微笑の皇女 後編 7
お待たせしました!
やっとこさ完結です。
長かったぁ……。
GW中に楽しんで頂こうと思っていたのですが、大遅刻。
今週の金曜日更新にしようと思ったのですが、他の作品も久しぶりに更新したいので、ここはいっちょ! と上げた次第です。
失神した人々が運ばれ、粗相をした人々は後始末をさせつつそそくさと自ら退出をし、許可もなく妄言を垂れ流す人々は拘束されて結界の中へ放り込まれる。
結界の中から出された元神殿長を賛美していた歌唄いの人々は、揃って床に額ずき無言でバルトロメオスに謝意を示すと、騎士達に連れられて祭儀の間を後にした。
「あの人達はどこへ? 完全放免って訳でもないんだよね?」
「はい。恐らく断罪を待つ気持ちが固まった者が纏められた部屋にいるのだと思います」
マルティンの質問にはエーデルトラウトが答えている。
メイド達も戦闘能力がある者は駆り出されているようだ。
アレクサンドラ達の世話を事細かに焼いていたメイドが三人ほど姿を消している。
代わりについたメイド達も熟練者らしく、興奮した身体を冷やせるような飲み物や食べ物などをそつなく用意した。
「まぁ、さすがにあの姿を見ちゃえば幻滅するよねぇ」
元神殿長の信者? 達は、幼児退行という形で一人逃げてしまった無様さに絶望したのだろう。
だからこそ、大人しく断罪を待てるのだ。
「彼らはそれでも何というか……純粋だったのかもしれませんね。自分の罪を自覚できても、大人しく断罪を待てる者の方が少ないようですから……」
よく冷えた砂糖のたっぷり入ったミルクティーを飲むマルティンの言葉に、同じく冷えた無糖のストレートティーを飲んだボニファティウスが、肩を大仰に竦めながら首を振った。
「私も行った方がよいだろうか? 結界魔法も多少ではあるが嗜んでいるし、いざという時の鎮圧には自信もある」
腰を浮かしかけるアンネマリーをフェルディナントが止める。
「大丈夫ですよ、アンネマリー姉様。想定していたより少々困った方々が多いだけですから、人手は十分足りております」
「そうです、アンネマリー姉様。それに私、その……姉様が心配です」
基本神殿に籠もっており、王城も限られた場所しか出入りしなかったシルビアは、アレクサンドラよりも情報に疎い。
フェルディナントが敢えて聞かせないようにしていたというのもある。
故にアンネマリーにどれほど実力があるかを理解していないのだ。
純粋にアンネマリーを心配している。
「……お姉様……」
「何かしら?」
「……今、お姉様のお気持ちが解った気がします。妹に慕われるというのは、とてもとても幸せなものなのですね!」
興奮するアンネマリーの言葉にフェルディナントは静かに微笑み、シルビアは安堵したように笑う。
「ええ。本当に色々ありましたけれど、私は父上のお心を知り、貴方達とこうして穏やかに話せる時間があることが何より幸せですわ」
「僕もそこに入れてくれないと拗ねるよ?」
「すみません。当たり前に家族の中へ入れておりました」
「……お姉様を見ていると、結婚も悪くないのかもしれないと思うかも?」
「まぁ、ここまで相愛な相手には会えないかもしれないけれど、帝国には期待してみてもいいかもしれないね?」
今まででは有り得ないアンネマリーとボニファティウスの反応に、思わずマルティンに微笑みかけてしまった。
「……では、場も落ち着いたようであるし、質問を受け付けよう」
バルトロメオスの言葉に居住まいを正せば、唾を激しく飛ばしながら男性が立ち上がる。
ツィーゲ家に連なる者ですと、エーデルトラウトが耳打ちしてくれた。
「大体ですね、陛下!」
しかし挙手もなく、許された訳でもないのに発言を始めた男性は、即座に拘束された。
「お! おい! 貴様ら離せっ! 我は寵妃の!」
「我の寵妃は後にも先にも、正妃エレオノーラのみ! 貴様にも幾度となく言ったはずだ。貴様の質問はどうせ同じものだろう? 下がれ」
「酷ぅございます! 我らのような忠臣のお言葉を聞き入れてくださらないとは! 陛下っ!」
必死に追いすがる男は口だけだったらしい。
騎士達に両腕を掴まれて引き摺られて行く。
「陛下ぁ! カルラが愚かなだけで! 私共はっ!」
「……我が受け付けるのは質問だけだ」
バルトロメオスの呆れた声に、良識のあるだろう人々が頷いている。
男性が連れ出されたのを見計らった何人かの人々が挙手した。
許された女性はゆったりと立ち上がると優美にスカートの裾を摘まんで腰を折る。
大変美しい所作ではあったが、裁きの場面では礼儀は最低限とされているので、褒められた態度ではなかった。
「あの女が使っていたドレスメーカーの服ですね。幾度か見たことがあります」
「高価なばかりで品もなく、質も悪いと評判でしたが、店主が超一流のお世辞使いなのですよ」
エーデルトラウトとボニファティウスの説明に目を凝らすでもなく女性の着ている服が余りにも場違いなのは理解できる。
付け加えるならば、ふんだんにフリルとリボンを使って愛らしさを演出しようとしながらも、太ももや胸元が下品なほどに露出されており、若々しい愛らしさも年相応の妖艶さも全く醸し出せない出で立ちだった。
「バルトロメオス皇帝陛下にお伺い申しあげます。私共に慈悲は頂けるのでございましょうか」
「……慈悲は我が与えるのでなく、神が与えるもの。我にその質問の答えはない」
「ですが!」
「質問の答えではなく、我の考えを申すならば、そなたに慈悲は与えられぬな」
「そんな! そんな馬鹿な事がございましょうか! 横暴な父や夫達に逆らえぬだけの身でありましたのに!」
はらはらと涙を流す姿を見る者が見れば美しい、もしくは哀れなと感じたのだろうけれど。
「私にはよく解らないのだが、あれ、白粉塗りすぎよね? 涙で剥げてるの気が付いているのかしら?」
「ぶふっ!」
アンネマリーの疑問にボニファティウスが噴き出していた。
言われると目から顎まで見事に太い涙の帯ができており、その部分の白粉は剥がれてしまっている。
大きな吹き出物がぼこりと一つ浮いていたのが妙に目立った。
「元側室と同じドレスメーカーの衣装がどれだけの値段するか知っておるのか? 今そなたが着ておる衣装は、最低でも四人家族の民が一年苦労せずに暮らせる金額はかかっておるはずだ。そなたの家は、もう何年も減税の嘆願をしておるほど困窮しておるのだぞ? 娘として、妻として気が付かぬなど有り得ぬ!」
「私! 知らなかったのでございます! 政に女は口を出すなと叱責されます故、関わらぬようにして努めておりました! 知っておれば控えましたし、諫めましたわ!」
「知らなかったではすまぬ。皇室に忠誠を誓っておる家は皆、妻が家を管理しておる。政に関わるのと家を管理することは全く別物だ。言い訳にもならぬ! 己を着飾ることに執着し、民からの血税を無闇に浪費した罪に相応しい罰が与えられるだろう」
がくがくと震えた女性はその場に崩れ落ちた。
失神できない辺り、なかなか図太い神経をお持ちですね? とフェルディナントが囁いている。
「次の質問はあるか?」
まだ幾人もの者が挙手している。
バルトロメオスは次々と指しては、質問に答えると言うよりは勝手な意見や懇願を論破、拒絶していった。
そうして、ようやっと。
「ミスイア皇国が滅亡するというのならば、我ら貴族は皇室に、皇国に殉じるのみでございます。しかし領主を失った民はどうなるのでしょうか? 新しい主が生活を保障できるのでしょうか? 神から頂いたお声を、少しでも具体的にお教え願いたく存じます」
「焦っておるのか? 貴殿が?」
「焦りも致しましょう。今日明日にも国が滅ぶと言われましたならば、罪なき者だけでも逃がしてやらねばなりません。逃がすにしても準備がございます。アレクサンドラ様が嫁がれるのならば、帝国へ伏してお願いするのが一番かと愚考致しますが……」
目線がこちらへと集中する。
宰相の下で奮闘していた一人らしい。
マルティンがバルトロメオスを見詰める。
バルトロメオスは首を振った。
「アレクサンドラが国を出るまで待つがよい。悪いようにはせぬ」
「ですが! 民は未だ知らぬのです! せめて……せめて国が滅ぶのだと……アレクサンドラ様に長く不敬を働き、神のお怒りに触れたのだと。故に、滅ぶのだと! 教えてやらねば! アレクサンドラ様にお詫びすることすら、できぬではありませぬかっ!」
男性の大きく見開かれた瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちる。
ぐいっと乱暴に袖口で涙を拭う様子は文官らしくなかったが、実に雄々しかった。
「……善良な民はアレクサンドラを純粋に慕っておった。アレクサンドラも多く助けられておる。謝罪よりも感謝が欲しいと、アレクサンドラは言うであろう。のぅ? アレクサンドラ」
目配せされて立ち上がる。
すかさず男性がアレクサンドラに向き直り腰を折った。
真正面から対峙して、宰相がアレクサンドラに何かをしでかそうと企む時、阻止する中心となっていた人物の一人だったと、バルトロメオスが与えてくれた幾つかの書類の中に説明があったのを思い出す。
「はい。私自身皇族として幼い部分が大変多く、たくさんの方々が私を慈しみ導こうとしてくださっているのに長く気がつけませんでした。ですから謝罪は不要なのです。私の為に宰相の意に沿わぬ行動をし、御身、随分と苦しい思いをされたのでしょう? 今までありがとうございました。私も神よりお言葉を賜ってはおりませんが、私をあらゆる面で助けてくれた民にも深く感謝しております。ですからどうか、ご安心くださいませ。民も貴方もその未来は明るいものだと信じてくださいませ」
謝罪があってしかるべき相手からの謝罪はなく、感謝したい相手から謝罪されてしまう不思議。
もっと誇ってもいいのだ、彼は。
権力に屈せずに、皇室への忠義を貫き通した生き様を。
何よりも自分より弱き者を慈しみ、守り抜こうとする心根を。
「手が足らず、才が足らず、尊きアレクサンドラ様を御守りできませんでした私めにあたたかいお言葉、ありがとう存じます! 民へもどうか、伝えさせてくださいませ」
「ええ。宜しくお願いしますね。アレクサンドラ第一皇女は、貴方達にとても助けられたと、心より感謝していたとお伝えください」
「この場を退去致しましたらすぐにでも! バルトロメオス皇帝陛下。質問にお答え頂きましてありがとうございます。また、アレクサンドラ様からお言葉を賜りましたこと、とてもとても光栄でございました。これで、安心して。神のお声を賜れます」
「うむ。善良なる者には神の御慈悲が与えられる。もし不安に思うような者がおれば、皇帝と皇女がそう言っていたと申すがよい」
「有り難きお言葉を胸に。以上をもって質問を終わらせて頂きます。ありがとうございました」
バルトロメオスとアレクサンドラと、マルティンや関係者にも頭を下げた男性は席に座るとハンカチを広げて顔を埋めている。
「……彼みたいな人、欲しいなぁ」
「声をかけておきますね。陛下が落ち着かれたらきっと、優秀な領民と一緒に来てくれると思いますよ」
「優秀なだけでなく信用できる人材は幾らでも欲しいからね、宜しくお願いするよ」
マルティンとボニファティウスのやりとりを聞いているうちに、質問は終わったようだ。 彼の質疑応答が恐らく、国の良心であろう貴族達を納得させたのだろう。
「では、以上を持って質疑応答を終了と致す!」
終了の言葉に脱兎の如く退出しようとする人々が咎められる中、悠々と出て行く人々もいる。
結界の中の人々は個別の結界を張り直した上で、何処かへ連行されていった。
縋る眼差しのディートフリートが視界に映り込み、消えてゆく。
ふと映り込んだ非日常的なものに、一瞬だけ心を奪われる、そんな心持ちだった。
バルトロメオスとマルティンとアレクサンドラの三人で、支度が調うのを待っているとエーデトラウトが帝国の正装姿で現れた。
皇国の白い正装姿も似合うエーデルトラウトだったが、帝国の黒い正装姿もまた良く似合った。
「お待たせしております、姉上」
「帝国の正装も良く似合っているわ、エーデルトラウト」
「姉上はそのままで宜しいのですか?」
断罪に望んだ黒一式の衣装は帝国の正装色なので問題ないらしい。
ただ装飾品はダイヤモンドで統一されており、帝国が近付くにつれて寒さが厳しくなっていく為に用意された外套は黒字に銀色の糸で精緻な刺繍が全体に施されている華やかに豪奢な物だ。
「外套が豪奢に暖かいからね。中身はシンプルでいいと思うんだ。帝国に着いたらまた着替えもして貰うことになるからさ。本当! 女性は大変だよねぇ」
「私のように簡単な者もおりますよ?」
現れたアンネマリーもエーデルトラウトと同じ姿をしていた。
「まぁ! アンネマリー。ドレス姿ではないのね? でも……エーデルトラウトと同じように……恐ろしく似合っているわ」
男装の麗人。
今のアンネマリーを現すのに相応しい表現は他にないだろう。
凜々しく美しい。
「確かに似合っているね。帝国にも高位の女性軍人はいるけど……君より男性の正装を着こなす女性はいないんじゃないかな?」
「おや。向こうにも私のように男装を好む女性がいらっしゃるので?」
「最初は君と同じで『侮られない!』という気概で着始めたんだと思うんだけどね……今は実力がある女性軍人は、男装の傾向にあるかなぁ……独身男性曰く勿体ない! ってことなんだけどねぇ。君がその姿とドレス姿を披露したら、男性側も女性側も良い方向に意識改革ができそうな気がするよ」
「光栄です! お姉様とマルティン様の名に恥じぬよう努めますわ!」
姿勢を正すアンネマリーの肩をボニファティウスが叩く。
「力を適当に抜いて、一足先に足場固めをしておいてくれると嬉しいな、アンネマリー」
以前なら、来やすく触らないで欲しいものですね! と、手を払っただろうアンネマリーは、屈託なく笑ってボニファティウスの言葉に応えた。
「ええ。勿論! お兄様とフェルディナントとシルビアが、驚くくらいに足場を固めておきますわ! 安心してくださいな」
「ちょ! 俺も忘れて貰ったら困るんだけど!」
エーデルトラウトがアンネマリーの反対側の肩を掴めば、フェルディナントとシルビアがくすくすと笑いながらエーデルトラウトの肩へ優しく掌を乗せる。
「勿論エーデルトラウト兄上にも期待しております」
「フェルディナントと二人……伺うのにはお時間を頂くことになってはしまいますけれど……必ず、必ず向かいますので。姉様をお守りくださいませ」
シルビアは頷くエーデルトラウトに目礼して、マルティンとアレクサンドラに旅の安全を祈る。
「マルティン様とアレクサンドラ姉様他、御一行が無事にヴォルトゥニュ帝国へ着けますよう神に祈念申し上げます」
目を伏せて祈るシルビアの隣でフェルディナントも同じように祈る。
真摯な祈りは驚くほど簡単に聞き届けられたようだ。
何か尊いものに護られる、そんな気配が感じられた。
「二人ともありがとう。向こうへ到着したら手紙を書きますわ」
「お待ちしております」
遅れてくる予定の人々が揃って深々と頭を下げる。
バルトロメオスだけが、アレクサンドラの近くに残った。
「アレクサンドラ……」
「はい。父上」
「気をつけて行くのだぞ。我も……時間はかかるだろうが、帝国へ行く時間が取れるようになったら訪れるからな」
「ええ、お待ちしております。父上も、どうか、お元気で。帝国へ参りましても、父上が慈しんで下さった至福を胸に、日々を大切に過ごしたいと思っておりますわ」
「ああ、それでいい、アレクサンドラ。未来永劫お前の幸せを祈っている」
「それでは、そろそろ行こうか、アレクサンドラ。名残惜しいと思うけれど、君が会いたいと願う人には、必ずまた会えるからね」
「マルティン様……」
マルティンの差し出した手を取り、二人揃って腰を折って頭を下げた。
堪えかねたような嗚咽が聞こえる。
別れの涙を隠しきれない人々にアレクサンドラは、自分が幸せで仕方ないと心から思う笑顔を返した。
アレクサンドラだけが乗る豪奢な馬車の中に腰を落ち着ける。
小さな窓から顔を出せば、皆が揃って手を振って見送ってくれた。
馬に乗ったマルティンを先頭にして馬車が続く。
エーデルトラウトとアンネマリーは自分の部下と共に背後の守りについたようだ。
アレクサンドラは見送る人々の姿が見えなくなるまで手を振り続ける。
想像していた以上に胸が締め付けられた。
皆の姿が見えなくなったアレクサンドラはマルティンに声をかけてから窓を締める。
久しぶりの一人きりの空間に、ほぅと小さな溜息をついた。
目を伏せて、震える唇で呟く。
「もう、いいでしょう」
幸せに、なっても。
物心ついた時から絶望してきた。
微かな希望を抱く度に心を折られた。
何故私だけが! と数えきれぬほど慟哭した。
慈しんでくれた人々の思いを受け入れる余裕がなかった。
自分以上に苦しんでいた人々を思いやれる優しさがなかった。
そうと、気が付いてしまった時の己に対する悍ましさは、忘れてはならない。
ならない、けれど。
大切な人達がアレクサンドラの幸せを心から望んでくれる。
アレクサンドラの幸せこそが、自分達の幸せだと笑ってくれる。
一緒に幸せになろうと、手を取ってくれる人がいる。
その手を離さないと、誓ってくれる唯一の人がいる。
だから、こそ。
もう、いいでしょう。
幸せを疎まなくても。
求めても。
慈しんでも。
浸っても。
溺れさえ、しなければ。
顎にまで伝った涙を爪の先で拭ったアレクサンドラは、馬車の中で一人笑う。
その微笑は、僕以外に絶対見せたら駄目だから! と、マルティンが周囲を警戒してしまうほどに満ち足りており、人を惹き付けてやまない慈悲深くも魅力的な微笑みだった。
完結しましたが後日談を3つほど考えています。
他にも色々書きたいのですが、その辺は別の話として書くか迷っています。
後日談は、頭の中がぱつぱつなのでしばらく間を置いてから投稿予定です。
完結まで長きにわたって、お付き合いくださった皆様には本当にありがとうございました。
後日談に興味のある方がいらっしゃいましたら、時々覗きに来て頂ければ嬉しいです。




