クリスマスプレゼント2
十二月の半ば過ぎ。もうすっかり真冬の気候になったこのころだが、颯谷は全身から汗を流しながら忙しく動き回っていた。千賀道場にて司と剣道の立ち合い稽古の最中なのだ。
司の振るう竹刀は変幻自在に軌道を変える。それで颯谷は竹刀を視線で追うことはせず、視界を広くしてその軌道を捕捉し続けた。竹刀同士がぶつかる音が何度も響く。颯谷は良く動いているが、回避はなかなかできない。それでも防ぐことはできている。
一方で鍔迫り合いは司が嫌った。分が悪いと見たのだ。その結果、二人はほとんど立ち止まることなく動き続け、そして竹刀を振るい続けている。司が攻めて颯谷が防ぐ構図だが、その状態がもう十五分以上も続いていた。
(攻めきれない……!)
肩で息をしながら、司は内心でやや悔しげにそう呟いた。これまでの人生は剣道に捧げてきた。そう言っても過言ではないほど、彼女は今までずっと剣道に打ち込んできた。その彼女が竹刀を握って半年になるかならないかという颯谷を相手に攻めあぐねている。
(ズルい……!)
内心にそんな思いがこみ上げる。颯谷に自分を凌駕する才能があったとは思わない。いや、あったとしてもこの成長速度は異常だ。となれば、それを支えているのはやはり氣功能力だろう。
颯谷は今、氣功能力を使っていない。ただしそれは「意識的には使っていない」という意味で、「氣の残量がゼロ」とか「氣功能力をオミットしている」という意味ではない。彼の中では膨大な量の氣が、いわばアイドリング状態でスタンバイしているのだ。
重ねて言うが、颯谷はこの立ち合い稽古の最中、氣功能力を使っていない。体力や筋力は素のままだ。しかしだからと言って、保有する膨大な氣の影響を受けていないはずがない。それが彼の異常な成長速度のカラクリだろうと司は思っている。
技術というのは、身体に覚えこませるものだ。そして一度身体が覚えた技術というのは、多少頭がボケてしまっても発揮することができる。氣功能力者の場合、身体で技術を覚えるのと同時に、氣功的にもそれを吸収しているのではないか。司はそんなふうに考えていた。
もちろんこれは彼女の個人的な意見である。いや意見というよりは妄想と言った方が良いかもしれない。ただそう考えると、なんとなく腑に落ちることが多いのだ。
彼女は千賀道場の娘として、たくさんの氣功能力者を見てきたし、立ち合い稽古もしてきた。勝ったり負けたりしてきたが、総じて感じるのは氣功能力を使っていなくても、やはり彼らは一般人とは何か違うということだ。
(勘違いとか、わたしが緊張しているだけとか、思ってたけど……)
しかしこうして颯谷と立ち合い稽古をするようになって、彼女は自分の考えに確信を深めるようになった。絶対に、彼は保有する膨大な氣の影響を受けている。別の言い方をすれば、その膨大な氣が彼の技術の習得を後押ししている。そうでなければ、防御に徹しているとはいえ、颯谷がここまで粘れている理由に説明がつかないではないか。
面を狙った一撃が受け流される。退きつつ籠手を狙うが、これも防がれた。胴を狙いつつ側面へ回り込むが、動きはきっちり追われている。せわしなく動き回っているせいで、司の体力もそろそろ限界だった。
(受け潰される……!)
苦いモノがこみ上げてくる。どんな達人も体力が尽きてしまえば素人と変わらない。技量ではなく体力で負ける。そう考えると、司は無性に腹が立った。
「はあああああ!」
ゆえに、司はソレを使ってしまった。「突き」だ。「危険だから有段者以外には使っちゃダメ」と父である茂信に言われていたのだが、それもすっぽり頭から抜け落ちている。体重と勢いを乗せたその一撃は、防具越しに颯谷の喉元へ突き刺さり、そして盛大に吹っ飛ばした。
(あっ……!)
「やってしまった」と気付いた時には、颯谷は「ドスンッ」としりもちをついていた。彼は一瞬呆けた様子を見せ、それから面を外すと震える手で自分の首元を確かめる。そして恐るおそる周囲にこう問いかけた。
「つ、ついてる? ついてる、よな?」
「ついてる、ついてる」
見物していた他の門下生たちがそう答える。それを見て颯谷はようやく「ふぅぅ」と全身の力を抜いた。そんな彼に司はバツが悪そうにしながらこう声をかけた。
「ごめん、颯谷さん。大丈夫?」
「だ、大丈夫。大丈夫、大丈夫」
そう言いながら、颯谷は立ち上がる。立ち上がった時には、彼の顔色はもう元に戻っていた。そして彼は司にこう言った。
「いや~、すごいな、アレ。突きか、うん、すごい」
そう言ってしきりに感心する颯谷を見て、司はようやく安堵の息を吐いた。その後、彼女は颯谷に乞われて突きを教えた。彼がこれを実戦で使うかはまだ不明である。そして稽古を終え、それぞれ汗をぬぐった後で颯谷は司にこう言った。
「あ、そうだ。司、はいこれ、プレゼント」
「プレゼント?」
「そ。対オレ30連勝の記念」
「今日で42連勝だけどね」
「そうだっけ? まあ本当はちょっと早いクリスマスプレゼントだけどね」
「……いいの? わたしは何も……」
「いいの、いいの。これからもよろしくってことで」
颯谷がそう言うと、司は遠慮がちにプレゼントを受け取った。そして大事そうに胸に抱く。彼女は嬉しそうに「ありがとう」と礼を言い、パタパタと走って道場を後にした。
自分の部屋に戻ってくると、司は慎重にプレゼントのラッピングを剝いでいく。包まれていたのはシックな木目調の卓上鏡。やや横に長い鏡が回転するデザインで、裏面には透明なガラスのパネルが四隅でピン止めされている。どうやらこちらには写真などを挟んでおけるようだった。
「ふふ、ふふふ」
卓上鏡を机の上に置き、司は小さく笑いながらその鏡をクルクルと回した。表面がくるたびその鏡にすっかりにやけた自分の顔が映る。「キャラじゃないなぁ」と思いつつ、それでも彼女はそんな自分がイヤじゃなかった。
さて一方、司を見送ったあとの颯谷は少し不安げな表情をしていた。喜んではくれたようだが、もしかしたら気を使わせてしまったかもしれない。だとすればそれは彼の本意ではない。
何とか「本当に気にしなくていい」と伝えたかったのだが、だからといって母屋まで押しかけるのも憚られる。どうしようかと思っていると、二人の様子を見ていたある門下生が颯谷にこう言った。
「あ~、颯谷。なんだ、お嬢のことは心配ないから」
「そうそう。アレは何て言うか、照れ隠しみたいなもんだよ」
照れ隠しみたいなものというか、照れ隠しそのものなのだが。この場にいる者たちはみんなそれが分かっているのだが。分かっていないのは颯谷ただ一人である。そしてその颯谷は分かったような分からないような顔をしつつ、一つ頷いてひとまず納得しておくことにしたらしかった。
「お、集まっているな」
そんな生暖かい雰囲気の中、師範の茂信がそう言って顔を出す。彼の顔を見ると、ニヤニヤしていた門下生たちも表情を引き締めて彼に一礼する。茂信が軽く手を上げてそれに応えると、引き締まった空気がまた少し弛緩した。それから比較的ベテランの門下生が彼にこう尋ねる。
「どうかしたんですかい?」
「ああ、九州のほうがおもしろいことを始めるようでな。話しておこうと思ったんだ」
「九州? 何かあったんですか?」
そう尋ねたのは颯谷だった。彼はつい最近、九州で異界征伐に加わった。茂信がわざわざ話そうと思ったのだから、それはまず間違いなく異界征伐に関することだろう。何か良くないことでも起こったのだろうかと思ったが、茂信が口にしたのは意外な話題だった。
「どうやら本格的にハンドサインを見直すつもりらしい」
「ハンドサイン?」
「あ~、ハンドサインか」
颯谷は首をかしげたが、他の門下生たちはどこか納得した声を上げる。周りが分かっていることをどうやら自分は分かっていないらしいと察し、颯谷は茂信にこう尋ねた。
「えっと、どういうことなんですか?」
「おいおい、君がそれを尋ねるのか?」
おどけるように両手を広げながら、茂信はそう答えた。颯谷はますます困惑を深める。それを見て茂信は苦笑しながらこう説明を始めた。
「そもそもハンドサイン、いや一番槍は何のためにある?」
「異界内部のことを少しでも知るためです」
「そうだ。そしてそれは主に二回目の征伐のことが念頭に置かれている」
一番槍から得られる情報は、一回目の征伐でも有用である。ただ情報を得てから改めて準備をし直すような時間的猶予はない。よってその情報が本当にいかされるのは二回目以降になる。
さて二回目の征伐と言えば、最近颯谷も参加した。九州、大分県西部に現れた異界である。そしてなぜ彼がそこに呼ばれたのかと言えば、国会ではいろいろ説明されたらしいが、要するに「一度失敗しているから」というのが主要な理由だ。
裏を返せば、「二度は失敗できない」ということ。これは颯谷が参加しようがしまいが変わらない。実際、二回目の征伐の成功率は九割を超える。ただし損耗率も高い。端的に言ってしまえば、二回目の征伐は征伐隊の献身と自己犠牲に支えられてきたわけだ。
この負担をどうにかして軽くできないか。それはこの業界の長年のテーマの一つだった。そして今回、そこに一つの解決策が放り込まれた。すなわち「単独で異界を征伐し得る戦力の投入」である。
征伐難易度が高いのなら、それが可能な人材を投入する。特記戦力によるゴリ押し。もちろんソロである必要はなく、パーティーなどでもよい。だからより正確に言うなら「単独で異界を征伐し得る戦力単位の投入」だろうか。考え方としては単純だが間違ってはいない。大分県西部の異界で颯谷がやったのは、つまりそういうことだ。
もちろん問題もある。第一に高難易度の異界を征伐できる人材がいるのかということ。そんな人材が巷に溢れているなら、そもそも一回目の征伐が失敗したりはしない。つまりそういう人材は基本的にいないか、いたとしてもごく少数と考えるべきなのだ。
またそういう人材がいたとして、投入できるかは別問題だ。今回、颯谷は特権持ちだった。よって赤紙で動員することができた。だがもし彼が五回の征伐を達成し、そのうえで特権を返上したら。彼を強制的に動員することはできなくなる。
さらに面子の問題もある。投入される戦力単位というのは、つまり余所者だ。地元の能力者たちからすれば「お前たちでは当てにならん」と言われているに等しい。成果主義を理解はしていても、やはり面白くはないだろう。
今回の九州・中国・四国地方の能力者たちも、多かれ少なかれそういう感情を持っている。それが表面化しなかったのは、颯谷が仙具の分配調整に応じたからだ。しかも彼らの感覚からすると、大幅にまけてくれた。それこそ「借り」だと思うくらいには。加えて損耗率が低かったこともあり、何とか納得することができているのである。
ただその一方で、「次も余所者に頼ることになって良いのか」と考えるのは必然的なことだろう。答えは当然「否」だ。次こそは自分たちの力でこの問題を解決しなければならない。いや、本質的な問題はそこではない。問題を解決できると、周囲に信じてもらわなければならないのだ。
つまり「単独で異界を征伐し得る戦力単位の投入」をせずとも、二回目の征伐の負担を軽減できるようなドクトリンの構築。それが求められているのだ。これは単に個々の能力者のレベルアップという次元の話にとどまらない。それでは結局、今までと変わらないからだ。
とはいえ「じゃあどうしろっていうんだ」という話でもある。なにしろ異界は千差万別、それぞれが唯一無二。しかも突入してみるまで内部の様子は分からない。「ドクトリンの構築」と一言で言うのは簡単だが、解決するべき問題の詳細が分からないのに行動計画など立てられるはずもない。
もちろん過去の事例を研究し、幾つかにパターン分けして、それぞれについて考察していくことは可能だ。しかしながらこれは、征伐したからできる手法である。つまり突入前の時点では情報がひどく限られていること。問題の根っこはそこなのだ。
突入前の異界の情報を得る手段は限られている。一つはスタンピード。これによってどんなモンスターが現れるのかを知ることができる。そしてもう一つが一番槍、もしくはファーストペンギン。つまり実際に首を突っ込んで中の様子を確認するのだ。
この二つのうち、どちらにより改善の余地があるのかと言えば、それは間違いなく後者だろう。つまり九州・中国・四国地方の能力者たちは一番槍でより多くの情報を得られないかと考え、その具体案としてハンドサインを見直すことにしたのだ。
より多くの情報を得られれば、それをもとにより確度の高い作戦を立案できる。それにより二回目の征伐の負担を軽減する。いや、軽減できると周囲に認めさせる。それが彼らの狙いであるらしかった。
「……颯谷がやらかしたことは、彼らにとって相当衝撃的だったらしいな。今後は否が応でもコレと比べられる、と彼らはそう思ったんだろう」
大げさに言えば、「このままでは自分たちの存在意義に疑問符が付きかねない」と、彼らはそういう危機感を覚えたのだ。ニヤニヤと意味ありげに笑う茂信に、颯谷は小さく肩をすくめて見せるのだった。
颯谷「竹刀で人が殺せそうな突きだった」




