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聖女って何ですか

 ――ヘルツ。


 ヘルツ王国でそれを名乗れるのは、王族に名を連ねている者だけ。

 国王は男性だし、王子二人も同じく。あとは、王女にしては年齢が合わないし、王妃は亡くなっているとなると。


「……側妃様、ですか?」

 鷹揚にうなずく様は、まさに高貴なる貴婦人そのもの。


「失礼ですが、側妃様が何の御用でしょうか」


 田舎貴族のエルナは、側妃その人に会ったことも見たこともないどころか、存在すらリリーに教えてもらったばかりだ。

 何故ここで側妃と自分が話をしているのか、わけがわからなかった。


「聖女様、探しましたわ。ようやく会えて、わたくしはとても嬉しいのです」

「はい?」


 何を言い出すのだろう、この人は。そもそも聖女とは何だ。

 いや、でも、確かどこかで聞いたことがあった気がする。



『聖女ルートだと、魔法がでてくるんだけど』



 脳裏に浮かぶ、日本の友人の言葉。

 聖女ルートというからには、聖女というものが出てくるのだろう。

 そしてそれはヒロイン、つまりリリーに他ならない。


「あの、多分人違いだと思うのですが。聖女って何ですか?」

 恐る恐る正してみるが、側妃は首を振ると何やらテーブルの上に置いた。


「これを作ったのは、あなたでしょう? エルナ・ノイマン子爵令嬢」

 そこにあったのは、星の柄の刺繍が入った『グリュック』のハンカチ。

 間違いなく、エルナが作った物だった。


「確かに、私が作りましたけれど。このハンカチが、何か問題なのでしょうか」


「問題なんてありませんわ。清めのハンカチの噂を聞いた時には半信半疑でしたが、実物を見て間違いないとわかりましたから」

 側妃は楽しそうに喋っているが、何のことだかエルナにはわからない。


「これだけ見事な清めのハンカチを作れるのは、浄化ができる聖なる魔力を持つ者。……あなたが、虹の聖女なのでしょう?」

 聖女の上に虹までついて、わけのわからなさが倍増だ。


「何のことだかわかりません。虹の聖女というのは何ですか? ハンカチを作る人のことですか?」


 随分と大仰な言葉だが、職人に対する賛辞だろうか。

 職人というほどの腕前でもないので、やはり自分には関係ないと思うが。


「あら、とぼけているのかしら。それとも、本当にわかっていないのかしら」


 侍女が用意した新しい紅茶の爽やかな香りが部屋中に広がる。

 側妃はカップに注がれた紅茶を飲むと、これみよがしにため息をついた。



「あなた、魔力には色があると言われているのをご存知かしら?」

「いいえ」

「まだ学園の一年生ですものね」


 魔力には、色があるらしい。

 曖昧な表現なのは、魔力の色を見ることができる者が限られているからだ。

 魔法が使える者でも色が見えるのはほんの一握りなので、自分の魔力が何色かを知らない人の方が多い。


「王族やそれに準じるレベルの魔力を持っていれば、見えることもあるそうですよ」

 側妃が何を言いたいのかわからず、エルナは黙って次の言葉を待つ。


「魔力の質を示す色は普通一色。二色以上は稀な存在です。その中で七色は聖なる魔力と言われていて、その浄化の力ゆえに聖人聖女として国にとっても重要な存在になるのです」


 こんな話が出てくるということは、これは聖女ルートなのだろうか。

 リリーと間違われているはずだが、ハンカチを作ったのは確かにエルナ自身。

 一体どういうことなのか、わからない。


「私は、そんな凄いものじゃありません。人違いだと思います」

「……どうやら、本当にわかっていないようですね」


 側妃は肩をすくめると、新しい紅茶に口をつける。

 一口ごとに新しい紅茶を用意するとは、王族は贅沢な飲み方をするものだと感心する。


 ただ、毎回茶葉が違うようで、香りが重なって何の匂いかよくわからなくなっている。

 もったいないとは思うが、止めるわけにもいかない。



「わたくしの下で魔力の使い方を学べばよろしいわ。学園も免除させましょう」

 学園免除、という魅惑の言葉にちょっと揺らめいたが、領地に帰れないのなら同じことだ。


「何故ですか?」

「虹の聖女ならば、国の要の一つとなります。保護は当然でしょう。そして、ゆくゆくは第一王子の治世を支えていただきたいの」


 国を想う側妃として、そして子を思い遣る母の言葉、のはず。

 それなのに、この違和感は何だろう。

 ゆらゆらと思考が揺れて、考えがまとまらない。


「やはり人違いだと思いますし、王子の治世を支える人材なら、他にいくらでもいると思います」

「スマラクト王子を、支えてはくださらないの?」


「私はまだ学園で学ぶ身です。支えるどころか足手まといになります」

「グラナートにつくつもりなの?」


「つくも何も……」

 いまいち話が通じない。


「それにハンカチひとつで何故、聖女だなんて大ごとになっているのでしょうか」

 清めのハンカチだなんて眉唾の噂を、本当に信じているのか。


「それは、このハンカチが呪いの魔力を和らげているからです」

「呪い……?」

 禍々しい言葉にエルナはたじろぐ。



「虹の聖女がグラナートにつけば、継承権を見直すことになるかもしれない。それは、あってはならないことです」

 側妃の声音が冷たいものに変わっていく。


「あなたは、スマラクトのものになっていただきます」

 側妃が、すっと椅子から立ち上がった。


 何事だろうと見ていると、だんだんその姿が揺らめいてくる。

 側妃が揺れているのではなく、自分の視界が揺れているのだと気づいた時には、バランスを崩してずるりと椅子から滑り落ちていた。


「聖なる魔力で中和されるといけないので、多少の薬も使いましたが。必要なかったかしら」


 側妃はそう言って懐から小さな袋を取り出して、テーブルに乗せる。

 とろけるように甘くて華やかな香りが部屋中に広がると同時に、鈍器で殴られたような強い眠気がエルナを襲う。


「これは……」

 この匂いは、確か側妃が部屋に入ってきた時に嗅いだものと同じ。


「これは睡眠薬をお香にしただけですから、心配ありませんわ。気付かれるかと思ったけれど、案外鈍いものですね」


 そっと紅茶のカップに触れると、にっこりと微笑む。

 紅茶を何度も淹れたのは、その香りでこの甘い匂いを隠すためか。



「おとなしく従ってくだされば、危害は加えません」


 嘘だ。

 ここまで既に拉致監禁に脅迫までされていて、何を信じろというのだろう。


 とにかく、この匂いは駄目だ。

 少しでも防がないと。


 エルナは眠気のせいで重くなった腕を動かして、制服のポケットを探る。

 刺繍のしすぎでタオルハンカチほどの厚みになったそれで、口と鼻を覆う。

 マスク替わりとまではいかなくても、そのまま吸い込むよりはマシだろう。


「あら、今更そんなもので防げると思って? わたくしのように、毎日使っていれば耐性もできますけれどね」


 獲物をいたぶる獣のように、楽しそうに側妃は笑った。


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