嫉妬する側室
お花畑思考は書いていて消耗しますね。
皇帝の事は擦り込み的に愛しています。
ただ、こう、愛されること前提の愛なので、その思考はどこまでも身勝手な感じです。
一部思考に矛盾が見られますが、彼女は矛盾に気が付いていません。
一生気が付かないままかもしれません。
ここまできたら、その方が幸せな気もします。
時計の音だけがこちこちと静かに響く。
ティーポットに入っていた紅茶もすっかり冷めてしまった。
王宮ならばそんな粗相もないが、女主人のいない宮廷魔導師長・ニコラウス・ボットの屋敷ならば仕方ないのかもしれない。
新しい紅茶を用意させる気力も、飲む気力さえも今は奪われているので無問題なのかもしれないが。
「……ニコラウスは、まだ戻らぬのか!」
「はい。大変申し訳ありません、ツィーゲ様」
よくよく躾けられた美しいメイドは深々と腰を折って詫び言を口にする。
もう何度聞いたか解らない全く同じ詫び言を。
メイドの様子に苛つきながら、深々と数えきれぬほど零した溜息を飽きもせずにつく。
こんこんと軽やかなノックがあったので、メイドに向って顎をしゃくる。
メイドは素早く扉を開けた。
「ツィーゲ様。誠に恐縮ではございますが、ご帰宅願えますでしょうか」
現われたのはボット家の執事だった。
目付きの鋭い白髪の執事は隙のない所作で腰を折り、しかしカルラの意に沿わぬ発言をする。
「我は帰宅せぬ! ニコラウスを待つのじゃ!」
「大変申し訳ありません。我が主は先程、魔導師育成学園長の地位を剥奪されました。また正式な通達は届いておりませんが、宮廷魔導師長の地位も追われるようです」
「なっ!」
「主はツィーゲ様をお助けできません。どころかご迷惑をおかけする失態も十二分に有り得るのです。馬車の用意が整いましたので、どうか重ねてご帰宅頂けますようお願い申し上げます……」
「そんな……我はどうすればいいのじゃ……」
宰相も神殿長もツィーゲの希望する返答をくれはしなかった。
ただ一人、望む言葉をくれたニコラウスはどうやら破滅の道へと足を踏み入れてしまったらしい。
不安は極まったが屋敷に留まれば執事の言葉が現実になりかねない以上、王宮へ戻るしか道はなさそうだ。
無言で頭を下げ続けるメイドと執事に一瞥もくれずに、マントを掴むと玄関へ向かった。
外には王宮の物ほどではないにしろ豪奢な馬車が止まっている。
「出すがよい!」
「はっ!」
何が潜んでいるか解らない闇夜の中を、轍が大きく跳ね上がる速さで走ってゆく。
獣の遠吠えも何度か耳にしたが、どうにか無事に着いた。
来た時よりも速く戻って行く馬車を見送るともなしに見送って、マントの前を合わせると秘密の通路から己の部屋へと戻る。
「あら、母上。随分と遅いお戻りでしたのね?」
「……母と呼ぶのでないと、何度申せば理解するのじゃ! 許しもなく我の部屋に入る出ないっ!」
王宮御用達の超一流技師達によってオーダーメイドで作られた豪奢な家具の中、身体ごと沈むようなやわらかさを追求し、一針一針当代随一と呼ばれる裁縫師に数え切れぬほどの鮮やかな薔薇の刺繍させた自慢のソファに身体を沈め切った醜い少女を見下す。
「実の娘に酷いおっしゃりよう! もしかしてどなたかにでも振られましたか? 父上も、困った方だと呆れておいででしたし」
「シルビアっ!」
神殿長が持つ艶やかな腰まである金色の巻き毛をくるくると指先で弄びながら、ティーカップを傾けるシルビアの、肉に埋もれてもカルラに瓜二つと言われる吊り目が怪しく細められた。
「まぁ、落ち着かれてくださいませ。誰か、夕食の膳を!」
カルラの側仕えまで顎で使っている様子を腹に据えかねて、シルビアの頬に向けて手を振り下したが、頬を高く張る音は聞こえなかった。
シルビアがカルラの手首をしっかりと掴んでいたからだ。
物凄い力だった。
「ミスイア皇国随一の寵姫たる御方には、あるまじき振る舞いでございましょう?」
雪崩れ込んできたメイド達はカルラの前に、夕食の膳を整える。
「一緒に頂こうと思って母上の帰宅をお待ちしていたのです。さぁ、腹が減っては戦ができぬと申しますし……」
下品な微笑を浮かべたシルビアがナイフとフォークを手にする。
生唾を飲み込む音に限界がきた。
寒い外出先から帰宅したなら普通、勧めるのは温かい飲み物もしくは酒だろう。
いきなりフルコースの夕食は有り得ない。
「去ねっ!」
「母上?」
「この不躾な女を我の部屋へ二度と入れるでないっ!」
ワインの濃厚な薫りが立ち上るメインの皿を投げつける。
「きゃっ!」
可愛らしい悲鳴を上げたシルビアはしかし、唇についたワインソースをべろりと舐め取る。
神殿長の舌による執拗な愛撫を思い出して全身の総毛立った。
「……ツィーゲ様。何か召し上がった方が宜しゅうございます。身体が温まりましょう」
何やら叫んでいるシルビアを部屋の外へ指示通りに追い出したメイドのうち、一番気の利く者が心配そうな声音で語りかけてくる。
「ホットワインで良い。赤に蜂蜜を入れよ」
常ならば実家から連れてきた年上メイドの忠言は聞き届けるのだが、今は酒に溺れてしまいたかった。
「……ここ最近太ってきておる。これ以上の醜態は晒せぬのじゃ」
「女性は多少ふくよかな方が美しゅうございます」
額に皺を寄せたメイドはしかし、ホットワインの手配をさせる。
同時に床へ落とした料理の始末も命じていた。
世間の目には普通と太っている体型の中間ぐらいに映るだろうと、冷静に判断はできる。
だが、先程の豊満すぎるシルビアの体型が瞼の裏にちらついて消えなかったのだ。
王宮より贅沢をしているという噂のある神殿に入り浸っている、カルラと神殿長・ゴットホルトの子、シルビアと息子のフェルディナントは幼い頃より醜く肥え太っている。
ゴットホルトも子をなした頃は普通の体型だったが、今は豚のようだ。
三人の間に入れば、カルラなど華奢に見えてしまうだろう。
それほどに、見苦しい。
溜息が出そうなほどに繊細な細工が施されたホットワインのグラスも、今はカルラの心を癒さない。
グラスに唇をあて一息に飲み干そうとして、鼻先を擽る湯気に熱さを思い出して少しづつ啜り上げた。
「ふぅ……」
心身共に冷え切っていたらしい。
目を伏せて飲み続けていたホットワインが染み渡るにつれて、空腹感が募る。
「うむ」
目を開けばテーブルの上には、カルラを満足させる新しい食事が見目も良く並んでいた。
シルビアの好みで作られたらしい脂身の多い肉だらけの皿など一つもない。
溶かしバターをかけたシュパーゲルを摘まむ。
ホワイトアスパラの食感とバターの強い塩気が堪らない。
ワインが更に進む。
「今度は白じゃ!」
饗された白のホットワインはレモンとクローブが利いていた。
カルラが一番好む組みあわせだ。
白ワインに合う物はと口にしたのは、アールズッペ。
骨までとろけるウナギと数え切れぬほど入っている野菜の甘みに、程良い酸味の味付けが好ましい。
飽きのこないアイスバインをたっぷりのザワークラフトで食べ、ニュルンベルクソーセージのぎっしりと詰まった肉汁とハーブの香りを堪能する。
パンは控えめに小さいプレッツェルを一つ。
食後のデザートにも、あっさりと食べやすいモーンクーヘンを楽しんだ。
「ふぅ……」
人心地がつけば睡魔がやってくる。
それでもさすがに眠る訳にはいくまい。
不安が見せる醒めない悪夢はうんざりだった。
「……着替える。エーデルトラウトに会いに行くのじゃ」
血の繋がった子の中で一番御しやすい者を選ぶ。
また、エーデルトラウトなら情報にも通じているはずだ。
手早く準備をさせて、一人部屋を出る。
宰相の子であるボニファティウスは、カルラが実母であると知っているにも拘らず口説こうとする色狂い。
相手を煙に巻くための手段にすぎません。本気ではありませんよ。と宰相は気にも留めないが、背後から胸を揉みし抱かれながら断わられるとは微塵も思っていない口調で誘われたカルラには、性根が腐っているとしか思えなかった。
アンネマリーは容姿こそカルラにとても良く似ているが、常に戦の最前線に立とうとするほど、その性分は苛烈を極め女性らしさは薄い。
カルラの胸の内を語った日には、彼女の操る炎で焼き尽くされるだろう。
アンネマリーは皇家の一員である己に誇りを持っている。
本当は、一滴もその血が流れていないと知ったなら、どんな暴走をするか検討もつかなかった。
シルビアとフェルディナントには、進退窮まったとしても相談なぞ絶対にしないだろう。
過剰に着飾り、美食を謳い暴食をするしかできない化け物だ。
周囲の評判も最悪を極めている。
「……アレクサンドラには会いたくないのだがのう……」
カルラが会おうとしているエーデルトラウトは、最近アレクサンドラと共に過ごす時間が多いようだ。
何が楽しいのか、仕事を片付けたその足でアレクサンドラの部屋へ向かっているらしい。
更にはそこへ、皇帝までもが足を運ぶという。
今までの冷遇は何だったのだろうかと思う溺愛を、カルラも幾度となく見せつけられていた。
色々な噂ばかりが飛び交っているが、カルラの耳には正しい情報が届かない。
調べさせてようやく解かったのは、アレクサンドラとディートフリートの婚約が破棄されて、アレクサンドラがヴォルトゥニュの帝王へ嫁ぐらしい、その2点のみだ。
「この国を出るのは万々歳なのじゃがなぁ」
大国ヴォルトゥニュの帝王に、しかも正妃として嫁ぐとあっては、面白くない。
心底、口惜しい。
「エレオノーラといい、アレクサンドラといい! ずっと! 永遠に冷遇されておれば良かったものを!」
幼い頃から皇家へ嫁ぐ為の教育されてきた。
遊びたい盛りの幼い頃、両親どころか兄弟達からも厳しく監視される生活だった。
姉と妹にも教育はなされていたが、皇帝と年が近かったのでカルラの教育が一番厳しかったのだ。
だから皇帝がエレオノーラを選んだと聞いた時には、エレオノーラを憎み抜いた。
カルラの方が家柄も容姿もそれ以外の何もかもが勝っていたはずで、皇帝にはそれまで幾度となく会って他の女性よりは好意的な言葉を掛けて貰っていたから余計に。
エレオノーラが恥ずかしげもなく言い寄ったのだとしか思えなかった。
子をなしたと耳にした時は三日間伏せってしまった。
幾度暗殺を仕掛けても失敗した挙句の懐妊だ。
女児だったからといって安心などできもせず、あらゆる手段でエレオノーラの排除をした結果。
呆気なく、エレオノーラは天へ召された。
神に愛されていたが故に暗殺が失敗に終わったのだと理解したが、ある日忽然と姿を消したので、神の愛が冷めたのだとすんなり思ったものだ。
死因は発表されなかったが、発表してしまえば側近を裁かねばならないと判断した皇帝が苦渋の決断で伏せたのだろう。
カルラと関係を持った男性は全員それぞれエレオノーラへ刺客を放っていたのだから。
その中の誰かが、神の愛を失ったエレオノーラの命を奪ったのだ。
神の愛が冷めたなら皇帝の愛も冷めるはずと、勢い込んで唯一の側室の座を射止めた。
正妃のいない側室だ。
ツィーゲは多産家系だったし、皇帝にはアレクサンドラという存在もある。
すぐ皇子を生んで間を置かずに正妃へ上る心積もりであったが、それは今現在に至るまで叶っていない。
エレオノーラへの愛が冷めぬなら、致し方ない。
自分は自分で盤石な地位を固めるだけだと誓い、表向きは皇帝の子を五人も孕んだ側室として崇められてはいる。
シルビアとフェルディナントは論外だが、ボニファティウスも素行に多大な問題はあるが政務は誠実にこなしている。
アンネマリーは軍部の信頼が厚く、エーデルトラウトは民衆にまでも評判は良い。
本来ならばもっともっとカルラの評判も良くてしかるべきなのに。
エレオノーラと徹底的に比べられ、贅沢の過ぎる我儘な側室だ。
皇帝の信頼を得られないのも無理はないだろう。
やはり正妃にはふさわしくないと、民は喚く。
何事にも口を出し過ぎるのは、はしたない。
正妃でなくて良かった。
神殿への歩み寄りが激しすぎる。
我儘三昧の娘と息子を止められないのは母親失格だ。
エレオノーラ様は常に控えて、御子の教育も完璧だったと、貴族は嘯いた。
死人と比べるのは愚かしいと、自分がされたら思う癖に、かしましい騒音は一向に収まる気配がなかった。
「死んでも尚、忌まわしい女!」
どれほど愚痴を零してもエレオノーラには届かない。
届かない憂さを晴らすように、同席する機会があった時は当然、それ以外の場面でも徹底的にアレクサンドラを苛め続けていたが、今は冷ややかさを増した皇帝に咎められてできなかったので、鬱憤は溜まる一方だ。
「っつ! エーデルトラウト!」
今まさにアレクサンドラの部屋をノックしようとしているところに声をかける。
「……ツィーゲ様。何用でございましょうか?」
「話がしたい。場を設けよ」
「お言葉ですがこれから私は、アレクサンドラ様と約束が……」
「母を優先できぬのかっ!」
頬へ扇を打ち付ける。
想像していたよりも大きな音が廊下に響き渡った。
「……では、アレクサンドラ様にお詫びをしてまいりますので……そちらの控えの間でお待ちください」
「急ぐのじゃぞ!」
返事がないのに扇を握り締めながらも、指示された控えの間に足を踏み入れる。
入れて、全身が硬直した。
「あんね、まりぃ?」
部屋の中央には、今一番会いたくない相手が寛いでいた。
「おや、母上。如何されましたか?」
「エーデルトラウトがこの部屋で、待てと」
「でしたら、どうぞ。私の事はお気になさらずお待ちくださいませ」
素っ気ないが毒もないアンネマリーの珍しい態度に首を傾げるも、微笑すら浮かべて焼き菓子を食している。
何か話しかけようと思うも、話題が見つからずに沈黙を守った。
「待たせましたね、マリー?」
エーデルトラウトが部屋へ入ってきた。
カルラへの言葉はない。
アンネマリーに対する随分と親しげな物言いには驚かされた。
「や。良い摘まみもあったしな。気にしないでいい。どうせそいつのせいだろ?」
「全くですよ。せっかくの姉上との時間を邪魔した挙句、貴女の覚悟に水を差すような真似をするのですから!」
「悪い事ばかりでもないさ。そいつをここで叩き潰せば、僅かでもアレクサンドラ様への罪悪感が薄れるからな」
そいつ、とは。
カルラを指す言葉なのだろうか。
「気持ちは解かりますけれど、叩き潰してはいけませんね。ツィーゲ様の末路は既に決まっているのですから」
「そう、だったな」
「それでもまぁ、言いたい事があれば存分に」
扉を背中にそれ以上近付こうとしないエーデルトラウトに声をかけようとした。
「えーでっ!」
「なぁ、ツィーゲ様。貴様は、皇家に対して己が許されぬ不敬を働いた自覚はあるのか?」
「なっ! なんじゃ! 母親に向ってその言葉づかいはっ!」
「貴様のような恥知らずとは、口もききたくないがな。自覚があるのかどうか、聞いておきたかったんだよ、淫乱」
淫乱、と憎々しげに吐き捨てられて。
アンネマリーが己の父親が誰なのかを知ったのだと絶望する。
「エーデのようにバッヘル殿が父親であったのなら、まだ救われたのだがな」
「宮廷魔導師長……あぁ、今はただのボット殿ですからねぇ。何を勘違いしたのか姉上を実験動物のように扱っていた屑」
「夫婦揃って不敬極まりないが、まぁ、夫婦は似る者らしいからな」
「マリーが二人に似てなくて良かったですよ」
「淫乱に関しては反面教師にしてきたからな。淫乱は私が何故男のように粗雑な言葉を使うのか、軍に執着するようになったのか、知りはしないだろうよ」
「まぁ、ツィーゲ様は何時だって自分のことしか興味ない方ですから」
「そんな事はないぞ! 我は何時だって陛下を想っておった!」
今だって嫌いにはなれない。
幼い頃からずっと、ずっと焦がれてきた。
初めて抱かれた時は、天にも昇る心持だったのだ。
こんなにも情深く愛し続けているというのに、何故皇帝の血を受け継ぐ子供を孕めなかったのか解らない。
「どの口が言うか! 陛下に相手にされないからといって、他の男の種を喜んで宿すような淫乱がっ!」
「閨の事に口を出すなぞ、恥を知るが良いアンネマリー。陛下は幾度となく私を慈しんで下さったのじゃぞ?」
アンネマリーが眉根を寄せて、エーデルトラウトを見詰める。
エーデルトラウトはおどけた風に肩を竦めて見せた。
「知らないんでしょうね。自分が一度も陛下と閨を共にしていないなんて」
「騙しきれるものか?」
「ツィーゲ様のご都合主義は貴女も良く知っているでしょう? あとはまぁ……それなりに上手くやったんじゃないですか、あの屑が」
「お前達……何を言っているのじゃ? お子こそ授からなかったが、陛下は私を何度も……」
慈しんでくれた。
だからこそ、愛されていなくとも我慢できたのだ。
抱けるのならば、何時か愛して貰えるとも思えた。
身体で籠絡できているのなら、もっと技を磨かねばと思い、他の男の誘いに乗った。
誰の子であれど皇帝にばれなければ、皇帝の子として扱われるという点が、一番重要であったのには間違いなかったが。
「陛下は愚かな方ではない。宰相や屑や淫乱の画策などお見通しだ」
「初夜の時から、魔法反射の魔道具を持ち込んだらしいですよ?」
「淫乱が陛下だと思っていたのは屑だったのさ。屑は魔法が弾かれたのを隠し続けていたようだな。ざまぁみろ」
何を、馬鹿な、事を、言っているんだろう、子供達は。
「そもそも子を孕んだ状態で嫁ぐとかありえませんよ」
「誤魔化せるつもりでいたとか、宰相も馬鹿なんだな」
宰相は言った。
皇帝はそんな些末な点は気にも留めないだろうと。
生まれた子が男児なら、皇太子として扱うはずだと。
実際、公式でこそ発表されなかったが、少なくともカルラの周辺ではボニファティウスは次期後継者という認識だった。
「ですが一連の流れで、馬鹿に囲まれていた陛下の心痛も、ようやっと綺麗さっぱりなくなるでしょうね」
「しかし、自覚もなく陛下を裏切り続けていたとはな……想像以上だ」
裏切ってはいない。
カルラはただ、皇帝に愛されるために子供が欲しかったのだ。
跡継ぎができれば、愛してくれるはずだと、思った。
男児さえ生めば、よくやったと。
エレオノーラでは成し得なかったと。
そう、言って貰えるはず、だった。
「どうやらクラウディア嬢も、似たような思考だったようですよ?」
「……陛下やアレクサンドラ様みたいに完璧な方々の周囲には、手の付けようのない馬鹿が集まるものなのか?」
「さて、私には解かりません」
「解かりたくもないな」
皇帝は、自分の血を継いだ子供しか必要なかった?
だとすれば、皇帝に一度も抱かれていないカルラでは孕みようもない。
カルラとて、誰の子より皇帝の子を望んだというに。
誰が悪かった?
カルラに己の子を孕ませて、大丈夫だと言った宰相か。
己の失敗を隠し続けたボットか。
カルラを抱かなかった皇帝か。
全員か。
「そういえば、ツィーゲ様? 何のお話だったのでしょう」
「何の、話?」
エーデルトラウトに話しかけられて、眉根を寄せる。
何を、聞こうとしていたのだったか。
悪夢を、終わらせたくて。
そう、だ。
己の置かれた状況が知りたかった。
「情報を、知りたかったのじゃ。我はどうなるのか、と」
二人の知り得る情報がカルラに届かなかったように。
他にもどれだけの情報が埋もれているのか解ったものではない。
「国と共に滅びるのですよ」
さらりと、言われた。
国が滅びる予兆など、どこにもありはしないというのに。
「……こうなった以上後悔はないが……淫乱や屑と一緒に滅びるのはなぁ……」
「滅びをきちんと見届けたら、私のように姉上にお仕えすれば良いじゃないですか。姉上もそうお望みですよ? ヴォルトゥニュ帝国は軍事国家ですからね。マリーが居たら心強いと思いますよ」
「それでは……私に都合が良過ぎじゃないか。私は本当に……アレクサンドラ様には、数え切れぬ不敬を働いたのだ」
昔々。
まだアンネマリーの口調が覚束なかった頃。
『なんで、わたくしは、あれくおねえさまのように、みんなに、やさしくできないの?』
と、繰り返しつぶやいていたのを思い出す。
カルラに似た容姿のアンネマリーは幼い頃から、我儘で粗暴だと噂されていた。
執拗な噂に、深く傷つき。
制御できない己の感情と行動を持て余し、幾度も泣いていた。
「……姉上は、自分の思い込みで多くの人々を疑ってきた過去を、見ていられないほど深く悔いています。ですから疑ってきた人々からの歩み寄りがあれば、とても……とても喜んで下さると思うんです」
「私が側に侍って、姉様と呼んでもいいのだろうか? ……喜んで貰えるのだろうか」
「凄く喜びますね。最前線に居続けた貴女の勇姿をひっそりと誇っておられたようですよ」
「誇って? 私を? ああ、ああ……私は、エーデっ!」
立ち上がったアンネマリーが、エーデルトラウトに縋っている。
幼子のように泣きじゃくっていた。
エーデトラウトは、そんなアンネマリーの背中を優しく撫ぜている。
「アンネマリーはツィーゲ様達の不敬による被害者でもあります。ですから、姉上は側に居て欲しいと考えておられるのです」
「ならば、我もっ!」
「貴様はっ! 陛下と姉上に対して、我ら! 子に対して! 申し訳ないとさえ思えない淫乱はっ! 国と共に滅べ」
アンネマリーを抱き抱えたエーデトラウトが部屋を出てゆく。
追おうとした足は膝から崩れ落ちた。
「国が滅ぶなど、ありえない。我が滅ぶなど、ありえない」
カルラも被害者だ。
それは間違いない。
エレオノーラと比べられ続け、皇帝からは種すら貰えなかった哀れな存在。
側室になれば普通は、カルラ様、と呼ばれるべきなのに。
肌を重ねた男達以外からは、ツィーゲ様、と呼ばれ続けた。
実家から連れてきた忠義の者達でさえも。
「皆、知っていたのか? 我が、知らなかっただけなのか?」
信じてきた、縋ってきた全てが、もろもろと崩れてゆく。
悪夢はまだ、続くのだろうか。
むしろこれから、本当の悪夢が始まるのだろうか。
カルラは一人、己の身体を抱き締めて震え続けるしかなかった。
絶対的な被害者であると疑わない彼女ですが、己が生んだ子供に対しては加害者であるのかもしれないと自覚しました。
今までは思いもしなかった感じです。
で、子供達による断罪に怯えていると。
相変わらず、皇帝やアレクサンドラから断罪されるとは考えもしない彼女でした。
きっと子供達にも謝罪できないで終わるんじゃないかと思います。
次回は、元騎士の彼が登場します。
自分の状況を理解する回かな?
精神的にがつかつ削る予定です。
お読みいただきありがとうございました。
次回も引き続きお楽しみいただけると嬉しいです。




