駿河家7
「おっと、話し込んでしまったな。本題に入ろうか」
平均値やら中央値やらの話がひと段落したところで、剛は少し表情を引き締めてそう切り出した。本題というのはつまり正之らが異界から採取してきた仙樹の枝のことだ。剛は立ち上がると、「こっちだ」と言って颯谷を別室に案内した。
案内されたのは、家具が置かれていない広々とした和室。その和室に敷かれた新聞紙の上に、仙樹の枝が何本もおかれている。颯谷はまずその量に驚いた。
「こんなに回収してきたんですか……」
正直、一本か二本、多くても五本ぐらいだろうと思っていた。だが見た限り、その十倍くらいはありそうだ。こんなに採ってきてどうするんだろうと若干呆れ気味の彼に、剛は大まじめな顔をしてこう答えた。
「分家に渡した分もあるので、ここにあるのは一部だな」
「……そんなに必要ですか?」
「いろいろ、検証したいことがあるのでな」
「はあ」
「こうして枝を確保したのは我々だけじゃない。他の武門や流門でも同じようにしたそうだぞ」
剛がそう言うと、正之が大きく頷いて肯定する。今回の異界征伐前に駿河家から各方面に伝えたのか、それとも正之たちが仙樹の枝を採取しているのを見て真似たのか。どちらにしてもかなり大量の枝がこうして採って来られたようだ。
「確かに仙樹の枝は比較的早く伸びますけど……。仙果が足りなくなりませんでしたか?」
「持ち込みの食料もあったし、そこは調整しながら。ただまあ、ちょっと時間はかかったかもしれないなぁ」
正之は肩をすくめながらそう答えた。先ほど、湿地の埋め立てに半月かかったという話だったが、もしかしたらその間、埋め立てだけに注力していたわけではないのかもしれない。そして正之はさらにこう言った。
「今回の異界は湿地帯がメインだったわけだけど、半魚人は湿地帯にしか出現しなかったんだ。つまり乾いた陸地の部分はかなり安全でね。そんな異界はなかなかないから、ここぞとばかりにみんな採取したってわけだよ」
「なるほど……」
颯谷は納得した表情を浮かべた。安全な場所があるなら、例えば本陣をモンスターに襲撃されて食料を喪失するような心配は少ない。食料の残量からその後の予定を立てることも容易だろうし、採取して保管してある枝を放棄せざるを得ないリスクも低いだろう。
まさにおあつらえ向きの異界と言ってよい。きっと「この機会を逃したら次はない」と思ったのだろう。埋め立てによって征伐の目途が立っていたことも、仙樹の枝の確保に意識を向けることができた理由の一つであるに違いない。そして別の理由については、剛がさらにこう言った。
「皆、期待しているんだ。この新しい素材にね」
「そんな大層なモノですかねぇ、これ……」
いまいち信じられないという顔をしながら、颯谷は和室に置かれた仙樹の枝を眺める。改めて見てみると、余計な小枝などを落として比較的まっすぐな状態にしてあるものと、なにも手を付けずに枯れた葉もまだ付けっぱなしのものがあった。ちなみに落とした細い小枝なども、捨てずに保管してある。本当に貴重な試料という扱いだ。
だが彼にとっては、「やむを得ず武器として使った」という意識が強い。捨てずにとってあるし、個人鍛錬の時に使ったりもしているが、次の実戦で使うかは分からない。三級品だというが、一度天鋼製の仙具を試してみて、仙樹の杖よりも具合が良さそうならそちらを使おうかと思っている。
今回、駿河家に来た理由に、実はそれも含まれている。なんなら第一級の仙具も見せてもらえないかと画策中だ。さらに言えば「一級は無理だろうけど二級の仙具くらいなら譲ってもらえないかなぁ」なんて、都合の良い事まで考えている。そしてそのためにも、まずは駿河家の用事に協力するべきだろう。颯谷は剛の方を向いてこう尋ねた。
「で、オレは何をすればいいんですか?」
「そうだな。まずは氣を流してみて欲しい」
剛はそう答えた。普通の木とは異なり、仙樹は氣との相性が良い。普通の木の枝に氣を通そうとすると折れたり弾けたりするが、仙樹の枝の場合はしっかりと氣を受け止めてくれるので、それによって強化することが可能なのだ。
そしてその性質こそが、いま仙樹に注目が集まっている最大の理由である。つまり仙具の素材として仙樹を使えないか、というわけだ。ただ颯谷は内心で首をかしげる。仙樹が氣を通すことは分かっているのだから、今更それを確認しても意味がないと思うのだが。
とはいえ剛にも何か考えがあるのだろう。そう思い、彼は近くにあった枝の一本を手に取り、言われた通りそこへ氣を流した。そして小さく顔をしかめる。
「ん……?」
「どうかしたか?」
「いえ、通ることは通るんですけど、通りが悪いというか……」
首をひねりながら、颯谷はそう答えた。そして以前にも同じようなことがあったことを思い出す。あれは最初に使っていた仙樹の棒が折れたときのことだ。新しい棒を使い始めたとき、今と同じように氣の通りが悪いような気がした。彼がそのことを話すと、剛は顎先を撫でながらこう言った。
「ふむ……。使い慣れたものと比べると、そう感じるのか……? 颯谷は自分のを持ってきていたな。改めて比べてみてくれないか」
「分かりました」
そう答え、颯谷は細長いケースから仙樹の杖を取り出す。それを見て剛たちは「ほう」と声を漏らした。一見するとただの木の棒だが、使い込まれていて妙な風格がある。見物人たちの視線がそこへ集まる中、颯谷は改めて氣の通り具合を比べた。
「やっぱりコッチの方が、通りがいいですね」
そう言って颯谷は仙樹の杖を掲げて見せる。そう断言するからにはハッキリとした違いがあるのだろう。剛はこう尋ねた。
「どのくらい差がある?」
「えっと、一割か二割くらい?」
「なるほど……。私も試してみて良いかな?」
剛がそう言うので、颯谷は彼に仙樹の杖を貸した。剛はそこへ氣を通し、そして顔をしかめる。彼は困惑気味にこう言った。
「私には、こちらのほうが通りが悪いように感じられるのだが……。それこそ、一割か二割くらい」
「ええ?」
剛の感想を聞いて、今度は颯谷が困惑の声を出す。正之も試してみたが、結果は剛と同じ。それを受けて颯谷はますます困った顔になった。
「あの、オレは本当に……」
「ああ、分かっている。颯谷がウソをついているとは思わない。……もしかしたら、ソレは君の氣に馴染んだのかもしれないな」
「叔父さん。その、“馴染んだ”というのは?」
正之が仙樹の杖を颯谷に返してから剛にそう問いかける。剛は苦笑しながらこう答えた。
「いや、馴染んだという表現が正しいのか分からないが。正之も氣で個人をある程度識別できるだろう? つまり氣には指紋のような、個々人の型があると考えられる。仙樹は使い続けるうちに、その型に適応していくんじゃないのかと、そう思ったわけだ」
「そうだとしたら画期的ですね……」
「ああ。だが検証するべきことは多い」
最も重要なのはこの適応化に再現性があるかだろう。つまり颯谷以外の氣功能力者でも同じ結果になるのか、ということだ。再現性があった場合、どの程度まで氣の通りが良くなるのか、加工しても適合した特性は残るのか、あるいは加工してから適応化した方が良いのか、などなど。検証したい内容は多岐に及ぶ。
また仮に同じ結果にならなかった場合、それでも例外とするにはまだ早い。例えば「異界の中でしか適応化は起こらない」というような仮説が立てられるからだ。それも検証する必要があるだろう。
あれやこれやと意見を出し合う剛と正之。颯谷はそこへ加われない。加わるだけの知識やアイディアがないからだ。彼が置いてけぼりになっていると、それを見かねたのか木蓮が叔父と兄にこう声をかけた。
「叔父様もお兄様もそのへんで。颯谷さんが困っていますよ」
「ん……? ああ、すまない。つい夢中になってしまった」
そう言って剛は颯谷に謝った。それでも彼の顔には好奇心が浮かんでいる。正之の方も同じだ。そんな二人に颯谷はこう尋ねた。
「いえ……。でもこれってそんな画期的なことなんですか?」
「もちろんだ。仙樹は手に入れやすく、それでいて加工しやすい素材だ。例えば盾を作ってみるとか、いろいろと用途は思いつく。その仙樹に適応化という特性があるのだとしたら、それはとても画期的なことだ」
「はあ……」
熱く語る剛に、颯谷は生返事を返した。言っていることは分かる。ただ実感として、迫ってくるものがない。「そんなに凄い事か?」という疑問の方が先に立つ。そんな分かっていない颯谷に苦笑しながら、剛は彼にも分かりやすい例を挙げてこう言った。
「例えば君のその仙樹の杖。適応化がさらに進むとすれば、それこそ一級品に匹敵する仙具になるかもしれない」
「!!」
「分かったかな。一級品の仙具を自分たちで作れるようになるかもしれない。これはそういう話なんだ」
剛の話に、颯谷も真剣な顔をして頷く。ただ彼の場合、「一級品の仙具」がどういうモノなのかまだよく分かっていないので、はっきり言って理解の解像度は低い。だがそれでも「一級品」という言葉はなんかスゴい感じがするし、欲しいか欲しくないかで問われれば当然欲しい。それが手の届くところにあるかもしれないというのは、真剣になるのに十分だ。
その後、颯谷たちは思いつく限りの実験を行った。仙樹の枯れた葉っぱは、氣を通すことはできたが、どうも許容量は少ないらしい。少し量を増やしたら、ボロボロになって崩れてしまった。これは剛や正之も同じ結果になったので、颯谷が流した氣の量が特別に多かったわけではない。
彼がやらかしたのは、爪楊枝ほどの太さの細枝に氣を流したときのこと。最初に剛と正之がやり、二人とも全力で氣を込めたが細枝に変化はない。一方で颯谷が全力で氣を通してみたら、なんとその細枝が内側から弾けるようにして折れてしまったのだ。
「えぇっと、耐久力には限界があるみたいですね」
「……どうやらそのようだ」
ごまかすように肩をすくめる颯谷に、剛は絞り出すようにそう答えた。無限に氣を通せる素材などあるはずがないのだから、耐久力に限界があるのは当然だろう。とはいえこの耐久力は枝、もしくは棒の太さや長さに比例するものと思われる。それで剛は内心でこうつぶやいた。
(この細さであれだけの氣に耐えられたのだ。実際に使う場合には、耐久性など気にしなくていいだろう)
そう思ってしまうくらい、颯谷が流し込んだ氣の量は膨大だった。さすがは一人で異界征伐を成し遂げた猛者と言うべきか。一体どれくらいのモンスターを倒したのか、空恐ろしくなる。だが当の本人は細枝を折ってしまったことを気にしてか、話題をそらそうとしてこんなことを言った。
「で、でも、木材だと、加工しやすいと言っても使えるものには限界がありますよね」
「いや、そんなことはないよ。今はセルロースナノファイバーっていうのがあるからね」
そう答えたのは正之だ。仙樹をセルロースナノファイバーの形にしてやれば、作れる製品の幅は広がるしその強度も高められるだろう。問題はコストだが、それも一級品の仙具を金で買えるとなれば、3億や5億、出すところはあるだろう。
さらに可能性の話で言えば、セルロースナノファイバーは食品に混ぜることもできる。つまり仙樹由来のセルロースナノファイバーが入った食品を食べることで、異界の外でも氣功能力を覚醒させることができるかもしれない。
そういう意味でも、やはり仙樹は可能性の塊だ。三人はあれやこれや言いながら検証を続けた。木蓮はその様子をニコニコしながら見守っていた。
~やらかしたとき~
颯谷(やっば……!)
剛&正之(やっば……!)




