駿河家9
庭の後片付けを終えてから、颯谷は剛に勧められてシャワーを借りた。ずいぶんと汗をかいてしまったのだ。颯谷の次にシャワーを浴びたのは木蓮。本人は何も言わずいそいそと浴室へ向かったが、剛はおどけた様子でこう言った。
「あの子も年頃だ。汗臭いのは気になるだろうからね」
その言葉になんとなく納得してしまう颯谷。正之はやや苦笑している。異界の中では、お風呂はもちろんシャワーも浴びることは難しい。身体を拭くことができればマシな方で、ひどい場合には征伐中ずっと何もしないこともあり得る。
颯谷自身、異界の中ではせいぜい水浴びが精一杯だった。そしてそういう経験をしてしまうと、汗臭いくらいはあまり気にならなくなってしまう。もちろんお風呂は毎日入りたい。ただそうやって清潔さを保っているのだから、他はまあいいかと思ってしまうのだ。
そしてそういう傾向は、異界の中で過ごした時間が長いほど強くなっていく、と言われている。いわゆる「征伐隊あるある」だ。中には「お風呂に入るのが面倒くさい」と言い出す者もいるとかいないとか。「さすがにオレはそこまでひどくないぞ」と颯谷も思ったものである。
「ウェットティッシュを持っていくと良いぞ」
「ああ、確かに。腹をこわすと、その後がいろいろと大変ですからねぇ」
「え、身体を拭くって話じゃないんですか?」
「颯谷君。手も身体の一部だよ?」
正之がしたり顔でそうのたまう。貴重なウェットティッシュを無駄遣いしてなるものか、ということなのかもしれない。身体を拭くのは無駄遣いではないと思うのだが。まあそれはそれとして。
全員がシャワーを浴びてさっぱりすると、フルーツゼリーと水出し緑茶で一服する。ちなみに颯谷が食べたのはオレンジ味。果実が丸ごと入ったゼリーを食べながら、彼は疑問に思っていたことをこう尋ねた。
「……仙具っていろいろあると思うんですけど、特殊能力付きの仙具ってないんですか?」
「特殊能力というと?」
「……ひ、火を噴いたり、とか?」
そういう発想になるのは彼がサブカルチャーにどっぷり浸かっているからだろう。ただし異界関連のアレコレがマンガやアニメの元ネタになっている場合も多く、あながち関係がないとは言えない。はたして剛はこう答えた。
「あるぞ」
「あるんですかっ!?」
「ああ。そういう仙具は特級と呼ばれている」
「一級の上、ってことですか?」
「上というか、一級の一部だな。特級仙具は人の手では再現できていない」
剛はそう説明した。一級品の仙具は要するにモンスタードロップをそのまま使うパターンだ。人が手を加えた物は二級品となる。特級仙具の特殊能力を人の手で再現することはできていないので、モンスターがドロップした仙具をそのまま使うしかなく、そういうのは一級品扱いというわけだ。そして剛はさらにこう付け加える。
「ただ、数が非常に少ない。使える一級品自体が少ないが、その中でも特級となると、0.1%未満だろうな」
「はあ……」
ややピンとこない顔で颯谷はそう答えた。剛のいう「使える一級品の仙具」がどれほど希少なのか、彼はまだよく分かっていない。だから「そのうちの0.1%」と言われても、具体的な想像に結びつかないのだ。それで彼はやや切り口を変えてこう尋ねた。
「駿河家にもないんですか?」
「……実は、ある」
「えっ!?」
「武門としての駿河家を立ち上げた、初代当主が手に入れた小太刀でな。その当主が凩丸・雷鳴と名付けた」
「……ってことは、雷の能力を持った小太刀の仙具?」
「まあ、そうだな」
「……見せてもらったりとかは……」
「さすがにそれは遠慮してくれ。ウチの家宝だからな」
剛が苦笑しながらそう答えると、颯谷も「ですよねぇ」と言ってすぐに引き下がった。もしかして存在自体秘密だったのかと心配になったが、「存在自体は知られている」とのことで彼は胸をなでおろした。
さらに聞けば木蓮や正之はその家宝を「見たことはある」そうだ。ただ「実際に能力を発揮しているところは見たことがない」という。それを聞いて颯谷は首を傾げた。
凩丸・雷鳴を実際に使うとすれば、それは異界の中だろう。だとすれば木蓮はともかく、正之までその能力を見たことがないというのは、少々不自然に思える。その理由を剛はこう説明した。
「普段の征伐には使わないんだ」
仙具を使う上でどうしても考えなければならない問題がある。その一つがいわゆるロストだ。損壊するにしろ紛失するにしろ、異界征伐に用いる以上は覚悟しておかなければならない。だが特級の仙具は超貴重品。貴重すぎて滅多な理由では使えないのだという。
ただ颯谷の表情は納得したふうではない。伝家の宝刀は簡単には使わないものかもしれないが、しかし全く使わないのでは意味がないのではないか。それに例えば木蓮の父親など、凩丸・雷鳴を使っていればもしかしたら死ななかったのではないか。そんな疑問を抱きながら、彼はさらにこう尋ねた。
「じゃあ、いつ使うんですか?」
「この辺りが異界顕現災害に巻き込まれた時、だな」
剛は重々しくそう答えた。はっとした顔をする颯谷に一つ大きく頷いてから、彼はさらにこう続ける。
「私の爺さんの話はしただろ? あの時、3日で異界征伐ができたのは無理をしたからだと言ったが、もう一つ理由があってな。要するに凩丸・雷鳴を最大限に使ったんだ」
以来、凩丸・雷鳴を使うのはこの地域に顕現した異界を征伐する時だけに限られることになったのだという。言い方を変えれば、「この地域のためなら特級の仙具をロストしてもかまわない」というのが駿河家の方針なのだ。
少々余談になるが、だからこそ駿河家はこの地域で絶大な名声と信頼を得ている。彼らはこの地域の守り神であり、そうであるなら凩丸・雷鳴は御神刀か。所有権はもちろん駿河家にあるとしても、その御神刀が他の地域のために使い潰されてしまうとしたら、この地域の人たちとしては納得しがたいかもしれない。そういう地域住民の感情にも配慮した方針であると思われた。
「なるほど……、それなら妥当というか、仕方ないかもしれませんね」
「まあそういうわけでな。一族以外の者には、そう簡単には見せられん。……婿入りを確約してくれるなら見せてやれるぞ?」
後半部分は冗談めかして、剛はそう言った。木蓮は若干頬を赤くして顔を伏せ、颯谷は無言のまま大げさに肩をすくめて答える。正之も困った顔を見せるなか、剛は「がはは」と大笑いした。そしてこう続ける。
「代わりと言っては何だが、変わり種の仙具を見せてやろう」
こっちだ、と言って剛は立ち上がった。彼の後についていくと、初めての部屋に案内される。物置と言うほどではないが、物が多くて少々雑多な印象を受ける部屋だった。剛は部屋の中に入ると、そこに置いてあった壺を手に取って颯谷にこう言った。
「例えば、この壺も仙具だ」
「え、その壺が!?」
「そうだ。私の親父殿が異界から持ち帰った品だな。異界由来だから仙具で、しかも人の手が加わっていないから、等級で言えば一級品だぞ」
ニヤニヤと笑いながら、剛はそう説明した。壺の良し悪しは、颯谷には分からない。だが第一級仙具の壺と聞くと、なんかスゴいモノのようにも思える。それで彼はこう尋ねた。
「どんな能力があるんですか?」
「分からん」
「はえ?」
「だから分からんのだ。水を入れて花を活けてみたこともあるが、普通の壺と変わらなかったしな。だが一級品だけあって氣の通りは良い」
「試してみろ」と言われ、颯谷は壺を受け取って言われた通り氣を通してみる。なるほど確かに、二級品の仙具と比べて氣の通りは良い。ただ、だから何だという話ではある。困惑する彼の様子を見て、正之と木蓮はおかしそうに笑いをかみ殺していた。
「とまあ、こんな具合に、どう使えば良いのか分からない仙具がたくさんあるということだ」
「まさか、この部屋に保管してあるモノ、みんなそうなんですか?」
「そうなるな」
剛がそう答えるのを聞いてから、颯谷は改めて部屋の中を見渡した。雑多に思えた物品のほぼすべてが、異界征伐の際に手に入れた仙具、つまり一級品の仙具だという。ただし大多数は当面使い道のない仙具である。
「例えばこの巻物。雰囲気はあるが、中は白紙だ」
「……手抜きですね」
「小道具にかける予算がなかったのかもしれん」
剛と颯谷はおかしそうに笑った。巻物を手に取って見せてもらうと、なるほど確かに雰囲気はある。そして颯谷はふとあることに気付いた。
「あれ、ここにシミが……」
「あ、それは……」
颯谷がシミに気付くと、正之がちょっと慌てた様子で手を伸ばす。そんな甥っ子の様子には構わず、剛はこう答えた。
「大方、子供が口にくわえて忍者ごっこでもしたのだろう」
正之が中途半端に手を伸ばした状態で動きを止める。忍者ごっこをしていた子供が誰であるのかは、もう一目瞭然だ。木蓮は手を口元にあててクスクスと笑い、正之は苦笑しながらほほを指でかく。きっとこの部屋は子供たちにとって格好の遊び場だったに違いない。
それから颯谷はさらに部屋の中の仙具を見せてもらった。笊、籠、草履、竹の水筒、茶筅などなど。バラエティーは豊かだ。ただ異界征伐にどう使えば良いのかはまったく思いつかない。
いや使おうと思えば使えるのだろうが、わざわざ氣を通す必要はないし、氣を通さないのであれば、今の時代もっと良い代替品がいくらでもある。ただ、中には使えそうなモノもあった。
「あ、手裏剣! コレなんて使えるんじゃないんですか?」
「一枚だけあってもなぁ。回収できるかも分からんし」
「……そこにあるダーツの的って……」
「いつ使うか分からんのでな。練習はしているということだ」
剛は真面目くさってそう答えた。正之がうんうんと頷いているのはいいとして、意外なのは木蓮まで同じ反応だということ。案外、彼女もこの手裏剣で遊んだことがあるのかもしれない。ちなみにこの後、颯谷も共犯者になった。
「逆に、ここにある仙具で使う物ってどれなんですか?」
手裏剣遊びでテンションが上がってしまったのを誤魔化すべく、颯谷は取り繕ってそう尋ねる。剛は口の端に笑みを浮かべながらこう答えた。
「そうだな……。そこのロープは良く使うぞ」
そう言って剛が指さしたのはきれいにひとまとめにされた荒縄だった。一見するとただの荒縄に見えるが、ここに置いてあるからにはこれも一級品の仙具。「良く使う」と言うし、もしかしたら特級なのかもしれない。
「もしかして、氣を流すと自在に動かせるとか?」
「いや、そういう特殊能力はないな」
「じゃあ、どう使うんですか?」
「正之、持って行っただろう。どう使ったんだ?」
「ええっと、陽動で釣り野伏をやったって話はさっきしたけど、その時に半魚人の足を引っかけるのに使ったりしたんだ」
正之は征伐の時のことを思い出しながらそう答えた。タイミングを計って荒縄を張り、おとり役の後を追ってきた半魚人の足を引っかけて転ばせていたのだという。転んだ半魚人の討伐が容易なのは想像に難くない。
そのほかにも、例えば暴れ牛の足を引っかけて転ばせたこともあるという。使い方は怪異を転ばせることだけでなく、荷物の上げ下げや、ブルーシートと組み合わせて簡易テントを作ったりと、用途は幅広い。氣を通せば強度が上がるので、多少乱暴に扱っても大丈夫な点が高評価なのだという。
「ロープは役に立つぞ。あった方がいい」
「仙樹をセルロースナノファイバー化できたら、仙具としてのロープも大量生産できるかもしれませんね」
剛と正之がそう話し合う。それを聞いていたら、仙具のロープがちょっと欲しくなってきた颯谷だった。
剛「凩丸・雷鳴に触るときは、いつも緊張する」
颯谷「家宝ですもんね」
剛「いや、静電気が、な」




