全体ミーティング2
一番槍、もしくはファーストペンギン。つまり最初に異界へ突入する者のことである。
異界のフィールドは内側と外側を完全に隔てている。よってマイクロスコープなどを差し込んで内部の様子を探ることはできない。差し込むことはできるのだが、映像は映らないのだ。ちなみに引き抜くこともできない。
そこで重要になってくるのが、一番槍である。簡単に言えば、一番槍は異界のフィールドに頭を突っ込んで内部を確認し、ハンドサインでそれを後続に伝える役割だ。なぜハンドサインなのかと言えば、突っ込んでしまった頭はもう異界の外に出せないからだ。
言い方を変えれば、一番槍だけは異界内部がどれだけ地獄でもそこから逃げられない。頭を突っ込んでしまったのならあとはもう突入するよりほかになく、いうまでもなくこれは大変危険な役割である。
だが一番槍なしに全員で一気に突入などできない。目視できる範囲とはいえ、一番槍から得られる情報だけが、異界内部に関して外部で受け取れるほとんど唯一の情報なのだから。場合によっては突入中止ということもありえる。
その場合、氾濫に対処しつつ異界のフィールドがもう一度白色状態になるまで待たなければならない。もろもろの予定や計画はすべて後ろ倒しだ。だが明らかに成算が低い状態で突入するよりはマシだろう。
ではどのような人物が一番槍に向いているのか。最悪一人で異界征伐に挑まなければならない可能性を考えると、それを成し遂げた桐島颯谷のことが思い浮かぶかもしれない。だが彼は一番槍には適さない。経験が少なく、ある状態が正常なのかそれとも異常なのか判断できないからだ。
一番槍に求められる条件とは、第一に経験であり知識だ。目視可能な範囲の様子から、その異界の様子がどうなっているのか、可能な限り推察しなければならない。また第二に、事前に策定される征伐プランや事前準備の内容に精通している必要がある。用意してきたプランや装備で征伐が可能かどうかを判断するためだ。
もちろん、一番槍が突入可能と判断したからと言って、その異界に大きな変異が起こっていないというわけではないし、まして絶対に征伐できるというわけでもない。だが一番槍が教えてくれる情報のおかげで、平均死亡率が4%以上下がったとも言われている。この制度というかやり方が、異界征伐に有効であることは間違いないのだ。
閑話休題。一番槍に志願したのは楢木一門のある男性だった。年齢は三十代の半ばくらいだろうか。経験豊富そうに見えるし、知識も豊富であろう。これももしかしたら事前に決めておいたのかもしれない。
ともすれば切り捨てることになる一番槍を身内から出すのは、楢木一門の意地か誇りか。うがった見方をするのなら、リスクを引き受けることで征伐隊の主導権を握ろうとしているのかもしれない。
一番槍を誰が務めるのかが決まると、十三は「一番槍が教えてくれた情報は間違いなくすべてのグループに伝える」と確約する。そして全体ミーティングの終了を告げた。颯谷は一瞬「えっ」と思ったが、ここから先はそれぞれのグループ内でミーティングを続けるのだという。そして戻ってきた十三はこう言った。
「昼食にしよう。再開は一時間後だ」
その言葉に本隊の人々は小さく頷き、それからバラバラに動き始めた。大会議室を出ていく者、椅子に座ってペットボトルに手を伸ばす者、何やら雑談を始める者もいる。そんな中で颯谷に向かって片手を上げて近づいてくる男がいた。先ほど一番槍に志願した男だ。彼は颯谷に右手を差し出して「やあ」と言った。
「楢木雅だ」
「桐島颯谷です」
「知っている。だから声をかけたんだ」
そう言って雅は颯谷の手を強く握り返した。そして手を放す。少し高い視点から颯谷を見下ろす雅の目に浮かぶのは、一体どんな色であったのか。少なくとも否定的なモノは感じない。そして雅はふっと笑みを浮かべてこう言った。
「桐島君の話を聞きたいと思っていたんだ。今だから言うが、今回君が志願していなかったら、家までうかがうつもりだった」
「それは、楢木さんが一番槍に決まったからですか」
「まあそうだな。そういうわけだから、これから一緒に昼飯をどうだい?」
「分かりました」
「よし決まりだ」
「あ、僕も一緒に良いですか?」
横からそう声をかけたのは、颯谷の知った顔だった。小野寺健太である。どうやら雅と颯谷の会話を聞いていたらしい。雅が颯谷に「良いかな?」と尋ねるので、彼は一つ頷いて了承する。一緒に来ていた茂信に声をかけてから、三人は基地内の食堂へ向かった。そして歩きながら颯谷は雅にこう尋ねる。
「楢木さんは……」
「雅でいい。楢木だと十三さんとかぶるからな」
「……雅さんは、どうして一番槍を引き受けたんですか?」
「そうだな……。この役回りは誰かがやらなければいけない。これがまず一つ。あとこれは慣例なんだが、貰える報奨金が増える。まあ危険手当みたいなもんだな。これが二つ。そして私が引き受けることで、今回の征伐に関して楢木一門の発言力が増す。これで三つ。それに関連してだが、楢木一門内でも報酬が出るんだ。理由としてはこの四つかな」
雅は指折り数えながらそう答えた。意外とリアルというか、しっかりと利益の話で颯谷は少々面食らう。だが命懸けなのだ。明確なリターンもなしにリスクを背負う者はいないだろう。
「報奨金が増えるっていうのは分かるんですけど、楢木一門内の報酬って何がもらえるんですか?」
「色々あるな。純粋にお金の場合もあるし、何かしらのポストみたいなのもある。今回は仙具だ。一級品を強請った」
そう言って雅はニヤリと笑った。仙具、特に一級品の仙具は数が限られている。それを得られるなら、ということらしい。
ちなみに件の仙具は楢木本家の所有物で、あくまでも引退までの貸与という形になるという。要するに「勝手に人にあげたりとかしちゃダメ」ということだ。
「でもいざと言う時には一人で突入になるんですよね? 死ぬかもしれないわけで、リターンとして見合いますか?」
「今回に限れば割は良いと思っているぞ」
「……その心は?」
「今回の異界の直径は約13km。中規模に分類されるが、大規模異界に近い大きさだ。そしてこれまでの経験上、異界と言うのは大きくなればなるほど、内部の異変の規模は小さくなる傾向がある。
加えて、そもそも異界の外縁部というのは異変が起こりにくい場所だ。そういうことを考え合わせると、今回の異界の場合、一番槍が目視する範囲で突入を中止するほどの異変は確認されないだろう、とそう予測したわけだ」
「はあ……」
「颯谷君、あくまでも比較的って話だから。雅さんはこう言ってるけど、一番槍がハイリスクなのは変わらないし、楢木一門でもなかなか決まらなくて、ようやく雅さんが手を上げてくれたんだ」
やや呆れた顔をする颯谷に、健太が苦笑しながらそう補足する。雅は笑って肩をすくめた。それを見て颯谷は「やっぱりそうだよな」と納得するのだった。
さて食堂に到着すると、三人はまずそれぞれ日替わり定食を注文した。颯谷と健太がAランチで雅がBランチだ。三人はお盆を手に空いている席を探し、隅のほうで向かい合って座った。そして昼食を食べながら、颯谷は本題を切り出した。
「……それで、聞きたい話っていうのは? 正直、雅さんの方が経験豊富だと思うんですけど」
「場数って意味ならそうだろうがな。だが私だって一人で異界征伐を成し遂げたことはないぞ」
雅は苦笑しながらそう答えた。颯谷は小さく肩をすくめつつ、内心で一つ頷く。やはり雅が聞きたいのはそういう方面の話らしい。つまり彼は一人で異界に突入しなければならない事態も想定しているということだ。
「教えてくれないか。一人で征伐しなければならないとして、最も重要なのはなんだと桐島君は思う?」
「氣の量ですね。もっと言うなら、氣の量を増やすことです」
颯谷はそう即答した。答えの内容より、即答したことに雅は少し驚く。それを表に出さないようにしながら、彼はさらにこう尋ねた。
「そう思う理由は?」
「あくまでオレの経験上の話ですけど……」
そう前置きして颯谷は説明を始めた。彼の経験上、一番の敵は環境だ。環境相手に人間は手も足もでない。一人しかいないのならなおさらだ。対応するしかないわけだが、対応しようにも物資は限られている。であれば氣功能力を使って対応するしかない。
「氣の量が少ないと、対応したくてもできなくなります。対応できなければ死ぬでしょう? まず生き抜くためにも、氣の量を増やすことが一番大切だと思いますね」
「なるほど……」
颯谷の話を聞いて、雅は大きく頷いた。最初雅は、氣の量を増やすのは怪異、特に主や守護者に対抗するためだと思っていた。「ヌシやガーディアンを倒せなければ異界征伐は成らないのだから、そのために氣の量を増やすことは重要だ」という、そういう話だと思っていたのだ。
しかし颯谷は「一番の敵は環境だ」という。モンスターより先にそちらを気にするその視点に、雅は「一人で異界に挑むとはこういうことか」と思い知らされる気がした。征伐よりもまずは生存、ということだ。
(考えてみれば……)
考えてみれば、雅が一人で突入しなければならない場合と言うのは異界内部に超自然的な変異が認められた場合で、その変異と言うのは偏った環境であることが想定される。まずはその偏った環境に対応する必要がある、というのは道理だ。
「……環境への対応というと、桐島君は具体的にどんなことをしたのかな?」
「オレの場合は要するに寒さでしたからね。まずは……」
颯谷は温身法や外纏法のことを話す。そして雪原を移動するための月歩のことも話した。雅は真剣な顔をしながらその話を聞いた。
「……とまあ、こんな感じですね。ただオレの場合、冬が来たから大変だったわけで、環境そのものはそんなにイレギュラーじゃなかったと思うんですよ。突入中止になるくらいヤバい状態だったら、正直参考になるかどうか……」
「いや、十分参考になった」
そう言って雅は礼を言った。颯谷の経験をそのまま流用することはたぶんないだろう。彼が征伐したのと同質の異界なら、そもそも突入中止にはならないからだ。
ただ彼の考え方や視点は、大いに参考にできると思う。それを知れたことは、少なくとも心の準備にはなる。絶望したり諦めたりしないで征伐を目指すためには、きっと必要なことだろう。
「ほかに、まだ何かあるかな?」
「あとはやっぱり気配ですね」
「それはモンスターの気配に敏感になれ、という意味?」
「それもあります。でもオレ的には気配を隠すことのほうが大切だと思いますね」
そうじゃないと寝れないので、と颯谷は付け加える。そう言われて雅と健太はハッとした顔をした。一人で突入するということは、当然寝る時も一人である。それが非常に危険なタイミングであることは言うまでもない。
睡眠時、モンスターが近づいてきたらすぐに跳ね起きられるようにするには、それだけ気配探知を鍛えておく必要があるだろう。だが同時に見つからないようにしなければ、睡眠時間を確保できない。
寝ないという選択肢はない。それでは遠からず死ぬからだ。睡眠は征伐の、いや生存の前提だ。正直、氣の量うんぬんよりこっちのほうが大切ではないだろうか。雅と健太は揃ってそう思った。
「いわゆる迷彩ができれば、かなり楽になるんですけどね。迷彩ができなくても、身を隠せる場所があれば、隠形、氣の放出を抑えるだけで結構効果がありますよ」
「……それは、寝ている間もずっと、かな?」
「……? はい。じゃないと意味がないですから」
颯谷がさらりとそう答えると、雅と健太は揃って何とも言えない顔をした。二人の感覚からすると、隠形も迷彩も意識を集中して行うものだ。寝ながらできるようなものでは断じてない。
「正直、もっと早く話を聞くべきだったな……。桐島君は、最初からそれができたのかい?」
「う~ん、いや、できてはいなかったと思いますけど。ただ最初のころは小さな物音でもすぐに目が覚めていたので、正直そのおかげで生き延びた感じはしますね。それに最初は氣の量も少なかったはずだから、何もしなくても隠形状態に近かったんじゃないかなぁ、今になって思えば」
「まあそうだよな」と思い、雅と健太は何となく安堵した。とはいえやはり単独での異界征伐は超絶高難易度だ。颯谷の話を聞いたことで、雅は改めてその思いを強くする。
(一人で突入なんてことは、できればしたくないモンだな……)
当たり前のことだが、そう思わずにはいられない雅だった。
雅「寝る時のことは考えてなかったな……」




