スカウト
赤紙で指定された、和歌山県の国防軍基地。そこに到着すると、颯谷はまず事務所に保管されていた荷物を受け取った。先に郵送しておいた、一級仙具の脇差である。中身を確認して礼を言い、次に今日泊まる部屋に案内してもらう。部屋の中に入り、荷物を隅に寄せてから、彼は「ふう」と息を吐いた。
全体ミーティングは明日だから、今日はもうやることがない。とはいえスマホをいじっているだけでは芸がないだろう。そう思い、颯谷はベッドの上に胡坐をかくと、荷物と一緒に受け取った資料を広げた。
資料はもちろん、これから突入する異界のもの。それで資料の量は少ない。一番槍による情報収集もまだなので、内部の様子がうかがえる情報は皆無だ。ただスタンピードで外に出てきたスケルトンの写真がある。
「本当に骨格標本みたいだな……」
スケルトンの写真を眺めながら、颯谷はそう呟いた。脳裏に浮かぶのは中学校の理科室で見た骨格標本。アレはなんだか不気味に思えたものだが、写真のスケルトンはCGのように思えてしまって逆に現実味がない。それはもしかしたら、二つの眼孔に浮かぶ赤い光のせいだったのかもしれない。
ちなみに資料の中ではスケルトンのことを「骸骨人形」と呼んでいる。意地でもスケルトンと呼ばない、いや和名っぽい名前を付けようとしているところに、颯谷はお役所の意地を見た気がした。正直、どうでもいい。
まあそれはそれとして。写真は全部で五枚あったのだが、それを見比べる限りスケルトンのサイズは全部だいたい同じに思える。成人男性と同じか、それより少し低いくらいだろう。ただそのサイズしかいないと結論するのは早計だ。大鬼がいるのだから、大スケルトンみたいなのがいてもおかしくはないだろう。
「ま、それも突入してみるまでは分からない、か」
そう呟き、颯谷は写真をまとめて脇に寄せた。次に彼が広げたのは地図。その地図には大きな円が描かれている。そこが今回の異界にのまれた範囲だ。
ざっと見た感じ、ほとんどが山地である。等高線の間隔は狭い。住宅地は見当たらないが、未踏の地というわけではなく、道路は通っている。
「道路は重要だよなぁ」
一回目と二回目の征伐を思い出しながら、颯谷はそう呟いた。山道は歩きづらいし、平らな場所でも舗装されていなければやはり歩きづらい。山の斜面に至っては、基本的に四つ足の獣の世界だと彼は思っている。
そんな環境にあって、舗装されたアスファルトの道路がどれほどありがたいか。これは普段市街地で暮らしている人間には分からないだろう。また歩きやすいということはつまり動きやすいということ。移動速度は格段に上がるし、戦闘だってやりやすい。
また異界の中に変異が現れることはあっても、何かが消えてなくなることはない。地図上に道路があるなら、それは異界の中にもあるのだ。つまり道路に出ればおおよその現在位置や、道路の続いている先は地図上で確認できる。俯瞰で現状を確認できるのだ。これは次にどう動くかを考える上で非常に大きい。
もっとも、道路が消えてなくなることはないが、例えば崩落していたり、土砂で寸断されていたりということはあり得る。だから地図上に道路があるからと言って、そこを通れるとは限らない。だがそれでも。今回のようなフィールドの場合、道路をどう使うのかが征伐の鍵になってくるのは間違いないだろう。
「突入するならやっぱり道路を使うルートかなぁ……」
そう呟きながら、颯谷は地図上に描かれた円の周りを視線でなぞる。山地だけあって、通っている道路は少ない。異界を横断している道路は一つだけで、その道路はいろいろ曲がりくねっているが、南西から北東方向へ異界を横断している。物資の搬入などのことも考えると、この道路が突入ルートの大本命ということになるだろう。
「ん、ここは……」
地図上に描かれた円の外周を眺めていた颯谷だったが、ある場所に目が留まった。等高線の小さな円が、異界の範囲を示す大きな円のすぐ内側にある。つまり異界の外縁部に山の頂がある、ということだ。
山地は当然ながら起伏が激しい。それは地図上の込み入った等高線を見ただけでも分かる。低い位置からでは見える範囲が限られ、全体を見渡すには高い場所へ登らなければならない。だがこの場所なら、突入してすぐに異界の全体を見渡すことができる。
颯谷は他の地図を広げたり、スマホの地図アプリを開いたりしながら、その山についてさらに調べた。標高はそれほど高くない。車で山頂まで行けるような道はないが、登山道は整備されている。
それらの登山道のうちの一つが異界の中、舗装された道のすぐ近くまで降りていた。たぶんそのあたりに登山口があるのだろう。しかも都合の良いことに、その道は異界の中心部へ向かっている。
「突入して、山頂で全体の様子を確認して、登山道を降りて舗装された道に出る。結構いいんじゃね?」
颯谷はそう呟いた。登山道があるなら、道に迷うことはないだろう。変異が起こっている可能性はあるが、外縁部なのだし、さほど大規模ではないはず。それにどうせ徒歩なのだから、土砂崩れくらいなら突っ切ることは可能だろう。
ただ山道である以上、トラックなどを使って物資を運び込むことはできない。少なくとも本隊の突入ルートとしては不適格だろう。だが使い道はあるのではないか。舗装された道路まで出られれば、それを使っての合流は比較的容易なはず。少数の分隊が全体を確認してから本隊に合流するというのは、戦略としてアリではないだろうか。
さて、そんなことをつらつらと考えていると、いつの間にか午後六時を過ぎていた。たっぷりと食べたラーメンもいつの間にか消化され、胃袋も次をよこせと求めている。ベッドの上に広げた資料を片付けると、颯谷は部屋を出て食堂へ向かった。
お昼はラーメンで結構こってりしていたので、夕食はあっさりとしたおろしハンバーグ定食を選ぶ。四角いおぼんを手に席を探し、颯谷は隅のテーブルに向かった。席につき、まずは味噌汁に手を付けると、まるで待っていたかのように人影が差す。颯谷がちらりと視線を上げると、そこにいたのは軍服を身に着けた女性だった。
「ここ、良いだろうか?」
「……どうぞ」
颯谷がそう答えると、女性は「ありがとう」と言ってイスを引いた。手に持っているのはお茶だけで、どうやら食事をしに来たわけではないらしい。軍服を着ている以上は軍人なのだろうが、では軍人が一体何の用なのか。颯谷には心当たりがなかった。
「国防軍の水瀬京香三佐だ」
「……桐島颯谷です」
「あまり警戒しないでほしい。……実は君をスカウトしに来たの」
颯谷の険しい表情を見て、京香は苦笑しながらすぐに本題に入った。その際、口調をいくぶん柔らかくしたのは、相手が軍人ではないことを思い出したからか。何にしても、颯谷の表情はあまり変わらなかった。
「スカウト? 国防軍に入るつもりはありませんよ」
「そういう意味ではないわ。何から説明したものか……、国防省で検討された選抜チームのことは知ってる?」
「さわりくらいは」
「なら話は早いわ。国防軍ではその選抜チームのひな型みたいなのを、希望する基地ごとに結成したの。この基地でも部隊が結成されて、私がその隊長よ」
「オレに、その部隊に入れって話ですか?」
「私の任務は結成した部隊を鍛えて、征伐が可能な戦力へと育てること。そのために今回の征伐で、桐島君には私たちに協力してほしいの」
つまりパワーレベリングをしてくれということか。颯谷は京香の話をそういうふうに理解した。実際、彼女が意図していたのはゲーム的に言えばパワーレベリングそのものだ。
京香が結成した部隊の実戦要員は、当然ながら全員軍人である。この際、全員が女性であることはさておくとしても、全員が氣功能力未覚醒の異界処女であることは、間違いなくリスク要因だ。
本来なら征伐隊のいわゆる本隊に所属し、後方支援要員として活動するのが筋だろう。そうすれば少なくとも氣功能力を覚醒させることはできる。ただその選択に、実のところ京香は後ろ向きだった。
なぜなら今回の彼女たちの目標は征伐そのものではないからだ。氣功能力を覚醒させ、さらに多数の怪異を討伐して氣の量を増やすこと。それこそが彼女たちの目標なのだ。だが本隊の後方支援隊に組み込まれてしまうと、思うようなレベリングはできない。それではわざわざこの異界を選んで突入する意味がなくなってしまう。
よって京香は本隊には所属せず、独立して動くつもりだった。しかし前述したとおり彼女の部隊は全員が異界処女。いくら骸骨人形が弱いモンスターだと言っても、不安は大きい。鍛える前に大きな被害が出ては、元も子もないだろう。
そんな時に知ったのがあの桐島颯谷の名前が征伐隊名簿に入っているという話。彼を引き込むことができれば、部隊の生存率はぐっと上がるはず。また隊員たちのレベリングも容易になるだろう。京香としては声をかけない理由がなかった。
「選抜チームが機能するようになれば、桐島君の負担も減るはずよ。協力してもらえないかしら?」
京香はそう言って改めて颯谷を誘った。颯谷は難しい顔をしながら考えを巡らせる。しかし彼が口を開くより先に、別の人物が二人の会話に割り込んで入ってきた。
「失礼、マドモアゼル。私も彼と話をしていいかな?」
割り込んできたのは男性で、やはり軍服を着ていた。ただ京香の軍服とは明らかにデザインが違う。さらに彼自身金髪碧眼の白人で、つまり日本の軍人ではない。一体どこの誰なのか、颯谷が首をかしげていると、京香が彼にこう苦言を呈した。
「……トリスタン少佐。今は私が彼と話している最中です。後にしていただきたい」
「話に割り込んだ非礼は詫びよう。しかしだ、ミナセ三佐。貴女は彼をスカウトしていたのだろう? 実は私も同じ用件でね。それなら一緒に話をした方が、選ぶ立場の彼に対して誠実な対応だと思うのだが、いかがかな?」
そう答えたトリスタンは、表面上は鷹揚に振舞っているが、内心ではやや焦っていた。桐島颯谷がこうして征伐隊に加わったことは、トリスタンにとって大変喜ばしい。これで征伐の成功率が大きく上がったからだ。
しかしその桐島颯谷が京香の部隊に加わることになると、話はだいぶ違ってくる。彼女たちがやろうとしているのはパワーレベリングで、つまり征伐のメインストーリーへ積極的に関わる気はない。それではわざわざ桐島颯谷を動員させた意味がなくなってしまう。
(それならばいっそ……)
それならばいっそ、彼を自分たちの部隊に加えてしまった方がまだマシだ。トリスタンはそう考え、慌てて二人の会話に割り込んだのである。
さてトリスタンの言葉に、京香は険しい顔をして黙ってしまった。そんな彼女をしり目にトリスタンは颯谷へこう話しかける。
「フランス軍のトリスタンだ。階級は少佐。よろしく頼む」
「……桐島颯谷です。日本語がお上手なんですね」
「ハハハ。これでも派遣部隊の隊長だからね。日本語ができなくては仕事にならない。それにアニメを100%楽しむには、やはり日本語でなくては」
そう言ってトリスタンは破顔した。それにつられてつい颯谷も笑ってしまう。彼が表情を崩したのを見て、トリスタンはさらにこう言った。
「それで、だ。キリシマ君。先ほども言ったが用件はミナセ三佐と同じでね。今回の征伐、我々の部隊にぜひ協力してほしい。無論、タダでとは言わない。君には報奨金が出るだろうが、そこに加えて我々からもう一億支払おうじゃないか。さすがにユーロでは難しいが」
「待ってください、トリスタン少佐。勝手にそんなことをされては……!」
「法的には問題ないはずだよ、ミナセ三佐。征伐後になってしまうが、必要があれば日本の国防省とも話をしよう」
気色ばむ京香に、トリスタンは鷹揚な態度を崩さずにそう答えた。そして口元に意地悪気な笑みを浮かべながら、さらにこう続ける。
「それに君の部隊は全員が氣功能力未覚醒だろう? いかにキリシマ君であっても、そのオモリをするのは大変なはずだ」
「貴方の部隊とて、大差はないでしょう!?」
「いいや。私を含め、部隊の二割ほどは能力者だ。この差は大きいと思うよ」
どっちもどっちじゃないかなぁ、と颯谷は思った。パワーレベリングが目的なのだから氣の量は少ないのだろうと思っていたが、まさか大半が未覚醒だとは。想像の斜め下すぎた。正直、どちらのオモリも大変そうである。
(さてどう断ったもんかな)
やはり「本隊に入るつもりなので」と言っておくのが穏当なところだろうか。颯谷がそう考えていると、また別の声が話に割り込んでこう言った。
「そいつは本隊に入る。頭越しの引き抜きはやめてもらおうか」
現れたのは大柄で角刈りの男。「あ、この人、体育会系だ」と颯谷は思った。
颯谷「やめてー、ワタシのためにあらそわないでー。……あ、言ってみただけです」




