血の雨を回避したようです
目を開けると、見慣れた黒曜石の瞳と目が合った。
「起きたか、エルナ。具合はどうだ?」
「何だかボーっとします」
そう言って上半身を起こすと、テオドールが水の入ったコップを渡してくる。
「側妃に睡眠薬を盛られた上に魔力を使ったからだろう。少し休むしかないよ」
うなずくとコップに口をつける。少し熱めの湯冷ましがおいしかった。
「テオ兄様、私は魔力を使ったのでしょうか?」
「俺は見ていないからハッキリとは言えないけど。呪いの魔法を消したなら、使ったんだろうな」
「ハンカチを投げつけただけですけど」
「それは聞いた」
テオドールは笑って空になったコップを受け取った。
「まあ、レオン兄さんが王都に戻る前に解決して良かったよ。エルナが攫われたと聞いたら、間違いなく剣を手に取る。場合によっては王宮に血の雨が降るところだ」
「レオン兄様は剣が使えたんですか?」
穏やかな長兄はいつも屋敷で書類仕事をするか社交でいないことが多いし、そういうこととは無縁なのかと思っていた。
テオドールは騎士になるべく王都にいたわけだし、実際に剣を使ったところを見ているので、間違いなく使えるのだろうが。
「使えるも何も。剣豪と言って差し支えない腕前だよ。……少なくとも、俺は勝てない」
「レオン兄様がですか?」
テオドールの腕前の程を、エルナは知らない。
だが、曲がりなりにも騎士志望で王子の護衛に就くのだから、最低限は強いのだろう。
それを超えるというのは、どういうことなのだろう。
「その分、レオン兄さんは魔法がほとんど使えない。そこは父さんに似たんだな。……だから、エルナのハンカチを聖なる魔力か判断するために、領地で母さんに見てもらう必要があった。俺も、そういう感知とか探索みたいなものは不得手だからな」
『蹴破られた扉の向こうから剣を肩に担いだ血塗れのヒロインが』
脳裏に浮かぶ言葉。魔法は父に似たというのなら、剣の腕は……。
「まさか、お母様は剣を使えるのですか?」
「使えるどころか。……あの人が本気を出せば、王都は灰になりかねない」
『虹色パラダイス』のヒロインは、一体どれだけ物騒なのだ。
確かに、聖なる魔力に凄腕の剣、ついでにヒロイン補正もあるのなら、もはや無敵。
もう、ヒロインというより魔王か何かに思えてきた。
普通の肝っ玉母さんだったと思っていたのだが、おかしいな。
「エルナは魔物の討伐に行ったことがないから、知らなかっただろう。母さんがエルナの前では淑女の手本を見せるとか何とか言って、おとなしくしていたからな」
少なくとも淑女ではなかった気がするが、それどころのレベルではなかったわけか。
「では、魔法が使えるからテオ兄様が護衛をしていたんですか? でも、殿下も使えるんですよね?」
「呪いの魔法はちょっと特殊なんだよ。普通の攻撃魔法なら、殿下に危害を加えるのは難しい。そもそも王族の魔力量は多いが、殿下はその中でもずば抜けているからな」
「そうなんですか」
王家直系ならこれくらいできるというような言い回しをしていたが、あれは謙遜ということか。
「呪いの魔法を消す……浄化できるのは、聖なる魔力だけだ。そのハンカチに魔力を込めてあったんだろう。更に投げつけた時にも魔力を追加しているみたいだしな」
あのハンカチは諸々のストレス解消のために、タオルハンカチレベルまで分厚く刺繍されていた。
刺繍に魔力が込められているとしたら、あのハンカチは相当なものだろう。
「でも、魔力を込めた覚えなんてないというか、よくわからないんですが。……追加って何ですか?」
さすがにあの場面で、追加で糸を刺したりしていないのだがと首を傾げる。
「まずは、経緯を説明するよ」
そう言うと、テオドールはベッドの横に椅子を持ってきて腰掛けた。
「まず、母さんは虹の聖女だ。証明しろと言われると今は難しいが、これはゆるぎない事実だ」
エルナがうなずくのを見て、テオドールが続ける。
「国王陛下がグラナート殿下を呪いの魔法から守るために、虹の聖女である母さんに助力を請うたのが一年ほど前。そこで俺が護衛に就くことになった。母さんの瞳を継いでいるからだ」
グラナートに聞いていた内容と同じなので、すんなりと理解できる。
「魔力は瞳に現れやすい。……エルナ、俺の目は何色に見える?」
言われるままに見慣れた瞳をじっと見てみる。
「綺麗な黒曜石の黒です」
「半分、正解」
「半分、ですか?」
確かに瞳は黒いのに、どういう意味だろう。
「普段は確かに黒だ。だが、聖なる魔力を使うときには更に虹色の光が入る」
「虹色の光?」
「蛋白石だよ。俺と母さんの瞳は、黒の蛋白石だ。そして、エルナ。お前の瞳は水宝玉じゃない。多分、水の蛋白石だ」










