検討会の反響
桐島颯谷の戦歴を語る上で最も輝かしい戦果とは、言うまでもなく単独で成し遂げた最初の異界征伐だ。曲がりなりにも氣功能力者であったとはいえ、まったく普通の少年だった彼が異界の中で一年以上のサバイバルに耐え、見事に征伐を成し遂げたこの事例はまさに前代未聞、空前絶後の偉業である。
ただその一方で、このケースはあまりにも異例すぎる。もちろん参考になる知見は多いが、征伐の当事者が彼一人しかおらず、つまり比較検討できる別視点からの記録がない。他の征伐記録と比べても情報量が圧倒的に少なく、研究対象としては適さないという評価だった。
よって桐島颯谷が関わった征伐事例としては、二番目の新潟県北部異界や三番目の大分県西部異界のほうが、研究対象としては適している。また埼玉県東部異界と大分県西部異界を比較する検討会も開かれ、そこで出された報告書は各方面に波紋を広げている。そしてこの報告書をきっかけにして、これまでそれなりに、しかしバラバラに積み上げられていた知見が、一つの形になろうとしていた。
「高穂一佐。水瀬三佐、出頭いたしました」
「ご苦労。呼び出してすまなかったな、三佐。かけてくれ」
「はっ、ありがとうございます」
上官である高穂誠也一佐から座るように勧められ、水瀬京香は帽子を脱いでからソファーに座った。誠也はコーヒーを二人分淹れてから彼女の正面に座り、それから一通のレポートを取り出す。それは昨日、彼女が書き上げて提出したレポートだった。
「このレポート、読ませてもらった」
「はっ、恐縮であります」
このレポートは例の報告書を受けて書かれたもので、そこへ桐島颯谷という突出した戦力のこれまでの研究内容を絡め、提言をまとめたものだ。提言の内容は主に二つ。一つはいわゆる選抜チームを国防軍内部で設立すること。もう一つはレベリングしやすいと思われる異界を選んでその選抜チームの育成を行うことだ。
現在日本国に於いて、異界征伐のオペレーションは国防軍が主導しているが、こと突入部隊については完全に民間へ委託している状態である。この形になるには歴史的背景や諸事情があったわけだが、この現状に不満とは言わないが歯がゆいモノを感じている軍人は多かった。
国防軍の任務とは何か。国防、すなわち国を守ることである。異界顕現災害は自然災害ではあるが、国民の生命と財産を脅かす災厄であり、何よりも武力をもって打ち払わねばならない脅威である。武力の行使が求められるというのに、その最も重要な部分に国防軍は関わることができないのだ。
もちろん主にスタンピード対策において、国防軍は国民の支持と尊敬を得ている。異界と近代的な軍隊の相性の悪さはいまさら説明されるまでもない。現在の体制に問題がないとは言わないが、しかし現状これで一定の成果を出しているのだから、その有効性については正当な評価をしなければならないだろう。だがそれでも。自分たちこそが異界征伐の主役でありたいと願う軍人は多かった。
水瀬京香もどちらかといえばそういう考えを持っている。現在のやり方を否定するつもりはない。仮に選抜チームがしっかり機能するようになったとして、それでも民間の能力者はこれまで通り必要とされるだろう。ただ国防軍がこのままで良いとは思えない。
国防軍も能力者の部隊を持つべき。それが京香の考えだ。そしてその考えがより強くなったのは、桐島颯谷のことがきっかけだった。ほとんど素人と言っていい彼が、しかし単独で異界征伐を成し遂げたというニュースは、彼女に強い衝撃を与えた。同時に彼女はこうも思ったのだ。「ならば訓練を受けて準備を整えた軍人なら?」と。
ただこの時点ではまだただの思い付きというか、妄想と言わなければならない。京香自身、それを認めていた。訓練を受けて準備を整えた軍人を突入させて、それで異界を征伐できるならとっくの昔にやっている。それが結論だ。つまり桐島颯谷については、再現性のない特異なケースと言わなければならない。
それでもこの件をきっかけとして、京香は桐島颯谷に注目。その後の二つの征伐事例についても独自に分析を行った。その結果見えてきたのは、技量や経験を凌駕する「膨大な氣」の有用性。力押しで勝ててしまうなら、結局のところそれが一番有効なのだ。
『戦国時代に戦車を放り込むようなモノね。いっそ敵の方がかわいそうだわ』
京香はそう呟いたことがある。戦車は言い過ぎかもしれないが、しかしそれくらいの戦力差を感じる。まさに圧倒的と言っていい。そして「圧倒的」と言えることは画期的だった。これまでの、まるで綱渡りのような異界征伐オペレーションに、一筋の光明が差したのだ。
その数か月後、例の報告書が公表された。やや恣意的というか作為的なものは感じたが、それでも比較検討それ自体は真っ当にやっている。そして選抜チーム設立の提言と「氣の量を増やすことを征伐の際の目標の一つとするべき」という提言が、彼女の中で一つの方向性を持ってまとまっていく。それが今回のレポートだった。
「例の検討会の報告書は、私も読んだ。桐島颯谷君の活躍を念頭に置けば、『氣の量を増やすことを征伐の際の目標の一つとするべき』という提言には説得力がある」
「同意いたします」
「うむ。それを踏まえたうえで、このレポートについてもう一度説明してくれ」
「はっ、まずは……」
誠也に対し、京香はレポートについての説明を行った。時折挟まれる質問に対してはその都度回答していく。説明を終えると、誠也は「ふむ」と呟いた。
「例の報告書で提言された選抜チームは、すでに一定の実力を持っている者たちを集めて結成することを考えている。だが君は先にチームを作ってからそれを育てようというわけだな」
「その通りです。現実問題として選抜チームに求められるほどの実力者を民間から引き抜くことは、不可能ではないにしろかなり困難でしょう。よほどの好待遇が求められます。また仮にチームを設立できたとして、そこに有力武門や大手流門も意向や思惑が入り込んでくることは容易に想像できます。つまり国防軍として自由に動かせる部隊ではない。
そうであるなら、最初から国防軍内部でチームを立ち上げるべきです。能力者として最も重要なのが技量や経験ではなく氣の量であるなら、なおのことそう言えます。武門や流門の支援がなければ氣の量を増やせないなどということはないということは、桐島颯谷がすでに証明しているのですから」
何より国防軍が主体となって選抜チームを立ち上げ、そして育て上げることができれば、異界征伐に関して国防軍はかなり柔軟に戦略を練ることができるようになる。国防軍としての、ひいては国家としての戦略を持つことができるようになるのだ。国防を担う組織としてそれは必須であると京香は考えている。
「なるほど。君の意見は承知した」
誠也はそう言ってレポートをまとめて机の端に寄せた。それを見て京香は心なし背筋を伸ばす。いよいよここから本題に入るのだ。
「さて三佐。あまり気を悪くしてほしくないのだが、君のこのレポートは決して独創的なものではない。どういうことかというと、似たような内容のレポートは各地から提出されている」
まあそうでしょうね、と京香は心の中で呟いた。それだけ異界征伐に係わる現状に歯がゆさを覚えている国防軍士官は多いということだ。そして声の多さ、あるいは大きさというのは、組織を動かす圧力になりえる。彼女の期待は膨らんだ。
「そういうレポートは国防省でも改めて検討された。それでまずは実験部隊という扱いでやらせてみようということになった」
「では……!」
「まあ待ちたまえ。実験部隊は希望する基地ごとに設立され、まずはそれぞれが独立して動くことになる。当基地においても実験部隊を一つ設立することが承認された。水瀬三佐、君が隊長だ。直ちに部隊編成に取り掛かれ」
「了解しました! それで、規模はどれほどでしょうか?」
「実戦部隊は30名が上限だ。これを基準として計画を作成しろ」
「承知いたしました。では早速……」
「ああ、それともう一つ条件がある」
腰を浮かせかけた京香に対し、彼女の言葉を遮るようにして誠也がそう言った。彼はやや険しい顔をしていて、京香は内心に嫌な予感を覚える。そして彼はこう言った。
「特に実戦部隊については、女性軍人だけで編成するように。これは上からの命令だ」
「一佐! 小官はそのようなことを意図してレポートを書いたわけでは……!」
「三佐。君の言いたいことは分かる。だが政治だ。飲み込みたまえ」
「了解、しました」
内心に苦いモノを抱えながら、それを必死に表に出さないようにして、京香はそう答えた。「政治」ということはたぶん、国防大臣に恐らくは与党の女性議員がそれを掛け合い、そして呑ませたということなのだろう。
(これが文民統制の実態、ね)
誠也の事務室を退出し、基地の廊下を歩きながら、京香は心の中でそう愚痴る。「女性だけの部隊を作れ」ということは、たぶんその裏には男女平等とか男女の賃金格差とか、そういう事柄が背景としてあるのだろう。
そういう問題に取り組むことは立派だと思う。だが京香の立場からすれば、そういう不純物を現場に持ち込まれるのはハッキリ言って迷惑だった。実験部隊の目的は異界征伐に有効な手札を国防軍が保有すること。そこへ、それ以外の政治的な思惑を差し挟んでほしくはなかった。
(とはいえ……)
とはいえ、命じられた以上はその範囲内でやるしかない。京香はため息をこらえながら部隊編成の予定を頭の中で立て始めた。
さて、起こりやすい地域と起こりにくい地域はあるものの、異界顕現災害は基本的に世界中どこでも起こりえる。そして西ヨーロッパというのは、異界顕現災害の少ない地域だった。しかしあくまで「少ない」のであって「起こらない」わけではない。つまり起こるか起こらないかで言えば、起こるのだ。
例えばフランス。フランスにおける異界顕現災害の発生頻度は四~五年に一度。この頻度のためにフランスでは日本における武門や流門のような存在は成立しなかった。それでフランスでは異界征伐を軍が担うことになった。
とはいえ、異界と現代兵器は致命的なまでに相性が悪い。それでも戦闘機を使い捨てにするレベルで戦力を投入すれば征伐は可能なのだが、それでは多くの被害が出てしまうし、またコストもかかる。
なまじ日本なんて国が被害とコストを抑えつつ征伐を行っている。それを知っている国民は「なぜフランスに同じことができないのか」と言うし、国としてもできることなら被害もコストも抑えたい。
そこでフランスは異界征伐のための特殊部隊を組織して運用している。最近、日本で設立が提言された選抜チームに似ているが、その実態は率直に言ってお粗末なものだった。
一例をあげるなら、実戦部隊のなんと七割が氣功能力未覚醒と言われている。当然ながら氣功能力者であっても未熟な者が多く、そのために異界征伐に手間取り、被害が拡大し、貴重な人材も失うという悪循環が起こっていた。
フランス政府も手をこまねいてこの現状を眺めているわけではない。どうにかして部隊の練度を高めることはできないかと考えている。その一環として始められたのが、「海外派遣研修プログラム」である。要するに、部隊を友好国に派遣して異界征伐に関連した研修を受けさせてもらおうというわけだ。そしてこの中にはノルマンディー上陸作戦以来の友好国である日本も含まれていた。
さて、この研修の中には、実戦も含まれている。なんだか本末転倒な気もするが、これはある面で仕方がない。研修の主要な目的の一つは氣功能力を覚醒させることであり、そのためには実際に異界へ突入するしかないからだ。
またそもそも実戦の機会が少ないことが、部隊の練度を高められない要因の一つと言える。氣の量を増やせないし、ノウハウが蓄積されず、蓄積されても継承される前に人員が入れ替わってしまうからだ。よって国外であろうとも実戦経験を積めることは彼らにとってメリットが大きかった。
実戦の機会があることは、受け入れ側にとってもメリットがある。単純に戦力が増えるからだ。損害については自己責任だし、報酬も支払わなくてよいという約束になっている。その代わり物資については可能な限り協力することになっているが、これは普通の征伐隊への対応と変わらない。
もちろん現場での調整は必要になるが、基本的にwin-winの関係と言ってよい。それで日本は長年この研修部隊を受け入れてきたし、フランスにとっても日本は優先的な派遣先と考えられていた。
さてその日本で、この度とある報告書が公開された。そこでは「氣の量を増やすことを征伐の際の目標の一つとするべき」という提言がなされており、フランスの研修部隊にも影響を与えていた。
「ヴィクトール少尉、どう思うかね?」
「はっ。ソウヤ・キリシマの例と合わせて考えるなら、真剣に検討するべき提言と考えます」
上官であるトリスタン少佐から意見を求められ、ヴィクトールはそのように答えた。彼らはこれまで実際に異界に突入する意義について、「氣功能力の覚醒」と「征伐に関する知見の蓄積」だと考えてきた。そしてそれは決して間違ってはいない。
しかしどうやら異界征伐において、「氣の量」は「経験」よりも重要なファクターであるらしい。そうであるならば、彼らの異界の中での振る舞いについても、検討し直す必要があるのではないか。例の報告書を読んで、ヴィクトールはそう考えるようになった。
「我々の任務とは、フランスの異界をフランス人の手で征伐することだ。そうだな、ヴィクトール少尉?」
「はっ。その通りであります」
「つまり日本の異界を征伐することは、我々の任務には本来含まれていない。もちろん実際に突入する以上、征伐の失敗は我々の全滅と同義ではある。だが……」
そう言ってトリスタンは考え込んだ。そしてややあってから、彼はヴィクトールへ視線を向け、さらにこう言った。
「日本の異界は日本人が征伐すれば良い。我々がなすべきは、我々自身の力で征伐を成し遂げられるようになることだ」
トリスタンのその言葉に、ヴィクトールも大きく頷くのだった。
トリスタン:アニメオタク
ヴィクトール:マンガオタク




