不機嫌なあの子と女の敵
「むっす~」
駿河木蓮は不機嫌だった。しかもそれをわざわざ声に出してアピールしている。颯谷は何とか彼女の機嫌を取ろうとしているのだが、他でもない木蓮自身がそれを許さない。彼はいま放課後の教室で勉強中なのだが、木蓮はいつもの六割増しでスパルタなのだ。颯谷はついていくだけで精一杯だった。
「むっす~」
それなのに木蓮は「不機嫌ですアピール」でさらにプレッシャーをかけてくる。颯谷は胃が痛かった。だが「胃が痛くても勉強はできます」と言われ、必死にシャーペンを動かす。だんだん頭まで痛くなってきて、颯谷はもう泣きたくなった。これなら三面六臂の主と戦っていた時の方がずっと楽である。
「むっす~」
颯谷がもうダメだと思うその度に、しかし木蓮が新たな課題を突き付ける。ジト目で「不機嫌ですアピール」をしながら。颯谷は化学式にボディーブローされる幻覚に苦しめられながら、一体何が木蓮の機嫌をこんなにも損ねてしまったのかを考える。いや実のところ考えるまでもなく、原因はハッキリとしているのだ。
木蓮が不機嫌な理由、それは颯谷が異界征伐後彼女に連絡を取らなかったからだ。大分県西部に現れた異界が征伐されたことを、彼女はニュースで知ったのだが、しかし待てど暮らせど颯谷からの連絡がない。もしかして彼に何かあったのではないか。そう心配しているところに実家から連絡が来て、彼女はようやく颯谷の無事を知ったのである。
最初は木蓮も颯谷の無事を喜んだ。大きな怪我はないと聞き、ホッと胸を撫で下ろした。しかし時間が経つと、徐々にムカムカしてきた。剛のところには電話を入れ、しかも事業に関わる話までしたというではないか。それなのになぜ、自分のところにはいつまで経っても連絡がないのか。
颯谷の手元にスマホがあることはすでに判明している。つまり電話にしろメッセージにしろ、その気があるならすぐに連絡できるはずなのだ。それなのになしのつぶてとはどういうことなのか。自分から連絡しようかとも思ったのだが、木蓮もなんだか意地になってしまって結局何もしなかった。
颯谷は颯谷で、木蓮への連絡はすっかり忘れていた。国防軍基地で仙具の分配を終えた後は、事業関連で「そう言えば防具の使用感についてレポートを頼まれていた」と思い出し、夕食後にそれを書いていた。
ボロボロになった防具とレポートは飛行機に乗る前に駿河家に送り、九州から東北に帰ってきたあとは、久しぶりにマシロたちと遊び、気が付いたら夜だった。「明日からまた学校だなぁ」と思いながら眠りにつき、翌日登校したら待っていたのは超絶塩対応の木蓮。そこでようやく颯谷は彼女に何の連絡もしていなかったことを思い出したのだった。
「むっすぅぅぅぅ~」
かくしてこの「不機嫌ですアピール」と相成ったわけである。それでもこうして放課後の勉強に付き合ってくれるのだから、義理堅いというか人が良いというか。不機嫌オーラを何とかしてくれとは思うが。
とはいえ彼女に見放されたら颯谷の成績は目も当てられないことになるだろう。それで彼も小さくなって心の中でさめざめと泣きつつ(そろそろ本当に泣きそうだが)、今度は世界史のノートを書き写していく。
木蓮は顔をそらして頬を膨らませ「不機嫌ですアピール」を続けていたのだが、それでも横目でチラチラと颯谷の様子をうかがっている。彼が情けない顔をしているのを見ると、だんだんと木蓮の頬がプルプルとしてきた。そしてついに彼女は吹き出してしまったのだった。
「くぅふふふふ……。ヒドい顔、してますね」
ようやくお許しが出たと思い、颯谷は思わず机に突っ伏した。そんな彼の頭を、木蓮は苦笑しながら優しく撫でる。そしてこう言った。
「本当に、心配したんですよ? それなのに、叔父様からは連絡があったのに、颯谷さんからは何にもないなんて」
「すいませんでした……」
「はい。次から気を付けてくださいね。それと、わたしもごめんなさい。感じ、悪かったですよね……?」
「……じゃあ、コレ、受け取ってくれる?」
そう言って颯谷はリュックサックから紙袋を取り出した。そしてそれを木蓮に手渡す。紙袋の中を覗き込むと、彼女は「まあ」と歓声を上げた。彼女が取り出したのは一本の簪。木製で漆塗りの光沢が美しい。表面には白い花が描かれていた。
「きれい……。コレ、どうしたんですか?」
「今回の異界で。オレが見つけたわけじゃないけど、征伐後の調整で譲ってもらった」
「え、じゃあ、コレも仙具……?」
「そうなるかな。何て言うか、その、木蓮に似合うかなって思って……」
「うふふ、うふふふ。もう、分かってるんですか?」
簪を胸に抱き、幸せそうに笑いながら、木蓮がそう問いかける。颯谷は困惑気味に首を傾げた。
「え、なに?」
「もう、教えてあげません。……素敵な簪、ありがとうございます」
「う、うん。気に入ってくれたのならいいけど……」
「はい。とっても気に入りました」
ニコニコと笑いながら、木蓮は簪を紙袋に戻す。そして紙袋ごと自分の鞄に入れた。それから彼女は下校するまで終始上機嫌だった。
完全下校時間になり、颯谷と木蓮も連れ立って駅へと向かう。木枯らしが吹いて颯谷は反射的に首をすくめた。秋は過ぎ去ろうとしており、紅葉も大半が落ちた。冬が近い。この辺りは雪こそまだ降っていないが、それを感じる。そろそろタイヤ交換をしなければなるまい。
「寒くなって来たなぁ」
「はい……。九州は暖かったですか?」
「コッチに比べれば、だいぶね」
「いいなぁ」
木蓮がそう呟く。その声音が本当に羨ましそうで、颯谷は小さく笑った。二人ともすでに冬服だが、木蓮のほうが重装備である。静岡で生まれ育った彼女にとって、東北の冬の寒さは骨身にこたえるらしい。しかも今はまだ序の口で、これからさらに寒くなる。木蓮は考えるだけで憂鬱だった。
寒さに関連して、木蓮には信じられないことがある。同年代の女の子の装いのことだ。この寒空の下、しかし彼女たちは夏と変わらずに生足をさらしている。しかも驚くべきことにそれが多数派だ。本当に信じられない。
「お腹痛くならないんでしょうか……?」
「いや、オレに意見を求められても……」
「わたしはタイツを二枚履くかで悩んでいるのに……」
「あ、あのコンビニで肉まんでも食べない? 奢るからさ。きっと温まるよ」
話題を逸らすのも兼ねて、颯谷は木蓮をコンビニに誘った。レジ脇の中華まんを二つ買い、店の外でそれを食べる。ハフハフ言うその温かさが今はうれしい。颯谷は大きな口で頬張った。一方の木蓮はやや不本意そうな顔をしながら食べている。
「あれ、お腹空いてなかった?」
「いえ、そうではないんですけど……」
「……?」
「寒くなってきたせいか、食べる量が増えてきていまして……。それなのにまたこんなのを食べたら、ああ太っちゃいます……」
そう言いつつ、木蓮はチーズの入った中華まんをまた一口食べる。そしてちょっと悔しそうに「おいしい」と呟いた。そんな彼女の様子を見ながら、颯谷はまた中華まんを一口食べる。
「食べてもいいんじゃない? 夏より熱量がいるんだし」
「食べた分が全部熱になるなら、わたしだって悩みませんよ。でも何割かは皮下脂肪になって春以降に持ち越されるんです。油断してたら、あっという間にお洋服が入らなくなるんですからね」
唇を尖らせながら、木蓮はそう訴える。そして「うう」と小さく唸ってから、もう一口中華まんを食べた。彼女には分かる。これは太る。けれども今更捨てるなんてとんでもない。彼女はしっかりと食べきった。
「はあ、夕食で帳尻を合わせないと……」
「なんかごめん。誘わない方が良かった?」
「ああ、いえ、美味しかったです。背徳の味ですね……」
「そんな大げさな。真夜中のカップラーメンよりは健康的だと思うけど」
「さすがにそんな重罪を犯したことはありませんよ」
そう言って木蓮はクスクスと笑った。ゴミをゴミ箱に捨ててから、二人はまた駅に向かって歩く。歩きながら木蓮は「そう言えば」と呟く。そしてこう続けた。
「能力者の方はみんなスマートですよね。ちょっとうらやましいです」
「いやいや、木蓮だって十分細いって。でもまあ太ってる能力者ってあんまりいないかなぁ」
颯谷は今までに出会った能力者たちのことを思い出しながらそう言った。皆、基本的に痩躯だったと思う。大柄な人はいても、太鼓っ腹の人はいなかった。
その理由はやはり普段から鍛錬を重ね、身体を鍛えているからだろう。毎日身体を動かしてカロリーを消費しているのだから、太るはずがない。ただそれだけではないと颯谷は思う。能力者が太らない理由、それは氣功能力にあるのではないだろうか。
氣がどこから来るのかと言えば、大元はやはり摂取した食べ物のはず。つまりカロリーだ。特に異界の外では、氣を回復させるにはカロリーを消費するしかない。つまり氣功能力を使う度にカロリーを消費しているようなものだ。
異界の外で鍛えるのは主に制御能力とはいえ、氣功能力の鍛錬を怠る能力者はいない。つまり身体と氣功能力を同時に鍛えれば、二重にカロリーを消費することになる。能力者に痩せ型が多いのは、たぶんこれが理由だろう。
「はぁぁ、氣功能力ってダイエット向きなんですねぇ……」
しみじみと木蓮はそう言った。彼女のズレた感想がなんだかおかしくて颯谷はクスクスと笑う。そしてこう答えた。
「ダイエットのためにやってるわけじゃないよ? いやでも直接発熱させれば、ダイエットみたいなもんか……」
「え、それってどういうことですか?」
「つまり温身法ね。氣を使って身体を温めるヤツ。これなら直接脂肪を燃やしてると言っても過言じゃない、かな」
正確には氣を介しているので直接ではなく間接なわけだが、まあそのへんはイメージである。しかしなぜか木蓮はショックを受けた様子で、目を見開きながらこう尋ねた。
「……もしかして颯谷さん、今もそれを使ってるんですか……?」
「実は」
「女の敵って呼んでいいですか?」
「なんで!?」
にっこりと圧をかけてくる木蓮に、颯谷は思わず後ずさる。しかし木蓮としてはこれくらい言いたい。女の子が、特に自分がどれだけ冷えと体重に気を使っていると思っているのか。それなのに颯谷は自分だけその両方に効く特効薬を使っていたなんて。とんでもない裏切りである。
「それって食べても太らないってことじゃないですか。むしろ食べなきゃいけないってことじゃないですか。つまり好きなものを好きなだけ食べられるってことじゃないですかぁ!」
「いやさすがに好きなものを好きなだけってわけには……」
「颯谷さんなんて食費で破産してしまえばいいんです」
「食費で破産はちょっとハードルが高いかなぁ」
颯谷はそう言って苦笑した。そしてプンスコしている木蓮にこう告げる。
「まあまあ、機嫌直せって。また何か奢るから」
「むぅぅぅぅぅ……、……お、お願いします」
最後何かに屈した自分を、木蓮は深く深く恥じるのだった。
木蓮「だってお腹すくんですよっ」




