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69 そして僕は途方に暮れる

 ここのところ、例の警備会社の電話盗聴記録は更新されていない。

 華名咲家に迂闊に手を出すのはかなり危険だと、認識されているのだろう。


 その背景には恐らく十一夜君たちの暗躍があると思われる。十一夜君たちは正に隠密なので、相手に正体を悟られることなく秘密裏にことを終わらせる。相手にしてみれば手掛かりがまったくないので、華名咲の手の者によるのではないかと恐れられているのだろう。大っぴらに華名咲家を敵に回したことが世間に知れ渡れば確実に終わる。こちらからすれば勘違いで危険が減ってくれるのであれば、ありがたい限りだ。


 一方で十一夜君もこの頃おとなしい。尤も水面下では忙しく動いているのだろう。細野先生のじっちゃんの武蔵(たけぞう)さんとも頻繁に連絡を取っているようだ。


 丹代さんのその後については、十一夜君たちも尽力してくれているようだ。

 本人の意向としては海外に留学したいらしい。十一夜家の組織も海外に及んでおり、その組織網を利用すれば海外での保護も可能だそうだ。


 留学のための資金等については、丹代さんのお祖父さんの会社から巧いこと引き出したらしい。引き出したと言っても、いつもの十一夜君らしく何か違法なことをしたというわけではなく、極めて合法的にビジネスを通してお金を作ったと言っていた。


 具体的にどういうことなのかは分からないが、十一夜家は表稼業のビジネスにおいてもかなりの成功を収めている家だ。高校生一人の留学費用くらい生み出すのはそう難しいことでもないのだろう。


 とは言っても、一体どうやったのか訊ねても言葉を濁すだけだったので、普通のやり方ではないのだと察し、それ以上深く追求するのはやめておいた。


 恐らく本気でわたしを騙そうと思えばまったく(さと)らせないように欺くことも、十一夜君ならきっと可能だろう。それでもそうしないのは、少なくとも十一夜君がわたしのことを敵対視していないということなのだろうと理解している。


 THE HIGH PRIESTESSも今のところ動きがない。……麻由美ちゃんも今まで通りだ。本当に麻由美ちゃんがTHE HIGH PRIESTESSなのか?


 十一夜君たちの調査は続いているはずだが、今のところ何の進捗についても報告はない。お陰で何かこう、靄々(もやもや)した気分の日々が続いている。


 さて、そんな中ではあるが、概ね学園生活は平穏だ。以前のような危険な目に遭うこともこのところはなくなった。


 土曜日の今日は、昼過ぎまでセレクトショップDioskouroi(ディオスクーロイ)とフリーペーパーのCerise(スリーズ)との合同企画の撮影だった。


 この撮影も最初の頃はかなり抵抗感を感じながら行なっていたのだが、何度か(こな)すうちに段々と慣れてきた。


 今日の撮影はそろそろ夏に向けての企画で、ジェラートの専門店の取材だ。

 取材と言ってもわたしと秋菜は食べるのと、衣装の撮影が主で、取材そのものはライターさんの担当だ。


 ジェラートからの発想だろうか。些か安易ながらローマの休日でヘップバーンが身に着けていたようなスカイブルーのスカートを履いてチーフを首に巻いたりした。他にもカラフルなサブリナパンツ、ショートパンツなど、ヘップバーンっぽいセレクトだが、最早ジェラートからは離れてしまった感が強い。


 身内の手伝いではあるが、対価を貰っているからには仕事なので、できるだけ真面目に取り組んでいる。とは言っても現場はいつも和気藹々としているのだが。


「秋菜ちゃんも秋葉ちゃんも、今日もとってもかわいかったね」


 撮影が終わり、スタイリストの蒲田さんが褒めてくれる。秋葉というのはわたしのことだ。

 以前、秋菜がDioskouroiで双子の妹という設定で、その場の思い付きで吐いた嘘の所為で、わたしはここのスタッフの間では秋葉という名前で呼ばれているのだ。因みにアキバではなくアキハだという点は強調しておきたい。


 当初、コーディネイターはDioskouroiのスタッフが担当していた。だが偶々Ceriseの記事がフリーのスタイリストさんの目に留まり、現在はプロのスタイリストがコーディネイトしている。


 それが蒲田さんだ。名は体を表わすと言うが、蒲田さんもその名の通り、オカマちゃんだ。勿論、だからと言って全国の蒲田さんがオカマちゃんなわけではない。彼——彼女といった方がいいのか——はとても気のいいナイスガイなのだがところどころに女っぽい仕草が入る。まあ愛すべきキャラクターで、わたしも秋菜も割り合いに慕っているのだ。


 そんな蒲田さんはプロのスタイリストだけあってセンスも技術もある。蒲田さんがスタイリストとして企画に関わるようになってから、Ceriseの発行部数は右肩上がり。Dioskouroiの売上も順調に伸びているそうで、叔母さんの機嫌が最近(すこぶ)るよい。


 それは好いのだが、実はそのせいでわたしと秋菜も街でちょっと知られた存在になりつつある。ちょくちょく街で声を掛けられて、一緒に写真を撮ってほしいとかサインが欲しいとか言われてしまう。


 仕事上はありがたいことと思うべきなのだろう。しかし元来そうした目立つことをあまり好まないわたしにとっては、少し重荷に感じる部分でもある。


「あ、そうそう。秋菜ちゃんたちさ、モデルの仕事、もうちょっと本格的にやってみない?」


 蒲田さんがそんな話を振ってきて、わたしはちょっと嫌な予感がした。

 元々あまり望んでやっているわけではないというのに、本格的にモデルの仕事なんて……。

 その横で秋菜は目をキラキラさせて完全に興味津々と言った表情だ。嫌な予感が増々強まる。


「何々、蒲田さん?」


 案の定、秋菜が早速食い付いてしまった。こっちまで火の粉が飛んでこなければいいのだが。


「偶々ディセットの現場で、Ceriseをスタッフの子たちに見せてたの。この双子ちゃんたちかわいいでしょって。それが編集の目に留まってね。モデルやってほしいってうるさいのよ」


 ほらな。そんなことじゃないかって思ったよ。

 因みにディセットっていうのは高校生の女子の間では有名なファッション雑誌だ。そんな有名誌でモデルなんてやった日には有名になっちゃうなんてもんじゃない。絶対わたしを巻き込むなよ。


「すご~い、ディセットってあのディセットですよね? 雑誌の。読者モデルも結構オーディション厳しいって聞くし、芸能事務所の子もいるんだよね。ねぇ、かよ……じゃなかった秋葉ちゃん、凄くない?」


「えぇ? 凄いけど、こっちまで巻き込まないでよね。秋菜が独りでする分には好きにすればいいけど」


「えぇ〜、またそんなこと言ってぇ。どうせ一緒にすることになるってば」


 ううわぁ、嫌なこと言うなぁ。本当にそうなりそうで凄く不吉だ。


「双子のモデルっていいと思うんだけどなぁ。それに二人とも何着せても似合うから、スタイリストとしての血が騒ぐっていうか? この子たちをもう一つ上のステージで着飾らせてみたいっていうか?」


「ちょっとぉ、蒲田さん、勘弁してよぉ。秋菜だけでもいいでしょう? わたしは気乗りしないからパス」


「あらぁ〜、秋葉ちゃんったらつれないの〜。そんなこと言わないで、今度撮影現場を見学してみましょ。ね?」


「うわっ、本当に? 行きたい行きたいっ。秋葉ちゃんはわたしが説得するから今度連れてって」


「秋菜うるさいよ。一人で行けって」


 まったく。こうなると思ったよ。でも行かないからな。絶対行かないぞ。


「そう? 残念だなぁ。是非二人一緒にって言われてたんだけど。それじゃあ秋菜ちゃんだけでも来てね」


「うん、行きたい。大丈夫よ、蒲田さん。秋葉ちゃんはこんなこと言ってるけど、ちゃんとわたしが説得するから。絶対二人で行けるようになるもん」


「なんないよ〜っだ」


 と言うものの、秋菜の奴め。わたしの否定にもまるでどこ吹く風といった風情だ。


「あらあら、じゃあ楽しみにしてるから。また詳しい予定が決まったら秋菜ちゃんに連絡するね」


「うん、そうして。蒲田さん。楽しみだな」


「こちらこそ、楽しみにしてるね。じゃあ今日はこれで」


 そう言って蒲田さんは大きなキャリーバッグをゴロゴロ引きながら帰って行った。


「おい、秋菜よ。お前な……」


「いいからいいから。わたしの言う通りにしてれば間違いないの、夏葉ちゃんは」


「言う通りにしてたらろくなことにならないだろうが、いっつも」


「そういうこと言うかな〜。あんたさ、女の子になってからわたしの言うこと聞いておいてよかったことだらけでしょうが? 言っとくけどさ、聞いてなかったら今頃ノーブラの変態女子高生だからね!」


 ビシっとこちらを指差してそう言われると、こちらも言い返せない。

 確かにあそこで無理矢理にでも秋菜から説得されなかったら、秋菜の言う通り今頃ノーブラだ。想像するだけで恐ろしい。


 今ではナイトブラで育乳とかおっぱい体操とかが習慣化しているくらいにはバストのケアをしているこの自分が、ノーブラ……だと……。実に恐ろしい。

 やはり秋菜の言うことは聞いておくべきなのか……。


 ……っ! 今また洗脳されかけていたのか? いかんいかん、本当に恐ろしいのはノーブラじゃなくて、秋菜……。


 帰りの道すがら、秋菜の魔法のような言葉が心に張り巡らされていく恐怖を味わいながら、その呪縛の力に途方に暮れるわたしであった。


 これ、なし崩し的にディセットのモデルやらされるパターンだ……。

Subtitle from 大沢誉志幸 - そして僕は途方に暮れる (1984)

Written by Yoshiyuki Osawa

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