微笑の皇女 後編 1
結局、後編1、2~のような表記にすることにしました。
一気に書き上げて綺麗に分割したかったのですが、ままらなないものです……。
今回は5000文字越え。
完結までは毎回これぐらいの文字数でいきたいところですね。
引き摺られていく二人の背中を見詰めていると、息を切らせてボニファティウスが走ってくる。
すれ違いざま一点の曇りもない憎悪の眼差しで二人を射貫いた冷ややかな瞳が、アレクサンドラを捉えた途端に潤いを帯びた。
後悔一色に染まったボニファティウスを視界に収めたアレクサンドラは、何時の間にか隣に立ち腰を抱いているマルティンを見上げる。
マルティンは静かに微笑んだ。
「申し訳ありません! 僕が罪人を監視する役目でしたのにっ!」
跪きヴェールの裾に唇を寄せたボニファティウスの両頬を包み込み、顔を上げさせる。
ボニファティウスの瞳から涙が一筋伝った。
「私こそ、ごめんなさいね、ボニファティウス。最後の表舞台へ立つにあたって、あまり罪人らしく見えないようにとの、計らいだったのでしょう?」
仕事は熟していると誰もが声を揃えて評価するボニファティウスに、本来抜かりはないはず。
だからこれは、どこまでもアレンサンドラの意思を重んじた結果なのだ。
どこまでも相容れない二人に対して、もの悲しく感じている場合ではない。
「おめでたい儀式でもあるしね。君は目一杯以上の手配していたと思うから、そこまで反省しなくてもいいんじゃないかな」
「ですがっ!」
必死の形相にも関わらず何処か、捨てられてしまうのではないかと危惧する小動物にも似たボニファティウスの眼差しにアレクサンドラの胸が痛む。
「君が一生懸命手配した結果、ちょっとした失敗でアレクサンドラが不安になってしまったけれど。君が走ってきた姿を見て、彼女は一瞬で己を取り戻したよ? 奴等に妄想を垂れ流された現実より、君がそれだけアレクサンドラを大切に思ってるって真実の方が、アレクサンドラは嬉しいから……決して君を、嫌いにはならないから」
「ええ、マルティン様のおっしゃる通りですわ。むしろ、私もそういった手配に心を置くべきだったのかもしれないと反省しております。貴方を嫌いになるなんて、有り得ませんよ」
任せて欲しいというので、信じて任せた。
それはきっと間違いではないだろうけれど。
国賓がいる状況であれば、皇女として嫁ぐのであれば。
手配すべき諸々があったのではないかとも思うのだ。
「して、ボニファティウスよ。奴等はどうするつもりだ?」
「はい。ボットには新しく宮廷魔導師長に任命されました者が、魔法での完全拘束をした上で。ツィーゲには長くツィーゲの側に侍っておりました者が、薬での完全拘束をした上で儀式に参列させる手筈を取っております」
婚姻の儀式は同時に断罪の場でもある。
何より罪の自覚なき者に、僅かでも自覚を促すために出席は絶対だ。
関係者以外の出席者達もその場では皇族に敬意払い沈黙を守るだろうが、一歩祭儀の間を出れば情け容赦ない罵声を存分に浴びせるだろう。
ある意味誇り高い二人にとって度を超した屈辱は、今度こそ罪を自覚できる救いかもしれない。
万が一、死の間際までもしくは死してもなお自覚できなかったとしても、塵芥の如く扱われて萎れる二人を見れば被害に遭った人々の留飲は下がるだろう。
アレクサンドラへの不敬以外にも、二人がしでかした罪の被害者は数え切れないほど多いと言われているのだ。
アレクサンドラ自身、既に今が幸せな身であるので二人への憎悪はない。
と言うか、憎悪、という感情は、生まれてこの方抱いた過去がない。
寂しくも、悲しくも、虚しくも、切なくもあったけれど。
自分を殺そうとした数多くの人々を憎めなかったのが恐らく、神によるアレクサンドラへの最高の加護ではないのかと、そんな風にも考えている。
「マルティン殿もアレクサンドラも、ボニファティウスの対応に疑問はないな?」
「はい。ございません。面倒をかけますが、最後までお願いしますね、ボニファティウス」
「勿論です、姉上様! 儀式が滞りなく行われるよう全力で勤めます!」
「僕からも宜しくお願いするね」
「我からも頼む」
「帝王のお言葉も、陛下のお言葉もありがたく頂戴いたします」
深々と頭を下げたボニファティウスが顔を上げれば、そこには何時ものボニファティウスらしい独特の掴み所のない穏やかさが宿っていた。
安心するアレクサンドラの手首を取り、その掌を額にあてたボニファティウスは更に一言。
彼らしい言葉を紡ぐ。
「遅ればせながら、姉上様。大変お美しゅうございます! 女神がおられるかのようです! 極上のドレスも繊細な宝飾品も姉上様以外には着こなせない逸品。マルティン様が準備されたとのことですが……」
「そうだよ。貰った絵姿を参考に頑張って準備したよ!」
「マルティン様の選んだ物だからこそ、姉上様はより一層美しく輝かれるのだと思います。どうかマルティン様。姉上様をこの上もなく幸せにしてください」
「アレンちゃん本人にも、皇帝陛下にも、君達アレンちゃんの大事な大事な弟妹にも。何度だって誓うよ。僕は、アレクサンドラを、最高に幸せにするってね!」
腰に回った腕に力が入る。
ヴェール越しでも赤くなった頬を看破されそうだ。
「ありがとうございます。僕も安心して、引き続きの手配に参ります」
「ええ、お願いします」
自らの手でヴェールを上げてボニファティウスへの微笑を向ける。
マルティンの気配が少し不満気だったのがまた、面映ゆかった。
ボニファティウスが去り、アンネマリーが背後でヴェールを捧げ持ち、バルトロメオスとマルティンに挟まれて再び歩み始める。
「……そう言えば、儀式は誰が行うのかな? まさか神殿長じゃないですよね?」
「我が弟といえど、さすがに任せられぬな」
「しかし、皇族婚姻の儀式となりますと、神殿長しかご存じないしきたりが多くあるのではないでしょうか?」
神殿長が幾度となく自慢げに吹聴していたのが思い出される。
副神殿長も八つ当たり気味に、神殿長は隠匿癖が酷くて困る! 皇女たるアレクサンドラ殿がどうにかしてくれないとどうしようもないのじゃ! と愚痴を零していた。
「うむ。実はな。フェルディナントがやれると申すのでな。任せることにした」
「フェルディナントが、ですか? 本人がその気だとしても、よもやシルビアが承諾するとは思いませんでした」
「そう? 僕が見るに、随分と君を慕っているみたいだったよ、二人とも」
神殿という閉鎖的な場所に長く居た二人は、神殿長の歪みきった皇室に関する知識を植え付けられている。
アレクサンドラに対しても昔から今に至るまで無関心を貫き等していたように思えた。
「ほら。お茶会の時とかさ。時々顔を出していたよね?」
「いたな。アレクサンドラの菓子を美味そうに頬張っていた……こっそりとだが」
確かに弟妹達との歩み寄りは著しかった。
だからこそフェルディナントとシルビアの二人に関しては、他の弟妹達のように上手くはいかないのだと感じていたのだ。
菓子の件は食に対しての関心が高いので、その流れで普通に手にしていたのだと思い込んでしまった。
二人が必死に距離を縮めようと努めていたのに、気が付かなかったのだとしたら恥ずかしい。
「アレンちゃんの同席がない時に二人と話をしたけど……まぁ確かに歪んでいるなぁと思う点は多くあるけど。最終的には帝国に骨を埋めると言ってくれたよ?」
「何時の間に!」
「ふふふ。もっと後でアレンちゃんを驚かせようと思って内緒にしていたんだけどね。根は素直な子達だし。努力の仕方も知っているみたいだよ」
「神殿長に目を付けられぬよう愚鈍を装っていたのは感じていたが……そうか……マルティン殿の目には、二人とも、素直に見えるのか……」
バルトロメオスも二人が長く偽りを演じているのに気が付いていたようだ。
置かれた状況は厳しいものだったが、どの弟妹達もそれぞれの葛藤が多くあったのだと、気が付けなかった自分が疎ましい。
アレクサンドラは己の視野の狭さを改めて自覚する。
「君は大丈夫だよ、アレクサンドラ。僕がいるからね? 今だって驚くほどの意識改革をし続けているじゃないか。己の非を真っ向から受け止める君が、僕は本当に大好きで、尊敬もしているんだよ」
落ち込む側からマルティンが言葉を尽くして慰めてくれるのに、喜悦の涙が滲んだ。
「これから時間はたっぷりあるんだから、まずはフェルディナント殿の立派な儀式の進行を肌で感じて、それを補佐しているシルビア殿共々、関係を見つめ直していけばいいと思うよ」
「はい、そういたしますね。マルティン様、ありがとうございます。父上。父上も、どうか二人との関係を私のように考え直してくださいませ」
「状況が落ち着けば、そのように計らうつもりはある。安心いたせ」
眉根を寄せていたバルトロメオスも口の端を緩やかに上げて、穏やかな表情で応えてくれた。
諦めかけていた二人との関係が、アレクサンドラの求めてるものへ近付ける可能性が見いだせたのが嬉しい。
微笑むアレクサンドラの前に、神殿の大門が姿を現した。
神殿の大門を潜り祭儀の間へと向かう。
神殿の者が頭を下げ続けている廊下をしずしずと通ってゆく。
神殿長の姿はなく、それ以外の高位の者達は全員揃って額を床に押しつける礼を取っていた。
幻覚かと思うほどの、有り得ない光景だった。
「頭を下げれば許されると思っている愚か者達だけどね。下げる最低の謝罪すらできない者達よりは幾らかまともな気がしちゃうから困るよね」
静かな廊下に響き渡る声で謳うマルティンを咎める者は誰もいない。
アレクサンドラは屈辱にか恐れにか全身を震わせる姿を敢えて見ないように努めて、開け放たれた祭儀の間へ一歩足を踏み入れた。
広々とした祭儀の間が狭く感じるほど、整列をした人々が綺麗に詰め込まれている。
これもきっとボニファティウスの苦労の賜なのだろう。
儀式が終了したら、心を込めて労いたい。
儀式を粛々と進行すべく祭壇の上にはフェルディナントが、未だ嘗てない清廉な雰囲気を纏い佇んでいる。
神殿長が着るはずの正装は神気までをも醸し出していた。
口元には穏やかな微笑が浮かび、目元も軟らかく撓んでいる。
一歩下がった左隣には、フェルディナントと揃いの正装姿のシルビアが、こちらもまた見たこともない慈悲深い微笑みを湛えたままアレクサンドラを見据えて、静かに目を細めた。
祭壇の左下、他の参列者より一段高い場所にはオイゲン・バッヘル、ブリュンヒルデ・バッヘル、ヴォルフガング・バウスネルン、ランドルフ、エーデルトラウト、ボニファティウスといった皇族及び皇族へ絶対的忠誠を誓う関係者が姿勢正しく並んでいる。
思うところは色々とあるだろうけれど、全員が静謐を守っていた。
祭壇の右下、明らかに過剰な魔法による結界が施された見えない檻の中には六人の罪人がひしめき合っている。
フェリックス・シリル。
元宰相にして、ボニファティウスの実父。
どちらかと言えば細身だった身体は見る影もなく肥え太っていた。
今まで着ていた衣類を無理に着ているせいで、衣類がはち切れんばかりのみっともなさだ。
バルトロメオスから最下級の役人がこなす雑務のみを与えていると聞いていたので、己の惨めな立場を忘れようと暴飲暴食に励んだ結果ではないかと推察される。
目がぎらぎらと獣めいて輝いていた。
ニコラウス・ボット。
元宮廷魔導師長及び元魔導師育成学園長にして、アンネマリーの実父。
両手首、首、両足首に恐らくは魔法封じの枷が嵌められているので、他の誰よりも罪人らしく見える。
見習い修道士が着る簡素な衣類を身についていた。
目は虚ろで、視点を定めることなく彷徨わせている。
カルラ・ツィーゲ。
唯一の側室にして、ボニファティウス、エーデルトラウト、アンネマリー、フェルディナント、シルビアの実母。
シリルにその身を預けなければ立っていられないような憔悴状態。
神殿に寄付されたであろう着古した漆黒のドレスを着ている。
装飾品の類いは一切なく、化粧もなされていない。
口の端がだらしなく開かれているのを見ると、思考能力を低下させる系の薬が投与されている模様。
ゴットホルト。
現神殿長にして、バルトロメオスの実弟。
フェルディナント、シルビアの実父。
清貧を謳う神殿にあるまじき、ふくよか過ぎる体型をしていたのだが、今は骨と皮だけで一切の肉がない身体になってしまったようだ。
見習い修道士が着る簡素な衣類に着られてしまっている。
装飾品の類いは一切つけていない。
結界で音が遮断されているので何を言っているのかまでは解らないが、ぶつぶつと休む間もなく呟き続けている。
クラウディア。
カントール家から絶縁された元三女。
ヴォルフガング・バウスネルンの元婚約者。
元々ふくよかだった体型が異様なまでに肥え太っている。
立っているのが億劫なのか座り込もうとしては、結界の何らかの作用により強制的に弾かれどうにか立っているようだ。
神殿に寄付されたであろう着古した漆黒のドレスが身動きする度に破れる音がしている。
ヴォルフガングの姿を認識したのだろうか、両腕を突き出し、抱き締めて欲しいと懇願の絶叫を上げ続けているようだ。
ディートフリートとの御子は姿が見えなかった。
ディートフリート。
今はなきヴュルツナー家の嫡子であり、元第一騎士団長。
アレクサンドラの元婚約者。
騎士らしく鍛え抜いたはずの身体は一見保たれているようで、酷く窶れて見えた。
見習い修道士が着る簡素な衣類を纏った姿には、騎士服姿を見慣れていたので違和感しか覚えない。
帯剣は勿論許されていないだろう。
変わり果てたクラウディアに対する盲目的な愛情が薄れているようにも見受けられた。
代わりに。
アレクサンドラへ向ける視線に熱が籠もっているのが疎ましい。
罪状にそれぞれ差異はあるが、アレクサンドラに対する不敬は全員に共通していた。
儀式の場面、断罪の場面、そして旅立ちへ……みたいな流れになるかと思います。
実はアレクサンドラのドレス描写がまだできていないのです……検索画像を見て迷っているのですけども。
やはりAラインですかねぇ……。
お読みいただきありがとうございました。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。




