55.任務開始と一番槍
魔の森。
名前だけは有名で、エーテルグレッサ王国の誰もが一度くらいは聞いたことがあるのではなかろうか。
エーテルグレッサの南端にある深い深い森で、瘴気にも似た濃い魔力を帯びている。その魔力を浴び変質した生物が、魔物と呼ばれる存在だ。
元は動物だと考えられ、それらを強化、巨大化、一部特徴の特化や変化・変質などをした姿が多く、当然動物なんかよりはるかに強く恐ろしい存在である。
正確な正体まではわかっていないが、よく人を襲う好戦的な生物である以上、人間の敵と考えるしかない。
森を越えた先を知る者はなく、この先に人里や国といったものが存在するかどうかも定かではない。
一応討伐任務と一緒に軽く調査もしているらしいが、帯びた魔力が濃すぎて、あまり長時間の活動はできないのだとか。
恐らく、この時代にどうにかできる場所ではないのだろう。
もっと先の未来で、様々な研究が進み不可解なことを解明し、ようやく踏み出せる領域なのだろう。
今しばらくは、こうして要所要所で魔物を狩り、エーテルグレッサへの被害を抑える以外、やりようがないのだ。
街道がなくなった辺りから草木も減り、この辺りは完全に地面が剥き出しの荒れ地である。
そんな荒れ地の先に、鬱蒼と茂る森がある。
「……」
――確かに魔力が濃いな……――
離れていても肌に感じるそれは、かなり密度の濃い魔力である。
以前課題で行ったアテマス山の魔竜アヴァンデラスの骨より、よほど強力なものだ。何が発生源なのかもわからないが、あれは人がおいそれと入れる場所ではない――と、初めて森を見たフレイオージュは思う。
「すごい森でしょ」
道中よく面倒を見てくれた、隣のイーオン・ヘイスの言葉にフレイオージュは頷く。
――あの場所はまずい、と一目でわかった。
あれだけの森だ。生物の数なんて数えきれないほど多いだろうし、魔物だって少なくないはずだ。
もしなんらかの理由で多くの魔物が森から出てきたら……そう思うと、一番隊と二番隊が強い理由もよくわかる。
なんてことはない、強くないと本当に生き残れないからだ。
この討伐任務がどこまで効果があるのかはわからないが、しかし、一匹でも多くの魔物を間引いておく必要があることだけは確かだ。
いざという時、一匹でも敵を減らしておくために。
その一匹は王都の罪なき者や弱き者、守りたい者に牙を剥くかもしれない。
騎士としては、それを見過ごすことはできない。
「――戦闘準備をして整列! 急げ」
まだ森まで距離がある内に止まり、野営の準備を進めていると、号令が掛かった。
一番隊隊長レオンヴェルトと二番隊隊長ベルクオッソが立つ正面に、三十八名の騎士たちと、一人の訓練生が整列する。
ここまでの道中、意外なほど和やかだった雰囲気が、さすがにここに来たらピリッと仕上がっていた。
お調子者も真面目な者も、ひねくれ者も面倒見がいい者も、昔何かあったのか元カレと元カノの関係にある者も、誰もが
「これより調査任務を開始する! 一番隊、前へ!」
ベルクオッソの地鳴りがするような大声に合わせ、向かって左側の十九名が一歩前に出た。
「本格的な討伐は明日からとし、今日は森の様子を見る。いつも通りだ。五名、私についてこい」
それだけ言い置き、レオンヴェルトは妖精のおっさんを頭に乗せたまま森に向かって走り出した。
すぐに前に出た一番隊の五名がそれに続く。
どうやらいつもこういう流れでやっているようだ。あの五名も、調査が得意ないつものメンバーなのだろう。
肉体強化して走る彼らの背は、あっという間に遠くなり、森へと到着して行動を開始した。
「……」
で、こっちはどうすればいいのか。
解散の命令は出ていないので、まだ整列したままなのだが。
「訓練生。前に出ろ」
ここからどうなるのか一人だけわからないフレイオージュは、まだ正面にいる老騎士ベルクオッソに呼ばれた。
「……」
一瞬出るのを躊躇うくらい、ベルクオッソはニヤニヤしている。あれは絶対によからぬことを考えている顔である。
だが、ご指名である以上、行かないわけにもいかない。
行きたくはないが。
一番隊と二番隊の注目を集める中、悪だくみをしているベルクオッソの前に立つ。
「皆が心配しとるんじゃ」
「……?」
「実力のわからん訓練生が一緒では邪魔だ、心配で実力を出せん、とな。ゆえに証明せよ。おまえが今ここにいる理由を示し、わしらを安心させてくれ」
…………
「来るぞ」
と、ベルクオッソは後方を――魔の森を振り返る。
「一番槍をくれてやると言っとるんじゃ。遠慮はいらん、思いっきりやれ」
距離があるので、音は届かない。
だが、森がざわめいているのがわかる。
緑が揺れている。
数えきれないほどのおびただしい鳥たちが飛び立ち、調査に入っていたレオンヴェルトら騎士たちが森から躍り出てくる。
そして――来た。
「……!」
――鋼鉄猪の群れ……!――
木々をなぎ倒し飛び出してきたのは、十頭を超える巨大な牙を持つ大猪、鋼鉄猪たちである。
二階建ての建物くらい巨大な身体を持ち、皮も厚ければ体毛も高く、なかなか刃が通らない。それに巨体でありながら脚力も強く、機敏にして速度も出る。体当たりくらいしかしないが、それでもあの大きさと重量と身体の硬さは脅威である。
一頭だけでも小さな街くらいは蹂躙してしまう、理性を忘れた暴走猪だ。
父シックルと共にたった一頭、それもまだ若く小さな個体を相手にしたことはあるが、それでも苦戦した相手だ。
十頭もの数を、この人数で狩るというのか。
だとすれば、思った以上に討伐隊は危険な任務を負っている。
「ほれ行け」
あれほどの脅威を前にしてもニヤニヤしている爺が、より楽しそうにニヤニヤしながら言った。
「おまえが開戦の合図を出せ。わしらはそれに続く。――これからの一週間は、こういうのが何度も続くぞ? 楽しみじゃろ?」
割と絶望的なこれを楽しめる辺り、英雄となんとかは紙一重だと思わざるを得ない。
だが――
「……!」
フレイオージュは敬礼を返すと、老騎士の横を抜けて前に出た。
レオンヴェルトらがこちらに走ってくる。後方に並んでいた一番隊と二番隊が隊列を変え、鋼鉄猪を迎え撃つ体制を取る。
あとは、レオンヴェルトらがこちらに到着し、一番槍を任されたフレイオージュが開戦の合図を出すのを待つばかり――
「――やれ!!」
まっすぐこちらに誘い込んできたレオンヴェルトが、左右に散開しながら魔法を放つ軌道を空けた。
すでに五色の帯をまとい、準備ができていたフレイオージュは、左手を掲げた。
「――っ!!」
魔力の奔流に長い髪がなびく。
土煙が弾かれるように舞い上がり、レオンヴェルトの頭からこちらへ移動しようとしていた妖精のおっさんが巻き込まれて、竜巻に巻かれたかのように高く上昇していく。
強く強く圧縮した魔繊維がどんどん織り込まれ、形を作っていく。
五色全ての色が混じった、紫の魔力――それは古より伝わる地上最強の生物、ドラゴンに酷似している。
「――」
轟轟とうねり巻き付き暴れ絡みつく、音にならない魔力の蠢く音に、フレイオージュの声は掻き消された。
唱えた魔法は、「龍八閃」。
現代には使い手がおらず、もはや時代に埋もれた伝説の魔法の一つである。
フレイオージュの身体から半分以上の魔力が抜ける。
そして顕現する、紫のドラゴン。
鋼鉄猪と同じくらい巨大な魔力の塊が、龍爪を掲げて己が敵へと向かっていく。
――一撃目で、先頭の鋼鉄猪の頭が潰れた。
――二撃目で、隣に並ぶ猪が首の骨を折られるほどに強く張り飛ばされた。
――三撃目で、最後尾の二頭が首を飛ばされた。
――四撃目で、後方からとんぼ返りした爪で疾駆する猪の後ろ足を叩き潰した。
――五撃目で、再び前に戻ってきた「龍八閃」が猪どもの前方の地面に大穴を空けて三頭を落とした。
あとの三撃は、落とし穴に落ちた猪の始末。
そして、圧倒的な暴力を振るった紫のドラゴンは役目を負えて消え失せた。
「行くぞぉぉぉ!!」
すでに半分以上が潰れた群れに、しかしまだ向かってくる残り二頭に騎士たちが向かっていく。
第五期課題が始まった。
ベルクオッソではないが。
ここまで本気で魔法を使ったことがなかったフレイオージュにとっても、下手な抑圧もなく我慢もしなくていいこの討伐任務は、楽しかった。




