国会答弁の顛末
阿修羅武者との戦闘は、颯谷にある後遺症を残していた。そしてその被害を受けたのは、本人ではなく彼に剣道を教えている千賀司だった。
「だから、籠手で受けるなぁ!」
「籠手は防具だろ!? そのためのモノじゃんか!」
「そうだけどそうじゃなーい!」
思わず司はそう叫んだ。剣道の防具は戦の甲冑とはまったく性質が異なる。甲冑は攻撃を防ぐためのものだが、剣道の防具は攻撃を受けたときに痛くないようにするためのもの。つまり安全にスポーツを楽しむための道具でしかない。
「剣道における防御は主に三つ! 足でよけるか、竹刀で受けるか、鍔迫り合いで攻撃させないか、このどれかなの! 小手を打たせたら相手のポイントになるじゃない」
「いや、別に剣道の試合に出たいわけじゃないし」
「そうだけどさぁ。でもあんなにバシッと打たれてたら、実戦でもヤバいんじゃないの?」
「実戦でなら、ちゃんと受け流せてたぞ。さすがに突き以外はやらなかったけど」
颯谷がそうのたまうと、司は思わず眉間にシワを寄せた。どうやら彼は異界の中に剣道のルールを置き忘れて来てしまったらしい。とはいえそここそが彼の主戦場なのだ。体育館の中でやる剣道をそのまま押し付けても、それは彼のためにならない。司は少し考えてからこう言った。
「颯谷さんが籠手をそういうふうに使ったのは、相手の手数が多くて、得物では受けきれなかったから、なんでしょ?」
「まあ、そうだな。さすがに六対一は劣勢すぎた」
「なら一対一のときは、籠手を使わなくてもさばけるようにならないと。そのための稽古なんだから」
「む、たしかに」
颯谷はあっさりと説得され、それ以降は籠手での防御はしなくなった。司との稽古は相変わらず負け続きで、まだ一勝もできていない。とはいえ手ごたえは感じている。真剣ではないにしろ、こうして剣術を使う相手と立ち会う経験は、間違いなく今回の異界で生かされた。最初は興味本位で始めた剣道だったが、今では真面目に打ち込む価値があると彼も感じている。
さて、颯谷が連敗記録をさらに四つ伸ばしたところで、今日の立ち合い稽古は終わった。その後さらにいくつかの技術的な指導を受ける。今日は歩法がメインだった。「早いところ防御を万全にしなくちゃ」と司が思ったのかもしれない。途中で颯谷が「蹴りがやりにくい」と言ったら、彼女は頬を引きつらせていた。そして指導も終わって休憩していたときに、彼女はこんなことを尋ねた。
「颯谷さんが征伐してきた異界って、武士とか足軽とか出たんでしょ?」
「あくまでモンスターだけどね」
「実際、腕前はどうだった?」
「腕前か……」
颯谷はちょっと考え込んだ。司が聞きたいのは、怪異の戦闘能力ではなく、純粋な剣術の腕前のことだろう。ただ足軽人形にしろ武者人形にしろ、颯谷は試合をしに行ったわけではない。
向かい合って斬り合ったことはほとんどないし、また颯谷自身、批評できるほどの腕前はまだ持ち合わせていない。とはいえ何も感じなかったわけではないので、彼はあくまでも自分の感想と前置きしてからこう答えた。
「駆け引きとかはまったくなかったな。見つけたら襲い掛かってくる感じ。技を使うというよりは力任せに武器を振り回すって感じだった。でもちゃんと止めることはできていたから、武器に振り回されているって印象はなかった」
「そっか。武骨な感じかなぁ。ヌシもそうだったの?」
「ヌシは鈍器も持ってたから、さらに力任せだったな」
「なるほどなぁ」
「技のキレみたいなのは、司のほうが上だと思ったぞ」
「え、あ、ありがと……」
唐突な誉め言葉に、司は小さな声でそう答えた。そして髪を指先でクルクルともてあそぶ。頬がわずかに上気しているのは、さっきまで動いていたからだけではないだろう。
それから颯谷は異界でのことをもう少し詳しく司に話した。そこへ師範の千賀茂信が現れる。彼は二人に声をかけてから、まずは司にこう言った。
「司、そろそろあがりなさい。勉強もあるだろう?」
「はぁい。颯谷さん、じゃ、またね」
「颯谷君。少し話したいことがあるんだが、大丈夫かな」
「あ、はい。大丈夫です」
司と別れ、颯谷は茂信に案内されて別室に移動する。淹れてもらったお茶を一口啜ってから、彼は茂信にこう尋ねた。
「それで師範、話っていうのは?」
「うむ。もう終わってしまった話ではあるが、今回の君の経緯について少しな」
「何か分かったんですか?」
「分かったというか、君が異界に突入してから、この件が国会で追及されたんだ」
「国会?」
颯谷は思わず聞き返した。なんだか大事になっていると思ったのだ。とはいえ誰に赤紙を出すかを決めているのは国防省なのだから、その業務になにか瑕疵があると思われる場合に、それを国会で追及するのはおかしなことではない。
追及したのは野党議員で、答弁したのは国防大臣。野党議員は動員されたのが特権持ちとは言え年齢的には未成年であり、また前回の征伐からまだ一年未満であることを問題視。さらに疑惑の釈明におわれている与党議員のことも絡め、「政権と与党が自らの利益のために恣意的な制度運用を行った」と追及した。それに対する国防大臣の答弁はこうである。
『すべて法令の範囲内で行われており、法律的にもなんら問題ございません。すべては一日でも早く異界征伐を成し遂げ、被災者および避難者の方々が日常生活を取り戻せるようにするための措置であります。恣意的な制度運用というのは、まったくの言いがかりであります』
『しかしですね、突然、ただ一人に対してだけ、従来の制度運用から外れることをした、これは事実です。しかもそれは大分県西部、現在疑惑を追及されている八原議員の地元の近くです。これは果たして偶然でしょうか。
私にはそうは思えない。疑惑の解明を求める世論の声を封じるために、もしくは話題を挿げ替えるために、政権が早期の異界征伐を求めた。そうとしか考えられません。これを制度の恣意的運用と言わずして、他に何と言えば良いのですか!?』
『異界というのはご存じの通り災害です。八原議員の地元の近くというのは、決して我々が狙ってそこに異界を顕現させたわけではない。あなたがおっしゃっているのは、偶然にかこつけた誹謗中傷ですよ。
繰り返しますが、今回の件は早期の異界征伐を成し遂げ、この地域の方々が一日でも早く日常生活を取り戻せるようにするための措置です。それ以上の意図は微塵もございません。八原議員の疑惑と絡めてお考えになるのは勝手ですが、全くの事実無根と言わせていただきます』
『八原議員の疑惑、そして残念ながら第一次征伐隊が失敗したことで九州、特に大分県での政権支持率は下落傾向にありました。総裁選も近い。このことに危機感を覚えたのではありませんか? すべては党利党略のためではありませんか!』
『全くの言いがかりであります。そもそもなぜこの件が国会で追及されているのでしょうか? 先ほども申し上げたとおり、国防省はすべて法令の範囲内でその職務を遂行しております。法令に違反しているならともかく、法令を遵守して追及を受けるというのはまったく意味が分かりません。火のない場所に煙を立たせるが如きこの所業こそ、野党の党利党略ではありませんか!』
『意思決定があまりにもスムーズではありませんか! 前例主義のお役所仕事らしくもない。より高いレベルからの要請、もしくは命令があったとしか思えません。総理からこの件に関して指示があったのではありませんか!?』
『意思決定とその後の進捗がスムーズだったのは、二度目の突入に間に合わせるためです。これは人間の都合でどうこうなるものではありませんので。ご協力いただいた関係各所には、この場を借りて御礼申し上げたく存じます。
また総理からの指示があったのではないかというご質問ですが、確かにこの件で総理とお話しすることはありましたが、どうこうせよという具体的な指示はなかったものと記憶しております』
以降、このような論戦が延々と続いたという。野党としては八原議員の疑惑を絡め、さらにそこに総理の指示があったとして、「政権与党が制度を私物化した」と印象付けたかったのだろう。だが国防大臣はそれを一貫して否定。「すべては法令の範囲内」であり、「被災者・避難者のためである」との答弁を繰り返した。
「そうこうしているうちに、征伐が完了してしまったからなぁ。しかも速報値とはいえ、損耗率は驚くほど低い。政権の、国防省の判断は正しかったという論調が強くなった。こうなると、野党もうかつには批判できない」
最良と言ってよい結果を出したのに、そこにアレコレと難癖をつければ、「批判しかしない」とか「言いがかりだ」という印象を持たれてしまう。それを嫌ったのだろう、野党はこの件に触れなくなってしまった。
(野党としては……)
野党としては、桐島颯谷に死んでほしかったのではないか。茂信はそんなふうに思う。少なくとも彼が損耗してしまえば、野党は「未成年が政権与党の党利党略の犠牲になった」と声高に叫び立てただろう。そしてそのセンセーショナルな犠牲は世論を沸騰させ、政権の支持率をさらに下落させていたはずだ。
だが桐島颯谷は生き残った。「アテが外れた」と思っている野党議員は多いのではないか。むしろ彼の損耗を前提に論陣を張っていた野党議員もいるように思える。いずれにせよこの件はもう彼らにとって耳目を引き付けるものではなくなってしまった。
今では八原議員の疑惑の追及が国会論戦のメインテーマに戻ったが、それも切れ味が悪い印象だ。とはいえ、そんなことを本人に告げる必要はないだろう。それで茂信は颯谷にこう告げて、いよいよ本題に入った。
「十三さんとも少し話したんだが、この国会論戦の最大の問題は、今回の件は例外的な措置であるという国防大臣の発言を得られなかったことだと思う」
「えっと、つまり……?」
「前例化される可能性がある、ということだ」
「うげぇ……」
颯谷は本気でイヤそうな顔をした。彼のその反応に茂信は心の底から同意する。何事も二回目はハードルが下がるものだ。だがやらされる方はたまったものではない。
「もちろん、言質を取ったからと言って前例化しないというわけではない。ただやはり国防大臣の国会答弁があるのとないのとでは大きく違う。野党は八原議員の疑惑と何とか絡めようとして、そのことしか頭になかったな」
「役立たずですね」
颯谷の辛辣な評価を、しかし茂信は苦笑するだけでたしなめたりはしなかった。今回の一件、東北の能力者たちは「二回目でしかも市街地」という事情に理解を示しつつも、しかし快くは思っていない。そして十三はその元締め、もしくは代表と言っていい。その彼の反応を茂信はこう話した。
「十三さんも呆れた様子だったな。『頼りない』と」
いや、あれは呆れていたのではなく落胆していたのかもしれない。野党議員が東北の能力者の利益を代弁してくれるなら、票田ごと支持に回るのもやぶさかではなかった。しかし野党議員たちは何とかして八原議員の疑惑とこじつけようとするばかり。あれでは頼りないと思うのも仕方がない。
国防相の対応と八原議員の件に関して言えば、全くの無関係であるとは茂信も十三も思っていない。だからそこを突きたくなるのは分かる。しかし東北の、ひいては全国の能力者たちが気にしているのは、「自分たちが国の都合のために使い潰されるのではないか」というその点なのだ。
(今回は颯谷一人だった。だが前例ができてしまえば、武門や流門を丸ごと、というのもあり得ない話ではない)
そういう懸念を、十三も茂信も持っている。だからこそ野党がそこへ切り込んでくれれば、「頼りになる」と思えただろう。与党への不信感の表明も兼ねて、次の選挙では投票先を替えても良かったのだ。
だが野党があの体たらくでは、迂闊に票田を託すこともできない。茂信も深くため息を吐いたものである。あまつさえ、東北の能力者たちの不快感を敏感に感じ取ったのは与党議員たちのほうだった。
「例外的措置というのは、知り合いの議員が伝えてきた。国防大臣から言質を取った、と言っていたよ」
「え、ってことは……」
「だが国会答弁ではない。こう言ってはなんだが、重みが違う。いざとなれば簡単にひっくり返すだろうな」
茂信がそう言うと、颯谷は渋い顔をした。茂信としても何とも言えない顔をするしかない。茂信としても「こんなことはもうない」と言ってやりたいのだが、現状では彼自身それを信じられない。
「今はこんなところだ。あまり良い話ができなくて悪かったな」
「師範が悪いわけじゃ……。教えてくれてありがとうございます」
そう言って颯谷は頭を下げた。正直に言って、こういう政治絡みの話は面倒くさいと思う。とはいえこれは自分事。何もしないのをいいことに、便利に使われてはかなわない。何かしらの自衛手段は持ちたいと思う。
とはいえそのために何をすれば良いのかはさっぱり分からないのだが。早々に棚上げして、颯谷はまた鍛錬に戻るのだった。
国防大臣「記憶にございません!」




