文化祭準備1
下校時間になり、颯谷と木蓮も荷物をまとめて下校する。駅へ向かう道を歩きながら、木蓮はふと颯谷にこんな話題を振った。
「そう言えば、そろそろ文化祭ですね」
「ああ、そう言えばそんな季節か」
「颯谷さんは何か文化祭でやりたいことってありますか?」
「いまそれを考えると、英単語がぽろぽろこぼれ落ちていきそう……」
「まあ。ではもっとぎゅうぎゅうに詰め込まないとですね」
「勘弁してください」
颯谷は情けない顔でそう懇願した。彼の声には結構マジな感じで泣きが入っている。教師木蓮は相変わらずスパルタらしい。そんな彼女はころころ笑いながらこう答えた。
「はい、冗談です」
「はは……。そういう木蓮は、何かやりたいことあるの?」
「カフェのウェイトレスとか、やってみたいですね」
「へえ、なんでまた」
「可愛い制服を着てお仕事とか、ちょっと憧れます。機会があるならやってみたいです」
「バイトでもすればいいんじゃないの?」
「ウチの学校は、基本的にアルバイト禁止ですよ」
「え、そうなの?」
「はい。それに時間的にもアルバイトはちょっと……。家庭教師のレッスンとかもあるので」
「そっか。まあ、必要もないだろうしね」
颯谷がそう言うと、木蓮は少し困ったように笑った。駿河家は有力武門であり、また不動産業も営んでいる。木蓮のためにアパートではなくマンションを用意したくらいだし、生活費も十分にもらっているだろう。少なくとも経済的な理由で、彼女がアルバイトをする必要はない。
「まあそんなわけで、文化祭のクラスの出し物として、カフェみたいなのを提案してみようかと思ってるんです」
「へえ、いいんじゃない。決まったら顔出すよ。……軽音部のほうはどうなの?」
「部活のほうは、毎年恒例のライブをやります。わたしも一曲、出させてもらえることになりました」
「そりゃ凄い。ドラム?」
「いえ、キーボードです。ドラムはまだ練習中ですね。来年のライブでやるのが目標です」
木蓮はそう楽しそうに答えた。その様子を見て、彼女がちゃんと学校生活を楽しめているようだと思い、颯谷も安心する。そんなことを心配するのは筋違いだとも思うが、木蓮がこの学校に来た最大の理由としては、やっぱりそんなことも考えてしまうのだ。
さて、二人がそんなことを話してから三日後。各クラスで文化祭の出し物についての話し合いが行われた。颯谷のクラスでも話し合いが行われ、色々と案が出て、その中に「ダーツ」というのがあった。
「ダーツか……。これなら食品の管理とか面倒なことはないんだろうけど……。盤とかどうする? 予算で揃えられるか?」
「予算かぁ……」
「せんせー、予算がシブいでーす」
「各クラス同じ予算でーす」
生徒と同じ調子で反論した先生に、クラスの面々がブーイングを浴びせる。もっともそこは大人の貫禄か、生徒たちの不満もどこ吹く風だ。むしろ「ほれ、さっさと決めろ」と進行をせかす。そんな中で、颯谷は軽く挙手して先生にこう質問した。
「先生、機材や備品を生徒側で用意するのはアリなんですか?」
「アリだぞ。あんまり大掛かりなのはNGが出ることもあるが。あ、ただしお金を直接出すのは当然NGだぞ」
「了解です。……じゃあ、ダーツ盤はオレが用意するよ」
「良いのか?」
「良いよ。その代わり、準備はサボって良いか? 道場と勉強を優先したいんだけど」
「ああ、桐島なら仕方がないか……」
議事進行をしていたクラス委員長がそう言い、他のクラスメイトたちもそれに同意する。こうして颯谷はお金を出す代わりに時間を確保することに成功したのだった。
こうして颯谷のクラスは「ダーツ」に決まったわけだが、次は具体的なルールを決めなければならない。そして「ただダーツをさせるだけでは集客としては弱いのでは?」という意見が出る。
「じゃあ、対戦方式にするか。それなら俺たちも楽しめる」
「あ、それいい! 放課後に練習しようよ」
「じゃあ、ワンゲーム幾らにする?」
「いや、その前に賞品だろ。こっちが勝った場合は良いとして、客が勝った場合の賞品はどうする?」
「缶ジュース、とか?」
「ええぇ~、つまんない」
「いや、オレらがゲットするわけじゃないんだぞ」
「でも~、缶ジュースが賞品じゃ、お客さん来ないよ?」
賞品をどうするのか、なかなか良いアイディアは出なかった。そもそも予算の縛りがある。そう大したモノは用意できない。そんな中である女子生徒がこんな提案をした。
「ワンゲーム300円。で、どこか飲食店をやるクラスと提携して、勝ったらそのクラスで使える300円分の引換券を渡すってのはどう?」
「いいな、それ。それなら予算ゼロでできる」
「引換券の清算はどうするんだ? 一枚200円くらいにして、こっちにも利益が出るようにするのか?」
「そのへんは交渉次第じゃない?」
「まあ、まずは提携するクラスを探さないとだしな」
そんな感じで話し合いはまとまっていく。クラスメイトたちは結構ノリノリで、「目指せ、全勝!」なんて気炎を上げている。盛り上がるクラスメイトたちを眺めながら、クラス委員長は颯谷にこう言った。
「こういうわけだから桐島、ダーツ盤の用意は早めに頼む」
「了解。交換用も含めて3×2の6枚でいいか?」
「ああ、それでいい」
クラス委員長がそう答える。颯谷は一つ頷き、「さてどこで調達するかな」と考え始めるのだった。
そしてその日の放課後、颯谷は木蓮との勉強中にクラスの出し物のことを話した。それを聞くと木蓮は楽し気にこう答える。
「ダーツですか! いいですね、楽しそうです。あ、でも叔父様とお兄様が知ったら、面白がって荒らしに行きそうです」
「別にいいけどね。荒らされてもこっちは損をしない仕様だから。……木蓮のクラスはどうなったの?」
「ウチのクラスは和風カフェになりました。緑茶と芋羊羹のセットで、一皿500円で出す予定です」
「へえ、じゃあ木蓮の念願がかなったわけだ」
「う~ん、どうなんでしょう……。接客はやりますし楽しみですけど。でも着るのはエプロンだけなんですよね。あ、女子はカチューシャも付けるんですけど」
「エプロンは分かるけど……。なんでカチューシャ?」
颯谷が首をかしげる。その時のことを思い出して小さく苦笑しながら、木蓮は次のように事情を説明した。
「最初は、一部の男子が『メイド服』と言い出しまして。それに対して一部の女子が『キモい』と拒絶反応を……」
「ああ、なるほどね……」
頬を引きつらせ、若干遠い目になりながら、颯谷はそう答えた。女子から「キモい」と言われてメイド服をごり押しできる猛者はそうそういないだろう。少なくとも颯谷には無理だ。
「それにクラスの女子の人数分メイド服を揃えるとなると、予算的にも無理だろうということでその話はお流れになったんですけど、『せめてカチューシャだけでも』ということになりまして。まあそこで折り合ったわけです」
エプロンを着るという話だったし、スカートでエプロンとカチューシャ着用ならメイドさんっぽいと言えないこともないだろう。主張した男子たちの執念に、颯谷は小さく苦笑を浮かべた。
「予算は大丈夫なの? エプロンも用意するんでしょ?」
「エプロンは着まわせば人数分はいらないだろうということで、生地を買って、男子と女子で7枚ずつ作ることになりました。カチューシャも7つですね。あと芋羊羹は農家の子が実家のお芋を提供してくれることになって、緑茶はわたしが出すことになりました」
「それはやっぱり実家から?」
木蓮の実家である駿河家は静岡県の有力武門であり、そして静岡県はお茶の名産地である。案の定、彼女は頷いてこう答えた。
「はい。一人じゃ飲みきれないんですよ。何を思ってあんなに送ってきたんでしょう?」
そう言って木蓮は小さく首を傾げた。颯谷としては察するところがあったが、勘違いかもしれないので黙っておくことにする。代わりにこう尋ねた。
「カチューシャも手作り?」
「いえ、そちらは既製品を。時間を見つけてクラスの友達と某ディスカウントショップに買いに行くんです」
「ああ、某ディスカウントショップね」
「はい。そこだとメイド服も売ってるそうなんですよ。わたしは別に構わないんですけどね、メイド服」
「……へえ、そうなの?」
「はい。日常的に着るならともかく、お祭りみたいなものでしょう? 可愛い感じの服なら、全然アリですよ」
「可愛い制服を着てバイトしたいって、言ってたっけか」
「はい。やっぱり男の子は女の子のメイド服姿を見たいものなんでしょうか?」
「…………」
どう答えればいいのか分からず、颯谷は沈黙を選択した。しかし木蓮はさらにこう踏み込んだ。
「颯谷さんは、わたしのメイド服姿、見てみたいですか?」
やや恥ずかし気に、頬を薄く上気させながら、木蓮は颯谷の顔を覗き込んだ。颯谷の心臓が大きく跳ねる。彼はやや逃げ腰になりながらこう答えた。
「……見たいか、見たくないかの二択なら、……見たい」
「まあ。うふふ、覚えておきますね」
木蓮はそう言って嬉しそうにほほ笑んだ。覚えておく? 覚えておいて、それでどうするんだ。颯谷の頭にそんな疑問が浮かぶ。ただ考え始めるとドツボにはまりそうだったので、颯谷はやや無理やり頭を切り替えた。
「……木蓮がやるのは、その買い出しだけ?」
「ああ、いえ、芋羊羹作りのほうも手伝います」
「そっか。部活のほうもあるだろうし、結構大変じゃない?」
「一番時間がかかるのはエプロン作りですし、それほどでもないですよ。ライブでやる曲も、もう楽譜は覚えてますから」
「へえ、そりゃ凄い」
「颯谷さんはダーツ盤を用意するらしいですけど、どこで買われるおつもりなんですか?」
「え、ネットで買うつもりだけど……」
「そうですか……」
「でもやっぱり現物を見た方が良いよね。某ディスカウントショップならあると思うんだけど、次の休みに良かったら一緒にどう?」
やや悲し気な木蓮の表情を見て、颯谷は即座に前言を撤回した。手のひらクルックルである。そして木蓮は一度驚いたような顔をしてから、嬉しそうにこう答えた。
「はい。ぜひ」
木蓮のその笑顔を見て、颯谷は自分の選択が間違いではなかったことを確信するのだった。
颯谷「うなれ、手のひらドリル!」




