四:王様は鳥かごの中 ヴァレンヌ逃亡事件に至るまで
ともあれ国民議会は、封建的特権の廃止や、さらにアメリカ独立戦争を指揮した英雄にして開明的な貴族ラファイエットらが「人権宣言」を採択する事となる。フランス革命の始まりだ。
彼らの採択した法案を見ていたルイ16世だったが……
「おおむね内容には賛成だが……これとこれはマズイのではないか?
カトリック教会を国の管理下に置いて人事も政府が決めるって……ローマ教皇庁の権限無視だし。
特権の廃止とやらも、財産を持たぬ者には意味がないし。アルザス地方の権益も、こっちで勝手に決めたら条約違反になるぞ?」
国王の指摘は聡明で、どれもいちいちごもっともな話であったのだが。
「なんやワレ。いちいち上から目線で平民見下しよってからに! 俺たちが何も知らないバカだとでも言いたいのか!?
いいからこれらの法案の発布を宣言しろやオラァ!!」
と国民議会側は逆ギレし、あまつさえ問題だらけの法案を無修正で承認しろとまで命令してきた。
これにはルイ16世も憤慨したものの、結局涙を飲んで議会の要求に従う事にした。
だがバスティーユ襲撃事件以降、民衆は事ある毎にすぐブチ切れるようになる。どうやら「●ンシロウ、暴力はいいぞ!」と味を占めてしまったようだ。
かれこれ10年以上も続く天候不順(実は1783年、アイスランドと日本の火山が相次いで噴火している)と不作で、パンは相変わらず足りておらず、値段が跳ね上がっており。
長年不満をつのらせていた人々は、気に食わない事があると女性ですら武器を取ってパリ市街を練り歩き、近衛兵を虐殺したりした。
「ラファイエットよ。民衆は何がしたいのだ? ただ暴れたいだけなのか?」
「彼らの要求に従わねば、暴動がもっと拡大する恐れがございます。陛下、どうかご決断を」
ルイ16世はラファイエットとの長い話し合いの末、暴徒の要求通りテュイルリー宮殿へ移り住む事にした。
「なんかなぁ……これが『旧体制を打破した民衆たちの市民革命』ねえ……」
「財産も教養もない人々ですからね。日本でいうなら、半グレ集団が警察に勝ってしまったようなものです」
「ちょ、莉央ちゃん身近過ぎる例えやめてくれる? 怖すぎなんだけど!?」
だが国民議会はローマ教皇庁を無視し、聖職者の人事権を握る法案を可決したので、時の教皇は「おいフランス、何勝手にワシのシマに手ェつけとんじゃワレ!?」と激おこ、人権宣言を非難。
敬虔なカトリック教徒であったルイ16世、これだけでも耐え難かったのに、さらに事件が起こる。
「通してくれ。余と余の家族は昨年と同様、復活祭の折はサンクルーで過ごすと決めておるのだ」
「そうはいかねえな陛下。そう言って亡命するつもりだろう? とっとと宮殿に帰んな!」
ラファイエットが仲裁するも上手く行かず、力づくで突破する事も拒否した国王一家はすごすごと引き下がる事になる。
もはや国王は面子を潰され、完全に国民の手に捕らえられた状態であった。
「もうこれ以上は限界だ……余は本当に逃げる!
でも国外に逃げたら廃位になると議会からは言われてるから、あくまで目的地は国内のモンメディ要塞な!」
世にいう「ヴァレンヌ逃亡事件」である。この話はもともと、王に協力的で民衆人気もあった貴族ミラボーが提案していたのだが、計画途中で運悪くミラボーが急死。
その後修正された逃亡計画は色んな意味で杜撰だった上、世間知らずの王妃マリー・アントワネットが逃亡用の馬車にあーだこーだと注文をつけまくったせいで決行時期が遅延し、失敗に終わる。
ただマリー・アントワネットはともかく、ルイ16世自身に国外亡命する気はなかったようであるが。




