舞台裏の古狸
東京都赤坂のある料亭。そこに三人の男が集まっている。内田文彦、荒木哲晴、黒川俊二。順にそれぞれ内閣総理大臣、国防大臣、官房長官の要職につく、大物政治家たちだ。最初に日本酒を酌み交わしてから、最初に口を開いたのは内田だった。
「支持率は、下がるだろうな」
「申し訳ありません」
「征伐失敗は荒木君の責任ではないよ。支持率のこともね」
「大分県というのが良くありませんでしたな。いかにしても八原議員のことが重なる」
黒川がそう言うと、内田と荒木も揃って頷いた。八原は大分県から選出されている与党所属の国会議員なのだが、大分県西部に異界が顕現するより前に疑惑が発覚し、現在そのことを国会で追及されている。
与党も内田も彼を庇っているのだが、肝心の本人が野党の激しい追及に対して歯切れの悪い答弁しかできていない。ボロを出されるよりはマシだが、テレビ映りはどうしても悪くなる。そのせいで最新の世論調査では、政権支持率は下がり、不支持率が上がっていた。
そこへまるで狙ったかのように大分県内の、それも市街地での異界顕現である。小規模だったのは、はたして不幸中の幸いと言えるのか。巻き込まれた人の数は少なかったが、逆に避難しなければならない人の数は膨大になった。そして死人は不満を述べないが、生きている人間はあれこれと文句を言う。
もちろん民衆も異界が自然災害だと分かっている。だから征伐のプロセスが順調に進んでいる限りは、多少不自由であってもそれが支持率の低下につながることはない。だが今回、第一次征伐隊は全滅した。つまり征伐プロセスが順調に進まなくなったわけだ。
征伐隊が異界に突入した時、避難中の人々はこう思っただろう。「もう少しすれば家に帰れる」と。だがその期待は裏切られてしまった。彼らも頭では分かっている。異界は自然災害。計画通りにいかないこともある、と。だが一度期待してしまったのだ、その落差は大きい。その落胆は心の中で澱のように積もる。それが不満へとつながるのだ。
その不満の矛先が向くのはどこか。征伐隊に人員を送り出した地元の武門や流門、ではない。征伐に直接的に関わっているのは間違いなくそこだ。しかし彼らの身内も死んでいるし、死んだのは避難者の顔見知りや関係者かもしれない。
まして、この先も地元に根付いたそれらの武門や流門が、この地域の異界征伐の先頭に立つことは間違いないのだ。そんな彼らに対して、「お前のところの能力者がふがいなかったから失敗したんだ!」とは言えない。言えないのだ。
しかしその一方で不満を抑え込んでおくこともできない。ではその不満はどこへ向かうのか。国防軍、ひいては国や政権に向かうのだ。そしてそれが支持率の低下と言う形で表れるわけである。
もっともこれだけなら、実のところ大したことはない。どれだけ民衆の不満が大きかろうが、結局のところできるのは第二次征伐隊を組織して送り込むことだけ。そしてそれは民衆自身も理解している。だから支持率が下がったとしても、それは一時のことでしかない。
だが今回、そこに与党議員の疑惑が重なった。つまり「征伐が失敗し、避難生活が長引くことへの不満」と、「八原議員とそれを庇う政権与党への不満」が重なり絡まって一体化してしまっているのだ。そしてそれは避難の当事者だけでなく、より広く、それこそ全国的に「八原を庇うような政権だから征伐に失敗したんだ」という世論を巻き起こす。
本来ならこの二つは分けて考えるべきことのはず。しかし人間の心と言うのは人間自身が思うよりずっと非合理的なシロモノ。これくらいのことは平気でやる。少なくとも内田はそう思っている。
それを理不尽と思わないでもない。だがそれを前提としなければ為政者など勤まらない。そしていま彼がやるべきことは、非合理と理不尽を嘆くことではなく、より具体的な善後策を考える事である。
「……荒木君。次の征伐隊で、やれるかね?」
「……統計上、第二次征伐隊の成功率は九割を超えています。ただ中の様子が分からない以上、確実に、とは……」
「ふむ。まあ、そうだな」
内田はそう呟き、おちょこに注いだ日本酒をグイッと飲み干した。その日本酒が腹に落ちるのを待ってから、彼は荒木にこう言った。
「……桐島颯谷に赤紙を出したまえ」
「総理っ、いや、しかしそれは……」
「新潟県の北部に現れた異界の征伐報告書については、私も目を通した。こと戦闘にかんしては、彼が一人で征伐を成し遂げたと言っていい。彼を送り込めば、征伐の成功率も上がるだろう」
「ですが桐島はつい最近征伐を終えたばかりです。この際、東北在住という点は無視するとしても、ついこの間戻ってきたばかりの彼に赤紙を出すというのは……!」
「荒木さん、国防軍の征伐隊に関する制度運用については、私も承知しています。だいたい一年は間をあけるようにしている、というのはね」
「黒川さん……!」
「でもね、荒木さん。それはあくまで制度運用上の都合であって、法律でそのことが求められているわけじゃない。つまり法律上なんら問題ないということです」
「そうは言いますが黒川さん。一人だけ運用を変えようというんです、それなりの理由がいりますよ」
いくばくかの不快感を滲ませながら、荒木がそう言う。それに対して黒川は何でもないことのようにこう答えた。
「『円滑な異界征伐と避難生活の長期化を避けるため』とでも言っておけばいいでしょう。政府は被災者に寄り添っている、被災者のために全力を尽くしているとアピールできるじゃありませんか」
「そんな理論が通じるとでも思っているんですか!? 赤紙をもらう側からすれば、国家のために滅私奉公しろと言われているようなものですよ」
「滅私奉公などと、とんでもない。報奨金は出るじゃありませんか」
「それに法律上問題なくても、感情的なしこりは残ります。九州の支持率を回復するために東北の支持率を失っていたら、意味がないでしょう?」
「桐島はどの武門や流門とも、まだそこまで深い関係にはなっていません。つまりこちらの票田が紐付きになっているわけではない。支持率への影響は軽微でしょう」
「……野党は追及しますよ。政府が恣意的に制度を運用した、と。それに特権持ちとはいえ桐島はまだ未成年です。その未成年を、制度を捻じ曲げて異界に送り込み、あまつさえ死なせたとなれば、政権は転覆するかもしれません。そんなリスクを冒すような段階ではないでしょう」
「荒木君。落ち着きたまえ」
黒川に詰め寄る荒木を、内田がそうなだめた。荒木は「失礼しました」と言って座り直す。その彼に内田はこう話した。
「荒木君。君の言いたいことも分かる。私もまあ、うまい手ではないとは思う。だがね荒木君、考えてみたまえ。これが東京だったら、どうだね?」
「それは……」
「仕方がない、とそう思わないかな。では東京なら良くて大分は駄目なのかい? ならその理由は?」
「…………」
荒木は黙り込んだ。東京なら良くて大分は駄目な理由はいくつか思いつく。内田もそれは分かっているだろう。だが問題はそういうことではない。問題なのはそれを国会答弁で述べることができるのか、ということ。
「……つまりそうやって野党を黙らせろ、と」
むしろ食いついてくれたら望外の成果。「野党は地方を切り捨てた」とキャンペーンを張れる。とはいえ、野党もそこまで馬鹿ではないだろう。
「いずれにしても政府は異界征伐のために全力を尽くす。なに、一度失敗していて、しかも市街地だ。最終的には世論の同意も得られるだろう」
「……あくまで例外的な措置、ということでよろしいですか?」
「ああ。かまわないよ」
そう言って内田は満足げな笑みを浮かべ、手酌でおちょこに日本酒を注いだ。それを見ながら黒川がにこやかな顔でこう語る。
「総裁選も近いですからなぁ。党内も固めませんと」
「そうだね。うん、そうだね」
「総裁選で勢いをつけて、そのまま次の選挙へ臨みたいですなぁ」
「ははは、まったくだよ」
内田が頷きながら笑い声をあげる。それを見て荒木は小さく肩をすくめた。そして徳利に手を伸ばした。
この政局下で異界を征伐することは八原議員を庇うことに繋がる。そして内田は身内をしっかりと庇う総裁として党内から支持を得る、というわけだ。身内を固めれば、選挙戦も戦いやすいだろう。
そういう小細工に嫌悪感を覚えるほど、荒木は若くない。彼とて清濁併せ呑んで国防大臣にまでなったのだ。今は内田を支えているが、総裁ひいては総理大臣のイスも狙っている。そのためなら特権持ちの一人や二人、いくらでも利用するだろう。
ただ今回のコレはどうなのか。いささか博打がすぎやしないか。そう思えてならない。法的に問題なく、表向きの大義名分もある。征伐の成否はこの際おいておくとして、やらない理由はないように思える。
(だが……)
だが短期的には良いとして、長期的にはどうだろうか。今回は桐島颯谷を動かす。彼は個人だし、黒川が言うように能力者の社会の中ではまだ根が浅い。だから動かしやすいという側面がある。
しかし今後、今回の件を前例として他の地域の能力者が動員されることにならないだろうか。いや、問題は実際に動員されるかどうか、ではない。能力者たちが、ひいては国民がそれをあり得ると考えないかどうか、それが問題なのだ。
(武門も流門も、要するに能力者は地域に根付いている……)
優秀な能力者というのは、その地域の守り神的な存在なのだ。だからこそ尊敬を集め、彼らの支持を得ることが票田を握ることに繋がる。
ではその守り神が別の地域のために酷使されるとしたら、地元の住民たちはどう思うだろうか。酷使される能力者ら自身はどう思うだろうか。
当然、反感を持つだろう。そしてその反感を表明する機会は定期的に用意されている。そう選挙だ。与党は、なにより国防大臣たる荒木は、議席を失うかもしれない。
(一度征伐に失敗していて、しかも異界が現れたのは市街地。たしかに世論の理解を得やすいシチュエーションだとは思うが……)
それも今回に限れば、の話だ。「あくまで例外的な措置」という言質を内田から引き出しはしたものの、そんなものその時になればいくらでもひっくり返せる。目先の総裁選や選挙に気を取られて劇薬に手を出したのではないか。そう思えてならない。
(いざとなれば……)
いざとなれば、泥船からは早々に退去する必要があるだろう。その見極めを誤ってはなるまい。差し当たっては、今回の件で野党から追及されるであろう国会で、気を付けて答弁する必要がある。
「……ところで総理。今回の件、八原議員は関わっていますか?」
「いや、関わっていないよ。この件は八原君の件とは区別する必要があるからね。それが政府の方針だ。むしろ関わるなと釘を刺したよ」
もちろんこれは表向きの話だ。「八原という与党議員がいたからこそ、桐島颯谷が派遣された」と考える者は多く出るだろう。それは当然のことで、むしろ望むところ。与党の力を示すことになる。ただ表立ってそれを口にはできない。
「なるほど。その方がよろしいかと思います」
「荒木さんも、答弁する際にはその方向でお願いしますよ」
「承知しています」
荒木は一つ頷きそう答えた。いずれにしても理論武装はしっかりとしておかねばなるまい。自らに火の粉が降りかからないようにするためにも。荒木は一つ頷く裏でそう考えた。
作者「赤坂の料亭で政治家がこういう話をしているというのは、すべて作者の独断と偏見です」




