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憎悪する神殿長

 お待たせしました!

 ようやっと更新です。


 本当にもうお花畑達ときたら!


 お花畑思考は自分に都合良すぎて、かなり苛つかされると思いますので、お読みの際はご注意ください。

 

 以前感想欄で頂いた、王位継承権に関する詳細をここで書こうと思ったのですが、どうにも上手く表現できず、お茶を濁しまくりの文章になってしまったことをお詫びしておきます。

 

 皇帝にだけ知らされる秘密とか、神の加護に関する秘密とか、漏れずに書ける気がしないのですが、当初書こうと考えていたことは、完結までに書きたい心意気です。

 

 7月7日 誤字修正 ご指摘助かります!




 何時頃からか酷く重く感じるようになった身体を持て余しながら、ゴットホルトは何人もの従僕を引き連れて神殿内をゆっくりと移動する。


 すれ違う者は皆、磨き抜かれた白石床はくじゃくのゆかに額突いて、神ではなくゴットホルトを崇めた。

 神殿に居さえすればゴットホルトは、実兄でもある皇帝と変わらない待遇を受けていると言っても大げさではない。

 ゴットホルト本人が、皇帝が持つ権限の自分に都合の良い箇所ばかりを選んで導入し実践させたからだ。

 無論面倒な事は全て拒否して、従僕達にやらせている。


 ゴットホルトの小さな国を脅かす者は、例え誰であろうと許さない。

 長く、そう思ってきた。



「ホルト!」


「ゴットホルト殿!」


 静かな声での、しかし熱意の籠もった賛美に慣れ親しんだゴットホルトは、耳障りな声に大きな溜息を吐く。


「……神殿ではお声を荒げぬよう、何時も申し上げておりますれば……」


 現れたのは豊満な身体を恥ずかしげもなく揺らして走ってくるカルラと、その後ろに隠れるようにして何かに追い立てられている焦りを強く滲ませているボット。


「そんな悠長な事を言っている場合ではないのですよっ!」


「助けてください! もう神殿にお縋りするしかっ!」


 魔法に依存しすぎ、神などという曖昧なものに縋るとは高貴な方のご趣味は一味違いますなぁ、と。

 教育という名を借りた虐待に耐えかねて、魔導師育成学園から逃げてきた生徒を神殿にて匿い、追いかけてきたボットに、過ぎた教育は己の身を滅ぼすと説教をした時に返して寄越した侮蔑に満ちた言葉を、ゴットホルトは忘れてはいない。


「神などという、曖昧なものに縋るのは愚者のすることではなかったのでしょうか?」


「謝罪する! 私が間違っていた! 神の力の御前では魔法など役に立たぬのだ! 知らなかった! いや、知っていたのかもしれない。驕り故に認めようとしなかっただけでっ! 詫びなら幾らでもしよう。頼む、ゴットホルト殿! 私を神の怒りから救ってくれたまえ!」


 まるで別人のような物言いだ。

 尊大な態度の名残がそこかしこに見えはするものの、あの無駄な自信が綺麗さっぱりと消え失せて、ただただ虐待に怯える子供のように落ち着きなく周囲を伺っている。


「何が起こったのでございましょう?」


「ええいぃ! ボットのことなどより我を! わらわをっ!」


 豊満過ぎる肉体が物凄い勢いでゴットホルトにぶつかってくる。

 巨体となったゴットホルトが思わずよろける勢いだ。

 ゴットホルトは眉根を寄せて、背後を見やる。

 何かと面倒を持ち込むカルラ専用従僕と命じた者は優美に頭を下げると、恭しくカルラの手首を取った。


「麗しのカルラ様。神のおわします特別のお部屋にて、まずはお疲れを癒やされてくださいませ」


「お美しい御髪おぐしも乱れておりますれば、私に整える栄誉を賜れぬでしょうか?」


「先日カルラ様が召し上がりたいとおっしゃっておいででした、ピュアレキサンドリアの果実も取り寄せてございます。よくよく冷やしてございますので大変食べ頃でございますよ」


 次から次へとカルラが好みそうな言葉を並べ立てる従僕揃って貼り付けたような微笑を浮かべている。

 偽りの忠誠の証でしかないのだが、カルラは何時でも簡単に騙されるのだ。

 駒は単純であればあるほどいい。


「う、うむ。我らしくなかったな。ホルト! 先に行って気持ちを落ち着けておるゆえ、後から追ってくるがよいぞ」


 従僕と同じ微笑を浮かべて頭を垂れる。

 腰までを折る御辞儀も、身体が重い関係で久しくしていない。

 最もそれほどの敬意を取るべき相手も、今のゴットホルトにはいないので問題もないのだが。


 従僕達に傅かれたカルラが視界から消え失せる。

 ゴットホルトは侮蔑を隠さない眼差しでボットを見下してから、話ができそうな場所へと従僕に先導をさせた。


「……で? どういった用件でございましょう。神殿しか縋る場所がないとは?」


 従僕が用意した高級茶を拒絶し酒を所望したボットは、駆けつけ三杯とばかりに高級赤ワインを一瓶も空けてから、ようやっと震えの止まらない口を開いた。


「……あ、アレクサンドラ様への不敬故、私に、しん、神罰が下されているのですっ」


 何を馬鹿な、と声を大にして言いたいゴットホルトだ。


 神罰など存在しない。

 アレクサンドラは時々、神の声を聞いたと訴えてきたけれど。

 それは構って貰いたい子供がない頭を使って考えた愚かな嘘に過ぎない。


 そもそも、何故。

 今、なのか。

 本当に神罰だというのならば、アレクサンドラがもっと幼かった頃に下されたはずだろう。

 

 神とは慈悲深き者。


 アレクサンドラを狙った数多の悪意から、本人の身体と心が壊れないぎりぎりで救った。 しかし、ゴットホルトしかり、ボットしかり、アレクサンドラを如何な理由ではあれ、亡き者にしようとした者に対して、同等の罰が下されなかったではないか。


 害なそうとした者の中には、没落したり、大怪我をしたり、果てはその命を落としたりと多種多様な難儀に見舞われた者もいたが、それは神罰ではなく本人達が迂闊だったに過ぎない。

 幾つか調べた中では、杜撰な計画を実行したはいいものの、逃げ道すら作っていないという間抜けなものまであった。

 どう好意的に見ようとも、自業自得としか考えられなかったのだ。


 神は加護は与えても、罰は与えぬ。

 そういう存在だと。

 ゴットホルトは認識している。


「ほ! 本当なのです! ゴットホルト殿っ! 私は、この、国から出られないのです」


「魔道師の長たる、ボット殿が、ですか?」


「自分でも、未だに信じられない面もあります。ですが、私の全魔導を駆使しても、脱国は叶わなかった……」


 新しいワインの栓を抜きながらボットの愚痴が続く。


「魔導ではない力。それも魔導以上の力が働いているという結論に達したのです。そもそも妻が! 子を連れて国を出てっ! アンネマリー様が! 貴様のような不敬者は国と共に朽ち果てればいいと罵声を浴びせるからっ!」


 ゴットホルトが神殿に籠もっている間に、色々と事態が動いているらしい。

 情報収集には神殿内の者を使っていたので、時々伝達が遅れる。

 また、その内容もゴットホルトが望む物とずれている事も少なくなかった。

 愚直なまでに神に仕えている者達なので、こればかりは致し方ない。

 不穏を感知すれば外の者を使いもしたが、奴等は金に汚く誰にでも情報を売るので信用が薄い。

 なるべくならば使いたくないのだ。


「アンネマリー様が、今までは妻と子が代わりに神罰を受けていたと……二人がいなくなったから、一気にくるだろうと……最後の審判は、アレクサンドラ様が国を出られてからになるだろうと……私は! 私はどうすればいいのですか! どうしたら神罰から逃れられるのですか! 死にたくないのですっ! ゴットホルト様っ!」


「……神域にて、日々身を慎んだ生活をし真摯な謝罪を続けると宜しいかと。今はそれしか申し上げられませぬ」


 ゴットホルトはワインの瓶を取り上げる。

 ラッパ飲みできるほど安価なワインではない。

 価値の解らぬ者に与えるほど、無駄なことはないのだ。


「酒も慎まれた方が宜しかろう」


「そ、そんな!」


「懺悔中の生活については、従僕に説明させましょう。私は王宮に上がり、アレクサンドラ様に慈悲を乞うて参りましょう」


「お! おう! ぜひ! ぜひに私の分もお願いしたい!」


「……慈悲は直接本人に乞うてこそ、意味なすものです。謝罪の場を設けるようにはお願い致しましょう」


「無論! それでも結構です。いやぁ、ありがたい。さすがはゴットホルト様だ!」


 調子の良さにうんざりする。

 アレクサンドラに会えたとして、謝罪が叶ったとして、許されるとは限らないのだ。

 虐げられても人に対する甘さを失わなかったアレクサンドラの許しがあれば、罪の軽減が多少なりともなされるかもしれないが。


 皇帝は、どうやらアレクサンドラを溺愛していたらしい。

 今までの態度から考えても都合が良すぎる話だと思うが、実の親子の語らいに口を出すほどゴットホルトも無粋ではないし、それよりも気にかけるべき懸案はたくさんある。


 恐らくアレクサンドラの許しがあっても、今のバルトロメオスならば容赦ない断罪をするだろう。


「まぁ、運と長兄であるというだけで、私の本来の地位を奪ったあの男が、誰を断罪しようとも、私には手出しさせぬがな……」


 一人小さく呟いた呪詛は、既に許された気になっているボットの耳には当然届かなかったようだ。



 広い神殿を急ぐでもなく歩くうちに、珍しい姿が映り込む。

 ゴットホルトを疎んでいるらしく、公式の場ででもなければ会わない実の息子・フェルディナントは、ゴットホルトの前で立ち止まると更にあまり開こうとはしない口まで開いた。

 

「……神の怒りを、お受けに、なりたく、ないのならば、王宮へは、行かぬが、宜しいかと」


「うぬから話しかけてくるとは、珍しいのぅ、フェルディナント。内容は何ともらしいものだがな」


 種は最高のはずなのに畑が悪かったのだろう。

 全く親の言うことを聞かぬ息子を睥睨する。


「姉上が、止めるようにと、おっしゃりましたので」


 双子の姉・シルビアだけに従順なのは昔からだ。

 今更眉根を寄せるほどでもない。

 醜く肥え太り、周囲を見下してばかりの女のどこに、そこまでの価値があるのか不思議で仕方ない。

 双子の神秘とでも言うのか。

 

「神託でも受けたと申すのか?」


「姉上の、お言葉で、ございますれば」


「ふん。親に意見するとは、散々に施した教育の意味もなかったの!」


 王宮にも行かせてはいたが、余計な知恵をつけさせたくないと、教育は神殿で行うのが常だった。

 神殿に属する皇族は、歴代王宮よりも神殿居着くので、その点も問題はなかった。

 表向きの親より、本当の親による教育の方が身につくはずなのだが、結果は芳しくない。

 

「……どうしても、行かれる、と?」


「無論じゃ!」


「なれば、仕方、ありませぬなぁ……とくと、逝くがよい」


「なっ! 父親にその物言いはなかろ!」

 

 突然フェルディナントから発せられた神気に気圧される。

 神殿長に任じられた、ただの一度。

 神、らしきものが降臨された時に感じたのと全く同じ人外の気配に、ゴットホルトの全身から冷や汗が噴き出した。

 冷や汗が、噴き出すものだと、初めて知った。

 前回はただ、じわりと冷や汗が滲んだだけだったのだ。


「その器も魂も良き物は何一つとして、どんな些末な物であっても兄に叶わぬと言うのに。愚かなり」


 独特の口調もなりを潜め、その身に神を宿したかのように、呪詛以外の何物でもない内容の言葉を吐き捨てたフェルディナントは、嘲りの眼差しでゴットホルトを存分に見下すと、巨体を翻して静かにその場を後にした。


 姿が完全に見えなくなり、気配が感じられなくなってようやっと呼吸ができたゴットホルトは、派手に噎せ返った。


「……奴に神降臨かみおろしの才能はなかったはずじゃが……」


 神託と称して自分の意思を押し通してきたゴットホルトは実の所、神の声を聞いたことは一度もなかった。


 歴代神殿長も神声しんせいを聞いた者、聞かなかった者どちらもいる。

 神降臨の才能は希少で、それらしき才能があるというだけで長く遇されてきた。

 ゴットホルトの代では発言権を奪ってあるが、それでも幾人か飼っており、当たりそうな予見めいたものだけを、ゴットホルトが神託として伝えてきたのだ。


 別人のように澄んだ声音で、謳うように紡がれる予見を自分のものとするのは悪くない気分だった、けれど。

 アレは違う。

 先程のフェルディナントの声も、存在も、ゴットホルトを圧倒した。

 モノになどできようもないと、実感してしまった。

 未だに震えも止まらないほどだ。


「ふむ。馬鹿らしい! 我が怯える必要など、どこにもありはせぬ!」


 姉が絡む時だけ、別人のように聡明にも愚鈍にもなるフェルディナントのこと。

 どこまでもひたむきに姉の意見を通そうとして、神を語る真似なぞしでかしたのだろう。


「まぁ、その点。シルビアよりも我に近しい者なのかもしれぬがなぁ」


 あの神気を制御して出せるのなら、側に置くのも手かもしれない。

 シルビアは口では厭う発言をしても、父や母に憧れている幼い面もある。

 母があれでは、縋る相手は父になるだろう。

 鷹揚な態度を示せばシルビアは簡単に懐くはずだ。

 そうなればフェルディナントも従順を示すだろう。


「ふん。悪くない。悪くないぞ!」


 ろくに修行もせず、ただ血筋と皇帝の慈悲だけで神殿長になってしまったゴットホルトは、神を宿したかに見えたフェルディナントにどれほどの恐れを抱いたかも簡単に忘れ、自分に都合の良い妄想を練り上げて、一人高らかに声を上げた。



 鼻で大きく息をしながら歩み進めるゴットホルトの横で、従僕が滴り落ちる汗を丁寧に拭う。

 溢れ出る神気に耐えきれないのだろう、すれ違う者達は顔を伏せて、足早にすれ違ってゆく。

 挨拶がないのは腹も立つが、王宮内で声を荒げるのは神殿長らしくないので、従僕達に注意を促す指示をするだけに止めた。


「おや、ゴットホルト殿。こちらへお越しとは、珍しい」


 すれ違う者全てに頭を垂れさせながら颯爽とゴットホルトに近づいてきたのは、ボニファティウス。


「兄上……」

 

 そしてボニファティウスの隣で困った風に、しかし仲の良い兄弟のように親しげに袖を引くエーデルトラウト。


「陛下に会われに来たのであれば、今はご遠慮頂こう。陛下は姉上様とのお時間を楽しんでおられる」


「ヴォルトゥニュ帝国へ嫁がれるまで、間がないですからねぇ。結局一ヶ月後になったのでしたか?」


「お二人が初めて出会った記念日だそうだよ! ヴォルトゥニュ帝と何度かお目にかかった身としては……意外としか申し上げられないかなぁ」


「それだけ、姉上を大切に思われているということなんでしょうね。今まで不遇だった分姉上には幸せになって頂かないと……というわけで、ゴットホルト殿、どうぞ神殿へお戻りください。姉上が嫁がれた後の、断罪の、その日まで」


「無様に足掻くのもご自由ですが、今更何をしても無駄ですよ? 貴方の声が神に届くとも思いませんが、不敬な方々と一緒に祈りの日々でも送っていただきたいものだ。あぁ、そのうち宰相殿も伺うかもしれません。奥方にもお子にも捨てられたようですから」


 表向きの身分は二人の方が上だ。

 皇帝の子には、それだけの権力と義務が課せられる。

 様々な噂が蔓延ってはいたが、二人は皇族としての義務をきちんと果たしていると、周囲の評価は高かった。

 だからこの場で、安易にも、不敬だ! と彼らを責めるわけにはいかない。


「……お二方。私は皇弟で神殿長で……」


 年長者でもあるのです。

 敬意を払うべき存在なのでは? 

 と、言葉を続けるはずだったが。


「それが、何か?」


「義務を果たさずに権利のみ主張される方に許されるのは、せいぜい釈明のみですよ?」


 冷ややかな態度で語尾を奪われた。


「神殿長としての義務は!」


「果たして、おられませんよね?」


「暴走していらっしゃるだけでしょう?」

 

 全くこちらの話を聞く気がない態度に苛立ちが募る。

 大声を上げようとした、その時。


「本当にお前達は、アレクサンドラが好きだな」


「陛下ほどでは」


「姉上は?」


「いやいや、お前も負けてはおらぬよ、ボニファティウス。アレクサンドラのことは心配しなくてよい。ヴォルフガングとアンネマリーがついておる。二人が心配だからお父様お願い致しますと言われたんでな。こうして出てきたのだよ、エーデルトラウト」


 皇帝が姿を現した。

 ゴットホルトの知る皇帝とは別人のように穏やかに微笑んでいる。

 エレオノーラが存命であった頃でも、ここまでのやわらかさはなかったように思う。


「さぁ、お前達も行くが良い。アレクサンドラが新作菓子を用意して待っているぞ」


「新作ですか! 楽しみだな」


「ふふふ。ですね。兄上がそこまでスイーツ好きだなんて、知りませんでした」


「私も驚いている。姉上様が作られる物は、私の好みを知り尽くしたかのように口に合うんだ」


「姉上の作られる物を食べていると、他の食事が味気なくて困りますよね」


「ああ、それが唯一の問題だな。贅沢な話だと思うが。それでは、陛下。御前失礼致します」


「早くお戻りくださいね? 姉上もお待ちです」


「無論だ。面倒事はさっさとすませるに限る。来い、ゴットホルト!」


 ゴットホルトの返事も待たずに皇帝は踵を返してしまう。

 二人も楽しそうに、アレクサンドラ達が待っているのだろう部屋へ向かって行った。


「何をもたもたしておる。早く参るがよい!」


 運動などしてもいないはずなのに皇帝の足は速い。

 昔からそうだ。


「……この身体では、陛下のようには動けませぬ。これでも、急いでおりますゆえ……」


「はぁ? 我の目は節穴ではないぞ? 限界まで励め。あぁ、共の者はついてこなくてよい」


 その一言で、従僕達は足を止める。

 ゴットホルトが眉根を寄せて不快感を示しても、従僕達はそれ以上一歩たりとも動かなかった。

 仕方なく、小さな舌打ちをして足を速める。

 汗が鬱陶しいほど額から滑り落ちた。

 従僕に拭わせているので、ハンカチーフを持ってはいない。

 仕方なく袖口で汗を拭う。

 皇帝が呆れたように額に皺を寄せるのが忌々しくて堪らなかった。


「神に仕える身で、そこまで肥え太れるとは驚きだな」


「シルビアもフェルディナントも同じ体型でございますが」


「……シルビアはお前とツィーゲへの反抗心から、フェルディナントは姉への同情からなってしまったのであろう。好き好んで超えている貴様と一緒にしては不憫過ぎる。我が子ならば少しは面倒を見てはどうなのだ?」


 深々と溜息を吐く皇帝にだけは言われたくもない。

 先頃までアレクサンドラへの対応は酷いものだった。

 他の子達に対しても冷淡ではあったから、平等と言えばそうかもしれないが。

 今だって面倒をみようとして悉く拒絶されているだけで、ゴットホルト的にはきちんとした教育を施したい心持ちは強い。

 少なくとも幼い頃は厳しいくらいの教育をしてきた。 


 皇帝が足を止めたのは、謁見室だった。


「謁見室でしたい話ではございませんが……」


「自室へはお前を招きたくない。客室では他の客に対して失礼だ。人払いはしてある。何の問題もないだろう」


 見下され切った物言いに絶句しているうちに、皇帝はゴットホルトが望んでやまない、皇帝のみが座ることを許された豪奢な玉座にゆったりとその身を預ける。

 ゴットホルトは臣下の礼を取るのも業腹だったので、壁に置いてあった重い椅子をどうにか引きずってくると、どっかりと座り込んだ。


「ここで、その態度か。相変わらずだな、貴様は」


「私は謁見室でなど話はしたくなかったのです。極々私的な話ですからね。兄上に従ったのですから問題ないはずですが?」


 人の気配はあるが、暗部の者だろう。

 あれらは人ではない。

 道具と同じだ。

 聞く者は皇帝だけなので、ゴットホルトは口調を意図して変える。


「何故、今更アレクサンドラを手元に置くのですか? 婚約者と結婚するまでは神殿に籍を置くという話だったでしょう」


「婚約は破棄されたので無効になるのは説明するべくもない。アレクサンドラはミスイア国第一皇女として嫁ぐ。神殿の巫女姫としてではない。またヴォルトゥニュ帝国の正妃として迎えられるのだ。神殿に居ては、相応しい扱いはされぬであろう?」


「そんなことはありませんよ! 何時だって神殿は巫女姫としてだけではなく、第一皇女として相応しい教育をしてきました」


「では、何故アレクサンドラは料理ができる? 菓子まで作れる? 皇女が料理上手など本来は有り得ぬ」


「……アンネマリーとて、女の身で戦場に立っていますよね」


「あれは、本人が望んだこと。ツィーゲと同じ性と流れる血が許せないから、選んだ道。きちんと我の許可を得てもおる」


「っ?」


 皇帝が許可しての行動だとは思わなかった。

 道理で度重なるゴットホルトの説教にも動じなかったはずだ。

 強い態度に出るのは、その実績を買っている将軍達の怒りを買う可能性があったので避けていたが、どうやら正解だったらしい。

 

「我の子と言われている者との話は既に済ませてある。もう、実の父親や母親の好きにはさせぬ」


「それは、どういう……」


「貴様の子らが一番歪んでおったよ。他の子らはアレクサンドラの側に侍る未来を望んだが、シルビアとフェルディナントは国と滅ぶ未来を選んだ」


「なっ!」


「神殿を預かる身でありながら、王を望んだ愚かしき者。喜ぶが良い。我が子を巻き添えにして貴様は、亡国の王となるだろう」


 皇帝が何を言っているのか理解できない。

 国が滅ぶなんて有り得ないはず。

 ミスイア皇国は神に庇護されし国。

 そんな重要な予見を見逃すほど、ゴットホルトの飼っている巫女巫男達は無能ではなかった。


「才能なき身でありながら、どこまでも己を優秀だと思い込んで暴虐の限りを尽くす幼い貴様を、どうにかして生かすために父上は、神殿へ頭を下げたというのに……」


 嘘だ。

 前皇帝であった父はゴットホルトがどれほど頑張っても褒めてはくれなかった。

 報告の都度、深い溜息を吐いて、どうしてお前は努力の方向を間違えるのだ? と呆れた風に言うだけで。


 神殿へ頭を下げた?

 違う。

 神殿が頭を下げて、ゴットホルトに未来の神殿長として神殿を導いて欲しいと申し出てきたから、仕方なくその地位についたのだ。


「……悪魔でも憑いているのかと疑われたが、違った。貴様の驕り高ぶった性分は生まれつきのものらしい。環境を整えれば或いはと、父上も前神殿長も考えたのであろうがな」


 何一つ本当がない。

 皇帝はどこまで自分を過小評価すれば気が済むのだろう。


 父も、前神殿長も、ゴットホルトを邪険にしたからこそ、早死にしたのではないか。


「全て無駄どころか、貴様は子達の害にもなった。貴様も王族の端くれだと主張するならば、優秀な次代を世に送り出す事こそが一番大事な義務だと知れ!」


「私は! 王族の端くれなどではないっ! 貴様さえいなければ、王は私だった!」


「はっ! ないな。ミスイア皇国の王は、皇族典範に乗っ取って定められるとされているが、真実はそうではない。この国は神に愛された国。神に都合が良い次代が常に用意され継承されていく。アレクサンドラが女王になれば今まで通りに続いただろうが、な。他国へ嫁ぐと決まった以上、この国は滅ぶしかないのだ」


「嘘だっ! 嘘だっ! 嘘だっ! 貴様は何時もっ! 嘘ばかりだっ!」


 腰を上げて皇帝を指差して弾劾する。

 国の長たる者が、何の抵抗もなく理不尽な滅びを受け入れるなどあっていいはずがない。


「……皇帝にしか知らされぬ皇族の秘密は多い。神の加護を受けた人間しか知らぬ秘密もまた多い。我は幼かったアレクサンドラに変わって、加護の秘密をも抱え込んだ。誰にも言えずに一人きりで抱え込む秘密の重さ……貴様には永遠に解らぬであろうよ!」


 玉座との間には距離があるにも関わらず、皇帝から発せられた皇気に負けて椅子に座り込む。

 みしみしっと嫌な音がした。


「一ヶ月後にヴォルトゥニュ帝王マルティン・マルティノヴィチ・グーリエヴァが自ら、この国を訪れ、アレクサンドラを迎えに来る。アレクサンドラが国を出たと認識された段階で、神による断罪は、その罪に応じて断行されるであろう」


「ふん! ならば私に罰など与えられぬわっ!! 私は神の怒りを買う罪など何一つ犯しては……」


『黙れ、下郎』


 ばしっ! と音がして椅子が壊れた。

 木っ端微塵になった。

 ゴットホルトの身体は、豪奢な絨毯の上へ勢い良く投げ出される。

 ごろごろごろっと転がって、玉座近くの階段下で止まった。


 そのまま全身を見えない何かで押さえつけられて、ただ首だけが皇帝を見られるように持ち上げられる。

 全身の肉と骨が軋み上がる音で頭が割れんばかりに痛んだ。


『貴様に僅かにでも兄を思いやる心があれば、バルトロメオスの心労は激減したであろうに! 苦労から逃げ、恩を知らず、責務を何一つ果たせぬ下郎に残された地位は、亡国の王座のみ!』


 兄の声ではなかった。

 暗部の声でもないだろう。

 フェルディナントが真似た神の声ともまた、違う。


 耳から聞こえたものではない。

 頭の中で響くのは己が身体の壊れる音のみ。


 ゴットホルトを完全に威圧し支配する目に映らぬモノが発していると思われる、声とも音とも意思とも考えられたソレ。


『断罪の日まで、貴様は祈る以外は何もできぬ! 断罪の日以降は、亡国の王となり罪許される永き果てのその日まで、無様に生きながらえるがよい!』


 いきなり支配から解放されたゴットホルトは、絨毯の上に思い切り嘔吐した。

 嘔吐は吐瀉物の後で鮮血を大量に吐き出して、ようやっと止まった。 


「良かったな、ゴットホルト。今、お前が聞いただろう言葉が、神の声だ」


「これが、神声?」


「どんなお言葉があったかは解らぬが、その様子から察するに絶望を自覚させるお言葉であったのだろう」


「絶、望?」


「……断罪の日を待たずして声をかけるほどに、お前は神の逆鱗に触れた。アレクサンドラを加護する神の、逆鱗だ。さすがに、微か、不憫であると思う」


 兄に同情されたのは初めてだったかもしれない。

 胸の奥から今まで感じたことのない何かがこみ上げてくる。


「神殿に戻り、神の声を噛み締めるとよい。それだけできっと、断罪までの時間をつつがなく過ごせるであろう」


 皇帝は玉座を離れると、ゴットホルトに一片の関心を残さずに謁見室を出て行った。


「神の声を、噛み締める?」


 神声を一度でいいから聞いてみたいと、幼い頃は思っていた。

 成長してからは、声なぞ聞かずとも神殿長は勤まる、むしろ声に惑わされる方が問題だろうと信じていた。

 正確には信じようとしていた。

 

 神をどこまでも自分に都合良く解釈していながらも、心のどこかで。

 神を感じたい。

 そのお声を聞かせて欲しいと。

 切実に願っていた。

 

 初めて聞く。

 恐らく最後になるのだろう我が身にだけ齎らされた神声が。


 王となり、末永く生きながらえろという。


 ゴットホルトが望んで望んで得られなかった栄誉を与えて頂けるという、ありがたいお言葉だったのだ。


 満面の笑みを浮かべたゴットホルトは、生まれて初めて、神に感謝の祈りを捧げた。

 書き終わって、うわー後味悪いーと、落ち込みました。


 ゴットホルトの絶望はまだ先の模様……さすがは最強のお花畑。

 一人ぐらいは永遠のお花畑がいてもいい気もしないでもないのですが。

 やっぱりちゃんと絶望して、絶望の中で贖罪の日々を送って欲しいものです。

 

 次回、歓喜する帝王、です。


 喜びすぎて長くなるようでしたら前後編に分けます。


 最後までお読みいただきありがとうございました。

 次回も引き続きお楽しみいただけたら嬉しいです。




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