第97話 【冥界の女王】VS【綺羅星】
──ごぉん。
響いたのは、扉が開く音のような、だけどまったく違う別の何かの音。
扉に飲み込まれた俺たちは冥界に落とされた。
周囲の風景が一変する。広がるのは灰色の砂と灰色の空だけ。
さすがのミカエラも周囲の変化に気がつき、辺りを見渡した。
「……ワオ。これは、冥界魔法デスカ?」
戦慄する俺の横で、ミカエラが抱きついたまま不思議そうに周囲を見ている。
どうやらこの世界のことを知っているらしい。
これは冥界魔法〈黄泉平坂〉。
冥府の扉を開き、対象を地獄へ落とす領域系魔法だ。
それは生殺自在の領域魔法。
この世にあってはならない究極の禁呪。
この世界ではシオリが望んだ者は全て死に、シオリが望めば全て生き返る。
防御も回避も不可能。対策は存在しない。
全ての命運がシオリの意のままに操られる、生殺自在の恐るべき魔法だ。
しかも今は分身を取り込んだ100%の力で解放している。
シオリは怒ると逆に笑うタイプだ。
そのシオリが、にっこりと笑みを浮かべている。
つまり、かなりのガチギレ状態だ。
なんで急にそんなに怒ったのかはわからないが……
シオリが本気なのは間違いない。
ここは冥界の中でも、最も深き深淵の底。
濃密な死の気配に包まれながら、シオリが笑顔のまま平然と告げた。
「死ね」
言葉が力を持ち、冥界が女王の判決を執行する。
絶対の不可侵領域はそれを拒絶した。
「効きまセーン」
「……ちっ」
「オー、よく見たら【黄泉返り】じゃないデスカー。本体と会うのは初めてデスネー」
シオリが苦々しげな表情でミカエラを睨みつけた。
「……気づいてたの」
「フフフ。ワタシは強い人が大好きなので、よーく観察してるんデス」
表で活動してる【黄泉返り】天羽黄泉の正体が、シオリが操る分身だと知ってる人は俺とアイギス以外にはいなかったはずだ。
それを見抜くなんて確かに俺も驚いた。
「【白き腐敗】ごときに負けたくせに態度がでかいわね」
「確かにワタシを殺せる存在がいるとは思っていませんデシタ。能力にあぐらをかいてちょーっと慢心してましたネ。それを教えてくれたケンジさんはやはりワタシの運命の人ということデース」
「潰れろ」
めぎめぎめぎ……
空間の軋む音がする。
冥界がミカエラを押し潰そうとしているようだ。
「オー、ジャパニーズガールは切れると怖いですネー」
ミカエラがケラケラと笑い声をあげる。
「無敵」があるから平気なんだろうけど、できれば俺を巻き込まないでほしい……
目の前で空間が軋む音を聞かされる者の身にもなってくれないかな……
この状況でも平然としていられるその精神力は、さすがは上級ダンジョンに入るような冒険者ということなんだろう。
「どうやらここにいるのはワタシたちだけみたいデスネ」
ミカエラの言う通り、アイギスはいなかった。
俺たち二人だけが冥界に落とされたらしい。
元の冥界魔法は対象を選べず空間ごと飲み込んでしまったが、分身を取り込んだことで完全に制御できるようになったみたいだ。
ちなみに配信用カメラもなかった。
向こうに置いてきたらしい。
……アイギス一人で大丈夫かな。
放送事故とか起きないか心配だが……
「ここならちょうどいいデスネ。二人にお願いしたいことがあるのデス」
「なんだ?」
「絶対に嫌よ」
内容を聞く前にシオリが断った。
「あんたがまともな頼みをしてきたことなんて一度もないじゃない」
「言われていればそうかもしれないデスネ。ワタシは最強なので大抵のことは一人でできマス。それでも、一人ではどうしようもないこともありマス。ワタシがお願いするのはそういう時ですカラ」
そういうと顔を引き締め、真剣な表情で告げた。
「ここで【白き腐敗】を倒します。ですがワタシ一人では不可能です。二人の力を貸してください」
「【白き腐敗】は倒したはずでしょ」
「いいえ。生きています。以前よりもさらに強大になって」
そうして、ミカエラは上級ダンジョンで見たことを俺たちに話してくれた。
「すべての神々が【白き腐敗】に食われた……? 冗談でしょ……?」
シオリが青ざめた顔で呟く。
「あれは取り込んだ物全てを自分の栄養にしマス。ワタシの力を手にいれ、さらには神々も全て取り込んでしまった。どれほど成長したのか、もはや想像もできまセーン」
ゼウス一体でも、ダンジョンを貫くほどの力を持っていた。
それが今度は、数え切れない程の神族をすべて手に入れたという。
星を壊すには十分過ぎるほどの力を手に入れたことだろう。
「考えただけで目眩がするわね……」
「それに加えてあらゆる攻撃を無効化しマス」
「……「無敵」を取られたのはあんたの責任でしょ。そっちはあんたがなんとかしなさいよ」
「それを言われると何もいえまセーン。だからこそここで決着をつけたいのデス。たくさん食べてお腹がいっぱいなのか、今はまだ上級ダンジョンの中で大人しくしています。デスが、解き放たれたらどれだけの被害が出るのか……」
「最強の攻撃力と、無敵の防御力に、無限の再生能力と増殖能力……。なんの冗談な訳?」
「だからこそ地球に戻すわけにはいかないデショウ」
「待って。まさかここで戦うつもり?」
「もちろんデース。一滴でも入れたら世界はオシマイですから」
「それはそうだけど……」
「フフフ。こんなこともあろうかと【星喰い】から「マスターキー」を借りてあります。扉ならいつでも開けられマース」
「借りた? 奪ったの間違いじゃなくて?」
「まさか。ワタシたちはズッ友デース」
「せっかく迷宮の奥に引きこもったのに、まだあんたに付きまとわれてるのね……」
哀れみの表情を浮かべる。
俺は知らないが、シオリたちの知り合いみたいだな。
「コノママ上級ダンジョンに閉じ込めておくのも一つの方法だとは思いマスガ」
「本来は無限の迷宮に閉じ込めて隔離していたはずでしょ。それがどうして外に出てきたのよ」
「その理由は今もわからないデス。だからこそ、上級ダンジョンからもいつかは出てくるかもしれないノデス」
「……なら、今叩くしかないわけね」
「とはいえ倒す方法はワタシにはわかりません。それができるのはケンジサンだけデショウ。無理強いできる立場ではありませんが……」
「……」
二人の視線が俺に向く。
もちろん俺の答えは決まっていた。
「ああ、ここで倒そう」
「……ケンジサン! ありがとうございます!」
「あのままだとダンジョンも壊されそうだったしな。それに上級ダンジョンに入れなくなると、海ステージでのショートカットがひとつなくなることになる。それは少し困るからな」
「……」
「……」
シオリとミカエラが揃って俺を見つめる。
え、なんか変なこと言ったか?
「……あんたはそういうやつだったわね」
「さすがケンジサンは面白い人ですネー」
「倒す方法には一つ心当たりがある。早速準備しよう」
【白き腐敗】は無限に再生し増殖するため、一片のかけらも残さず完全消滅させるしかない。
しかし消毒液は【綺羅星】の力を獲得したことで効かなくなってしまった。
まずはそこの攻略からだ。
「ミカエラ、俺と握手してくれないか」
「……? もちろんデース」
俺とミカエラが手を握り合う。
普通の握手でよかったんだが、ミカエラはニコニコしながら両手で俺の手を包んできた。これが欧米式なのかな?
何故かシオリから殺気を感じた気がしたが、きっと気のせいだろう。
でも怖いので手はすぐに離した。
「フフフ。意外とシャイですネ。それで、これがどうしたんデスカ?」
「位相をずらしているんだな?」
「………………ワオ」
ミカエラが驚いて目を見開いた。
「ワタシの【綺羅星】の秘密を、握手しただけで暴いたのデスカ」
ミカエラの持つ絶対不可侵領域。
その正体は、世界の座標をずらすことで、どれだけ近づいても永遠に届かない極薄の結界を作ることだったんだ。
しかし世界の壁を乗り越えてくる外側の存在が相手では、いずれそれも突破されてしまう。
そういうことだったんだろう。
ついでに言うならば、位相をズラしているということは、ミカエラはここにいるけどここにいないということ。
シオリの言葉が効かなかったのはそれが理由だろう。
「さすがケンジサンの魔力解析能力はずば抜けていますネ」
「ああ、おかげで分かったよ」
理屈がわかれば突破法もわかる。
俺はミカエラの手のひらを軽く指で弾いた。
「いたっ………………えっ」
ミカエラが手のひらを呆然と見つめた。
「ワタシが、痛みを……?」
「ミカエラの力を解析させてもらったよ。これで攻撃も通るようになるはずだ」
「ワタシの【綺羅星】を、あの一瞬で攻略した……? そんなこと、可能なのデスカ……?」
ミカエラの力を見るのはこれで2度目だからな。
初見ならともかく、一度経験した後ならそう難しいことじゃない。
RTAでも重要な技術だしな。
それと、もう一つ必要なことがある。
「シオリにも頼みたいことがあるんだがいいか」
「な、何……? 手をつなぐとかそういうのは、まだちょっと心の準備が……」
「手料理を作ってくれないか」
「………………はい?」
残り3話となります。
最後まで楽しんでいただけると嬉しいです。




