微笑の皇女 後編 4
今回は4000文字ちょっと越えと控えめです。
側室と魔導師長は少し前に暴れる場面があったから、短め仕様となった気がします。
同じ女性として覚えたクラウディアに対する僅かな憐憫も、隣の席へと移動してきたヴォルフガングの複雑な表情を見てしまえば霧散する。
「……アレクサンドラ様、神は一体彼女へどんな罰を下したのでしょう?」
「神の御心は、私には解りかねますが……強いて言うのならば……己にとって都合が悪い全てに対する認識ができない罰、でしょうか」
「自分に都合の悪い事は聞かぬ困った欠点は昔からでしたが、正直あそこまでとは思いませんでした……それにその……以前は身の回りには神経を使っておりましたので……」
あのドレスはない。
あの体型はない。
あの、人前で乳房を晒すような、貴族の令嬢であれば死んだ方がましな醜態は有り得ない。
と、ヴォルフガングの瞳が訴えている。
美しい物を愛でる趣味があるヴォルフガングには耐えられなかったのだろう。
嘗て愛した女性の悍ましいまでの変貌が。
「あまりにも愚かしい発言と行動の数々に、陛下は神の介入や、元々病んでいた可能性もあるのではないかとおっしゃいまして。彼女自身ではなく家族にその責任を取るように手配しましたから、罰を受けた衝撃で、ああなってしまった訳ではないと思うのです」
「彼女を甘やかした父君は、団長の地位を剥奪、でしたか?」
「ええ。更に騎士としての資格も剥奪されて、廃人状態とのことです」
カントール家は当主であった元第三騎士団長以外の態度は潔さを極め、粛々と己の地位返上や離縁絶縁を申し出たという。
普段からクラウディアを諫めていたという点も評価され、姉達は離縁もされず子の継承権も許されたようだ。
兄達も地位こそ下がったものの、騎士であることも神官であることも許されているという。
また一部の心ない者達を除いて周囲は同情的らしい。
あのお花畑ではどうしようもないと。
「当主の地位剥奪ということで、夫人が新たな当主となり以降はカントール男爵家として、娘と夫の不敬に対する罪を贖うべく粉骨砕身努めると聞いております」
ヴュルツナー家が断絶した一件を考えれば甘い処断なのかもしれない。
だが、廃人となったらしい元当主とクラウディアの現状を見てしまうと、汚名をそそぐのは大変困難なので、むしろ厳しい処断と取る者も少なくなさそうだ。
「カントール家の方々が望まれるようであれば、私達と共に帝国へ渡るという選択もあると思うのですが……」
「私も二人以外に思うところは全くございませんので、お勧めしたいのですが……皇帝と皇国に殉じる覚悟は揺るがないと思われます」
「そう、ですか……」
己がどこまでも罪深い存在だったのだと、理解しえない罰は。
一体どうすれば、贖えるのだろうか。
彼女を愛おしく思っていたからこその口うるさいまでの忠言が、せめていつか届けばいいのだが。
……ここまで来てしまうと、それも難しいのかもしれない。
「……クラウディア嬢は、己を、甘やかしすぎたのでしょう」
「私も彼女の甘えを助長する一端を担っておりました……私がもっと、もっと! 咎めるべきだったのです。そうすれば彼女は、あのように……悍ましい醜態を……晒さずにすんだかもしれません」
「ご家族も、貴方も、限界を超えてまで咎めていらしたと思いますよ? けれど、ディートフリート殿が、私やランドルフ様の忠言を微塵も聞き入れなかったように。クラウディア嬢も己の都合の良い世界に生きておられたのでしょう。世界が、違うのです。残念ですが。とてもとても悲しい話ではありますが、私や貴方の言葉は、届かなかったのでしょう」
「そう、ですね……どうして聞き入れてはくれないのかと。今でも頭の片隅で思ってしまいますが……私達も諦めるべきなのかもしれません」
憂いを帯びた瞳が切なげに細められる。
愛は失せても、情は残ってしまうのだ。
切り捨てようとしても、簡単には切り捨てられない。
共に過ごした自分自身をも否定するのは難しかった。
「……私は心の狭い人間です、アレクサンドラ様。彼女のあの、醜い姿を見た瞬間に、残っていた情は、何処かへ消え失せてしまいました。最後に残ったのは、体裁のみだったのですが……それもまた、捨てられそうに思います」
だが、決して出来ないものでもなさそうだ。
爽やかな笑顔のヴォルフガングを見てアレクサンドラも思う。
もう、体裁すら取り繕う必要もないのかと。
「続いて、カルラ・ツィーゲ!」
結界から出られたツィーゲは、以前であればバルトロメオスに間を置かずして寛恕を請うただろうに、今はだらしなく床に座り込んだままだ。
お付きのメイドだった者が両腕を抱えて立たせて、どうにか断罪の場まで引き摺っていった。
「唯一の側室としての地位を与えられながら、皇帝の子を一人も孕まなかった挙げ句に、たの男の種を皇帝の子として偽り続けた不敬と不貞の罪、皇帝の心身を損ないかねない魔法を幾度も仕掛けさせた罪、皇女を数えきれぬほど暗殺しようとした罪など、皇室に関連する犯罪以外にも、横領、詐欺、虐待の報告が上がっておる」
初めて公式の場で告げられた罪の多さに、周囲からは幾つもの悲鳴まで上がった。
ツィーゲ家の誰かだろうか。
側室の生家という肩書きを存分に使い、随分と無茶無謀を長年に渡って強いていたと、エーデルトラウトが憤りながら山のような報告書の整理をしていた。
「側室の地位は剥奪。その資産も全て国へ返上。死すまで神殿へ幽閉する。息子娘との接触は一切禁止。子が望むなら吝かではないが、子らは全員それを望まぬであろう?」
バルトロメオスの目線が五人の子供達に注がれる。
全員が揃って大きく頷いていた。
ツィーゲと積極的に接触していたといわれる、フェルディナントとシルビアでさえも。
「また、罪人の愚かさを利用し、側室としての名を存分に悪用したツィーゲ家は家名爵位を剥奪。資産も返上するように。親戚縁者までの罪は問わぬ。また五才以下子であれば養子縁組で名を変えることを許そう」
それ以外には貪った物に相応しい贖いが課せられる。
ツェーゲ家は多産の家系。
側室愛人は含まれるので、数十人は該当する。
女性が数人失神し、男性が数人崩れ落ちた。
走って神殿を飛び出していこうとする者は、騎士達によって迅速に拘束されていった。
「……罪人よ。何か申し開きはあるか?」
彼女は反応しない。
へらりへらりと笑ったままだ。
お付きの者達も訝しげな様子を隠せずに、主の代わりにせめてとバルトロメオスに深く頭を垂れる。
「……カルラよ。言い残すことは?」
家名は既に使えないので、恐らくは初めて、その名だけを呼ぶ。
「愛しております、バルトロメオスさま」
彼女の瞳が一瞬だけ、正気を帯びる。
ただ、それは瞬きする間の出来事で。
すぐに再び狂気を自ら選んだ女性特有の、淫らに呆けた瞳に戻ってしまった。
「最後まで私達に謝罪の一つもないのが、あの女らしい」
はっ! と鼻で笑ったアンネマリーは、彼女をもう母とは呼ばない。
当然認めてもいないだろう。
「我は罪人を愛してはおらぬ。側室であった頃から、否、エレオノーラを貶める発言をしたその時から、貴様は我の愛は愚か、情すら与えられぬ存在に成り下がったのだ」
一応バルトロメオスに目線を向けてはいるものの、その瞳はクラウディアやディートフリートと同じように違う世界を見ているのだ。
バルトロメオスの最後の慈悲も聞こえなかったに違いない。
お付きの者達によって再び結界の中へと閉じ込められた彼女は、何がそこまで喜ばしいのだろうかと、目を背けたくなるほどに満面の笑みを浮かべていた。
「続いて、ニコラウス・ボット!」
両手首、首、両足首に魔法封じの枷を嵌められた解りやすい罪人の格好をしたボットが、覚束ない足取りで一人、断罪の場へ辿り着く。
床に伏すと深々と額を押しつけた。
三人よりは、己の罪を理解しているようにも見える。
「側室を孕ませ、その子を皇帝の子として偽った罪、皇帝の心身を損ないかねない魔法を幾度も仕掛けた罪、皇女を実験動物の如く扱い、神の加護がなければ即死に至ったであろう魔法を数えきれぬほど放った罪など、皇室に関連する犯罪以外にも、宮廷魔導師長及び魔導師育成学園長としての地位を餌に横領、詐欺などを行った挙げ句、妻娘及び魔導学園の生徒を虐待したとの報告が上がっておる」
ボットには本当に驚かされた。
アレクサンドラを皇族としてどころか、人間として扱ってこなかったのだ。
まさしく魔法狂い。
魔法が全ての人生は、彼を人と人として認識できない化け物へと変えてしまったのだろう。
妻や娘に対する扱いは、アンネマリーから教えられて絶句したものだ。
良識どころか常識すら持ち合わせていないに違いない。
今回罪人と呼ばれて裁かれる人々は、全員揃って己に何処までも都合の良い世界に生きてきた。
彼は神殿長の次に多くの関係なき人々を狂わせた人物だ。
その罪は贖いきれないほどに重い。
「宮廷魔導師長及び魔導師育成学園長の地位を剥奪。ボット家の資産は全て返上。家名はそのまま名乗るがよい。扱いは名のある平民と致す。死すまで魔法封じの枷を嵌め続けるように」
地位と資産を奪われ、己を失うほどに縋ってきた魔法すら失い、ただ名前だけを残されたボットは、生きてゆけるのだろうか。
ボットの場合、そもそもの爵位は領地のない特別子爵。
ただ、宮廷魔導師長及び魔導師育成学園長という名誉ある役職を歴任していた為に、侯爵相当の扱いをされていた。
それが不名誉極まりない、名のある平民扱いに成り下がった。
平民に名前が授けられたのであれば、それは素晴らしい名誉で尊敬も優遇もされる。
しかし、貴族が名のある平民となった場合は、その名前は貴族である価値がない家名という意味となり、侮蔑と疎外の対象となるのだ。
恐らくこれからは日の糧を得るのにも苦労する境遇になるはずだ。
「最後に言い残すことはあるか?」
バルトロメオスの言葉で、ボットは一部の魔法を解除されたようだ。
顔を上げて必死の形相で請う。
「魔法を! 魔法を使えるようにしてくださいませっ! 魔法があれば、皆の役に立てるでしょう! 迷惑をかけた方々への贖罪もできるはずです! どうか! どうか! 元通り魔法を使えるようにしてくださいっ!」
「ならぬ。アレクサンドラを貶めた魔法を使うのは許さぬ」
「皇帝陛下っ!」
「……国が乱れれば、外す機会も得よう。だが、魔導具が外れたからとて、魔法が使えるとは限らぬぞ? 魔導具があった方が良いのではないのか。言い訳ができるからな」
「言い訳で、ございますか?」
「魔導具で封じられているから魔法が使えない。神の断罪が成されたわけではない、とな」
ボットの瞳が驚愕に限界を超えて見開かれる。
目の端が切れたのか血が一筋流れた。
「アレクサンドラ様を貶めた魔法で、罪を贖おうとは愚かの極み。神は魔法の発動を許さないでしょう」
何処までも穏やかな声音でシルビアが説明をしてくれる。
フェルディナント同様に、彼女も神の声を聞けるようだ。
「ええ。シルビアの言うとおり。魔導具は高価な物です。国が荒れれば暴漢が無理にでも外し、強奪するでしょう。彼の人生は終わっても尚暗いままとの御声がありました」
アレクサンドラとマルティンの分に続き、シルビアと己の分の紅茶を淹れたフェルディナントが神の定めたボットの未来を語る。
自分の主張が通っても事態は改善されぬ、むしろ悪化すると悟ったボットは、それ以上の醜態は晒さずに結界の中へと戻っていった。
結界の中にいられる時間こそが、一番安全なのだと自覚してしまったのだろう。
顔色は紙のように白かった。
次回完結まで走れるかなぁ。
+もう一回になるかなぁ。
後日談3話は完結してしばらく経ってから上げる予定です。
そろそろ違う作品が書きたくて仕方ないのですよ。
お読みいただきありがとうございました。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。




