セミナー2
国防軍にも昼は来る。そんなわけでセミナー一日目はお昼休みを迎えていた。受講生は基地内の食堂で昼食を食べている。休み時間なだけあって、受講生たちもリラックスした雰囲気だった。
「ここ、いいかな」
受講者の一人がカレーライスを乗せたトレーを颯谷のとなりに置く。颯谷が頷くと、彼はそのまま椅子に座った。
「小野寺健太だ。よろしく」
「桐島颯谷です」
「知っているよ。有名人だからね」
悪戯っぽくそう言われ、颯谷は肩をすくめた。一方で彼は健太や小野寺家のことは何も知らない。それが顔に出たのだろう、健太は笑いながらこう言った。
「僕のことは知らなくて当然だと思うよ。ウチはいわゆる分家筋でね。本家は楢木家っていうんだ。こっちは聞いたことがあるんじゃない?」
「聞いたことなら」
日替わり定食のメンチカツを食べながら、颯谷はそう答えた。楢木家といえば、たしか東北地方の有力武門だったはず。ただ颯谷にとっては県外の武門で、そのため挨拶にはいかなかった。
「いろいろ話を聞きたいと思っていたんだ。このセミナーで会えてラッキーだったよ」
「はあ」
颯谷が気の抜けた返事をしていると、二人の会話を聞きつけて他の受講生たちも集まってくる。たちまち颯谷が食事をしていたテーブルの周りには人だかりができた。
問われる度に答えを返していく颯谷。いろいろと答えていくたびに他の受講生たちの顔が強張っていく。彼らの心情を代弁するかのように、健太が呆れ気味にこう言った。
「言いたいことはいろいろあるけど……、まずね、そんなに氣を使っていてもつものなのかい?」
「腹は減りますよ」
「腹が減るで済んでる時点でおかしい」
「いやそんなこと言われても」
腹が減るのは、颯谷的には結構大問題だったのだが。ただまあ、言わんとしていることは分かる。似たようなことは当時彼も考えたからだ。それで彼は自分が考えたことをこう答えた。
「まず夏だったこと。これが最初の幸運ですね。おかげで氣を増やす時間がありました。あとはやっぱり仙果じゃないかな。アレには氣功的なエネルギーの補充効果もあるんだと思います」
「そういう可能性もあるか……。普通は仙果だけ食べるなんてことはしないからなぁ」
「飽きますもんね」
「そういう問題じゃない。普通は持ち込んだ食料がメインで、仙果はあくまでも+αって位置づけなんだよ」
「そうそう。じゃないと仙果の確保だけで手いっぱいになって、肝心の征伐が進まないからな」
「なるほど。人数が多いから……」
「そういうこと。……まあ訳知り顔で話してるけど、征伐に関して言えば、ここにいる連中なんてほとんど新人なんだけどねぇ」
受講者の一人がそう言うと、他の受講者たちも揃って苦笑を浮かべた。ここにいるのは異界征伐の経験回数が一回かゼロ回の者たちばかり。経験者も異界に入ったのは氣功能力の覚醒が目的で、征伐のために最前線で戦ったわけではない。そういう意味で言えば、颯谷の方がよほど玄人である。
「オレのやり方が普通じゃないってことは、自覚してるつもりですよ」
そう言って颯谷が肩をすくめると、周囲の受講者たちは反応に困った様子だった。征伐隊は成果主義。つまり結果を出した奴が一番偉いし、成果を上げた方法にこそ倣うべき。そういう考え方は彼らの中でも主流だ。
とはいえこうして少し話を聞いただけでも、颯谷のやり方が異質であることは分かる。彼の場合は仕方のない事情があったわけだが、普通はそうではないのだから、彼の話は参考程度に聞いておけばよいのではないか。いやしかしより厳しい状況で通用した方法こそ優れていると言えるのではないか……。思考だけはグルグルと回る。
「……颯谷君は、その、異界征伐を今後どうやっていけばいいと思う?」
他の受講者たちの困惑を見て取り、健太は颯谷にそう尋ねた。ずいぶんざっくりした質問だとは思うが、そもそも何を尋ねればいいのかも曖昧なのだ。それでしっかりとした返答は期待していなかったのだが、それでも颯谷はこう答えた。
「そもそも普通のがどんな感じなのか分かんないんですけど……。でもまあ、皆さんもっと氣の量を増やした方が良いと思いますよ。道場の先輩たちもそうですけど、ちょっと心配になりますよね。あんなに少なくて大丈夫なのかなって」
「なるほど。覚えておくよ」
健太はどうにかそれだけ答えた。そして内心でこう思う。「これが一人で異界征伐を成し遂げた者の感覚か」と。誰も彼も実力不足だと言われているようで、いっそ新鮮だった。
さて昼休みが終わると、午後の講義が始まる。講義室に戻ると、颯谷はあることに気が付いた。午前と比べ、人数が増えている。彼が首をかしげていると、健太がこう教えてくれた。
「あの人たちは、このセミナーへの参加が二回目とか三回目の人たちだよ。そういう人たちは、特に座学は自分が出たいものだけ出るんだ」
それを聞いて、颯谷は「なるほど」と思った。確かに「異界征伐の歴史と現在の基本的対応方針」などは何度聞いても内容はそんなに変わらないだろう。希望する講義だけ出るというのは合理的だ。
まあそんな贅沢は初参加の颯谷には許されないわけだが。しかも彼の場合、学校にレポートを提出しなければならないので、普通に受講するより大変だ。「寝ないようにしないと」と思いながら、彼は午後の講義が始まるのを待った。
午後からは主に地図の見方や読み方、つまり利用方法を学ぶ。実際の異界征伐ですぐに役立ちそうな内容だ。颯谷も集中力を高めて講義を聞いた。
講義ではまず、地図の基本的な見方や記号の意味などを扱う。植生や気候などにも話はおよび、地図の講義というよりは地理の授業を受けているようだった。またコンパスの使い方も学ぶ。その際、講師役の軍曹はこういった。
「異界の中では地図アプリもナビも使えません。また土地勘のない異界へ突入しなければならないことも多いでしょう。紙の地図とコンパスが皆さんの命綱です。アナログな方法ではありますが、しっかり学んでいただければと思います」
確かに颯谷も、異界の中で「地図があれば」と思ったことが何度もある。彼は小さく頷いた。それに気づいたのか、それとも偶然か。講師役の軍曹はさらにこう続ける。
「もっとも、異界の中では地形が変わっていたり、地磁場が乱れていてコンパスが使い物にならなかったりする場合があります。地図もコンパスも絶対でありません。そのことは覚えておいてください」
颯谷は思わずずっこけそうになった。「じゃあどうしろっていうんだ」と思うが、それだけ異界という環境が多種多様、いや異常ということなのだろう。報奨金を受け取り特権持ちとなった以上は、そこは前提として受け入れるしかない。そのうえで出来る限りの準備をするのだ。
講義自体は「地形に大きな変化はない」という前提で進む。講師役の軍曹は大きな地図を黒板に張り付けた。地図には大きく円が描かれていて、どうやらその内側が異界に飲み込まれたという設定らしい。ちなみにテキストにも同じ地図が記載されている。
「さてこの場合、どういうルートで異界に突入することが考えられますか?」
異界への突入ルートとしてまず候補に挙がるのは、当然ながら舗装された道路だ。異界のフィールドによって内側と外側を区切られているとはいえ、道路自体は続いている。であればコレを使うのが一番移動しやすい。またどこへ続いているのか、地図上で容易に確認できるというのも理由の一つだ。
また舗装された道路であれば、車両を使用できるというのも大きい。例えばトラックを使えれば、大量の物資を異界内部へ持ち込むことができる。逆に車両が使えない場合は、すべて人力で物資を運ばなければならない。持ち込める物資の量は雲泥の差で、可能ならばトラックを使いたいし、そのためにもやはり道路に目が向く。
トラックを使うことにはデメリットもある。移動ルートが制限されてしまうことだ。するとどこに拠点を置くのか、どういうルートで異界の中心部へ向かうのかなど、多方面で制限を受けることになりかねない。だからある場合には、トラックは途中で放置しておいて、必要に応じて物資を回収しに戻る、ということもあるという。
「やはりこの幹線道路から突入するのが一番良いのではないかな」
「いや、東からが良いと思う。途中に大きな駐車場があるから、トラックを停めてそのまま拠点化してしまえばいい」
「馬鹿者、ちゃんと地図を読め。そこは異界のなかで一番低い場所だ。つまり雨が降ったら水没する恐れがある。そんな場所に物資を置いておけないし、拠点を置くなどもってのほかだ」
(なるほど……)
さすがは異界征伐の経験者たち、というべきか。侃々諤々の議論に颯谷は参加できない。内容を理解するだけで手いっぱいだ。議論は白熱し、度々脱線し、そのたびに軌道修正する講師役軍曹の努力が涙ぐましい。そんな中で颯谷はひたすらメモを取り続けた。
(でもそうか……、単純に入りやすい場所ってだけじゃダメなんだな)
征伐のためには異界の中心部へ向かわなければならない。それを念頭に置いた上で突入ルートを、ひいては進攻ルートを定めるのだ。ただこの二つが必ずしも両立できるとは限らず、その場合どちらを優先するのかも考えなければならない。
(オレなら……)
活発なディスカッションを聞きながら、自分ならどうするかを颯谷も考える。自分なら進攻ルートを優先させるだろう。サッと行ってパッと片付けるのが、結局一番いいように思うからだ。
講義では、休憩をはさんでさらに二つのパターンで同様の議論が行われた。講師役の軍曹が講義用に選んだ例題だけあって、それぞれ特徴的な例だ。例えば山を越えて最短ルートで行くべきか、それとも大回りになるが谷を歩いていくべきか、はたまた別のルートがあるのか、それを考える例題もあった。
「最短ルートは急峻すぎる。谷は細くて逃げ道がない。等高線を見ると、西からのルートが比較的なだらかだ。これがベターじゃないかと思う」
「いやそれなら南からの方が……」
いずれの例題でも議論は盛り上がった。そして結局、颯谷は一言も発言しなかった。ここに加わるためには知識も経験も足りていない。彼はそれを実感するのだった。
さて、セミナーの一日目が終わった。受講者たち二手に分かれる。帰路につく者と、基地に残る者だ。颯谷は後者で、セミナーの間中、彼は基地内に宿泊する予定だった。
彼と同じように基地に泊まる者は何人かいる。宿泊費が無料なことや、翌日の朝の時間が比較的ゆっくりできることなどがメリットだ。また他の武門や流門の者たちと交流する機会にもなる。
「え、報奨金って単純な頭割りじゃないんですか?」
昼食と同じ食堂で夕食を食べながら、颯谷は思いがけないその話に驚いた。辞退はあり得るとして、外から功績の大小など判断できないのだから、報奨金は単純に頭割りだと思っていたのだ。
「基本は頭割りだよ。でもね、氣功の覚醒目的で行く奴と、主力としての働きを期待されている人が同じ報酬じゃ、さすがに不公平だろ?」
「それは、まあそう思いますけど。でもどうやって差をつけるんです?」
「異界に突入する前にミーティングをするんだけど、そこで大まかな報酬の取り分を決めておくんだ。主力級の奴は10、新人は1みたいにな」
そう教えてくれたのは、これまでに三度異界征伐を経験したという男。例えば110の報酬を玄人と新人の二人で分ける場合、頭割りだと平等に55ずつになる。だが玄人10新人1で分けると、玄人100新人10の配分になる。だが颯谷は首をかしげてこう尋ねた。
「新人側が納得しなかったらどうするんですか?」
「新人が10でもいいさ。ただその場合はハブるがね」
そう言って男はニヤリと笑った。それはつまり異界のなかでまったく協力しないという意味だ。氣功能力未覚醒の新人が一人で異界の中に放り込まれたら、99%以上は死ぬだろう。つまり事実上の死刑宣告である。それがイヤなら分をわきまえろ、ということだ。
「一人前の報酬を貰うってことは、一人前の働きをするってことだ。こっちも命懸けだし、仲間を選ぶ権利はある。殻も取れてないようなヒヨコ野郎に『イー子、イー子』してやる義理はねぇな」
「厳しいですねぇ」
そう呟きながら、颯谷は豚の生姜焼きに箸を伸ばした。そんな彼を見ながら、他の受講者たちは揃ってこう思ったという。
((((いや、一人で異界征伐させられる方がはるかに厳しいから))))
知らぬは颯谷ばかりである。
健太「腹が減るで済まされちゃ、コッチの立つ瀬がないね、まったく」




