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破:信玄公、意外と低姿勢!?

 1568年12月。武田信玄は駿河(するが)に攻め入った。

 この動きに呼応して、三河(みかわ)の徳川家康も手筈通り、今川を挟撃すべく遠江(とおとうみ)に出陣している。


「武田家は割と以前から、織田家と懇意にしていました。

 今回徳川を動かしたのも、信長との友好関係を利用したものだったのでしょうね」

「ふーん。でも結果として今川は、そんな簡単に滅びなかったよなぁ。

 あ、そうか。東に北条(ほうじょう)氏がいたっけ。あいつらが今川を支援したってのを思い出したぞ!

 武田―今川―北条の三国同盟が手切れになったから、約定破りの信玄を北条は許せなかったんだろう?」


「いえ……最初のうちは北条も、駿河侵攻を静観していたんですよ。

 三国同盟といっても、まったく同時期に結んだ訳ではないですからね」

「へ? そーなの? だってゲームの歴史イベントで……」

「それは江戸時代の小説家によるフィクションです。事実ではありません」


 めちゃくちゃバッサリ斬り捨てる莉央ちゃん。


「実際、武田は駿河攻めをするとき、北条に『敵に回す意図はない。今川が上杉と結んでウチを滅ぼそうとしたからやむを得ず攻めたんや!』と見え透いた言い訳をしています」

「見え透いたって……まあ確かに白々しいけど」


 当初、武田の進軍は順調だった。事前調略の成果もあり、今川の武将たちがことごとく寝返ったのだ。

 戦いらしい戦いも起きないまま、今川氏真(うじざね)の本拠である駿河館はあっという間に落ちた。

 氏真は、家臣の城である掛川(かけがわ)城に落ち延びる事になるのだが……この時、ある問題が起こった。


「聞いたか? 氏真さまの奥方、輿にも乗れず歩いて掛川に逃げていったとよ」


 氏真の嫁といえば、北条氏康(うじやす)の娘・早川殿。

 嫁いだ時には豪華な輿(こし)に乗っていたのに、敵に攻められ、ほうほうの体で屈辱的な逃げ恥を晒す事になった。

 この話を聞いて、氏康はカンカンに怒り狂ってしまったのだ。


「……信玄め。よくも我が娘に大恥を……! 絶対に許さぬぞ!

 我ら北条はこれより、全力で今川殿にお味方いたす!」


 事態を静観していたハズの北条が突如、敵対したのは信玄にとって大きな誤算だった。

 北条軍は目覚ましいばかりに素早い動きで今川領の支援に回り、各地で武田軍と交戦する事に。

 当主の娘の恥を(すす)ぐ、という大義名分もあってか北条方の士気は高く、武田側は大苦戦。信玄の侵攻計画は大幅に狂わされる事となってしまう。


「それでも、武田と徳川がちゃんと連携していれば、ひょっとしたらスムーズに行っていたかもしれません。

 しかしながら……二人の足並みが揃う事はありませんでした」

「あー。その話なら知ってるぜ莉央(りお)ちゃん。

 密約時に『武田が駿河、徳川が遠江を山分け。ただし切り取り次第』って言ってたんだろ?

 でも武田の家臣が、家康の取り分予定だった遠江の城を勝手に攻めた。

 家康はもちろん抗議したが、信玄は王者の余裕を以て取り合わなかったんだよな。そんで両家の関係がこじれていく、と」

「確かに、武田方の抜け駆けが原因で、徳川との関係が悪化したのは事実です。が……

 信玄さんに王者の余裕があったか、と聞かれると……そこはイメージが崩壊するかもしれませんよ?」

「…………へ?」


 俺と莉央ちゃんが小声で話していると、信玄の下へ血相を変えた伝令がやってきた。


「御屋形様、一大事にござります。秋山虎繁(とらしげ)どのが先日、大井(おおい)川を越え遠江に攻め入ったとの事!」

「何だと? 何を考えておるんじゃ秋山は!?

 徳川殿との約定では『互いの取り分は大井川を境とする』とはっきり取り決めたではないか!?」


 信玄公、どっしり構えるどころか慌てまくっている。側近に筆を持ってこさせ、文書を書き始めた。


「この詫び状を家康殿のところへ。それと秋山には即刻引き返すよう申し伝えよッ!」


「莉央ちゃん。なんか信玄さん……家康さんにメチャクチャ気ィ遣ってない?」

「現状、徳川は大事な同盟相手です。北条が敵に回った今、武田としては機嫌を損ねたくないというのが本音でしょう。

 学者の中には『武田は川といっても、大井川より西の天竜川のつもりだった』とか、山分け基準の川の位置が曖昧だったという説を語る人もいますが。

 この様子を見る限り、事前にハッキリ大井川だったと認識してますよね。だから家康も堂々と抗議してきたんだと思います」


 結局この件、俺と莉央ちゃんは使番として徳川方に詫び状を届けに行く事に。

 信玄は過失を全面的に認め、出過ぎた真似をした部下も引っ込めさせ、処罰を与えるほど低姿勢だったが……当の家康は終始不機嫌で、こちらに不信感を露わにしていたのが印象的だった。


 結局、武田・徳川双方にしこりが残り、同盟関係に暗雲が漂い始めた頃……当初は順調だった駿河侵攻そのものも、トラブルが続発する事となる。

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