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歓喜する帝王 前編

大変お待たせしました!

歓喜する帝王は、前編、中編、後編でお送りします。

まだ最後のエピソードが書き切れていません。

書き上げてから投稿したかったのですが、どうにも進みが悪いので、あえて投稿してみました。

それぞれ、1万文字前後になるかと思います。





 神に愛された国、ミスイア皇国。

 誇らしげに広く謳われているのを聞いて、神の加護を受ける身として、随分と脳天気で羨ましいものだと思った昔。

 自分は信頼できる兄二人がいるけれど、それ以外は何も保たず。

 極寒の地に散らばる人々を神の加護で得た威圧と武力を使い謀略を巡らし、粛々と纏め上げてきた。

 神の加護持ち=神の生け贄、と、ヴォルトゥニュ帝国では、認識が徹底している。


 神は一人でなく数多く存在し、優しき神も居れば猛き神もいると、教えては貰った。

 他でもなく、マルティンに加護を与えた神に。

 加護神は、自分の感情を吐露した。。

 うぬは、我が加護する価値はあれど、溺愛する価値はないと。

 加護が原因で散々嘗めさせられた辛酸もあり、溺愛なんて冗談ではないと思ったし、そもそも神が溺愛なんて、有り得ないだろうと唾棄もした。

 けれど。


 初めてアレクサンドラを見て、神の気持ちが解ってしまった。

 世に、溺愛するべき存在は、確かにあるものなのだと。



『俺も行きたいがなぁ……王がいない帝国に、宰相も将軍もいないでは、暴動が起きる気しかしない』


 エフセイは残念そうに首を振った。


『留守はしっかりと勤めます。安心して花嫁を迎えに行きなさい。なるべく、早く戻るんですよ?』


 コンドラートは微笑を浮かべて背中を押してくれる。


『ルカ。マルティを頼みましたよ?』


『はっ。マルティン様も、奥方様も、無事帝国へ入れますよう、全力を尽くします』


 腹心の部下はコンドラートの言葉に跪いて誓う。


『国として、こう。派手派手しくしでかす方が良い気もするがなぁ。側室他関係者断罪の影響で、ルカ以外に付き添わせる相手がいないんだよな……』


『兵士達は内乱防止用に控えさせておきたいですからねぇ』


『……マルティン様に伺っている情報から推察致しますに、奥方様は派手な出迎えはお好きでないように思われます』


『だよねー。それが民の為とか、僕の為とか言ったら、真摯に受け入れてくれるだろうけどさ。本当に得がたい帝妃だよねぇ』


 加護を失って滅ぶ国を威圧する必要もない。

 見栄を張るなど金の無駄。

 むしろ必要なのは、国に入ってからだろう。

 マルティンの愛情を一身に受けるアレクサンドラを、自分に都合良く使おうとする愚者は絶対に出てくる。

 愛しい妻を、守り抜くのは夫の役目。

 誰にも譲るつもりはないが、万全を期したいので、使えるものは何でも使うつもりでいる。


『そうだな。軍神ランドルフ・ヴュルツナー殿も後に来られるとのことだし。鬼神オイゲン・バッヘル殿は家族を連れて先に帝国入りされているが……気持ち良い方達だったぞ』


 マルティンもオイゲン一家からの挨拶を受けた。

 幼子まで軍人の顔をしていて驚かされたが、印象はすこぶる良い。

 そして恐らくは、オイゲンよりも妻のブリュンヒルデの方が強いようだ。

 アレクサンドラへ抱く感情は様々だったが、全員の忠誠は疑いようもなかった。


 ランドルフ・ヴュルツナーは、命を賭して孫の罪を贖うと決めたのだろう。

 常に最高位に立つ武人として生きてきた彼の、苦渋の決断がマルティンには嬉しかった。

 ただ、死なすには惜しすぎる逸材だ。

 息子も早死にが惜しまれるほど、良い武人だったと聞く。

 孫は例のない屑だったが。

 さて、曾孫はどうだろう?

 彼が遅れてくるのはたぶん、曾孫絡み。

 アレクサンドラに忠誠を誓うのならば、マルティン的には保護で問題はなかった。


『アレクサンドラ様と同行される騎士は、火神アンネマリー殿と聖神エーデルトラウト殿。他にも謀神ボニファティウス殿筆頭に優秀な文官が何人もおられるようだ』


 噂は色々と聞いていたが、アレクサンドラからの手紙で書かれた三人の姿は、なかなかに楽しかった。


 婚約破棄を切っ掛けに、アレクサンドラの周囲は良い方向へと激変している。

 一番はマルティンとの婚姻に決まっているが、それでも疎遠だった弟妹達の歩み寄りはアレクサンドラを殊の外喜ばせたようだ。

 一見ボニファティウスの忠誠が低いようにも感じられたが、頭が良すぎる分アレクサンドラの心の深淵までを慮っているのだろう。

 帝国へ来て、アレクサンドラが喜ぶ仕事を山ほど回してやれば、彼女の役に立ち、それ以上に喜ばれて自分と折り合いがつき、他の二人のように姉へ甘えられもするはずだ。


『楽神ヴォルフガング・バウスネルンが来られると聞き、驚きました。帝国は芸術に弱い国でしたが、今後は劇的に変わると思われます』


 ヴォルフガングの場合、忠誠というよりは崇拝だ。

 手紙の中では、アレクサンドラは少し困った風に語っている。

 嫌なのではない、心配なのだ。

 だが、作曲は新しい作風の曲を次々と生み出し、紡ぎ出す音は一点の曇りもない澄み切った美しいものなのだと、不思議そうだった。


 戸惑うアレクサンドラもまた、可愛い。


 芸術を嗜む余裕など今までは持てなかったが、アレクサンドラを隣に、研ぎ澄まされた旋律に耳を傾けるのは、至福の時間となりそうだ。


 アレクサンドラを慕う者は想像以上に多かった。

 第一皇女の嫁入りと考えても十分過ぎる人材が、帝国に入る。

 分野が多岐に渡っているのも素晴らしい点だ。

 何より忠誠心の絶対さが助かる。


 また、皇帝も思慮を尽くして愛娘の婚姻に相応しい物を持たせるように手配していると、嬉しそうに書かれていた。

 マルティン様は、何か欲しいものはございますか? とアレクサンドラに、ストレートに聞かれたのは返信に困ったが、ここは素直に色々とミスイア皇国の名産品を並べておいた。

 寒さが厳しい帝国にしてみれば、食材だけでも十分ありがたいのだが。


『帰りは大所帯になるだろうけど、行きは身軽で問題ないよ』


『滅ぶ国に貢いでも仕方ないわなぁ……』


『それもあるけどね。恐らく善良な民への救いはあると思うんだ……だから、後程援助した方が良いと考えてる』


『加護神様からの神託か?』


『そんな便利な情報は貰ってないよ。でもまぁ……そんな気がするんだよねぇ』


 マルティンがそう言うのならば、間違いもないだろうと、二人の兄は頷く。

 実際マルティンの勘は、神がかって鋭い。


『それでは、マルティン様。明日出立ですので、今夜は早めに休まれて下さいませ』


 ルカの言葉で、出国前日会議はお開きとなった。



「……目立っておりますよ、マルティン様」


「仕様だね? まぁ、僕とブラックユニコーンが威圧してるから、話しかけては来ないでしょう?」


「ぶるるるっ!」


 白銀世界で身に纏う異色の漆黒故か、他のユニコーン達に虐められていたところを助けた。

 ついてきたそうだったけど、そんな目立つ馬には乗れないし? と拒絶をしたら、三日後。

 神馬に進化して、隠蔽を身につけ、王宮に走り込んできた剛の者。

 以来マルティンの愛馬となって久しい。


「でも……あぁ、ほら、また! 女性がふらふらと歩み寄ってきますよ」


「危ないよねぇ」


「ぶる」


「ではなく! 何時か、彼が間違って跳ね飛ばし! ませんね! 貴方がそんな間抜けなことをするわけないですね! すみません、シュバルツ!」


 シュバルツから放たれた威圧が殺気となってルカを襲う。

 歩み寄ってきた女性は失神したので、無問題だ。


「まぁ、ちゃんと王宮へ連絡しているから、そろそろ合流できるんじゃないの?」


 神殿へ逃げ込んでいるという、元宮廷魔導師長の自宅を押収したところ、便利な魔道具が山のように出てきたらしい。

 中にはミスイア国では保持厳禁の魔道具も少なかったと聞く。

 そんな魔道具の中からアレクサンドラが送ってくれたのが、先程王宮へ連絡を入れた通信機。

 遠距離恋愛にはありがたい魔道具だ。

 何よりアレクサンドラの声が聞ける。

 幼い頃の記憶よりも、耳に甘く落ち着いた声音。

 どんな不機嫌になっていても、癒やされる至高のやわらかさ。

 時々、照れた風に流暢でなくなる愛らしさときたら、堪らなかった。


「マルティン様……お顔が……」


「ぶるるぅ」


「……コレで大丈夫」


「帝王らしくなりました。慇懃無礼微笑」


「君も大概な従者だよね」


「お褒めにあずかり光栄です」


「……ぶるっ」


 来たぞ、と教えて貰い、笑みを深くして顔を上げる。


 現れたのは大物だった。


「ようこそ、ミスイア皇国へおいでくださいました! マルティン・マルティノヴィチ・グーリエヴァ陛下、ルカ殿、シュヴァルツ殿」


 馬からひらりと飛び降りて深々と頭を垂れたのは、第二皇子エーデルトラウト。

 整った容姿は、他の国より聖神と謳われるに相応しい覇気と品位に溢れている。

 皇帝の子として微塵も疑われようもないほどに皇族らしいが、実の父親はあのオイゲンというのだから驚きだ。

 

「アレクサンドラ姉上が、今か今かとお待ちです」


 アレクサンドラへの揺るぎない忠誠は、バッヘル家のもので。

 それ以外の全てを、アレクサンドラと皇帝から得たのだろう。

 あの、淫婦の血が流れていても、流されることは決してないに違いない。

 マルティンを見詰める眼差しにも揺るぎはなかった。


 再び馬上になったエーデルトラウトは、マルティンとルカを引き連れた部下達による完璧な布陣で護衛しながら、隣に馬を並べる。


「……初めて拝見しました。黒いユニコーンを! 素晴らしく美しいですねぇ。きっとその見事な体躯で、数多の戦場をマルティン陛下と共に駆けられたのでしょう……シュヴァルツという御名は、ミスイア皇国の言葉を使って下さったんですよね? 余計に親しみを感じます」


「ぶる! ぶるるるっ!」


 褒められて悪い気はしねぇよ!

 俺も、名前は気に入っている。

 響きが良いからな。


「……シュヴァルツ殿は、何とおっしゃっているのでしょう?」


 マルティンが正確にシュヴァルツの言葉を理解していると疑わない質問だ。

 馬を人と同じに扱う軍人は一定数いるが、自分の愛馬に向ける例が多い。

 また、自分だけが愛馬の言葉を理解できるのだと思い込む輩がほとんどなので、エーデルトラウト反応は珍しいと言っていいだろう。


「褒められて悪い気はしない。名前は音の響きを特に気に入っている、と言ってるんじゃないかな?」


「! そうですか! 鋭い発音なので、攻撃的だと言われることが多いのですよ。シュヴァルツ殿のように受け止めて下さると嬉しいです」


 軍人らしく雄々しい響きなのにな。


「はい! 我がミスイア皇国の数少ない自慢だと自負しております!」


 ……既に通じ合っているのだが。

 さすがは、アレクサンドラの手紙や通信の中で弟妹の中では一番出てくる数が多い男。

 ちなみに、一番登場回数が多いのは皇帝でも有り父親でもあるバルトロメオスだった。


 楽しそうにシュバルツと会話するエーデルトラウトに感心半分呆れ半分の感情を抱きながら、その背後に付き従う兵士達の様子を伺う。

 マルティンとシュバルツの威圧に負けないよう、懸命に努めているが伝う冷や汗を拭う数は多い。

 それでも、表だった動揺は見せないところを見ると、なかなか優秀な兵士なのだろう。


「……兵士達も一緒に来るのでしょうか?」


「聞いてないけど、たぶんね」


「ありがたいことです」


 内乱も怖いが、魔物の襲撃も恐ろしい。

 極寒の地は食べ物が少ないので、ヴォルトゥニュ帝国に巣食う魔物は他の国に比べて格段に気性が荒いと評されている。

 当たり前のように日に何人もが魔物に襲われて死んでゆくのだ。

 大半は抵抗力を持たない平民だが、中には軍人も少なくない数含まれた。

 人。

 それも訓練された軍人なら、喉から手が出るほど欲しい人材だった。



「ようこそ、ヴォルトゥニュ帝国の王マルティン・マルティノヴィチ・グーリエヴァ殿」


 立派な城門前までわざわざ出迎えたのは、ミスイア皇国皇帝バルトロメオス・アーレルスマイアー。

 豪奢な金髪に、魔を見抜くと言われる金色の瞳。

 アレクサンドラと色は似ていない。

 彼女は、亡き母親似という話だ。

 だが、纏う雰囲気は確かにアレクサンドラの父親と解る独特の気配。

 他の国でのパーティー会場で何度か会った時よりも、穏やかな風情だった。

 自国だというのだけが理由でもないのだろう。


「皇帝自らお出迎え感謝の極み……ですが、我が最愛の婚約者アレクサンドラ皇女様は、どちらにおられますのでしょう」


「ふむ。帝王殿には、先にあれらに会いたいかと思ったのだが?」


 皇帝の目線の先に二人の身分が高そうな男がいる。

 察するに、アレクサンドラを虐げた奴等なのだろう。

 

「あれらがいるから危険で、皇女様はおいでではないと?」


「急ぎ会われたいのであれば、即時ご案内致しましょう」


「……いえ。せっかくの皇帝のご厚意を無碍にはできますまい」


 満面の笑みで答えれば、皇帝も楽しそうに笑う。

 アレクサンドラとの関係が、皇帝の望む形に変化した以上、奴等を貶める機会をより多く作りたいのだろう。

 全くもって同感だった。


「では、従者の方と共にこちらへ案内致しましょう」


「陛下! 私は姉上の所へ行っても宜しいでしょうか!」


 シュバルツとの会話を堪能したらしいエーデルトラウトが会話に入り込んできた。

 気持ちは解るが許せるはずもない。


「駄目だ。マルティン殿より先に行くことは許さぬ」


 強い口調の言葉に、自分の無礼を悟ったのだろう。

 エーデルトラウトは騎士の謝罪をする。


「誠に無礼を致しました。申し訳ありません」


「……気持ちは解るけどね。僕より先に会うのは嫌だなぁ」


 口調を常のものに戻す。

 かしこまった物言いはマルティンらしくもないし、疲れて仕方ない。

 エーデルトラウトは気にもしないだろうし、皇帝も不敬と咎めはしないだろう。


「重ねてお詫び申し上げます」


「うん。その辺で。大切な弟を苛めたら、アレンちゃんに嫌われるし」


 嬉しそうな顔をしたエーデルトラウトは、困った表情に変化させつつも、再び深々と頭を下げる。


「では、行きましょう。こちらへ、どうぞ」


 皇帝の隣にマルティン、すぐ背後にルカが続き、皇帝直属の兵士らしき者が二人、アレクサンドラの手紙から察するに、元宮廷魔導師長と元宰相? が更に続いて、エーデルトラウトは殿しんがりについたようだ。


「アレクサンドラが、貴殿に『アレンちゃん』と呼ばれるのを、殊の外喜んでおるのだよ」


「僕にもそう言ってくれるんですよ。父上に言っているのならば、本心なんですねぇ。嬉しいなぁ」


「……長く、父親らしいことをしてやれなんだ。マルティン殿のように愛称で呼んでくれる者すら、作ってやれなんだ、な」


「色々と事情があったって聞いてます。アレンちゃんは、今、とても幸せなようですし、これからも幸せでしょう。僕が、幸せにしますから、安心して下さい!」


「娘を宜しく頼む」


 着いた部屋の扉前で腰を折って頭を下げられた。

 背後にいた全員が驚いている。

 マルティンも驚いた。

 筋を通す人物だと思ってはいたが、それは二人きりの時だと想定していたのだ。

 どうやら皇帝は、アレクサンドラをとても大切に思い、また神の制約故に彼女に関わってこれなかった過去を酷く悔いているのだろう。


 なるほど、懐が深いアレクサンドラが、父親を慕うはずだ。

 

 マルティンも完全に事情を把握できている訳ではないが、神の制約が凄まじいものなのは身をもって知っている。

 アレクサンドラが思ったより、神に無関心な所から察するに、神に関わる負の部分を皇帝が背負ったのだと推察できた。


 アレクサンドラがそれを知れば、より父親を慕うだろう。

 彼女が望むなら、教えるのも吝かではない。

 最優先は彼女の至福なのだから。

 

「さて、何を飲まれるかな? アレクサンドラは紅茶を淹れるのが得意でな。ぜひマルティン殿に飲んで頂きたいと言っておる」


「では、紅茶以外を頂きますね」


「ならば、ワインが良かろう」


 皇帝が目線を飛ばせば、控えていた従者が恭しくワインの瓶を捧げ持ってきた。


「ミスイア皇国で取れた最高級の赤ワインだ。口にあうといいが」


「アレンちゃんに贈って貰ったワインはどれも美味でしたから、楽しみですよ」


 一点の曇りもないワイングラスに、皇帝自らが瓶を傾ける。

 葡萄の芳醇な香りが、かぐわしく広がった。


「ヴォルトゥニュ帝国の王マルティン・マルティノヴィチ・グーリエヴァ殿とミスイア皇国第一皇女アレクサンドラ・アーレルスマイアーの婚約を祝って!」


「乾杯!」


 マルティンの乾杯に続いて、着席していた人々がグラスを掲げる。

 そのうちの一人が、グラスを滑り落とした。


「も、申し訳ございませんっ!」


「ふむ。目出度い席で乾杯のグラスを砕くとは……貴殿は、この婚約に何か不満でも持っておるのか?」


「と! とんでもございません! この席へ侍る資格がない身でございますれば、緊張してしまいました。平に、平にご容赦下さいませ!」


 ふかふかの絨毯の上へ流れるように土下座をした男は、全身を震わせている。

 伏しても見える部分が全て脂汗で濡れ光っていた。


「侍る資格がないとは、どういうことなのかなぁ?」


 マルティンの声に土下座男は、大きく身体を震わせる。

 威圧はかけなかったのだが、失禁したらしい。


「答えよ!」


 皇帝の鋭い声に、今度は男の頭が跳ね上がる。

 顔面は涙と鼻水で、大変みっともない状態だった。


「わたくしめは、皇女様に大変な不敬を働き、神罰を受けている身でございます、ゆえに」


「名は?」


「ニコラウス・ボット、と申します」


 元宮廷魔導師長。

 神罰は傲慢な性格を真逆に変化させるほどこたえたようだ。

 諜報員に調べさせた情報とはまるで別人だった。


「ああ。アレンちゃんに人体実験的なことをした人かぁ」


「っつ!」


 知らなかったのか、エーデルトラウトが腰に差した剣を握り締めて、抜刀の体勢に入る。


「アレンちゃんが大切なのは解るけど、君にその資格はないよ? 神罰を受けている人を断罪してはいけないんだ。神への不敬にあたるからね」


「大変、失礼致しました」


 神罰を受けてでも自らの手で断罪したい気持ちは伝わってくるが、それは皇帝も同じ。

 マルティンも同じ。


「でもまぁ、断罪じゃなければ、ありだと思うんだよね。嫌がらせとか、さ?」


 ルカに目線を走らせれば、彼は持っていた鞄の中から何通かの書類を取り出す。


「皇帝とエーデルトラウト殿にも……ボット殿にも、どうぞ?」


 マルティンは三人に書類を手渡した。


「ほほぅ。二人は、ヴォルトゥニュ帝国で保護されたのか」


「……ガルマショヴァ家と言えば、ヴォルトゥニュ帝国の名家ですね?」


「国として保護したかったんだけどね? ガルマショヴァ家当主がダニエラ殿に一目惚れしちゃったんだよねぇ……」


 ガルマショヴァ家がヴォルトゥニュ帝国で名家と言われる所以は、腐れた貴族の中で常に孤高を保ち続けた家だからだ。

 マルティンに忠誠はほとんどなかったろうが、国に忠誠はあったのだろう。

 常に最前線で当主自らが戦い続けてきた。

 無骨な軍人だ。

 若くして妻を病で亡くしてからは独り身を貫いてきた男でもあった。


「怒濤の勢いで口説き落としたから驚いたなぁ。しかも王宮の謁見室で、初対面で、だからね? 御子が懐いたのも良かったのかなぁ……ダニエラ様が寛容な方で本当ーに良かったよ」


 正式な手続きは、もう少し時間を置いてから! と王命を下したが、ダニエラを姫抱きにしベッティーナを肩車すると、謁見室を出たその足でベッティーナの養子縁組をしてしまった。

 一応本人に、おじちゃんの子供になってくれるかな? と尋ねたらしいが、普通は母親に尋ねるべきだろう。


 しかし、ダニエラはその対応をとても喜んだ。

 そして、1年後にはガルマショヴァ家の正妻として、正式に書類を提出する約束をしたらしい。

 

「ダニエラが、笑ってる。ベッティーナも、笑ってる。こんなに、綺麗な女だったのか。可愛らしい、子、だったのか」


 書類の他に、何枚かの魔導写真をつけておいた。

 写真を手にすると、映し出された光景が動くのだ。

 映した時をそのままに。

 定めた時間、繰り返し、繰り返し。

 美しい、愛らしい笑顔を見せつける。


「母国を捨て、母子家庭になって、苦労してると、思っていたのに。頼ってくるなら、助けてやろうと、思っていたのに」


 ダニエラとベッティーナが、ボットに酷い目に遭わされていた報告を受けている。

 ガルマショヴァ家当主が激怒しながら、事細かに語ってくれた。

 誰が聞いても、復縁を申し出るなんてどの面下げて! と言うだろう。

 それなのに。

 ボットの二人に対しての上から目線は、呆れるほど健在だった。

 神の断罪はまだまだ足りなかったらしい。


「今のように土下座して失禁するほど謝罪しても、復縁はしないと思うよ? ダニエラ殿からもベッティーナちゃんからも、直接聞いたけどさ。復縁だけは勘弁して欲しいって言ってたからねぇ」


「私には! 必要! なんですっ!」


「二人には、必要ないんだって。というか、邪魔!」


 威圧をかけても、魔導写真を手放さない。

 彼女らが側に居れば、昔の自分勝手な幸福がその手に戻ると、盲目的に思い込んでいるのだろう。


「あっ!」


 ルカが素早く、ボットの手から書類と魔導写真を回収する。


「……用はすんだ。粗相の始末をして、とくと神殿へ戻るがよい」


「陛下っ! お慈悲をっ!」


「ソレを下さすのは、私ではない」


 神、もしくはもう二度と会うことない、ダニエラとベッティーナだ。

 アレクサンドラは許すだろう。

 自分が許したとて、断罪は続くと知っているから、せめて自分ぐらいはと。


 ボットは縋るように周囲を見回し、特に一人の男を凝視したけれど、その男以外の威圧に屈したのだろう。

 絨毯の汚れを浄化魔法で綺麗にすると、深々と頭を下げ、よろよろと覚束ない足取りで応接室を出て行った。


「マルティン殿。お代わりは如何ですかな?」


「ありがたく!」


 ボットが消えた段階で、一息に飲み干したワインは極々軽い酩酊感を与えてくれる。

 酒は強い方だ。

 すかさず新しく注がれたワインの芳醇な香りを楽しむべくグラスを回す。


「さて、陛下。先程の御仁の他に、まだ、ご紹介頂ける方がいるんですね?」


「さよう。あと、一人おりますな」


 一人の男がびくんと派手に身体を揺らす。

 ワイングラスはテーブルの上へ置かれていたのが残念だ。


「ミスイア皇国宰相のフェリックス・シリル」


「あれ? まだ、宰相をやってるんですねぇ?」


「そう長い時間でもないしな。細かい仕事をやらせる分には有能なのだ」


 シリルの顔がくしゃりと歪む。

 どうやら、与えられている仕事に不満があるようだ。


「仕事が不満な宰相なんて、必要ないでしょ」


「不満なぞ!」


「不満しかないですって、無様に感情晒して言われても説得力、ないと思うな」


 ぎりっと唇を噛み締めるシリルを睥睨したマルティンは、初対面でコレをやられると大変ダメージが大きいらしい口調で、ねっとりと責め立てる。


「まぁねぇ? 奥さんお子さんに逃げられて、使用人にまで捨てられて、ろくに家具もない家には帰りたくないんでしょうけどねぇ?」


「っ!」


「なんだ。そうだったのか。道理で宰相室に泊まり込んでいるわけだ」


「……他の罪人共と一緒に、神殿に閉じこもっていればいいのに」


「まぁ、そう言うなエーデルトラウト。だが……帰らぬ家なら必要もないな。屋敷を国所有の物にする手続きをしておくがよい」


「陛下!」


 その手で、家族と思っていた者達の想い出を一切合切手放す処理をさせる。

 断罪にはほど遠いが、なかな気の利いた嫌がらせだろう。


「しかし、皇帝陛下!  ボクスベルク家は実に忠義の名家ですねぇ。裏切り者の御子を一人たりとも孕まなかったなんて!」


「なんで、知って、いらっしゃるんですか、帝王陛下……」


「そりゃ、調べたらからだよ? 僕の何より大切な人を何度も殺そうとした男のことだもの!」


 シリルの顔色が真っ白になった。

 あと少しで失神までいけそうな気がする。

 そうしたらちょうど良いから、神殿へ放り込めば良い。


「唯一血の繋がった子供の母親は淫婦。息子は歪んだけど、アレンちゃんへの想いも歪んでるけどさ。それでも君と違って絶対彼女に害なすことはないんだから不思議だよねぇ」


「……我も驚いたが。随分慕っておるようだな」


「その! アレクサンドラ様を慕って、アレクサンドラ様も受け入れて下さっている息子の! 父親を! 神殿へ追いやるのですか!」


 一瞬場が静まり返った。


 この男、何を言っているのだろう?


 本人以外の全員が思ったに違いない。


「今更親子関係を主張してなんとする? そもそも貴様はアレクサンドラに謝罪すらしていないではないか。まぁ、場を設けるつもりも更々ないが」


 最初に復活したのは皇帝だった。

 この冷静さは見習いたい。


「自分の犯した罪を自覚できるだけ、ボットの方がマシだねぇ?」


「ボットの方が、私より、マシですとっ!」


「うん。失禁野郎より、比べものにならないほど君は屑だね。アレンちゃんの元婚約者と同じぐらい?」


 元婚約者は、アレクサンドラをいなくなればいいとは考えたが、殺そうとは思わなかったようだ。

 ただ、アレクサンドラが一時期とはいえ、心を寄せていた相手だけに罪が重い。


「ふむ。ならば、アレと同じように去勢するか」


「それぐらいの手はずならば、神のお怒りの邪魔にはなりますまい」


 エーデルトラウトが腰を上げかけて、マルティンを見詰める。

 マルティンに権利があると言いたいようだ。


「彼は、玉だけだったよね? 君はどうするの? 竿もいっとく?」


「きゅう」


「え?」


 なんとシリルはその場に崩れ落ちてしまった。

 マルティンの思惑通りの失神だ。

 想定していたより遙かに呆気なかった。

 大体、謀略家気取りの人間は、こうして直接的な攻撃に弱いのだ。 

 ……弱すぎるとは思うが。


「失禁野郎に、失神野郎とか……どうなの? どれだけ脆いの?」


 自分がやってきた事を考えたら、軽すぎる罰を実行したのでもなく、ただ、口に出しただけなのに。


「最後に一人で立てる悪人は、きっと。多くはないのでしょうな」


 皇帝の目配せで、宰相が部屋の外へ運び出されてゆく。

 連れて行く先は神殿だろう。


「皇帝陛下。屋敷の国有化は兄上に手配頂いては?」


「うむ。そうしよう。宰相が起きるまで待つ時間が勿体ない」


「では、私が直接伝えてきましょう。このままご一緒していると、マルティン殿と姉上の逢瀬の邪魔になってしまうそうですから」


「ごめんね?」


 捨て犬のような目をするので一応謝罪しておく。


「いえ。私こそ、姉離れできずに申し訳ありません」


 ずっと憧れていて、やっと側に居られるようになったのだ。

 弟として姉への崇拝は揺るがないだろう。

 それならば、アレクサンドラの側へ侍るのを許しても良い。

 何よりアレクサンドラが、血の繋がらない弟妹を側に置きたがるだろうから。


「では、そろそろアレクサンドラの元へ行かれますかな?」


「ええ、ぜひ! あ……その前に、口の中のワインの香りを消す何かを頂けますか? アレンちゃんに、酒臭いとか言われたら、立ち直れません」


「くっくっ。解りました。ミントの葉を噛むと宜しいでしょうな」


 すっとミントの葉が置かれた小さな皿が皇帝へ手渡される。

 そのまま皇帝の手からマルティンに皿が渡された。

 ルカも止めない。

 毒味もない。

 万が一、マルティンが倒れたら、皇帝が全責任を持つという明確な意思表示に不満の持ちようがないからだ。


「……私もご一緒しても宜しいのでしょうか?」


「勿論。帝国の人間で僕の次にアレンちゃんと関わるのは君なんだからね」


「光栄の極み」


 だからルカも皇帝の誠意にきちんと対応する。

 帝王一の側近が、アレクサンドラを守護するのだと、解りやすく説明した。


 男なら一度は浮かべてみたい余裕の微笑を乗せた皇帝は、マルティンとルカをアレクサンドラの元へと丁寧に誘った。

夏はしみじみ暑さで体力気力を削られますねぇ。

ホラー企画に全力投球して、燃え尽き症候群的な感じだった気もしますが。

早く週一更新のペースにもどりたいとことろです。


お読みいただきありがとうございました。

引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。

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