突入2
いよいよ本格的な異界征伐が始まる。颯谷にとっては二度目の異界征伐だ。無意識のうちに、颯谷は迷彩服の上から首にかけたペンダントを握りしめた。
そのペンダントは既製品ではない。異界で手に入れたコアの欠片とネットで買った組み紐で作った、ハンドメイドのペンダントだ。ただし作ったのは玄道。悪戦苦闘している孫を見かねて作ってくれたのだ。
コアの欠片については、颯谷も持て余している部分がある。あの時は何も考えずに拾ってしまったが、あとでよくよく考えてみれば「爆弾」を抱え込んでしまったのではないかとさえ思う。そういう不安もあって、コアの欠片について颯谷は誰にも何も言っていない。玄道にも「異界で拾った」とだけ伝えている。
それでこのペンダントを征伐に持っていくかどうかは、颯谷も悩んだ。異界と言う、コアが本来あるべき環境で何が起こるのか、予想がつかなかったからだ。ただその一方で、大量の氣を込めてみても何も起こらなかった。だから案外何も起こらないのではないか、とも思う。
(それに……)
それに、コアとはいえこれはほんの小さな欠片。何か起こるとしても、その規模はやはり小さいだろう。仮に怪異化したとしても、あの巨大な大鬼を超えるとは思えない。それくらいなら颯谷一人で対処可能なはずだ。
そんなふうに考えて颯谷はこのペンダントを、より厳密に言えばコアの欠片を異界に持ち込んだ。今のところ、光ったり発熱したり脈動したりという異変はない。何もないのは良い事なのだが、ちょっと肩透かしをくらった気分だった。
まあそれはそれとして。今回の異界は新潟県の北部、山形県との県境近くに現れた。いや、異界の一部は山形県側にもかかっている。そして颯谷たち征伐隊本隊は異界の南側から突入した。決して広くはないのだが、地図上では異界のほぼ真ん中を南北に突っ切る道路があり、それを利用して突入したのだ。
拠点の設営予定地も、この道路のすぐ近くにある。それで颯谷たち臨時先行隊の任務である「トラックの移動ルートの安全確保」とは、要するにこの道路の安全確保であると言ってよい。それでこの道を北へ向かって駆けた。
そのペースはかなり速い。全員が氣功能力者であり、内氣功を駆使して走っているからだ。また舗装された道路は走りやすい。現れる怪異は、まだ異界の外縁部に近いこともあり、数は少ないし強力な個体もいない。彼らはほとんどペースを落とさずに駆け抜けた。
(本当に埴輪だな……)
味方が蹴散らしていくモンスターの姿を見ながら、颯谷は内心でそう呟いた。今回の異界のモンスターがハニワだというのは知っていたし、写真も見ていたが、実際にハニワが動いて襲い掛かってくる様子はなかなかシュールだ。もっともだからと言って油断は禁物だが。
(脆いな)
先頭を走る者たちがハニワを簡単に砕いていく様子を見て、颯谷は声には出さずにそう呟いた。埴輪とはつまり土器だから、脆いのは当然かもしれない。
ただ身体が大きく割れてしまっても、ハニワのモンスターはまだ黒い粒子になって消えない。タフネスが高いのとは違うが、そういうところは厄介そうだ。颯谷はそう思いながらハニワの頭部を半長靴で踏みつぶして止めを刺した。
「……よし。この辺りが最初のポイントだな。少し待て。本部と連絡を取る」
少し呼吸を整えてから、臨時先行隊のリーダーである中原仁はそう言ってトランシーバーを取り出した。彼が本部の十三とやり取りをしている間、颯谷はなんとなしに空を見上げる。するとさっきまで白かった異界のフィールドが、徐々に色付いて群青色に変わっていく。それを見て彼はごくりと唾を飲み込んだ。
「お、色が変わったか。ってことは、突入開始から一時間ってことだな」
颯谷の隣で同じく空を見上げながらそう言ったのは、同じくパーティーの加藤真也。彼の隣で颯谷は小さく頷く。見慣れた群青色の空。またこの空の下に帰ってきた。こみ上げてくる思いは言葉にしづらい。彼は息を吐いてそれを散らした。彼が視線を水平に戻すと、ちょうど仁がトランシーバーを耳から離す。そしてこう話し始めた。
「聞いてくれ。良い知らせと悪い知らせがある。まずは悪い知らせからだ。当初の拠点設営の予定地は使えなくなった」
「理由は?」
「この先の道路が土砂崩れでふさがれ、そのせいで水没しているそうだ」
それはバイクで先行している斥候隊からの報告だという。土砂崩れとそれにともなう道路の水没が、異界内部に起こる超自然的な変異であるかは今のところ分からない。ただいずれにしてもそこをトラックで通ることは不可能と判断された。
「それで、良い知らせのほうは?」
「拠点設営の代替地に目途が立った。トラックももう動かすそうだ。それでこのポイントの保持はしなくていい。次へ行くぞ」
「はい」とか「うす」とか、了解を伝える返事の声がちらほらと上がる。それに頷きを一つ返してから、リーダーは移動の再開を指示した。
先頭を走るパーティーをローテーションしながら、臨時先行隊は舗装された道路を北上する。颯谷たちも先頭を担当し、その時にはハニワを二体倒した。
颯谷が突出して一撃ずつ入れ、和彦と真也がそれぞれ止めを刺す。二人の得物はどちらも日本刀。ただ和彦が二級品で、真也は三級品だと言っていた。北天無涯流の腕前は二人とも颯谷より上で、どちらも手負いのモンスターを危なげなく倒していた。
モンスターと戦ってみた手ごたえとしては、やっぱり陶器のように脆いという印象だ。刀を使っていても、斬るというより砕く感じになる。ちなみにモンスターの強さがまだよく分からなかったので、マシロたちには手出しさせなかった。
走っている途中、何度か道端に仙樹を見つける。赤黒い仙果がたわわに実っているが、すべてスルー。トラックを通すための露払いが優先だからだ。颯谷が一人でやっていた時は、「見つけたらちょっとでも食べる」という感じだったので、少しペースが狂う。
事前に決めて置いたポイントに到着するごとに、臨時先行隊から一パーティーずつ抜けてその場に残る。その周辺のモンスターを駆除してトラックが安全に通過できるようにすること。それが彼らの任務だ。
臨時先行隊が三分の一ほどの人数になると、進行方向に土砂崩れを起こした地点が見えてくる。その少し手前に、バイクにまたがった斥候隊のメンバーが幾人か待っていた。そのうちの一人に案内してもらい、先行隊は拠点設営の代替地へ向かう。
ちなみに斥候隊の残りはここでバイクのお守りだ。バイクもここでは貴重な装備品。盗まれることはないだろう。だが放置してはモンスターに壊されかねない。トラックと合流したら、一緒に拠点の設営地へ来る手はずである。
斥候隊が見つけた拠点設営の代替地は、舗装された道路からは外れた場所にあった。周囲と比べて少し高くなった台地で、比較的平らで障害物のないルートがあったのでトラックでも乗り入れ可能と判断されたのだ。
ただこの台地、地図上には存在していない。つまり異界にのまれたことで誕生した、新たな土地と言うことだ。異界征伐が成れば最終的にまた消えてなくなる場所だが、ともかく征伐中は問題なく使えるのでそれで良い。ただその場所を見て、仁は若干険しい顔をした。
「この位置か……」
「何かまずいんですか?」
「拠点の設営地としては上等だ。ただ、当初の予定地より異界の中心部から遠い。道路も使えるか分からんし、攻略はやりづらくなったな……」
颯谷の問いかけに、仁はそう答えた。彼はそもそも攻略隊のリーダー。今後の異界征伐の難易度は上がってしまったと思っているようだ。とはいえこれくらいは良くあること。すぐに頭を切り替え、彼はトラックの受け入れと拠点設営の準備を始めた。
「何本か邪魔な木があるな。伐ってしまいたいが……」
「あ、オレやりましょうか?」
仁が難しい顔をしているところへ、颯谷が気楽な調子で手を上げる。彼は少し変な顔をしたが、やらせてみようと思ったのだろう、「やってみろ」と颯谷に言った。颯谷は一つ頷き、仙樹の杖を握り直してリーダーが指示した木の前に経つ。他のメンバーが十分に離れたのを確認してから、彼は仙樹の杖を正眼に構えた。
(さあて、久しぶりだ……)
颯谷は浅く目を閉じて集中力を高め、氣を練り上げていく。使うのは高周波ブレード。彼は目を見開くと同時に鋭く踏み込み、立ち木の低い位置を狙って仙樹の杖を横に一閃する。残身と一拍の静寂。彼がゆっくりと身体を起こすと、木が思い出したように傾く。そして地面に激突して大きな音を立てた。
「「「おおぉ!!」」」
見守っていたメンバーの間から歓声が上がる。リーダーはさらに三本、立ち木を伐採するよう颯谷に指示。他のメンバーには伐り倒した木を邪魔にならない場所へ運ぶように指示した。
邪魔だった木を伐採すると、拠点の設営予定地はかなり広々とした印象になった。仁はさらにトラックの受け入れ準備を進める。
そんな中で颯谷たちともう一つのパーティーが周囲のモンスターの駆除を指示された。拠点設営中にモンスターが乱入してくるのをなるべく防ぐためである。
二つのパーティーはそれぞれ別方向へ出発。周囲のモンスターを狩り始めた。とはいえこの辺はまだ異界の外縁部に近い。モンスターの密度的にはそれほどでもなく、自然と歩いて回る時間の方が大部分になった。
「あ、仙樹」
「場所を覚えておいた方が良いな。拠点からも近いし、征伐中はお世話になりそうだ」
和彦の言葉に颯谷も頷く。拠点から近い位置にある仙樹のありがたみは、彼も骨身にしみている。今回は結構な量の食料を持ち込んでいるので仙樹に頼りきりになることはないだろうが、それでも近くにある方が安心だ。
「少し食べて良いですか? ちょっとお腹すいちゃって」
颯谷が少し恥ずかしそうにそう申告すると、和彦は笑って「いいぞ」と言った。颯谷だけでなく彼と真也も仙果に手を伸ばし、結局全員で小腹を満たした。
(懐かしい……)
仙果を食べながら、颯谷は内心でしみじみとそう呟く。ほぼ一年間、仙果だけ食べていた生活がもう遠い昔のことのようだ。もっと美味しかったように思えるのは思い出補正だろうか。あれから美味しいモノをたくさん食べたせいで舌が肥えたのかもしれない。
自分が食べ終えると、颯谷は尻尾を激しく振って「ちょうだい!」と催促しているマシロたちにも仙果を与える。その様子を和彦と真也は物珍しそうに見守った。それに気づいて颯谷は二人に話しかける。
「どうしたんですか?」
「いや、話には聞いていたが、本当に食べるんだなと思ってな」
「そうそう。犬を連れてくる奴はたまにいるけど、犬が仙果を食べるのは見たことがなかったなぁ、今までは」
「そんなに珍しいですかね? キャベツを食べるシベリアンハスキーもいるって話ですし」
「ネタじゃないのか、それは」
「動画投稿サイトで見れますよ」
「犬もベジタリアンになるのか。時代は変わったな」
「いや、それは知りませんけど」
そんな話をしながら小休止。そろそろ行こうかとパーティーリーダーの和彦が目くばせすると、真也が「ちょっと待って」と言い出す。そしてこう続けた。
「仙樹の枝を持って行っていいか? 使いモンになるのか、オレもちょっと試してみたい」
駿河家で行った実験のことは、颯谷が道場で話している。その中で「仙樹の枝は三級の仙具より氣の通りが良かった」という話もしていて、真也はそれを覚えていたのだ。
「ハニワ相手なら、刀じゃなくて鈍器でも変わらんだろ? 使いモノになるなら、それこそ儲けものだしな」
真也はそう言った。反対する理由もないので、颯谷と和彦も一つ頷きを返す。それを見て真也は笑みを浮かべ、仙樹の枝を物色し始めた。そして比較的まっすぐな枝を選んで切り落とし、細い孫枝も落として棒状にする。それを数回振るって具合を確かめると、真也は満足げに「よしっ」と呟いた。そんな彼に和彦がこう尋ねる。
「実際どうなんだ、氣の通り具合は?」
「颯谷の言っていた通りだな。コイツより随分いい」
そう答えて真也は腰に挿した天鋼製の刀を叩いた。ただその一方で、彼もこの仙樹の枝を天鋼製の刀つまり刃物の代わりにしようとは思っていない。氣で刃を形成するのは、彼には難易度が高いのだ。
とはいえ先ほども言ったように、ハニワ相手なら刃物でも鈍器でもあまり差はない。そしてこの仙樹の枝に真也が期待しているのも本当だ。
和彦も、自分で使うかはともかく興味はある。颯谷は自分でも使っているし、仲間が増えればうれしい。かくして三者三様にテンションを上げつつ、彼らは見回りとモンスターの駆除を再開した。
ハニワさん「おのれ奇怪な!?」




