中学三年生5
『異界征伐のための欠席は公欠扱いになりますか?』
颯谷からそう尋ねられた担任の先生の回答は「分からない」だった。そりゃ、中学生や高校生に赤紙が来たり、もしくは征伐隊に志願することなど今までなかった。前例がないわけで、一教師としては「分からない」としか答えようがない。
とはいえ「分からない」では颯谷も困るし、担任の側もそれは分かっている。「問い合わせてみる」と約束してくれた。ただやはり前例がないので方々苦労したようだ。回答が来たのはそろそろ平地にも雪が降ろうかという季節だった。
「どうも文科省のほうまで問い合わせがいったらしいな」
回答を伝えてくれた担任は、苦笑しながらそう教えてくれた。文科省まで絡んだのであれば、回答が出そろうのがこの時期になったのはむしろ早いのだろうか。颯谷にはよく分からない。「特権持ちの肩書が利いたのかもな」と担任は少々意地悪く笑っていた。
そして肝心の対応についてだが、まず公立高校の対応はすべて同じになった。「赤紙が来た場合は公欠扱い。志願した場合は自分の都合なので普通の欠席扱い」だった。要するに「強制である場合は致し方なし」という判断らしい。
一方で私立の方は学校ごとに対応が分かれた。公立と同じ対応になると回答した学校や、「年一回までなら志願した場合も公欠扱い」とした学校、さらに踏み込んで「異界征伐のために必要と認められる訓練に関しても公欠扱い」とした学校もあった。ただしこの場合、後日レポートの提出があるらしい。
「実際、どうなんだ?」
「志願のことですか?」
「それもあるが、異界征伐のための訓練で休むってことはあり得るのか?」
「道場で日頃やっているメニューなら休む必要はないですけど。ああ、でも防衛軍のほうでワークショップとか講習みたいなのをやってるそうなんですよ。プログラムによってはそっちに出るかもしれないです」
颯谷はそう答えた。彼の言う通り、国防軍ではワークショップや講習の類を定期的に開催している。内容としては、例えば銃器の取り扱いを教える講習がある。これは言うまでもなく異界の中で銃器を使うためで、必要な講習をすべて受けて試験に合格すると免状が発行されるのだ。
ただ、例えば元国防軍の兵士であるなど、一定以上の知識と経験があると認められる者については、講習と試験は免除される。とはいえいずれの場合でも免状は更新制で、三年に一回のペースで講習を受け続ける必要がある。
また免状を持っているからといって、銃器の所持が認められるわけではない。征伐隊のメンバーとして名簿に名前が載ると、申請して国防軍から銃器を借りることができるのだ。実際に手渡されるのは突入の直前で、壊れたり紛失したりした場合には弁償となる。
ただ特に異界の中で銃器が怪異に対して有効かというと、必ずしもそうとは言い難い。国防軍が貸し出している中で最大の火力を持つ銃器は対物ライフルだが、これが通用するのは中鬼までと言われている。
つまり大鬼にも守護者にも主にも、対物ライフルは通じない。また例えばスケルトンのようにそもそも銃器と相性の悪いモンスターもいる。それで銃器を持ち込んだからと言って、それで征伐が上手くいくのかというと、決してそういうわけではない。講習は面倒だし試験は厳しいとあって、銃を使う者はあくまで少数だった。
『モンスターの討伐と異界の征伐を主眼におくなら、銃を使えるようになるより氣功能力を鍛えた方が良い。考え方としてはそれが主流だな』
千賀道場の師範である茂信はそう言っていた。ただそれでも、異界征伐に銃器を携帯する者は一定数いる。モンスターに対してはあまり有効でなくとも、クマなどの野生動物に対しては十分に有効だからだ。
また異界の中では外部からの補給が受けられない。これは食料についても同じで、持ち込んだ分以上に食料が必要な場合は現地調達するしかない。もちろん仙果はいたるところに実っているが、銃があればシカやイノシシを撃ってその肉を食べることができる。そんな用途もあって、銃器を持ち込む者は一定数いるのだった。
颯谷はというと、銃器使用のための免状を取得するつもりはなかった。特権持ちなのだし、正規の手続きを踏めば、免状は取得できるだろう。年齢で弾かれるということはないはずだ。とはいえ今はその時間も氣功能力を磨くことに使いたい。それが彼の正直なところだった。
閑話休題。ともかく、これで各校の対応は分かった。いい加減、志望校を決めなければならない。いや、颯谷としては近くの公立高校にするつもりだったのだが、これはもう一度考えてみる必要がありそうだ。
「問い合わせしてもらって、ありがとうございました。じいちゃんとも話し合って、もう少し考えてみます」
「ああ。ただ時期が時期だからな。結論は早めに出した方がいい」
「ですねぇ」
担任の言葉に颯谷は少し情けない顔をした。本当なら志望校は三年の夏休み前までには決めておくべきモノだろう。もっとも彼の場合は事情が事情なので仕方のない面もある。それで担任もそれ以上はくどくど言わなかった。代わりにこんなことを言い出す。
「ところで颯谷は推薦を希望したりはするのか?」
「え、推薦出してもらえるんですか!?」
颯谷は驚いてそう聞き返した。彼には約一年、学校に通っていなかった期間がある。それには仕方のない事情があるわけだが、そんなこともあって彼は自分が推薦を受けられるとは思っていなかった。だが担任はこう続ける。
「問い合わせついでに、推薦基準として特権持ちであることを考慮してもらえるかどうかも聞いといたんだ。私立のいくつかはオッケーらしいぞ」
「お、おお! じゃ、じゃあ、受験勉強しなくても……!」
「高校に進学した後で苦労するから、勉強はちゃんとやっとけ」
「へーい」
担任のド正論に、颯谷は肩をすくめながらそう答えた。家に帰ると、彼は早速祖父の玄道と進路について話し合った。
「ソウは、赤紙が来なくても、征伐隊に志願するつもりはあったりするんか?」
「う~ん……、それこそ場合によると思うけど……」
颯谷は考え込みながらそう答えた。例えば、異界が学校や家の近くに顕現した場合、征伐隊に入らなくてもその影響は免れないだろう。避難などで日常生活には支障が出るだろうし、氾濫によって家や親しい人たちに被害が出るかもしれない。
そういう場合、赤紙が来なくても征伐隊に志願することはあり得る。自分だって被害や不便を被っているのだ。それを早く何とかしたいと思うのは当然だろう。また周囲もそれを期待するはずだ。
あるいは千賀道場の複数の門下生に赤紙が来たような場合も、颯谷は征伐隊への志願を考えるだろう。志願すれば、そのまま顔見知りとパーティーを組むことができるからだ。同じ理由で他の門下生も志願していれば、複数のパーティーを編成できるかもしれない。
「そうやって志願しておけば、オレ一人だけ赤紙が来て、顔見知りがいないところに一人で参加ってのは避けられると思うんだよ」
「なるほどなぁ」
颯谷の考えを聞いて、玄道は「うんうん」と頷いた。征伐隊に入るのだとしても、周りが知らない人だけでは、徒党を組む意味が半減してしまう。確かにそれは避けるべきだろう。
「だとすると、私立か?」
「うん、私立かなぁ……」
颯谷はゆっくりと頷いた。私立だと公立よりも学費が高くなってしまうが、見舞金が大部分残っているし、報奨金をぶっ込んだ国債の利息も入ってくるので、お金の心配はしなくていい。ただ担任の先生からもらった資料にもあるが、私立の場合、学校ごとに対応は少しずつ違う。注意する必要があるだろう。
「ただ、私立だと自転車で通える範囲にはねぇなぁ」
「ああ、そっか……」
玄道からそう指摘され、颯谷は眉をひそめた。自転車で通えないとなると、電車通学ということになる。高校が駅から遠いとだいぶ歩かなければならないだろう。
そもそも田舎の電車事情はたいへん不便だ。ちなみに最寄り駅は無人駅。日本の鉄道だけあってダイヤは正確だが、本数はお察しである。
せめて駅から近い学校が良い。そう思いながら、颯谷はスマホで近くの私立高校の位置を確かめていく。家から一番近い私立高校は、しかし公欠の扱いが公立と同じ。颯谷はすぐにそこを候補から外した。
二番目に近い私立高校は「異界征伐のために必要と認められる訓練に関しても公欠扱い」にしてくれるという。駅からは十分ほど歩かなければならないが、これは許容範囲内だろう。学校の名前は「私立葛西南高等学校」。しかもこの学校は特権を推薦基準として考慮してくれるという。颯谷はこの学校を第一志望にするのはどうかと思った。
「そうだな。じいちゃんも良いと思うぞ」
玄道も賛成してくれたので、颯谷は葛西南高校を第一志望にした。そして翌日、彼は志望校を決めたことを担任の先生に話し、一緒に推薦の件もお願いする。担任は「分かった」と言って請け負ってくれた。
「ただあそこ、そこそこレベル高いぞ。大丈夫か?」
「す、推薦でも難しいですかね?」
「……一般入試のためと、入ってからも置いていかれないように、ちゃんと勉強しとけよ」
担任の先生にそう言われ、颯谷は神妙な顔をして頷いた。そしてその日の夜、颯谷は担任に言われた通り机に向かって勉強していた。さらに今日は木蓮との勉強会。話の中で颯谷は志望校を決めたことや推薦のことなどを彼女にも伝える。すると彼女はちょっと苦笑しながらこう答えた。
「推薦はたぶん通りますよ」
「え、そう?」
「はい。わざわざ『特権を推薦基準として考慮する』と回答したのでしょう? それってつまり、『特権持ちに来てほしい』って意味だと思いますよ」
「あ、なるほど……」
木蓮に指摘され、颯谷も納得がいく。木蓮が言うには、担任の先生もそのことには気が付いていたはず。だがそれを颯谷には伝えなかった。その意図は……。
「きっと、ちゃんと勉強してほしかったんでしょうね」
「そんなに不安かな、オレの学力は」
「さあ、わたしの口からはなんとも……」
少し困った顔をしながら、木蓮はそう言って言葉を濁した。事実上、学力不安を肯定しているようなものである。颯谷は小さく肩をすくめた。
「わ、わたしの勘違いかもしれませんし、入学した後のことも大切ですよ。さあ、勉強しましょう!」
「へいへい」
勢いで押し切ろうとする木蓮に、颯谷は抵抗することなく流されることにした。それから一時間ほど二人は集中して机に向かった。キリがいいのと、少し集中力が途切れたので、颯谷は木蓮にこんなことを尋ねた。
「そういえば、木蓮の第一志望ってどこなの?」
「もともとは地元の女子高だったんですけど……。その、そ、颯谷さんと同じ高校、って言ったらどう、思いますか……?」
「ど、どうって……! え、な、なんで?」
「颯谷さんだって、特権の価値は理解されているはずです」
木蓮がそう答えるのを聞いて、颯谷はスッと頭が冷えたような気がした。同時に口元には苦笑が浮かぶ。正直に言って特権の価値というものを彼はまだよく分かっていない。だがそれと無関係でいられないことは分かっている、つもりだ。
「タケさんがそういったの?」
「いいえ。叔父さまは何も。でも、わたしは……」
「駿河家の人間だから、ってこと?」
「……そういうのがないわけじゃないです。でも、それだけじゃなくて、その、なんていうか……。ごめんなさい、上手く言えないです……」
「いや、別に謝らなくていいけど。う~ん、あの日さ、タケさんとラーメン食ったときちょっとそんな話も出たんだけど、タケさんはそういうのは求めてないみたいだったよ?」
「それは、もう姉の婚約が決まっていますから」
「あ、木蓮ってお姉さんいたんだ」
「はい。近畿のほうの武門に嫁ぐことになっています。あ、勘違いしないでくださいねっ。相手の方とは小さいころから何度も顔を合わせているので、無理やりとかそんな感じじゃないんですよっ」
スマホの画面の向こうで、木蓮が少し慌てた様子でそう付け加える。もしかしたら今までにそういう反応があったのかもしれない。颯谷もそういう方面に想像が膨らんでいたのでちょっとギクッとしながらこう答える。
「う、うん、分かった。で、でさ、木蓮がこっちに来るのは良いけど、実際大変じゃない? 家からは通えないよ」
「それは分かっています。でも、わたしは……」
木蓮は言葉を探すように視線を彷徨わせ、しかし見つからなかったのか視線を伏せてうつむいた。そんな彼女に何か言葉をかけようと思い颯谷は口を中途半端に開いたが、しかし何と言えば良いのか分からない。沈黙が数十秒続いた。
「……そろそろお風呂に入らないとなので、今日はこれで切りますね」
「う、うん。分かった、お疲れ」
「はい、お疲れさまでした。それから……」
「ん?」
「理由は、特権のことだけじゃないですよ」
「え……?」
木蓮が少し恥ずかしそうにしながら呟いたその思いがけない言葉に、颯谷は一瞬頭が真っ白になった。その隙に彼女はアプリの接続を切る。颯谷が再起動したのは、それからたっぷり十秒以上経ってからのことだった。
担任「学校も結構お役所仕事だからなぁ」




