阿修羅武者
「阿修羅人形……、いや、阿修羅武者かな」
三面六臂の鎧武者の怪異を、颯谷はそう呼ぶことにした。人形と呼ぶには、雰囲気があまりにも荒々しかったのだ。
かなり大柄で、身長はおそらく二メートル近い。三面の顔はそれぞれ恐ろしげな仮面をつけていて、三組六つの双眸には赤々と敵意が宿っている。被っている兜は三つそれぞれが独立しているのか、それとも繋がって一つになっているのか、ちょっと気になった。
六つの腕はそれぞれ武器を持っていて、種類は太刀、剣、槍、薙刀、金棒、戦鎚。腰のところには脇差が二本、左右に差さっている。さっきの一撃はどれだったのだろうか。たぶん金棒だ、と颯谷は思った。
組み紐で首から下げたコアの欠片は、この目の前の阿修羅武者に反応している。この距離ならもう間違えることはない。いや、もうそれ以外は考えられない。コイツがこの異界の主だ。
「ふぅぅぅ……」
集中力を高めて、颯谷は阿修羅武者と相対する。彼の雰囲気が変わったことに気付いたのか、阿修羅武者も六つの武器を構えた。数メートルの間合いを挟んで二人は睨み合う。先に動いたのは阿修羅武者だった。
「「「ガァ!」」」
三つの首が一斉に吼える。そして阿修羅武者は駆けだした。それを見て颯谷も動く。素早く仙樹の杖を振るって伸閃を左右から一発ずつ。だが阿修羅武者はそれを金棒と薙刀で受けると、速度を落とさずに間合いを詰める。そして太刀と剣を振り上げると軌跡をクロスさせるように振り下ろした。
その攻撃を、颯谷は後ろへ下がって回避する。彼は阿修羅武者の腕が伸びきった瞬間を狙って反撃しようとするが、その隙をカバーするかのように槍が繰り出された。たまらず颯谷はその槍を仙樹の杖で受け流す。だが阿修羅武者はその槍を途中から横薙ぎに振るった。
「ぐっ……!」
横からの圧力に颯谷は思わず顔を歪めた。槍の穂先がすぐ近くにあって、力負けしたらそのまま首をはねられそうだ。彼は左腕の籠手で仙樹の杖の内側を支えて拮抗する。だが次の瞬間、彼は青ざめた。阿修羅武者が戦鎚を高々と振りかぶっていたのである。
「っ!」
このまま足を止めていたら戦鎚でぶん殴られる。そう思い、颯谷は反射的に横へ、槍とは反対側へ飛んだ。もともと横から押されていたこともあり、彼は大きく弾き飛ばされる格好になった。だがそれでも、何とか戦鎚の一撃は避けられた。
弾き飛ばされた颯谷は、多少体勢を崩しつつも両足で着地する。図らずも距離を取ることができた彼は、そのまま阿修羅武者の側面へ回り込むべく駆けだした。だが三面六臂の阿修羅武者は人間よりはるかに視界が広い。彼を睨む双眸からは逃げられず、結局無駄だと諦めて足を止めた。
(やりにくい……)
たった一度の攻防で颯谷はそう感じた。阿修羅武者は手数と目の数が多い。目の数は三倍、得物の数にいたっては六倍である。しかも甲冑で身をかためていて、防御力も高い。凝視法で確認してみたが、纏うように垂れ流している氣の量も、足軽人形や武者人形を軽く凌駕していた。
(さて、どうするか……)
油断なく仙樹の杖を構えながら、彼は攻略の糸口を探る。伸閃・朧斬りなら、たぶん武器も甲冑も無視してダメージを与えられるだろう。だがそのためには溜めが必要。その余裕を阿修羅武者は与えてくれないだろう。
「「「ガァァァァ!」」」
颯谷の考えがまとまる前に阿修羅武者が再び仕掛けた。六本の腕と六つの武器をまるで威嚇するように広げて突っ込んでくる。颯谷はもう一度距離を取ろうかと思ったが、「いや」と思い直し、腰を落として迎え撃った。
(伸閃は防がれる。甲冑を突破できるかも分からない。いや、たぶんできない。ってことはどのみち、斬り合うような距離でやり合うことになる。だったら……)
だったら、体力的に余裕のあるうちに覚悟を決めた方が良い。そう思ったのだ。そして嵐のような猛攻が始まる。六つの武器を駆使して繰り出される連続攻撃は、およそ一体のモンスターの仕業とは思えない。颯谷は全力で内氣功を使い、身体能力を限界まで強化。どうにかその猛攻をさばいていく。
「ぐぅぅ……!」
だが文字通り手が足りない。仙樹の杖は右腕一本で操り、左手の籠手で敵の攻撃をいなす。それでも半分以上は手が回らなくて、防戦は回避を主体にせざるを得ない。足まで使わなければならない場面もあって、颯谷は脳が沸騰するんじゃないかと思った。
並の能力者なら、十秒ももたずにバラバラにされていただろう。曲がりなりにも颯谷が戦えているのは、彼が持つ膨大な氣のおかげだ。大量の氣を内氣功につぎ込んだおかげで、フィジカルだけは阿修羅武者に比肩できている。
また阿修羅武者は六本の腕に六つの武器を持っているが、逆を言えば両手持ちしている武器はない。加えて狭い範囲に六つも武器があるせいで、すべてを自在に振り回そうと思えばそれぞれが邪魔になる。それで武器の使い方は単調になりがちだった。
とはいえやはり手数の差は大きい。颯谷は徐々に押され始めた。彼の足癖の悪さを真似たのか、阿修羅武者が蹴りも使い始めたのだ。顔面を狙ったその攻撃を、颯谷は上体をのけぞらせて避ける。だがそこへ阿修羅武者は身体の回転を利用して薙刀を横薙ぎに振るった。
「……っ!」
顔を引きつらせながら、颯谷は必死になって身体をひねる。薙刀の刃を避けるため、ではない。足の脛当ての部分で薙刀の柄の部分を蹴りつけて弾く。これで薙刀は防げたが、しかし彼の体勢はさらに崩れた。そこを太刀の切っ先が容赦なく襲った。
「くぅぅ……!」
うめき声を上げながら、颯谷は仙樹の杖で太刀の刃をそらした。だが対処できたのはそこまで。続けて繰り出された槍を防ぐ術はなかった。ただ幸運だったのは、身体をひねった勢いがまだ残っていたこと。そのおかげで槍の穂先は彼の身体をわずかにそれ、背負っていたリュックサックを貫いた。
「うおっ!?」
リュックサックに引っ張られて、颯谷の身体が宙に浮く。阿修羅武者はそのまま槍を大きく振って彼を放り投げた。もともと無理のある姿勢だったところを放り投げられたせいで、彼は受け身もままならずに地面に叩きつけられ、そのままごろごろと転がった。
「……っ」
それでも彼は可能な限り速やかに立ち上がった。阿修羅武者の追撃を警戒してのことだ。だが阿修羅武者は動かなかった。むしろ彼が立ち上がったのを見て不思議そうにしている、ように見える。彼が背負っていたリュックサックも、阿修羅武者にとっては身体の一部に思えたのかもしれない。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
敵が動かないのを見て、颯谷はまず派手に穴が開いたリュックサックを脱ぎ捨てた。残しておいた仙果が穴からバラバラとこぼれて地面に広がる。氣の回復を図りたかったが、さすがにそんな隙を阿修羅武者は見逃してはくれないだろう。
彼はそれからあがった呼吸を整える。今更のように全身の筋肉が酸素を求め、同時に汗が噴き出した。視線だけ動かして自分の身体を確認すると、やはり無数の傷が全身についている。ただ深い傷はない。
その代わりというか、防具には他よりも多くの傷がついている。駿河家で受け取った、籠手と脛当てと胸当てだ。中でも積極的に防御に使っていた左の籠手はボロボロである。とはいえそのおかげで大きな傷だけは避けられている。
(防具は大事だな)
颯谷はそのことを再認識した。思えば前回の異界は、よくもまあ防具らしい防具も付けずに守護者戦に臨んだものである。もっとも土偶と阿修羅武者では個体としての強さが段違いだが。
(もし……)
もしこの阿修羅武者が巨石の祭場に突入していたら。真空刃を含めて土偶の攻撃は足止めにすらならなかっただろう。阿修羅武者は猛然と、一直線にコアへと向かったはずである。そして同じことが、颯谷にはできなかった。
もっとも颯谷が思うに、土偶と阿修羅武者の相性は最悪だ。だから阿修羅武者が土偶を完封できるからといって、颯谷が阿修羅武者に勝てないわけではない。颯谷は改めて勝ち筋を考えた。
三面六臂の阿修羅武者は、視界と間合いが広く、そして手数も多い。フィジカルも屈強で、まさに人間の上位互換だ。もっとも颯谷の場合、氣功能力(内氣功)をフルに使えばフィジカルについては比肩できる。よって阿修羅武者の強みはすべて上半身に由来していると言ってよい。
逆を言えば、阿修羅武者の下半身は普通の人間と大きく変わらない。腕が六本あるからと言って、昆虫のように足も六本あるわけではないのだ。であればウィークポイントはそこではないだろうか。颯谷はそのように考えた。
彼の考えがまとまるのを待っていたわけではないだろう。あるいは動こうとしない彼にしびれを切らせたのかもしれない。睨み合いから先に動いたのは、またしても阿修羅武者の方だった。荒々しく突っ込んでくる阿修羅武者に対し、颯谷は距離を取りつつ伸閃を放った。狙うのは足。その一撃は剣で防がれたが、阿修羅武者は少しやりにくそうにした。
颯谷は立て続けに伸閃を放つ。狙いはすべて下半身だ。阿修羅武者はそれをすべて防いだが、やはり少しやりにくそうで、突っ込んでくる速度はだいぶ落ちた。それを見て颯谷は姿勢を低くして前に出た。
「……シッ」
鋭く呼気を吐きながら、颯谷はまるで地面を剃るかのように伸閃を放つ。低いその一撃を、阿修羅武者は大きく跳躍して避けた。同時に六つの武器を彼に叩きつけるべく振り上げる。その瞬間、颯谷は左手を突き出して衝撃波を放った。
「「「ガァ!?」」」
阿修羅武者にとって衝撃波の攻撃力は大したことない。だが不意のその攻撃は阿修羅武者の三面も捉えていた。そのせいなのだろう。阿修羅武者は反射的に顔面を腕で覆って衝撃波を防いだ。
阿修羅武者の広い視野が、一拍の間遮られる。その間に颯谷は「く」の字に動いて阿修羅武者の脇をすり抜け、その背後を取った。そして仙樹の杖を振り上げ、同時に高周波ブレードを展開した。
阿修羅武者が大きく膝を曲げて着地すると、その頭の位置は颯谷の身長よりも低くなる。狙いやすくなったそこへ、彼は仙樹の杖を振り下ろす。だが三面の広い視野がかろうじてそれを捉え、阿修羅武者は身体を無理やりずらす。高周波ブレードの一撃は頭部を逸れ、しかし右側の腕を三本まとめて斬り落とした。
「「「ガァァァ!?」」」
阿修羅武者が絶叫を上げる。颯谷はそのまま切り返そうとしたが、しかしそれより早く阿修羅武者が身体をひねった。そして裏拳気味に武器を振り回して周囲を薙ぎ払う。やむなく颯谷は一度距離を取った。
阿修羅武者が立ち上がる。残った腕は左側の三本のみ。持っている得物は太刀、槍、金棒の三種。ただ手数を減らしたこと以上に、右側をがら空きにしたことの方が大きい。これで鉄壁だった防御に空白ができた。
(よし……!)
心の中で意気込み、今度は颯谷の方から動く。彼は当然ながら阿修羅武者の右側へ回り込んだ。そして距離を取りながら伸閃を放つ。阿修羅武者は対応したが、明らかにやりづらそうにしている。ただ颯谷も表情は険しい。
彼が放つ伸閃の何発かは防がれずに胴に当たっている。ただ胴はもともと鎧に守られているので、その防御を突破できない。阿修羅武者もそれを織り込んで防ぐ攻撃を取捨選択している節があった。
颯谷が一度攻撃の手を止める。どう攻めるかを改めて考えるためだが、しかしその猶予を与えずに阿修羅武者が動いた。すると彼も応じざるを得ない。彼は阿修羅武者の右側に回り込むように動く。だが次の瞬間、横からの激しい衝撃が彼を襲った。
「がっ!?」
颯谷は吹っ飛ばされた。かろうじて防御は間に合ったが不十分だったし、何より全然踏ん張れていない。地面の上を何度もバウンドし、それでも彼は両足を地面に付けた。そして四つん這いになって身体を保持する。仙樹の杖は転がっている間に手放してしまった。だが彼はそちらの方へ見向きもしない。
阿修羅武者の方を見ると、なぜかよろけている。それを見て彼はピンッと来た。たぶん阿修羅武者は身体をコマのように回転させ、得物のどれかで横から颯谷を殴ったのだろう。つまり颯谷の動きを予測していたのだ。ただ同時に彼はこれをチャンスだと思った。
「ああああああ!!」
絶叫じみた雄たけびを上げながら、颯谷はベルトに挿しておいた仙樹の棒を引き抜いた。そして低い姿勢のまま阿修羅武者へ突撃する。斬り上げるように伸閃を放つ。その一撃は阿修羅武者の太刀で防がれたが、これは最初からそのつもり。
振り下ろされる槍の一撃をかいくぐり、彼は阿修羅武者の懐に潜り込む。そして二本ある脇差の一本を拝借した。白々と輝くその刃を、彼は阿修羅武者の太ももに突き刺す。彼は仙樹の棒を投げ捨て、そのまま片足を両手で抱えるように持ち上げ阿修羅武者を転倒させた。
「「「ガァ!?」」」
「ハァ、ハァ、ハァ!!」
ガシャンと大きな音が響き、阿修羅武者が困惑の声を上げる。颯谷は呼吸を乱しながら手を伸ばし、二本目の脇差も拝借した。そして起き上がろうとする阿修羅武者の左腕の付け根に一本目の脇差を突き刺してその動きを阻害。同時に阿修羅武者を押さえつけてのしかかる。
「あああああ!!」
逆手で振り上げたのは二本目の脇差。射貫くような阿修羅武者の視線をその白刃に映しながら、脇差の刃はその喉元を貫くのだった。
― 第三章 完 ―
阿修羅武者「喉も三つあれば耐えられたはず……」




