中学三年生6
いよいよ冬が近くなってきた。颯谷の住む地域でも冬支度が進んでいる。天気の良い日にはあちこちの家で車のタイヤ交換をしているのが、この季節の風物詩だった。
「ソウ、別に手伝わんでもいいぞ。勉強あるんだろ?」
「いや、やるよ。タイヤ重いし、じいちゃん、腰痛いって言ってたじゃん」
晴れ間を見つけて、玄道と颯谷も車のタイヤ交換をした。ナットが固くてこっそり氣功能力を使ってしまった。どうせ毎年のことなのだから、もう少しいい道具をそろえた方が良いかもしれない。
タイヤ交換をしたらやっておかなければならないのが空気圧のチェック。ただみんなが一斉にタイヤ交換をするので、無料で空気圧をチェックできるガソリンスタンドでは長蛇の列ができる。これもこの季節の風物詩と言えるかもしれない。
そして家の周りに初雪が降ったタイミングで、颯谷はマシロたちを母屋のほうに入れた。いくら雨風を防げるとは言え、納屋は半分外みたいなもの。氷点下になることも珍しくないし、いくら何でも寒いだろうと思ったのだ。
いや毛布は置いておいたし、納屋でも十分に冬は越せるのだろう。だが去年の冬を一緒に越冬した颯谷としては、自分だけ暖かい家のなかでぬくぬくとしているのは、なんだか戦友を裏切っているように思えてしまうのだ。
「いいか、糞とションベンは決められた場所でしろよ。それ以外のところでしたら外に放り出すからな」
颯谷はマシロたちにそう言い聞かせた。トイレはちゃんとしつけたので多分大丈夫だろう。だが家のあちこちを汚されるわけにはいかない。トイレを守れないなら本当に放り出すつもりだった。
まあ、そんなことにはならなかったわけだが。三匹揃ってこたつに入っている姿をみるとほっこりする。野生を忘れすぎな気もするが、こういうのもいいだろう。ただ心配なのはヌクヌクしすぎて太らないかということ。それで颯谷はときどき三匹を外へ出して一緒に遊んだ。
「マシロさんや、外に出るたびに悲しそうな顔をするのはやめませんかね?」
「くぅぅぅん……」
なぜこうもマシロはインドア派なのか。いや、寒くなる前は裏山を駆け回っていたし、インドアなのではなくて寒いのが苦手なのかもしれない。ユキとアラレは雪の中でも結構はしゃぐのだが。その個性の差が、颯谷はちょっとおかしかった。
さて勉強のほうだが、実はやることが増えた。推薦入試のため、小論文の対策もしなければならなくなったのだ。楽をするための推薦のはずだったのに、負担が増えるとはこれ如何に。「合格が決まれば楽になるから」と颯谷は自分に言い聞かせた。
学校に受験対策に道場に。そしてさらに自己鍛錬。颯谷は結構忙しい。クリスマスも正月もあったものではない。気づいたら過ぎていた。ちなみに木蓮は、クリスマスはともかく正月は毎年忙しいという。
『一門の方々が挨拶に来られるんです』
彼女はそう言っていた。これは駿河家がどうのというより、武門全体としての傾向だ。血縁による繋がりである以上、どうしてもそうなるのだろう。
ちなみに流門の場合、やはり正月は道場も休みになる。それぞれ自分の家のことで忙しくなるからだ。道場同士のつながりなどもあるし、やはり正月は忙しい。
『まあ、異界が顕現したらそんなことも言ってられんがな』
そう言って笑っていたのは千賀道場のある門下生。それは異界が顕現すれば正月のアレコレから逃げられるという意味なのか。面倒ならやめればいいのに、と颯谷は思ったが口には出さなかった。
年が明けると、少ししてから私立高校の推薦入試が行われる。颯谷は玄道に送ってもらって試験会場へ向かった。小論文を終え、次は面接。番号を呼ばれると、颯谷は試験室へ向かった。そして志望理由を聞かれるとこう答えた。
「異界征伐に関わる事柄を公欠の理由として考慮していただけるとのことで、他校よりも条件が良いと思いました。もちろん勉学をおろそかにするつもりはありませんが、わたしにはそれ以外にもやることがあります。二つを両立できる環境として、御校への進学を強く希望しています」
事前に暗記しておいた志望理由をつっかえずに述べることができ、颯谷は内心で安堵の息を吐いた。ちなみに上記志望理由の原案は「異界征伐をしながら高卒資格が欲しいから」で、それを聞いた担任は頭を抱え、木蓮はにっこり微笑みながら「手直しが必要ですね」と指摘した。「近いから」は止めておいて良かった、と思ったのは颯谷だけの秘密である。
推薦入試試験が終わると、その2~3日後には合否発表が行われる。その日は普通に学校だったので、颯谷は放課後に担任から合否の連絡を受けた。結果は見事合格。あまり心配はしていなかったが、彼はほっと胸をなでおろした。そんな彼の様子を見て、担任は苦笑を浮かべる。
「滑り止めならともかく、本命だったんだろ? 普通は喜ぶもんだと思うんだがなぁ」
「なんかもう最近、勉強しなくていいなら高校もいかなくていいかなとか思い始めてて」
「いや行っておけって。せっかく合格したんだし、中卒じゃ恰好がつかんぞ。あと勉強もしっかりしろ」
「へーい」
颯谷は気の抜けた返事をした。ともかくこれで颯谷は受験戦争一抜けである。進学してから苦労しないためにも勉強は続けるが、最大の関門は抜けたと思っていい。気分的にもかなり楽になった。
「颯谷が一抜けかよ。絶対最後まで決まらないと思ってたのに」
「正直、一般入試だとヤバかったかも」
自分の座学の進捗具合を思い出しながら、颯谷はそう答えた。正直、まだ同級生たちに追い付いたとは言えない。さっさと推薦で決めて正解だった、と思っている。
「卒業までの残り、どうすんだ?」
「バイクの免許取りたいんだよね」
「え、颯谷、バイク通学すんの?」
「学校が許可してくれるなら、そうしたいなとは思ってる。でも本命は道場」
颯谷はそう答えた。彼の通う千賀道場は駅から離れた場所にあり、電車では通いづらい。今は玄道に送り迎えしてもらっているが、ずっとそういうわけにもいかないだろう。それで交通手段確保のために、彼はバイクの免許の取得を考えていた。
「でもバイクの免許取れるのって、16歳からじゃなかったっけ。颯谷、誕生日いつだっけ?」
「五月。すぐに取れるように、今から準備しとこってこと」
そう言うと、同級生たちは納得した様子だった。ただ颯谷の話にはちょっとウソが入っていて、彼は準備だけじゃなくて誕生日前に免許を取得してしまうつもりだった。別に誕生日を詐称するつもりはない。特権持ちならそれができるのだ。
ちなみに車の免許も取得しようと思えば取得できる。ただ誰が特権持ちなのかはぱっと見では分からない。いちいち職質される未来も面倒なので、数か月後には年齢が追い付くバイクにしようと思ったのだ。
(それに……)
それにバイクなら異界征伐でも使える場面が多い。車種を選べばオフロードも走れるからだ。今のところ、異界征伐にバイクを持ち込む予定はないが、将来的にはそういうこともあるかもしれない。それも彼がバイクの免許を取ろうと思った理由の一つだった。
「でもバイクって、冬は寒そうなんだよなぁ」
「ああ……。この辺で乗ったら凍死するかもな。体感は気温より低いだろうし」
「風よけつけて走ってるバイクあるじゃん。アレすれば?」
「ええぇ……、ジジくさい……」
そう言って颯谷は顔をしかめた。そういうバイクは彼も見たことがあるが、お世辞にもカッコいいとは言えない。自分が乗るのは、それこそ気乗りしなかった。
「その前にスリップして事故るんじゃね?」
「それもあったかぁ」
颯谷は力なく机の上に駄弁った。東北の冬は厳しい。東北に住む限り、それからは逃れられないのだ。
とはいえ、バイク免許取得の方針に変更はない。特権を得、異界征伐に関わっていくことにしたことで、颯谷の行動範囲は広がっている。自由に動くためにも、やはり足が欲しいのだ。
それで颯谷は推薦入試で合格を決めると、すぐに自動車学校へ通い始めた。もちろん学校があるし、勉強は続けるし、道場へも通うので、免許取得に全力投球というわけにはいかない。それでも三月の末までに普通二輪の免許を取得することができた。
時系列でみると、颯谷がバイクの免許を取得する前に中学校の卒業式があった。まだまだ新芽も芽吹かないような季節である。彼はほぼ一年通っていない期間があったが、それでも二年は通った母校。卒業証書を受け取ると、やっぱりこみ上げてくるものがあった。まあ、相変わらず話は長くて面倒だったが。ただその中でちょっと気付くことがあった。
来賓として挨拶した人の中に流門の関係者がいたのだ。部活動や課外授業の関係らしいが、その人物が氣功能力者だったこともあり、颯谷は内心で「おっ」と思ってしまった。だからどうということはないのだが、まあ「色々とやってるんだな」と思った次第である。そしてそのことを勉強会の時に木蓮に話すと、彼女は「ああ」と頷いてからこう言った。
「主に引退した能力者の方が地域の役職や名誉職に就くことは良くありますね。あとは武門にしろ流門にしろ代表者の方とか。そういう関係で来賓として良く呼ばれるみたいですよ」
「じゃあタケさんも?」
「『苦手なんだけどなぁ』と良くぼやいていらっしゃいますね」
らしいな、と思い颯谷は小さく笑った。頼りなさげに苦笑する姿まで簡単に想像できる。そうやってひとしきり笑ってから、彼は木蓮にこう尋ねた。
「木蓮の学校も、卒業式は終わったの?」
「はい。一昨日でした」
「…………それで結局、進学先はどこにしたの?」
あの話をした日から、気恥ずかしいのもあって進学先の話は避けてきた。だがいい加減、第一志望は決めただろう。そして木蓮の学力なら大抵の高校には入れるはず。つまり彼女がそう望めば、颯谷と同じ私立葛西南高校に入ることは可能なのだ。
「うふふふ、今は秘密です」
楽しげな笑みを浮かべながら、木蓮は悪戯っぽくそう答えた。ほとんど答えているようなもので、颯谷は大げさに肩をすくめて見せる。何が彼女をそこまでさせるのか、颯谷にはいまいち理解できない。だが文句をつける筋合いもない。それで彼はこう答えるのだった。
「じゃ、答え合わせを待つよ」
さて、颯谷がバイクの免許を取得したその少しあと、政府がある調査結果を公表した。颯谷が征伐した異界に隔離されていた土地の、資源調査の速報である。つまりどこに虹石や天鉱石があるのか、その調査の第一報が公表されたのだ。
「今回は、早かったなぁ」
テレビを見ながら、玄道がそう呟く。ニュースキャスターも同じことを言っている。なんでも速報が出るまでに一年以上かかることもざらで、それと比べると今回はかなり早い部類だという。「地表に露出している場所があった」というのが、どうやら早くなった理由らしい。
「ウチの裏山には、何もなかったけどね」
「だな」
颯谷と玄道がそう言葉を交わす。玄道の家の裏山でも調査がされたが、結果は何もなし。とはいえ、それはそれで良かったと颯谷は思っている。
虹石と天鉱石は戦略物資として政府が厳格な管理を行っている。採掘や精製、販売が行えるのは政府の認可を受けた者だけ。それで虹石や天鉱石が見つかった土地は基本的に国が買い上げている。
それでもし資源の埋蔵が確認されていたら、裏山は国が買い上げていたことだろう。そして重機がたくさん入り、開発が行われていたに違いない。場合によっては二人も引っ越しせざるを得なかっただろう。
だが何もなかったのだから、裏山はこれまで通りだ。マシロたちは何の気兼ねもなく自由に駆け回れるだろう。もちろん颯谷自身も。また季節になれば山菜や松茸が食べられる。おりしももうすぐ山菜の季節。今年は天ぷらが食べられるだろう。そう思うと颯谷はなんだか感慨深いのだった。
「これからさらに詳しい調査をして、実際に採掘がはじまるのは再来年の予定、か。この辺も、ちっとは活気が出ればいいがなぁ」
ニュースを見ながら玄道はさらにそう言った。調査の詳報が出るのは来年中ということになるだろう。ちなみに詳報が出た時点で資源の資産価値が算定され、本来ならばそこで異界征伐の報奨金の額が決まることになる。
ただ詳報が出るまでに時間がかかるということで、異界の大きさから概算して報奨金をもらうのが主流だ。颯谷もそうした。さて本来の報奨金額は概算値と比べて高くなるのか低くなるのか。すでに受け取っている以上はどうこうないのだが、それでもちょっとは気になるのだった。
マシロ「あったかい場所があるのに、どうしてわざわざ寒いところへ行かなくちゃいけないの?」




