高校入学1
四月。ソメイヨシノがそろそろ開花しようかという季節、私立葛西南高校で入学式が行われた。ちなみに制服はブレザー。中学は学生服だったので、颯谷はなんだか新鮮に感じた。
葛西南高校には、当然ながら新入生がたくさん来ている。そしてそこで颯谷は答え合わせの結果を目撃した。自分と同じ新入生の中に、駿河木蓮の姿を見つけたのだ。
(やっぱりか)
颯谷は内心でそう呟いた。彼女の様子からして多分そうだろうとは思っていた。だから度肝を抜かれるほどに驚きはしない。だがその一方でやはり驚きはある。彼女の実家から遠く離れたこの東北の地方都市の、それも大学ならともかく高校をわざわざ選んで進学したのだ。簡単な決定だったはずがない。それでも彼女はここへ来た。
「なぜ?」という疑問は当然頭に浮かぶ。理由としては「颯谷が特権持ちだから」だろうか。だが「それだけじゃない」とも彼女は言っていた。それは一体どういう意味なのだろう。少しはうぬぼれてもいいのだろうか。
いやでも明言したわけではないし、勘違いかもしれない。でもあの様子からすると……。このことについて考えると颯谷の頭の中は混乱してしまう。それで実はあまり考えないようにしていた。
さて入学式には父兄も来る。入学式後、颯谷は木蓮がスーツ姿の女性と一緒にいるのを見つけた。多分彼女が母親なのだろう。颯谷と木蓮の目が合うと、彼女が母親に何かを告げる。颯谷たちの姿を見つけると、彼女は颯爽と歩いて近づいてきた。そして丁寧にお辞儀してこう言った。
「初めまして。木蓮の母で、駿河薫子と言います」
「あ、これはご丁寧に。颯谷の祖父の、桐島玄道です」
保護者同士が挨拶をかわし、子供の方もそれぞれ挨拶をする。記念写真を撮ってから、薫子が「少しお話しませんか」と誘うので、四人は近くのファミレスに移動した。「好きなものを頼んでいい」というので、颯谷と木蓮は遠慮なくパフェを注文。玄道と薫子はコーヒーだけ頼んでいた。
「へえ、じゃあ木蓮は一人暮らしなのか」
「はい。あとでマンションの住所と部屋の番号を教えるので、遊びに来てくださいね」
子供たちのそんな会話を聞きながら、薫子はわずかに苦笑を浮かべる。それに気づき、玄道は彼女にこう声をかけた。
「それにしても、良く送り出されましたな。心配ではなかったのですか?」
「心配です。もちろんあれこれ手配はしましたが、こればかりは……」
「でしょうなぁ」
「それにあの子は少し世間知らずなところがありますから……。桐島さんも、少し気にかけてやってもらえませんか?」
「それは、まあ、私で良ければ……」
玄道は少し躊躇いながらそう答えた。薫子は「ありがとうございます」と言って頭を下げ、それからさらにこう言った。
「心配と言えば、桐島さんの方こそずっと心配だったのではありませんか。その、颯谷さんのこと」
「……正直、生きた心地がしないというか、まあ……」
玄道はそう言ってコーヒーを一口啜った。言葉を濁したつもりはない。あの恐怖を、あの心労を、どう言葉にすればよいのか分からなかったのだ。薫子も心得た様子で、真剣な眼差しをしながら一つ頷いてこう答える。
「心中、お察しします」
「ああ、いやぁ、私などは……。駿河さんこそ、武門の方だ。毎度心配しておられるでしょうに」
「わたし達は覚悟の上ですから。それに恩恵も受けています。いえ、こういうのはきっとお金の問題ではないのでしょうけれど……」
薫子は「いけませんね、どうしてもそういう考え方になってしまいます」と言って少し自嘲気味に笑った。玄道は「いえ」と言って小さく頭を振る。
異界征伐は常に命懸け。いくら巨額の報奨金が出るとはいえ、そのお金で安心が買えるわけではない。待つ者の気持ちは待つ者にしか分からないのだ。玄道はようやく自分の気持ちを整理できたような気がした。
その後、颯谷たちは他愛もないおしゃべりを続けた。玄道が山持ちで、しかもその山で松茸が採れることを知ると、木蓮と薫子は驚いていた。薫子は一瞬不動産会社の社長の顔をしていたような気がしたが、きっと颯谷の勘違いだろう。
そして新学期が始まる。残念ながら、颯谷と木蓮はそれぞれ別のクラスになった。それでも同じ学校にいれば顔を合わせる機会は多い。木蓮はなにかと颯谷に話しかけたし、彼もそれがイヤではなかった。
「颯谷さんは、部活はどうするんですか。山岳部とか、キャンプ部とかありましたよね?」
「いや、なんでその二つなのさ。まあ確かに異界の中で役立つかもしれないけどさ」
木蓮のチョイスに颯谷は苦笑を浮かべながらそう答えた。そういうアウトドアやサバイバルの技能を身に付ければ、確かに異界征伐においても役立つかもしれない。だが彼としては気乗りしなかった。「もうさんざんやったわい」というのが先に立ってしまうのだ。せっかく文明圏に帰ってきたのだから、その恩恵に浴していたかった。
それに学校の部活というのは、あくまで愛好家レベルの活動だろう。そこへ異界征伐を念頭に置いた、いわばガチ勢が乱入しては場が白けるというもの。要するに目的意識の違う者がデカい顔して混じるものではない、ということだ。それで彼は木蓮にこう答えた。
「帰宅部かなぁ。正直、部活よりは道場を優先したいし」
「ああ、なるほど……。それはそうですね」
颯谷の答えを聞いて、木蓮は納得したようで一つ頷いた。赤紙はいつ来るのか分からない。部活よりそれに備えるべきと考えるのは当然だろう。それに考えようによっては道場だって部活のようなものである。
「木蓮はどうするの?」
「わたしは軽音部にしようかと思っています」
「軽音部ってことは、バンド? へえ、ちょっと意外」
「わたしも大会とかはあまり目指す気はないので……。ピアノを習っていたので、キーボードならすぐにできますし」
「ピアノかぁ。うん、なんかそれっぽい」
颯谷は大きく頷いた。木蓮は正真正銘のお嬢様。習い事としてのピアノというのは、むしろスタンダードだろう。他にもお茶とかお花とかやっていそうである。まあすべて颯谷の勝手なイメージの話だが。そんな彼に、木蓮は苦笑しながらさらにこう言う。
「それって褒めてます? でもせっかくなので新しいことにも挑戦してみたくて、ドラムとか、やってみたいんですよね」
「ドラム……?」
木蓮がドラムを叩いている姿を想像して、颯谷はちょっと険しい顔をしてしまった。まるで日本人形のような木蓮がドラムスティックを振り回している姿というのは、どうにも違和感が強い。
つまりドラムは颯谷が持っている彼女のイメージからは外れてしまうのだ。ピアノはイメージのど真ん中だっただけに、どうしても「似合わない」と感じてしまう。それを感じ取ったのか、木蓮はやや不満げにこう詰め寄った。
「そんなに似合いませんか?」
「そ、そういうわけじゃないけど……。でもなんでドラムなの? バンドと言えばギターがメインだと思うんだけど」
「わたし、ピアノは結構自信があるんです」
「…………?」
「ピアノは打楽器ですから。同じ打楽器のドラムなら、きっとうまくやれます」
いかにも自信満々に木蓮はそう言った。「フスン」という鼻息まで聞こえてきそうである。一方の颯谷はその超理論、いや謎理論に唖然としてしまう。こうしてこの日、彼は木蓮の新たな一面を知ったのだった。
さてこんなふうに二人が話す姿は、入学間もないころから頻繁に目撃された。そして二人がかなり親しげであることは、木蓮がとびきりの美少女なこともあって、すぐに広まる。そして新入生特有の緊張感が薄れてくるころ、つまり遠慮がなくなってくるころ、彼はクラスメイトたちから追及を受けた。
「おい颯谷。お前、駿河さんとどういう関係なんだよ!?」
「どういう関係って……、名前で呼び合う関係?」
「ギルティ」
「ギルティ」
「ギルティ!」
「なんでだよ」
「じゃあ、どこで知り合った? 同じ中学の出身じゃないって聞いたぞ」
「あ~、ちょっと長くなるんだけど……」
「よし。昼休みにじっくり聞かせろ」
颯谷は気乗りしなかったがクラスメイト、特に男子どもは容赦してくれそうにない。そして宣言通りその日のお昼休みに弁当を食べながら査問会が開かれた。
「まず前提っていうかさ、一昨年、この辺に異界が顕現したじゃん? オレ、アレに巻き込まれたの」
颯谷が最初にそう明かすと、クラスメイトは顔色を変える。その反応を見て、颯谷は「意外と知られてないモンなんだな」と思った。とはいえニュースでは取り残された少年の名前は報道していなかったという話だから、案外こんなものなのかもしれない。
「んでまあ、いろいろありまして? 誰かに相談したいなぁと思ったときに、相談できそうな相手が木蓮の叔父さんだったってわけ」
「なんでそこで駿河さんの叔父さんが出てくるんだ?」
「オレ、一昨年のヤツが二回目でね。九歳の時にも巻き込まれてんの。その時に一緒に巻き込まれて、征伐してくれたのがタケさん。つまり木蓮の叔父さん。そのとき世話になって、その縁だな」
その後、クラスメイトがあれこれ聞くので、颯谷は答えても大丈夫と思える範囲で答えた。駿河家がそもそも静岡県の武門だと知り、クラスメイトたちは驚いていた。
「え、じゃあ、なに、駿河さんってこの高校に通うために引っ越してきたの?」
「なんでわざわざそこまで……? こう言っちゃなんだけど、ウチってそこまで有名校でもないでしょ?」
「バカ、察しろ」
質問した男子生徒が「え? え?」という顔をし、一緒に颯谷を囲んでいた他の男子生徒たちが呆れた顔をする。聞き耳を立てていた女子生徒たちも小さく首を振ったりしている。件の男子生徒はその空気に慄きながら「察しろ」と言われた事柄を考え、「あ、ああ!」と声を上げた。
「つまり颯谷を追っかけてきたのか! モテモテだな!」
「そんな単純な話じゃないんだって」
「付き合ってるのか?」
「だからなんでそんな話に……。いや、付き合ってないけどさ」
「ヘタレめ」
「ヘタレ」
「ヘタレ」
「音痴」
「音痴じゃねーし!」
「つまりヘタレは認めると」
そう突っこまれ、颯谷は言葉に詰まった。だが正直、ヘタレ認定は納得がいかない。告白したこともされたこともないのだ。それにこれは単純な色恋沙汰ではない。それで彼はこう抗弁した。
「……結構複雑なんだよ、この話は」
「どう複雑なんだ?」
「木蓮の意志だけじゃなくて、武門としての駿河家の意向も絡んでるってこと。それがなくっちゃ、木蓮が来たいと言ったからって、親が許すわけないだろ」
颯谷としては至極当然のことを言ったつもりだったのだが、クラスメイトたち(女子も含む)は揃って彼に「何言ってんだコイツ?」という、残念なモノを見る目を向けた。「木蓮の意志」が混じっている時点で、それが「颯谷のため」であることは確定ではないか。
しかも颯谷本人、そのことは分かっているのに、しかし気付いていない。「一年間のサバイバル生活のせいで、情緒まで原始時代に逆戻りしたんじゃないだろうな」とあるクラスメイトは疑った。
とはいえ、あまりお節介を焼くのも野暮というものだろう。木蓮も今は間合いを詰めている最中のはず。周りが「あーだこーだ」と囃し立てて、それで颯谷がヘソを曲げてしまったら彼女に、ひいては武門・駿河家に恨まれかねない。それで男子生徒の一人が彼にこう言った。
「複雑だっていうなら、それこそ一回、ちゃんと話し合っておいた方が良いんじゃないのか?」
「…………」
「仮に駿河さんがお前に恋愛感情ないって言うのなら、俺たちにもチャンスがあるってことだしな。そこんところは、はっきりさせておいてくれよ」
「まあ、そうだなぁ……」
颯谷はそう力なく返答した。今日までなんとなく“なあなあ”にしてきてしまった自覚はあるのだ。いつなら時間があるかな、と彼は頭の中でカレンダーをめくるのだった。
薫子「松茸……! 資産価値は……」




