微笑の皇女 中編
毎度毎度のお待たせしております。
中編としておりますが、今回も5000文字弱程度なので、最終的には前編に組み込まれる形になる気がします。
というか、次回に再編集した方が良いのかしら。
一気にラストまで書き上げられていれば、この手の苦労はしないですむのですが。
後篇1-1、1-2的な形にした方がいいのかしら。
この点もしばらく悩むことにします。
マルティンが待つ神殿の祭儀の間へと至る道をバルトロメオスと腕を組み、アンネマリーに長く裾を引くヴェールを持たせながらゆったりと歩く。
額ずく騎士や召使い達が口々に言祝ぐ中、お早いお世継ぎを! の声には、思わず頬を染めてしまった。
「言われるでもなく、すぐさま授かるであろうなぁ……」
「父上!」
「私もそう思いますよ、お姉様。だって、本当に仲睦まじいんですもの!」
「マルティン殿の愛は重そうだが……お前は全てを受け止められるのであろう?」
目を細めたバルトロメオスの瞳には柔らかな慈愛が満ちていた。
己の叶わなかった夢を果たして欲しいと、そんな風に訴えられている気がしたので、アレクサンドラは大きく頷く。
「はい。マルティン様が望んで下さるままに、私も同じように出来ればと思っております」
愛する人の子を多く産み育てる事だけが帝妃の全てではないだろうけれど。
現実問題、それが一番重要視される点でもある。
皇国など比べものにならぬほど帝国の民は死に近い。
アレクサンドラはマルティンと相談の上で、できる限り多くの子を産み育てる心積もりでいた。
上に立つ者が多くの子を持てば、下の者達も安心できるはずという考えもあった。
「うむ。我も楽しみにしておる」
「私もです、お姉様!」
ミスイア皇国の未来には不安しかない。
それでも、バルトロメオスがアレクサンドラの子を楽しみに出来る余裕がある未来なのだと思えば、少しは不安が紛れた。
己が幸せで満ち足りている分、長く自分がその幸せを祈ってきた民達も幸福であって欲しいと願ってしまうのだ。
「アレンちゃん!」
「マルティン様?」
祭儀の間で先に待っているはずのマルティンが物凄い速さで走ってくる。
アレクサンドラを視界に収めた瞬間、殺気立っていた気配が穏やかなものへとすり替わった。
「……なんぞの、問題でも起こったのであろうか?」
「祝いの席だからと物理的拘束をしなかったら、ね。隙を見て逃げられちゃったみたいで。間違いなくアレンちゃんに寛恕を請う為の逃亡だと思ったから、大急ぎで探しに来たんだよ。あいつらより先に会えて良かった!」
「誰、でしょうか?」
ヴェールを持ちながらアンネマリーはマルティンに問う。
利き手には何時の間にか愛剣が握り締められていた。
「誰、だと思う?」
「元宮廷魔導師長と側室、であろう。違うかな?」
「さすがは、皇帝陛下。慧眼が素晴らしいですね!」
「世辞などいらぬよ。素晴らしいというのなら、マルティン殿。もっと素晴らしいものがあるのではないかね?」
バルトロメオスがアレクサンドラの手を離す。
アンネマリーもヴェールに口づけを落として一歩下がった。
「マルティン様っ!」
アレクサンドラは脇の下から腕を入れられて、高く持ち上げられる。
幼子にする、高い高いだ。
孤児達に乞われてアレクサンドラも幾度となくしたそれ。
されるには、自分は年を取り過ぎている。
羞恥で頬が染まるのを自覚した。
「最高に綺麗だよ! アレクサンドラっ!」
しかし嬉しそうに微笑まれれば、恥ずかしさなど些末なものに思えて霧散してしまう。
「マルティン様も素敵です! ……私に、こんなにも美しいマルティン様のお側に侍べる資格はあるのでしょうか?」
「そっくり同じ言葉を返すよ? 僕の手は空恐ろしいほどの血に塗れている。本来なら穢れなき君を抱く資格などない。でも、僕は……どうしても君を諦めたくないんだ。ごめんね?」
「謝られても困りますわ! 私、自らの手は何も殺めてはおりませんが、その加護が奪った命は多うございます。自らの手を汚しもしない私の方が余程、罪深い存在ですわ」
「ふふふ。そんな君だから僕は、君を手放せないんだ。唯一の最愛の人。君以外を隣に置く日など未来永劫来ないんだよ」
額へキスが落とされる。
そのまま唇へと移動しかけた唇は、バルトロメオスに腕を引かれてしまったので触れ合えなかった。
「誓いのキスはまだ早いぞ、マルティン殿」
「こんな美しい花嫁見て、歓喜のキスも許されないとおっしゃいますか?」
「額へのキスで十分に伝わったであろう。なぁ、アレクサンドラ」
改めて問われれば、唇へのキスを人前でするのは恥ずかしいという思いが強い。
マルティンは耳まで赤く染めたアレクサンドラの手首を取り、手袋越しに恭しくキスを落とした。
「これ以上愛しい花嫁の愛らしい笑顔を見せるわけにはいかないかな。今はこれで我慢するよ」
「……姉上様っ!」
マルティンからの愛溢れる敬愛のキスを受けて微笑むアレクサンドラは、アンネマリーの警戒を強めた声に姿勢を正す。
神殿に足を踏み入れるまであと少しという場所にもかかわらず、攻撃魔法を放ちながら元宮廷魔導師長が近付いてくる。
その背後には豪奢なドレスの裾を懸命に持ち上げながら不格好に走る側室の姿もあった。
「我が愛娘に近寄る事、禁じたはずであるが?」
バルトロメオスが静かに二人を咎める。
声音はどこまでも穏やかであったが、平坦で。
向けられれば全身の毛が逆立つほどに、取り付く島のない冷ややかなものだった。
「わっ! 私めは! アレクサンドラ様にっ!」
「僕の花嫁の名を呼ぶのを許せるのは、僕が許す相手だけ。貴様に資格は永遠にないよ?」
「こ! 皇女様の魔法の腕前を測っただけであって! 不敬を働いたのではないのですっ!」
「……はぁ?」
アンネマリーが怒りの余り深紅の炎を全身に纏う。
マルティンも思わず感嘆の声を上げるほどに美しい光景に、アレクサンドラも一瞬、アンネマリーを宥めるのを忘れた。
炎がアンネマリー自身を傷付けないと知っていたのもあるが、見惚れるほどに美しかったのだ。
「へ! 陛下もいけないのでございます! 学園に入るのを許さなかったから! 皇女様が学園に入学してさえ下されば、私とて、時間外労働など好き好んでせなんだものを!」
正直、アレクサンドラは元宮廷魔導師長の言葉が理解できなかった。
僅かに首を傾げると、アンネマリーの怒りが和らぎ、マルティンが微笑みながら頷いてくれる。
アレクサンドラの疑問は当然のものだったようだ。
「アレクサンドラの魔法に関する全ては、ミスイア皇国の全てを知る老爺に任せてあるのだ。あやつに許された権限は時に皇帝を越える。貴様如きが介入できるはずもなかろう?」
千年前。
ミスイア皇国生誕のその年には、最高峰の魔導師として謳われていたという、名もなき魔導師。
歴史書でも時々見かけるその呼び名を持つ者が、アレクサンドラが師匠と呼ぶ気難しいがどこまでも誠実な老爺だとは、夢にも思わなかった。
「あ、あの糞爺が! そんな、馬鹿なっ!」
「あやつも人知を超える力を持ってしまったが故に制約が多い。名を隠すのは、ただ有象無象の輩に集られたくないだけらしいがな」
「それでは! 皇女様への私の攻撃が全て通じなかったのは、糞爺のせいなのかっ!」
「そんなこと、我が知るはずもなかろう。アレクサンドラも知らぬ。だがあやつはアレクサンドラにその身を守る術を惜しげもなく教えたとしても、直接守ったりはしないであろうな」
「つまり! 貴様は魔法勝負で負けたんじゃなくて、神の怒りに触れたんだって事だよ! 良かったね? 負け犬じゃなくて……『皇女様への、私の攻撃』とか、語るに落ちたし。貴様は、神の怒りと、皇帝の怒りの他に、帝王の怒りもその身に負う羽目になったんだよ。それぐらいは理解できるよねぇ?」
その場に崩れ落ちた元宮廷魔導師長と側室の身体から防御魔法の気配が消える。
二人を追ってきた者達がじりじりと距離を縮める中、側室が元宮廷魔導師長の背中を蹴り上げながら近寄ってきた。
「アンネマリー! その姿はどういうことじゃ!」
「……は?」
「その国宝は妾にこそ相応しい物じゃぞ? お前のような軍人かぶれの小娘が身につけて良い物ではないわ!」
「うわー。信じられない! なんでこんな馬鹿が側室なの? ミスイア皇国大丈夫?」
側室の場違いすぎる発言にマルティンが呆れ返っている。
「ってーか。アレンちゃんに助けて貰うために来たんじゃなかったの?」
「妾に! 妾にその国宝を寄越すのじゃ! アンネマリー!」
側室はマルティンの声に全く反応しない。
どうやら耳に届いていないようだ。
「貴様が欲しがった国宝は既にアンネマリーが正式な持ち主となっておる。国の正式な手続きを踏んでいるのだ。貴様如きが喚き暴れたところで、どうにもなりはせぬ」
「陛下っ! 酷うございますっ!」
「酷いのは貴様の頭だ、カルラ・ツィーゲ。何故ここにおるのだ? 貴様は断罪を待つ身。定められた場所から動かぬよう命じられているはずだが」
「何と冷たいことをおっしゃるのですか、陛下! 妾に罪などあろうはずもございまぬ。全て誤解なのです! 陛下を心より愛したことが罪だなんて神がお許しにはなりますまい!」
バルトロメオスを心から愛したというのならば、何故違う男性の子を何人も孕んだのだろう。
心の底からバルトロメオスを愛していたというのならばそれは、絶対に忌避すべき事態なのではないのだろうか。
「はぁ……神殿に隔離したのがよくなかったのかな? 全然反省できてないんだね、二人とも」
「……恥ずかしい……ただ、この二人が私の両親だなんて、心底恥ずかしい!」
「アンネマリー……」
唇を噛み締めて必死に涙を堪えるアンネマリーを引き寄せて、そっと抱き締める。
アレクサンドラの腕の中でアンネマリーは堪えきれなかった嗚咽を漏らした。
「え? あれく、さんど、ら?」
アンネマリーを腕に抱くアレクサンドラに、初めて気が付いたとばかりに側室の視線がアレクサンドラを捉える。
「な、なんじゃ! その格好は! 有り得ぬ! 有り得ぬぞ! エレオノーラの娘なぞが、そんな美しい、ドレスに、宝石に! あぁ……なんじゃ、その豪奢なティアラは! ミスイアの国宝にもなかったはずじゃ!」
「うん。帝国の国宝だからね、当然。清純なアレクサンドラにとても良く似合う美しいダイヤモンドでしょう? 鉱物資源には恵まれた帝国でも、ここまでの代物はそうそう出ないんだよ?」
アレクサンドラがヴェールの下に付けているティアラは帝国の国宝であったダイヤモンドを、アレクサンドラの為にと職人が丹念に作ったティアラの中央に嵌め込んだものだ。
涙の形に美しく整えられたダイヤモンドは、長く飾られて楽しまれていたらしい。
今後は帝国の帝妃が付けるティアラの一部として、代々受け継がれていくとのことだ。
「ネックレスもイヤリングも、ドレスに縫い付けられたダイヤも全部見事だよね? 全てアレクサンドラの為に僕が作った物。彼女を心から愛しているからね、僕が全て手配して贈ったよ。ねぇ、側室さん? 君は愛する皇帝に何か贈って貰った? 個人的に、だよ?
エレオノーラ妃にも、アレクサンドラにも贈っているからね。君が本当に愛されているというのならば、沢山、皇帝から貰っているはずなんだけど、贈り物」
「え? 妾は、妾は……陛下に……贈り物……」
「当然一度もない。愛していないのだから贈れるはずもないな」
バルトロメオスが必死の形相で記憶を辿っている側室をあっさりと絶望に突き落とす。
「……そういえば貴様が身につけておる物は、側室に国から与えられる予算で誂えた物だな。全て返上して貰うとしよう。少し早いが、己の罪を自覚できない愚か者には相応しい罰であろう。そのように手配せよ!」
バルトロメオスの命令により様子を伺っていた周囲の者達が、二人を拘束して引きずってゆく。
元宮廷魔導師長は項垂れてされるがままになっている。
側室は何やらずっと喚いていた。
『側室に与えられた物を返上ということは……陛下! 妾が正妃になれるのですか! やっと解って下さってのですね! ありがとうございます、陛下! 愛しております、皇帝陛下!』
側室が正気で言っているのか、狂ってしまっているのか。
アレクサンドラには判断できなかった。
最後の最後まで足掻いていただきました二人。
側室は正気なのかなぁ……こちら二人は、隔離された期間に結局罪から逃げてしまった感じになりますね。
魔導師長はさておき、側室は私が悪かった? いや! 悪くない! の思考を死ぬまで繰り返し続ける気もします。
お読みいただきありがとうございました。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。




