番外編　アデリナ・ミーゼス　5

「テオ兄様は喜ぶと思いますよ。林檎一個まるごとで構いませんので」

　あのエルナの言葉さえなければ、こんなに悩まなかったのに。

　アデリナはため息を吐くと、目の前のテーブルに並ぶ林檎を見つめた。

「どうしてこんなことに……」

　もともとはエルナがグラナートに「あーん」をするという話だったはずだ。

　何故かそれにアデリナまで巻き込まれたわけだがこの「あーん」が曲者なのである。

　エルナとリリーによる模範演技では、リリーが手にしたクッキーをエルナの前に差し出し「あーん」と声をかける。

　声をかけられたエルナは口を開け、そこにリリーがクッキーを入れたのだ。

　もはや、破廉恥の化身である。

　いや、エルナとグラナートが実行している分には平気だ。

　というか、どんどんやれと思うし、目の前で「あーん」をしていてもじっくり見られる自信がある。

　だが自分がテオドールにするのだと思ったら途端に心臓が挙動不審になってしまう。

「あーん」という掛け声が既に恥ずかしい。

　テオドールはきっとその通りにしてくれるだろうが……いや、待て。

　もしもテオドールが「あーん」を知らなかった場合、アデリナが全部説明しなければいけないのでは？

「声をかけたら口を開けてください。そこに私が食べ物を入れますので、そのまま食べてください」なんて、とんでもない指示だ。

　まずはそれに至った経緯を説明し、更に食物は毒物ではない証拠も示さなくては。

　証明するための書類を作成した方がいいかもしれないと考えて、ふと気が付く。

「いえ。これ……確か、いちゃいちゃするという話の流れでしたわよね……？」

　一度、基本に立ち返ったほうがいい。

　アデリナは深呼吸すると、脳内の男女をエルナとグラナートに置き換える。

　頬を染めながら「あーん」とクッキーを差し出すエルナ。

　笑顔でそれに従ってクッキーを食べるグラナート。

「はい、いちゃいちゃですわ！」

　あっさりと結論を出すと、再び林檎に目を向ける。

　テオドールが好きだというから用意したが、これをどう渡すかが難問だ。

　エルナによれば丸かじりらしいが、本当だろうか。

　田舎では普通と言っていたが、そうだとしてもアデリナがそれを促したらはしたないと軽蔑されはしないか心配だ。

　だが切ってしまうと持ち運びが困難だし鮮度が落ちる。

　お菓子に加工してしまうと丸かじりからあまりにも離れてしまう。

　では丸かじりしているという体をとれるように、林檎の形の小さなクッキーでも作らせるのはどうだろう。

　それを柄の長いスプーンに乗せて遠くから差し出せば、距離の問題もクリアできるのではないか。

「……いえいえ。また脱線していますわ。テオ様は林檎を丸かじりするのですから、余計なことをしない方がいいはずです」

　そうだ、林檎をそのまま差し出してテオに渡してしまえばいい。

　林檎が好きだとエルナから聞いた、と言って差し入れする形なら自然。

　紙袋に入れれば林檎丸ごとだなんてわからないし、これで万事解決である。

　難問を解いた時のようにすっきりとしたアデリナは、まだ知らない。

　林檎を持つアデリナの手ごとテオドールに握られ、そのまま目の前で齧りつかれ、「美味しい」と微笑まれるとんでもない事態が未来に待ち受けていることを……。