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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
篝火

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損耗


 四月の末、北海道北部に現れた異界は征伐された。ただ征伐のために北海道へ向かった千賀道場の門下生である原田毅はすぐには帰ってこなかった。颯谷も心配していたのだが、数日して本人から師範である茂信のところへ連絡があったという。そしてその内容を茂信は門下生たちにこう話した。


「片足を失ったらしい」


 茂信がそう言うと、集まった門下生たちはざわついた。颯谷もまるで鉄の塊でも飲み込んだかのように、お腹のあたりがズンと重く感じる。茂信は門下生たちのざわめきが収まるのを待ってから、さらに続けてこう言った。


「クマのモンスターに太ももの肉を食いちぎられたそうだ。幸い、あまり時を置かずに征伐が完了し、すぐに病院へ運ばれたのだが、化膿してしまっていたらしくてな。切断するよりほかになかったそうだ」


 茂信の話を聞き、門下生たちはシンッと静まり返る。そんな彼らを安心させるように茂信はあえて口調を軽くしてこう言った。


「命に別状はないそうだ。総括ミーティングに出てからこちらに戻ると言っていた。……慰労会で血を補充してくると言っていたよ」


「アルコールの間違いだろ」


 門下生の一人がまぜっかえすと、小さく笑いのさざめきが起きる。そのタイミングで茂信はこう話を締めくくった。


「道場にも折を見て顔を出すそうだ。……あらかじめ言っておくが、あいつが飲みたいと言っても酒は出すなよ」


 今度こそ笑い声が上がる。そのおかげで気分はかなり軽くなり、門下生たちはそれぞれ解散した。颯谷も壁に向かって流転法の鍛錬を始める。そうしていると、やはり考えてしまうのは毅のこと。


 命に別状はないとはいえ、片足を失ったのだ。損耗扱いで、能力者としては引退だろう。征伐を生業としているのだ、こういうことは珍しくない。頭では分かっているのだが、実際に身近で起こると真に迫るものがある。


(クマ……、クマか……)


 怪異モンスタークマと戦った経験は、颯谷にはない。ただこういう現実にもいる動物をベースにしたモンスターは珍しくない。そしてそういうモンスターは総じて狂暴で、フィジカルが強化されており、中には特殊能力を持つ個体もいるという。


 熊はもともと獰猛な獣だ。そして身体能力も人間をはるかに上回る。それをベースにしたモンスターなら、さぞかし狂暴で強靭なフィジカルだったに違いない。そういうモンスターに自分が遭遇したら、果たして大けがをせずに勝てるだろうか。


(話が聞きたいな……)


 颯谷はそう思った。総括報告書は公表されるが、実際にその場にいた者の話に勝るものはないだろう。毅は折を見て道場にも顔を出すということだったので、そのときに色々聞こうとか彼は思った。


 そしてゴールデンウィーク明けの週末、毅が千賀道場に顔を出した。少しやつれたように見えるが顔色は良い。彼は杖をつきながら少々ぎこちなく廊下を歩く。そして道場に用意してあったパイプ椅子に座った。


「えっと、その足は……?」


「ああ、これか? 義足だ」


 そう言って毅はズボンを引っ張り、その下の義足を見せる。義足の実物を見るのが初めてなら、実際に使っているところを見るのも初めてで、颯谷は思わず生唾を飲み込んだ。だが当の毅はあっけらかんとした様子で、肩をすくめながらこう言った。


「間に合わせの借り物でなぁ、あんまり具合が良くないんだよ。ちゃんとしたオーダーメイドのヤツが来れば、もう少し歩きやすいって話なんだが……」


 そう言いながら、毅はズボンの上から太ももをさすった。たぶんそこが義足の装着場所なのだろう。だとすれば片足の四分の三ほどを失ったことになる。颯谷は思わず自分の足をさすっていた。そこへ茂信と司が現れる。手にはお茶とお菓子を持っていた。


「毅からだ。話も聞きたいだろうし、一服しよう」


 箱のまま出されたのは北海道の銘菓「雪の恋人」。毅が本当に土産として買ってきてくれたらしい。颯谷は一瞬固まってしまったが、他の門下生たちは軽く礼を言ってから次々に手を伸ばす。颯谷もそれに倣って、ぎこちなく手を伸ばした。お茶の入った紙コップが全員にいきわたったところで、まず茂信がこう口火を切った。


「原田。今回の異界はどんな感じだったんだ?」


「直径が15.2キロだから、ぎりぎり大規模だな。おかげ変異は少なかったか、ほとんどなかった。ただ季節的に寒かったな。さすが北海道だ」


「モンスターは? クマって話だったが」


「クマだったぞ。便宜上、大中小って分けたが、大きさ以外の見た目は同じに見えたな」


 ちなみに大クマ・中クマ・小クマの基準だが、立ち上がった時の身長が子供サイズであれば小クマ、大きくても熊として実際にあり得るサイズであれば中クマ、現実にはあり得ないサイズのクマは大クマとされた。


「熊として一般にあり得るサイズって、最大でどれくらいなんだ?」


「最大だと身長三メートルくらいだったと思うが……」


「え、ってことは……」


「おう、それくらいのヤツが何体もいたぞ」


 毅はあっさりとそう答えた。そんなにも巨大な熊なら、たぶん普通に中鬼よりも強いだろう。それがモンスターならなおさらだ。大鬼と比べてどうかはよく分からないが、一方的に圧倒されるということはたぶんないはず。そんなのが何体もいたというのだから、モンスターの脅威度はかなり高かったに違いない。


 ただスタンピードでもそのサイズのクマは現れており、準備段階で対策が練られていた。基本方針としては、まず絶対に一対一では戦わない。また熊の習性として、背中を見せたらどこまでも追ってくる可能性がある。よってエンカウントした場合には、逃げないで討伐しなければならない場合が多いと考えられた。


 そこで用意されたのが多数の盾。しかも両手で使うような大盾だ。これでクマの攻撃を受け止めつつ、側面や背後から攻撃して仕留める。これが基本戦術になった。この戦術はうまく機能し、「死傷者を大きく減らした」と総括ミーティングでも評価されている。


 ただクマの攻撃を受け止められるような大盾は、当然ながら重い。大規模異界の内部を探索するにあたっては、クマと同じくらいこの重い大盾が厄介だった。重い大盾が足かせになり、征伐隊は探索に大いに苦労することになったのである。


「どう対応したんですか?」


「バイク部隊のおかげで、中心部にコアがあることは早い段階で判明していたからな。あとは人海戦術でひたすら道を切り開いた」


 具体的には、遊撃隊を丸ごと攻略隊に編入させた。つまり仙果の採取を切り捨てたのだ。思い切った決断だが、こうでもしなければ結局のところ先に食料が尽きると判断したのである。それくらい重い大盾は機動力をそいでいた。


「……機動力がそがれるってことは、一日で往復できる範囲も狭くなるってことだ。都合二回、拠点を移動させることになった。その引っ越しがまた大変でなぁ」


 毅はうんざりした様子でそう愚痴った。聞いているだけでも全体的に重鈍というイメージで、それは征伐隊のメンバーの方がより強く感じていたことだろう。そしてその原因は明白だった。


 大盾については、素材を工夫することで強度を落とさずに重量を軽くするという改善案も出されたが、その一方で重いからこそクマの攻撃を受けても弾き飛ばされなかったという利点もある。痛し痒しといったところだった。


 とはいえそうやって準備していても、すべての場面に対応できたわけではなかった。特に中クマが複数現れたときなどは、どうしても死傷者が出た。ちなみに毅が負傷したのもそのパターンである。


「中クマって、実際どれくらいの強さなんだ?」


「3メートル超えてるような奴だと、そうだな……。戦ってみた感覚としては、200キロクラスの中鬼の、1.5~2倍くらいに思ったな」


「中クマ、ヤバいな」


「いや、それよりもヤバいのは大クマだろ。現実にはあり得ないサイズって、どれくらいだったんだ?」


「身長は五メートルを超えているって話だったな。『軽トラのサイズだ』なんて言ってる奴もいたぞ」


 そう言われ、颯谷の脳裏に玄道の軽トラが浮かぶ。途端に彼は表情を険しくした。クマはフィジカルに全振りで、例えば火を吐くなどの特殊攻撃はしてこなかったという話だが、それでも身長5m越えのクマのフィジカルというのは想像を絶する。それこそ軽トラくらいなら簡単にひっくり返すに違いない。


「大クマも普通にポップしたのか?」


「いいや、大クマはガーディアンだった。ただし三体いた」


「どうやって倒したんだ?」


「ガーディアン戦は、俺は参加してないんだよ。その前に足を喰われっちまったからな。だからこれは総括ミーティングの時に聞いた話になる」


 そう前置きしてから、毅は最終決戦の作戦概要を話し始めた。まず作戦目標だが、これは守護者ガーディアンの討伐ではなくコアの破壊。そのためにガーディアンである大クマをコアから引き離すことになった。


 具体的には対物ライフルで狙撃するなどして大クマを挑発。さらに複数の囮役があえて姿を見せて大クマを引き付けた。軽トラサイズの大クマが後ろから追ってくるのだ。とんでもない恐怖だったに違いない。


 囮役は内氣功を駆使して全力で逃げたという話だが、それでも普通なら追い付かれていたはず。だが囮役は逃げ切った。それにはもちろん理由があって、あらかじめ逃げる方向に馬防柵などの障害物を設置しておいたのだ。また逃げたのが森の中ということもあり、巨大すぎる大クマはなかなか全力では走れなかったらしい。


 ただしそうやって釣り出せた大クマは二体。一体はコアの近くに残っていた。こちらは正面からぶつかるしかない。征伐隊は大盾と槍を揃えた防御態勢で最後の大クマと対峙した。とはいえ腕の一振りで三人が宙を舞ったというのだから、その膂力は恐るべきものだ。それでも彼らは瓦解せず、注意を引きつけつつジリジリと大クマをコアから引き離した。


 そしてある程度引き離したところで、隠れていた最後のチームが動く。彼らの狙いはコアのみ。ただ緊張に耐えられなかったのか、動き出すのが少しだけ早く、コアから引き離したはずの大クマが彼らに気付いた。


 身を翻してコアのところへ戻ろうとする大クマ。大盾と槍のチームはすでに半壊していたが、それでもそのうちの一人が大クマの後脚に槍を突き立てる。その一撃が大クマの動きを鈍らせた。そのおかげでコアの破壊が間に合ったのだという。


 コアが破壊されれば、異界のフィールドは解除される。ただ出現済みのモンスターは消えない。つまりガーディアンである大クマもそのままだ。しかし異界が消えれば銃器が効くようになる。すぐさま銃声が響いた。


 放たれた対物ライフルの弾丸は大クマの頭部を吹き飛ばした。しかし固い頭蓋骨は健在で、骨をあらわにしながらも大クマは怒りの咆哮を上げる。その瞬間、もう一度銃声が響いた。狙いは首。首の肉を大きくえぐられ、大クマの動きは一気に鈍る。その機を逃さず、武器を持った能力者たちが殺到。袋叩きにして止めを刺した。釣り出した二体の大クマも同じようにして倒したのだという。


「『銃が効くとやっぱり楽だ』って言ってたぞ」


 毅がそう言い、颯谷は「なるほど」と思って大きく頷いた。颯谷には新鮮な話だったが、今回のようにガーディアンを倒さずにコアを破壊するパターンというのは、コア型の異界の征伐方法としてはむしろ主流である。


 その理由はもちろん、異界のフィールドが解除された後なら、ガーディアンに対してでも銃器が通用するからだ。異界の中ではあまり役に立たない対物ライフルをわざわざ持っていくのも、これが大きな理由の一つだ。ちなみに、異界征伐後に対物ライフルがまったく通用しなかったモンスターは、これまでに確認されていない。


「……ああ、そうそう、そう言えば」


 大クマの討伐まで話し終え、お茶で喉を潤した毅は、ふと何かを思い出したのかそう声を上げる。皆の視線が再び彼に集まると、毅はさらにこう話した。


「今回の異界、イレギュラーがいたんだよ」


 イレギュラーというのは、要するに異質なモンスターということだ。そしてイレギュラーは総じてガーディアンクラスの力を持っているとされる。


「どんなモンスターだったんだ?」


「鳳凰。つーか、最初はアレがヌシだと思ったんだよな」


 そう言って毅は笑った。鳳凰は異界の空を悠然と飛んでいて、その姿は地上からも良く見えた。ただし手出しは容易ではない。どうやって討伐したものかと頭を抱えたが、そんな中でリーダーが「コア型かもしれない」と皆を励ましたという。そこで中心部の探索が優先され、バイク部隊が出動したというのが経緯らしい。


「それで征伐後に鳳凰はどうなったんですか?」


「どっか飛んでった。総括ミーティングで聞いた話じゃ、国防軍の戦闘機がミサイルで撃墜したらしい」


 妥当な結果だろう。ともかく被害がなくて颯谷は胸を撫で下ろした。そして征伐関連の話が終わると、彼はやや恐るおそる毅にこう尋ねた。


「それで原田さんは、その、これからどうするんですか……?」


「そうだな……。まずは義足ができるのを待って、それからリハビリして、それから……、どうするかなぁ」


 毅は困ったように苦笑を浮かべた。この足だから、能力者としてはもう引退だ。しかし人生はまだ続く。そして残りの人生のほうが圧倒的に長い。それをどう生きるのか。唐突に白紙になってしまった未来を、彼はまだ完全には受け止めきれないでいるのだった。


毅「ちなみに、クマ鍋は本当に食ったぞ」

颯谷「え、肉がドロップしたんですか!?」

毅「いいや、本物が混じって出てきた」

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― 新着の感想 ―
軽トラのサイズのくだりに違和感を感じます。 軽トラは軽自動車サイズで全然大きくないですよ。 5メートルを超えるなら4tトラック辺りが適当かと
熊は掌が1番美味しいらしいね
前から不思議なんだけど何で食糧を1年分くらいトラックに食料を積んで持っていかないの? 異界で食糧調達してるとか正気なのって思いながら読んでます 兵站が途切れるのが判っていて準備期間もあるのに重機やトラ…
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