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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
次の異界征伐までにやる幾つかのこと

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駿河家6


 定期テストを乗り越えた高校生に待っているモノ、それは長期休暇、夏休みである。颯谷は全科目平均点以上でテストをクリアしており、夏休みの補習はない。二年ぶりの平和な夏休みを満喫しようと思っていると、木蓮が彼をこう誘った。


「ウチに遊びに来ませんか?」


「それってつまり、静岡県の駿河家ってことだよね?」


「はい。そうですよ」


「えっと、いいの?」


「もちろんです」


 木蓮はにっこりと微笑んでそう答えた。聞けばこの話は彼女の思いつきではなく、当主にして叔父の剛から来たのだという。そのあたりの経緯と事情を、彼女はこう説明した。


「実はお兄様が異界から仙樹の枝を何本か持ち帰ってきたんです」


 六月の上旬に長野県南部に顕現した異界は、七月の半ば過ぎに征伐された。多少日数がかかった印象だが、慎重に征伐を進めたのだろう、征伐隊の損耗率は低かった。


 駿河一門から征伐隊に加わった能力者たちについて言えば、重傷者が二人出たものの、死者はゼロで他はすべて軽傷。木蓮の兄の正之も無事に生還した。おかげでこのころは木蓮の表情も明るい。


 そしてその正之が、仙樹の枝を何本か持ち帰ったという。これは剛からの依頼というか指令で、もとをたどれば颯谷が「氣功との相性が良い」と話し、異界の中で武器として使っていたことに端を発する。


 要するに、どの程度のモノなのか検証してみよう、ということだ。ちなみにこの話は駿河家以外にも伝わっており、今回の異界征伐では仙樹の枝を持ち帰る者が多かったという。


 そして肝心の検証だが、こちらは完全な手探り状態。今は思いつくことをひたすら試してみる段階だ。そしてその最中に剛が思い出したのがそもそもの発端、つまり颯谷のことだったわけである。


「いろいろ意見を聞きたいと、叔父様が」


「意見って言われてもなぁ」


 そう答えて颯谷は苦笑を浮かべた。仙樹の枝について、彼は別に学術的な調査や実験を行ったという認識はない。「武器として使えそうだから振り回していた」というのが率直なところで、「検証」とやらに自分が役立つとは思えなかった。


 とはいえ剛はそれでも良いと言っているそうだ。ただできるなら颯谷が使っていた仙樹の棒を、長短二本持ってきて欲しいという。意見云々よりはそちらが本命で、正之が採ってきたものと比べてみたいのかもしれない。颯谷はそんなふうに思った。


「あとは、お兄様との顔合わせも画策しているのかもしれません」


 木蓮は剛の意図についてそう推察する。前回駿河家を訪ねたときには、正之とは顔を合せなかった。二人の顔合わせのために仙樹の枝の件はちょうどよかったのではないか。木蓮はそう考える。


 ただ颯谷に言わせると、それはうがちすぎに思える。特権持ちとしての自分の価値を低く見積もっているつもりはない。ただお互いの本拠地が離れすぎている。実際に征伐隊で一緒になることはないだろう。であれば、あえて「顔合わせ」をする意味があるとは思えない。


 とはいえ、彼も駿河家へ行きたくないわけではない。夏休みに大きな予定があるわけでもないので、呼んでくれるならぜひ行きたい。それに彼は仙樹の枝とは別に、駿河家が保有する仙具にも興味があった。それで木蓮にこう頼んでみる。


「仙具を見せてもらうことって、できるかな?」


「仙具ですか? 分かりました。叔父様に伝えておきます」


 木蓮は一つ頷いてそう請け負った。予定としては、観光も含めて一泊二日。ただ駿河家に向かう実際の日程としては、八月になってからということになった。正之が異界征伐から戻ってきたばかりだし、まずは木蓮が家族と過ごしてから、というわけだ。


「楽しみですねっ! どこか観光したい場所とかありますか?」


「う~ん、静岡県の観光名所って良く知らなくて……」


「じゃあわたしがピックアップしておきますね!」


 木蓮は目を輝かせながらそう請け負った。今回の趣旨で言えば、観光はあくまでおまけなのだが。まあおまけのほうが楽しそうなのは良くあることだ。颯谷も「あとで自分でも調べてみようかな」と思うのだった。


 そして八月。颯谷はまた在来線と新幹線を乗り継いで静岡県某市まで向かった。荷物はキャリーバッグと筒状のケースが一つずつ。仙樹の杖と仙樹の棒はケースのほうに入っている。およそ一年前と変わらず少々さびれている駅から出てくると、彼はすぐに顔をほころばせた。


 ノースリーブの白いワンピースを着て頭には帽子をかぶった美少女が、黒塗りの高級車の脇に佇んでいる。木蓮だ。いつぞやを彷彿とさせるその構図に颯谷は小さく笑みを浮かべる。木蓮は彼に気付くと、嬉しそうに大きく手を振った。


「お久しぶりです、颯谷さん。さ、どうぞ」


「ん、ありがとう」


 木蓮に促され、颯谷は荷物を車のトランクに積み込み、それから後部座席に座った。前回と同じ運転手さんに挨拶してシートベルトを締めると、車は滑らかに発進する。道中は変わらず快適だった。


「こっちはやっぱり暑いね」


「はい。すでに向こうがちょっと恋しいです」


「まあその分、冬は寒いんだけど」


「それは今からちょっと心配です……」


 二人がそんな話をしているうちに、車は駿河家に到着した。車を降りると、颯谷は木蓮に案内されて前と同じ庭に面した和室に通される。そこには剛ともう一人、若い男の姿があった。細身だが、良く鍛えられた身体をしている。座っているが、大柄な剛とほぼ同じ頭の高さなので、結構な長身なのだろう。年齢は二十過ぎに見える。彼は剛に促されてこう名乗った。


「駿河正之です。どうぞよろしく」


「桐島颯谷です。こちらこそ、よろしく」


 颯谷も名乗って一礼する。剛に促されて座布団に座ると、彼の妻の美咲が人数分の飲み物を持ってきた。ちなみに冷たい麦茶。それを一口飲むと、剛が颯谷にこう言った。


「だいたい一年ぶりか。木蓮からいろいろ聞いてはいたが、やっぱり成長期だな」


「まあ、背は伸びました」


「それだけじゃない。精悍さも増したように見えるぞ」


 剛がそう褒めると、颯谷は少し恥ずかしそうにはにかんだ。一年前に会ったときは、自身を取り巻く環境が大きく変わったせいもあるのだろう、「大きな力を持て余す子供」という印象だった。


 だが今は違う。彼はもうひとかどの氣功能力者だ。氣の量は増えていないはずだが、彼が真面目に鍛錬を重ねたことははっきりと伝わってくる。自信や風格というのは言い過ぎかもしれないが、こうして自然体でいられること自体立派なものである。


 さて麦茶を飲みながらまず話したのは、先日正之らが征伐した異界のこと。異界に取り込まれた土地の六割ほどは田んぼだったのだが、なんとそれらの田んぼが湿地化していたのだという。


「モンスターはいわゆる半魚人だったんだけどね。陸地ならともかく、湿地でこいつらと戦うのは大変だったよ」


 当然ながら湿地は足元が悪くて戦いづらい。思うように動けず、頭から倒れて泥を食ってしまったと、正之は苦労をしみじみと語った。


 征伐の面から言っても、ヌシがいたのは湿地帯の中で、この環境は征伐の妨げになった。しかも半魚人どもは湿地でも俊敏に動ける。本来なら多数の死傷者を覚悟しなければならない状況だ。


「あれ、でも被害は少なかったんですよね。どうやったんですか?」


「埋め立てたんだ」


 正之はさらりとそう答えた。すでに話を聞いていたのだろう。木蓮ら三人の反応は薄い。だが初めて聞く颯谷は目を丸くした。そしてそんな彼の反応がうれしかったのか、正之は少し得意げにこう続ける。


「重機が放置されていてね。鍵もついていたから、それを使わせてもらったんだ」


 作戦の流れとしてはこうだ。まず双眼鏡などを用い、ヌシと思われる怪異モンスターのいる場所を特定。地図上でそこを確認し、最短距離でそこへ向かえるルートを決め、重機を使って湿地へ土砂を投入していくのだ。


 しかしながら、モンスターも黙ってみているわけではない。当然、邪魔をしてくる。ただモンスターは主に湿地で出現することが分かっていたので、征伐隊は一計を案じた。埋め立て工事をやっているのとは別の場所へモンスターをおびき寄せて叩くことにしたのだ。


「つまり、釣り野伏せだよ」


 まず幾人かが湿地の端っこで半魚人どもを挑発する。そうやってヘイトを稼ぎ、半魚人どもが群がってきたところで後退し、味方が待ち伏せている場所まで誘導するのだ。そこは当然乾いた陸地で、征伐隊は半魚人どもを次々に打ち倒した。正之も泥を食わされたうっぷんをしっかり晴らしたという。


 もちろんそれで埋め立て現場にモンスターが現れなかったわけではない。ただその数は激減した。護衛を置きつつ埋め立ては進められ、半月ほどかかって完了した。そしてその埋め立てた道を使って精鋭部隊を投入。ヌシを釣り出して討伐したのだった。


「今回はかなりやりやすかった」


 正之はしみじみとした口調でそう総括した。その感想は決して彼の主観というわけではない。数字にも表れている。今回の異界征伐における征伐隊の損耗率は約5%。それを聞いて颯谷は目を丸くした。


「凄いですね……。平均は三割弱だって聞いたことがあるんですけど……」


 確かニュースでそんなことを言っていたはずだ。これに特別徴用義務の三年間で三回異界征伐を行うとすると、その最終的な損耗率はエラいことになるな、と慄いた記憶がある。ただ剛や正之は苦笑を浮かべている。そして剛はこう言った。


「あ~、その数字はいろいろカラクリのある数字だからなぁ」


「カラクリ?」


「そう。まず損耗率というのは死亡率とイコールじゃない」


 ここでいう「損耗」とは、つまり「今後、戦力として数えられない」ことを意味する。生きてはいるものの、片腕を失ってしまった場合などがこれに相当する。骨折などの場合は、治れば復帰できるので損耗とは考えられない。よって損耗したとして計算されても、その全員が死んでいるわけではないのだ。


 ちなみに三年間の二年目で例えば片腕を失って「損耗」したと認定された場合、報奨金を受け取ることは当然できるし、さらにそれ以後の義務は免除される。ただし再び征伐隊に志願して報奨金を受け取った場合は、「能力がある」と判断されて再び義務を負うことになる。


 まあそれはそれとして。平均損耗率のなかで死亡率だけを見ると、だいたい13%前後と言われている。30%弱という数字と比べると、ちょっとホッとできる数字だ。そして剛のいうカラクリとはこれだけではない。


「平均値なんだ。中央値じゃない」


 例えば5つの数字「2,5,6,13,104」があるとする。合計値は130だから、平均値は26となる。一方で中央値は「小さい順に並べたときの真ん中の数字」なので、この場合は6になる。つまり偏りが大きい場合、平均値というのは必ずしも特徴をしっかりと反映しているとは言い難いのだ。


「異界征伐の場合、損耗率が100%を超えることがあるだろ? そういう数字も含めていくから、平均値は大きくなりがちなんだよ」


「じゃあ、中央値だと損耗率はどれくらいなんですか?」


「たしか、二割弱くらいじゃなかったかな」


 ちなみに中央値の場合、死亡率は一割弱と言われている。平均値と比べるとずいぶん差がある。数字のカラクリを教えてもらい、颯谷はやや唖然とした様子で「はあ」と呟いた。そんな彼に剛は苦笑しながらさらにこう告げる。


「平均値も決してウソのデータってわけじゃない。ただ現場感覚で言わせてもらえば、ちょっとズレているな」


「じゃあなんで平均値を使っているんですか?」


「たぶんだが、まず分かりやすいというのが一つ。それから損耗率が極端に高い例があるっていうのも事実だからな。そういうのを例外扱いして軽く考えないで欲しい、っていうのもあると思うぞ」


「なるほど……」


 颯谷は納得の表情を浮かべた。異界征伐の報奨金は巨額だ。お金に目がくらみ、低い方の数字だけ見てこの業界に飛び込んでくるとしたら、それは確かに問題だろう。「平均損耗率30%弱」というのは、そういう連中に冷や水をぶっかけるための、ある種の脅しなのだろう。彼はそう思うのだった。


正之「したくて泥パックしたわけじゃないぞ」

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― 新着の感想 ―
読み返して気付いたのですが、 >>重傷者が二人出たものの、死者はゼロで他はすべて軽傷。 と長野県南部異界の記載がありますが、颯谷が参加した大分県異界の総括ミーティングにて >>死亡率ゼロというのは奇跡…
[一言] まさかの埋め立ていいですねwこれぞ文明と数の力
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