眉をひそめた。そして、「さっきの男ですが」と続けた。
「痣のある男というのが俺の知る奴と同じなら、あいつはもうこの世にはいない。だから、たとえ興味本位だとしても、そいつに関心など持たないことだ。死人について語ることなんて、何が本当で何が嘘か、わかりようがないんですから」
まるで己に言い聞かせるように悔しげにそれだけ言うと、内心驚くリディを置いて、今度こそバーナバスは立ち去ってしまった。
それを見送る彼の隣に、いつの間にか同じようにシャーロットが立つ。彼女の瞳は、悲しげに伏せられていた。
「バーナバスさん、やっぱりまだアダムさんの事件のことを……」
「事件?」
ぽつりとこぼれ落ちた言葉に問い返せば、シャーロットははっとして口元を押さえてしまう。先ほどバーナバスに止められたことが響いているのだろう。彼女から情報を引き出すことも難しそうだとリディが肩を落としたとき、それまで黙っていたアルベルトが初めて口を開いた。
「アダムさんというのが、先ほど仰っていた男性のお名前ですか?」
「え、ええ。そうなんです」
びっくりしたように眼を瞬かせたシャーロットは、どうやらアルベルトの存在を忘れていたらしい。それも無理もない。彼はずっとリディの隣に立ち沈黙を貫いていたし、そもそも彼はサザーランド家の優秀な使用人だ。かつては唯我独尊を貫いていたリディにも、昔と変わらず気に入られていたくらいなのだから、邪魔にならぬよう気配を消すなど朝飯前なのである。
加えて、良くも悪くも名家の品格が滲んでしまうリディよりも、アルベルトのほうが相手の警戒を解くのは得意だ。従者の意図を察して少しばかり悔しそうに口を噤んだリディに変わり、アルベルトはさも気になるという風に眉を八の字にした。
「もしや、その方はバーナバスさんと親しい方だったのですか? 急に顔色が変わられたので、気分を害してしまったのでなければいいのですが……」
「違うんです! 確かに親しい方ではあったのですけれど、怒ってしまったとか、そういうわけではなくて!」
自分で言いながら、これでは埒が明かないと判断したらしい。シャーロットはちらっとバーナバスが去った方向を見やってから、「実は……」と声を潜めた。
「アダムさんは、バーナバスさんの親友だった方です。やはりダールトン孤児院出身で、同じ時期にお父様に声をかけられイスト商会に入られました。けど、ある時アダムさんは商会を辞めて姿を消してしまった」
「辞めた? 一体どうして?」
「わからないんです。置き手紙ひとつ残して、どこに行くとも知らせずにいなくなってしまったそうですから」
それから数年後。
バーナバスが現会長ダドリー・ホプキンスに目をかけられ、着実に商会の中枢へと昇りつめていた頃。
アダムの遺体が、嘆きの壁近くの森の中で発見されたのである。
『アダム・フィッシャー。男、推定26歳。
ダンスク城砦付近の森の中で、遺体を発見。
死因は服毒によるものと思われる。』
服毒。目に留まった記述に、リディは思わず顔をしかめた。
リディが見ているのは、王都警備隊が保管しているキングスレー近辺の保安記録だ。これを確認するために、リディはエリザベス帝に便宜を図ってもらい、特別に記録庫への入室の許可を取ったのである。
さて、肝心な記録の内容だが、事前に推測していた通りひどくあっさりしたものだ。先ほどの内容の他には発見者の証言や、遺体が見つかった周辺の状況などが簡単にまとめられているだけだ。唯一為になる情報といえば、関所の記録から、遺体が見つかる数日前にアダムはエグディエルに到着したとみられるということだろう。
ふむ、と資料に視線を落としたまま、リディはしばらく思案した。リディたちが追う左手に痣のある男とアダム・フィッシャーが同一人物であるとは限らないが、彼を取り巻く状況が怪しいのは確かだ。
まずアダムの死んだ時期だが、6年前の、ちょうどロイドが刺客の手で命を落とした数日後だ。それだけでも大した偶然だが、シャーロットの話によると、アダムがイスト商会を抜けて失踪をした翌年に、初めて痣のある男がサザーランド家をひとりで訪ねている。
加えてアダムの死因だ。自ら毒を服んだのか、毒をもられたのかは定かではないが、どちらにせよ穏やかではない。
仮にアダムを痣の男とするならば、商会を抜けた後に改めて単独でハイルランドにわたり、ロイドと接触。それから数年を間者とし過ごすが、事件の発覚と同時にエアルダールへ逃亡し、ロイドと同じく口封じに殺されたと考えることが出来る。
(……つくづく、反吐がでるな。黒幕とやらには)
沸々と呼び起こされる怒りに、資料に添えた手に力がこもる。こそこそと父の懐に潜り込んだ卑怯者に同情をかけるつもりはさらさらない。しかし、危うくなった途端、トカゲの尻尾切りのように間者をさっさと殺し、自分は安全なままノウノウと生き延びている黒幕はもっと許しがたい。
とはいえ、はやる心を鎮めるためにリディは首を振った。痣のある男がアダムだというはっきりとした確証がないまま、思い込みで動くのは危険だ。もう少し裏を固めなければ。
「おい。この事件について、他に記したものはないのか?」
「なんだって?」
側に立つ記録庫の管理人に声をかければ、老人はぎょろりと大きな目玉を動かしてリディを見た。背中が曲がっているために随分と背が低いが、目力というか、なんというか圧がある。思わずリディが譲ってやれば、老人は前にぐいっと体をねじ込み、鼻がついてしまいそうなほど記録に顔を近づけた。
エリザベス帝によると、この老人はもう70年近く記録庫で記録の海に浸っているために、大半の事柄は頭の中に入っているらしい。そう予め聞いてはいても、暗くじめっとした記録庫の中から老人がヌッと姿を現した時は、気難しい子鬼が洞窟から這い出てきたかのように見えて、リディは最初ぎょっとした。
さて、老人はすぐに記録から顔をあげると、不愉快そうに鼻の上に皺を寄せた。
「ないない。ないったらない。まったく、最近あやつが顔を見せなくなったと思ったら、またこれか……」
「なに? お前の口ぶりだと、僕以外にもこの事件に関心をもっている奴がいるように聞こえるが」
「いるんだよ。しつこい輩が」
思いだすだけで忌々しいとでも言いたげに、顔をしかめて男が首を振る。「もう6年だ」とか、「いやはや、なんという執念……」とぶつぶつと続けるので、それでリディもぴんときた。
「その男、バーナバス・マクレガーという名ではないか?」
「名前なんぞ知らん。興味もない」
「イストの商人だ。日に焼けた、一見すると船乗りのような男で」
「ああ、ああ。そんな感じだ。あやつめ、許可証もないってのに記録を見せろだなんだ、あげくこちらが折れないと知るや、こっちに喋らせようとするからに……」
姿を思い浮かべたせいか、再び男がぶつぶつと愚痴を呟く。それを聞き流しながら、リディはやはりと頷いた。バーナバスは、アダムの死に何らかの不審を抱いている。そう思わせるだけの状況が、当時のアダムにはあったのだ。
思った以上の収穫を得られた。そのように満足し、リディは記録を老人に戻して記録庫を後にした。重い鉄の扉を押しあければ、古く湿った紙の匂いに変わって新鮮な空気が肺に流れ込み、ほっとした心地がする。人知れず一息ついてから、見張りの騎士の隣を通り抜けて、リディは外へと足を踏み出した。
「アル! 待たせたな」
「ぼっ……旦那様!!」
所在なさげに体躯の大きな騎士を恐々と見ていたアルベルトが、主人の戻りに安心したように顔を輝かせる。そのまま、歩くリディのすぐ後ろに彼はついた。
「お疲れ様です。随分早かったですね。これだけの記録庫だから、もっとずっとかかるかと思いました」
「書庫の主のような男が、あそこにはいたからな。あの者がいなければ、記録の迷宮に閉じ込められた上、カビ臭い紙の匂いが染み付いた書庫の一部と化すところだったぞ」
「それは、なんとまあ。リディ様、さては気分が弾んでいらっしゃいますね?」
「わかるか? ああ、今の僕は非常に気分がいいぞ。なんにせよ、動けるというのはいいものだ。長らく我慢を強いられた後なら尚更な」
リディは機嫌よく鼻を鳴らしてから、ふと表情を引き締めた。
「この後だが、イストの商館へ行く。やはり、僕らはバーナバスと接触するべきのようだ」
「でしたら旦那様。私たちが向かうのはキングスレー城です」
「なぜだ?」
訝しんでリディが歩みを止めて振り返れば、どこか誇らしげにアルベルトが答える。
「今朝、クラウン夫人が話しておられました。本日、エリザベス帝の双子の娘、ローレンシア姫とリリアンナ姫のドレスの仕立てのため、イストが抱える専属デザイナーと共にバーナバスが城を訪れるようです」
「それはいい情報だ。でかしたぞ、アル」
「たまたまです」
手放しで称賛するリディに、アルベルトが照れ隠しで頬を掻く。だが、こうして謙遜をしていたって、主人が近々バーナバスに接触しようと言い出すことを予想して、先回りして彼に関する情報を集めていたことは想像に難くない。それくらい、リディにとってアルベルトは長い付き合いなのである。
アルベルトもまた、満足げに、まるで自分の手柄のように喜ぶリディの内心などお見通しなのだろう。こほんと咳払いをすると、外に待たせてあった馬車を手で指し示した。
「そうと決まれば行きましょう、リディ様。時間は待ってはくれないのですから」




