とある検討会
年が明けた。木蓮は静岡県の実家に戻ってお正月を過ごしている。颯谷も正月は家で静かに過ごした。マシロたちは相変わらずこたつから出てこない。すっかり野生を失ったその姿に苦笑しながら、颯谷はみかんに手を伸ばした。
「じいちゃん、飲みすぎじゃないの?」
「いいじゃろ、正月ぐらい」
玄道は顔を赤らめながらそう答える。熱燗を注ぐのは孫からもらった錫の酒器。コイツで一杯やるのが、最近の玄道の楽しみだった。つまみは煮豆。おせち用らしいが、あいにく桐島家ではおせちは作っていない。
プレゼントを使ってもらえれば颯谷も悪い気はしない。それで彼は「やれやれ」と肩をすくめながら立ち上がり、昼食の支度のために台所へ向かった。お昼のメニューは餅と、自家製の干し松茸のお吸い物でいいだろう。
さてそんなこんなで年始は過ぎ、またいつも通りの生活が始まった。比較的暖かい静岡から戻ってきたせいか、木蓮はいっそう寒そうにしている。結局タイツは二枚にしたらしい。この前、恥ずかしそうにそう言っていた。
さてその木蓮だが、三月にまた実家へ里帰りをした。ただ実家に用事があったわけではない。姉の桜華が近畿地方、滋賀県の武門である藤崎家に嫁入りすることになり、その結婚式に出席するためだ。
式は琵琶湖を望む神社で行われ、披露宴がやはり琵琶湖湖畔のホテルで行われた。新郎新婦の親族・関係者がそれぞれ50名ずつ招待され、規模こそ大きく盛大であったものの、奇抜なことはしないで良い式と宴だったという。
「お姉様、とっても綺麗だったんですよ。白無垢とウェディングドレスの両方を着て。憧れちゃいます」
「そ、そっか。それにしても全部で100人だっけ? そんなに多くなるんだね」
「いえ、これでもかなり絞ったほうですよ。誰を招待して誰を招待しないのかで、お姉様もかなり苦労していましたから」
木蓮はそう話した。武門あるあるらしいのだが、こういうのは際限なく招待客が増えてしまうので、それを避けるために最初から50名ずつと制限を設けたらしい。それでも友人主催のパーティーなどがこれから五月くらいまであるとかで、やっぱり有力武門ともなれば付き合いが広くなるんだなぁ、と颯谷は思うのだった。
異界関連の話題に触れておくと、年末、関東地方に異界が顕現した。埼玉県の東部で、人口密集地は巻き込まれなかったものの、すぐ近くに現れた。これは、最悪は免れたものの、その次に悪い状況だ。避難者の数は膨大になり、スタンピードを封じ込めるために動員された国防軍の戦力もここ五年ほどでは最大となった。
異界の直径は6.7km。分類としては中規模になる。内部に大きな変異が起こっているかどうかは、判断が難しいとされた。異界のフィールドは当初群青色で、つまり幾人かが異界の中に取り残されたようだった。しかし残念ながら彼らは自力で異界を征伐することはできず、後にフィールドは黒色に変化。スタンピードが起こった。
現れた怪異は天狗。カラスのような黒い翼を持つ、人型のモンスターである。そして彼らはその翼で空を飛んだ。もっとも飛翔というよりは跳躍と滑空を組み合わせたような飛び方だったが、それでも三次元的な機動に違いはない。天狗たちは国防軍が敷いた防衛線を飛び越え、その先の人口密集地へ入り込んだ。
政権の失態とされたのは、避難指示が出された区域が十分ではなかったこと。これは避難指示を出さなければならなかったのが人口密集地であったために避難者の数が膨大になり、受け入れ施設の問題などもあって避難区域の指定が制限されたためと言われている。
ともかく天狗たちはその機動力を発揮して避難指示が出されていない場所へ侵入。猛威を振るった。中には東京二十三区にまで入り込んだ個体もいて、現場はパニックとなり、そのパニックのために死傷者が出た。
幾度かのスタンピードを乗り越え、異界の白色化を待って征伐隊が送り込まれた。関東は人口が多く、そのため赤紙で招集されたのは関東の能力者だけだったが、東北や東海、中部地方の能力者も志願し、最終的に征伐隊は167名を数えるに至った。リーダーを務めたのは関東のとある流門に籍を置く特権持ちだったという。
彼らに負わされたのは重責だった。高い機動力を持つ天狗を相手に、国防軍は完璧な封じ込めを行えていない。つまりスタンピードが起こるたびにいくらかは防衛線を突破していたのだ。そのために生じる被害は大きかったり小さかったりしたわけだが、少なくとも安心していられる要素は何もない。
征伐隊が突入したのはそういう情勢下だった。征伐が失敗すれば、またスタンピードが幾度か起こるだろう。国防軍の対応も進められているが、戦闘ヘリが撃墜されるなど、成果の方は今一つ。つまりスタンピードが起これば少なからず被害が出ることが予想される。
よって征伐隊に求められたのは確実な征伐の成功だった。征伐隊のメンバーのところには政治家から「頼むぞ」的な電話が何度もあり、その中には閣僚もいたとか。激励というよりはうんざりさせられる類の話と言っていい。
征伐に要した日数は27日。第一次隊での征伐には成功したものの、損耗率は58%を超えた。実に六割近くが再起不能になるという、壊滅的な被害を被ったのである。ともあれ世間一般には征伐の成功を喜ぶ論調が多く、人々は平穏な日常が戻ってきたことに安堵した。
その裏では、この埼玉県東部異界と先の大分県西部異界の征伐事例を比較検討することが国防省でなされた。検討会ではまず損耗率に着目。共に高い損耗率ではあるが、しかし後者の第二次征伐隊に限って言えば極端に低い。その要因として以下の点が挙げられた。
1,第一次隊が遺したものを含め、事前情報が豊富だったこと。
2,味方の戦力を分散しなかったこと。
3,敵に作戦行動を許さなかったこと。
4,突出した戦力が存在したこと。
他にも様々な点が比較検討され、そこから導かれた結論は有意義で、また決してどちらが良い悪いの話ではなかったものの、しかしやや恣意的であったことは否めない。指摘されたのは征伐隊全体としての能力不足である。
つまり、現状では征伐の達成が最優先となっており、そのためゲーム的な言い方をするなら「低レベルクリア」もしくは「縛りプレイ」的なスタイルが意図せず定着してしまっている、というわけだ。
検討会は「氣功能力者の全体的な底上げが、今後の異界征伐を容易ならしめる」と結論。「中・長期的な目標であり状況を選ぶ」としつつも、「氣の量を増やすことを征伐の際の目標の一つとするべき」と提言した。
ただ「中・長期的な目標」とあるとおり、すぐさまそれが達成されることは検討会も想定していない。よって短期的には「突出した戦力の有機的運用が戦略的に有効」とした。要するに有能・有力な能力者を選りすぐって動員せよ、というわけだ。
それを前提としつつ、検討会では現在の制度にも言及。ベテランになればなるほど、そういう能力者を征伐隊に呼ぶには本人の志願に頼るしかなく、これは「安定的な征伐の成功の観点からすれば不安定」と指摘。ただ同時に「これ以上の義務を課すことは現場の士気をそぐ」として、「より自発的な志願を促す」ための制度改革を訴えた。
検討会では国家的な視点からの議論もなされた。現状、異界征伐は基本的に各地方の能力者によって担われている。しかし当然ながら各地方は人口に差があり、短期的な異界の顕現にも偏りがある。つまり各地方の戦力には差があるということだ。
それを踏まえた上で、検討会はいわゆる「選抜チーム」の設立を提言。つまり優れた能力者をあらかじめ選抜してチームを作っておき、より早期の征伐が望まれる異界へ送り込むわけだ。規模や人員の選抜基準については「検討会の趣旨を外れる」として踏み込まなかったが、国防省がその方向性について前向きな検討を行っていることは十分以上に察せられた。
この検討会の報告書は後日公表されたが、反応は様々だった。氣の量を増やすという中・長期目標については、「言いたいことは分かるが、現場を理解していない」という声が多かった。
ネックになるのは補給ができないことと、重傷者が出た場合にそれでも征伐を長引かせるのかということ。「異界の中でより長期間活動することを想定するのであれば、医師の同行と野戦病院の設備が不可欠」という声明を出した流門もあった。
選抜チームの設立に対しては、賛否両論だった。公権力がこれまで以上に介入してくることへの反発は当然あったし、地元から優秀な能力者を引き抜かれることを心配する声もある。その一方で「戦力的なことを考えれば歓迎できる」と評価する声もあった。
同時に懸念されたのは選抜チームの運用方法。どんな基準で派遣するかしないか決めるのか、言ってみれば時の権力者によって恣意的に運用されないのか。それを懸念する声は多かった。
「颯谷なんて、選抜チームに入れたい人員の筆頭だろうな」
千賀道場でこの話をしていたとき、先輩門下生にそう言われて颯谷は「うげぇ」という顔をした。国防省が、というより国がこの「選抜チーム」の立ち上げに動くのなら、そこへの参加を強制されるようなことはあるのだろうか。心配になって颯谷は茂信に相談した。
「ないとは言い切れないが、可能性は低いと思うぞ」
茂信はそう答えた。そしてその理由をこう説明する。
「君はあまりにも突出しすぎている。つまり替えがきかない。国が選抜チームを本格的に運用していくことを考えているなら、それは今後数十年を見据えてのことだ。最初から替えの効かない人材に頼ることはしないだろう。法的な問題もあるし、選抜チームはあくまで志願者で結成されると思うぞ」
「だと良いんですけど……。でも志願者が集まりますかね?」
颯谷は首をかしげながらそう尋ねた。選抜チームで求められているのは普通の能力者ではない。優秀な能力者だ。恐らくだが五回の征伐義務を果たしたことが一つの基準になるだろう。だがそういう者たちがわざわざ選抜チームに入ることを望むだろうか。
「さあ、分からんねぇ。ニンジン次第じゃないのか」
茂信は肩をすくめてそう答えた。ニンジンとはまた明け透けな物言いだ。要するに報酬のことなのだろうが、優秀な能力者を集められるだけの報酬は一体何だろうか。少なくとも多少の金銭ではそっぽを向かれるだけだろう。
選抜チームのことはともかくとしても、優秀な能力者が求めるモノとは一体何だろう。五回の異界征伐をこなしているのなら、よほど使い込んでいない限り、お金は十分に持っているはず。命をかける対価としては、以前ほどの魅力はないに違いない。
では仙具はどうだろうか。一級の仙具は基本的にお金では買えない。それが報酬として確約されているなら、優秀な能力者たちのモチベーションになるかもしれない。ただお金で買えない報酬をどうやって用意するのかという問題は念頭に置いておくべきだろう。
もしくは特権。税制面での優遇措置などが受けられるなら、それは優秀な能力者たちにとって報酬足り得るかもしれない。ただ本人にとってはいささか微妙だろう。駿河家のように何かしらの事業をやっているなら、ニンジンとしては魅力的といえる。ただこの場合、集まるのは特権を持っていない者たち、ということになるだろう。
(なかなか難しいなぁ……)
こうしてみると、優秀な能力者ほど何かで釣ることが難しいことがよく分かる。もしかしたら選抜チーム構想は企画倒れになるんじゃないだろうか。颯谷はそんなふうに思った。そして彼がそんなことを考えていると、茂信が顎先を撫でながらこんなことを言った。
「私としては、この検討会そのものが君の件を後付けで正当化しているように思えるけどね」
「……どういう、ことですか?」
「そもそも比較対象として大分県西部異界を持ち出すことが恣意的というか作為的だ。優秀な能力者を有機的に運用することによって異界の早期征伐と損耗率の低下を図るっていうのは、颯谷に赤紙が来た件そのものと言っていい。最初から結論ありきの比較検討会だったんじゃないかな」
「ええぇ~。それってつまり前例化するってことですか?」
「どうだろう……。前例というより、方向性は間違っていないと言いたいのかもしれない。いや、否定しづらい方向性を持ち出すことで正当化しようとしている……? 分からんなぁ。ただなんにしても……」
「なんにしても?」
「政治のニオイがする」
そう言われ、颯谷はまた顔をしかめた。確かに選抜チームを立ち上げて運用していくなら、それは政治が動かないと実現できないだろう。だが自分のこともあり、颯谷としては政治が前のめりになって異界征伐の現場に首を突っ込んでくることには拒否感がある。自分とは関係のないところでやってほしいもんだと、彼は思うのだった。
桜華「次は正之の番ね!」
正之「簡単に済ませられないだろうか……」
剛「無理だな」




