中学三年生3
千賀道場では武術だけでなく氣功能力の指導も行っている。これは流門として異界征伐に関わっている以上、当然のことと言える。ただ基本的に氣の量というのは異界の中でしか増やせない。では平時に道場では何を教え何を鍛えているのかというと、氣の使い方を教えその制御能力を鍛えているのだ。
颯谷も道場で氣功についての指導を受けている。彼が最初に教わったのは、「流転法」と呼ばれる訓練法だった。これは氣功の制御能力を鍛えるための訓練で、一定の姿勢を保ったまま氣を動かしていくというもの。身体の内側においては循環させ、身体の外側においては流動させる。そうやって氣の制御能力を鍛えるのだ。
千賀道場ではここに站椿を組み合わせている。站椿とは中国武術の基本的な訓練の一つで、ある姿勢で一定時間立ち続けるというもの。つまり「站椿をやりながら同時に流転法をこなす」というのが、颯谷が千賀道場で最初に教わった氣功の鍛錬法だった。
少し話題は逸れるが、なぜ站椿だったのか。流転法ではそもそも意識のすべてを氣を動かすことに集中する。つまり身体を動かさないことが前提で、そういう訓練法としては站椿が良く知られていたということらしい。
『だから別に站椿の姿勢でなくてもいい。例えば仙具を正眼に構えてやっても、同じように氣の制御能力は鍛えられる』
千賀道場の師範である茂信はそう言っていたし、実際颯谷も家では仙樹の杖を構えて流転法をやることが多い。極端な話、突っ立ったままや椅子に座った状態であっても流転法をやれば同じように氣の制御能力は鍛えられる。
ただ站椿はそれ自体が確立された武術の訓練。つまり站椿の姿勢で行えば同時に身体を鍛えることもできる。特別な道具は必要なく、どこでもできるというのも利点だ。ある意味では合理化された訓練と言えるだろう。
まあそれはそれとして。颯谷は今、その流転法を行っている。千賀道場の隅っこで壁に向かい、站椿の姿勢でひたすら氣を動かし続ける。最初はぎこちなかった動きも、最近ではよどみなく動くようになってきた。
颯谷はもともと、温身法や外纏法のように、「氣を一定の状態に保つ」というのはできていた。いやできていたというよりは、それをこなすだけの容量(氣の量)があり、継続的に使い続ける中で自然と練度が上がっていった、というべきか。ともかく道場に通う前からコレはできていたわけだ。
その一方で、「氣を自由自在に動かす」というのは苦手だった。いやそちらについてはほとんど手付かずだったというべきか。高周波ブレードでは氣を動かしていたが、あれも言ってみれば特定の動作状態を保っているわけだから、自由自在に動かしているのとは違う。要するに未熟だったわけだ。
彼自身、それを自覚している。それでこの流転法については特に力を入れて鍛えていた。そのおかげで最近では素早く滑らかに氣を動かせるようになってきた。手ごたえを感じていることもあり、彼はこの一見地味な訓練が苦ではなかった。
(氣を丹田に落とし込み、そこからさらに下半身へ。足の指先から外へ出し、渦を巻くようにしながら頭のてっぺんへ。呼吸で体内に戻し、上半身に行きわたらせながらまた丹田へ落とす……)
站椿の姿勢のまま、颯谷は氣を滑らかに流すことに意識を集中する。流転法について千賀師範から言われたのは、「まずは少量の氣をよどみなく、つっかえずに動かせるようになること」だった。
そして徐々に流して動かす氣の量を増やしていく。最大出力で流転法の鍛錬ができるようになったら、今度は少しずつ動かすスピードを上げていく。スピードに上限はなく、つまり流転法にも終わりはない。
今のところ、颯谷が氣を動かすスピードはかなりゆっくりだ。ただ動かしている氣の量は最大出力の7割ほどになっている。まずはこれを10割にするのが当面の目標だ。そうしたらようやく次の段階へ移れる。
(先は長いなぁ)
颯谷は声に出さずにそう呟いた。脳裏に浮かぶのはお手本として見せてもらった、千賀師範の流転法。素人の目から見ても分かるほど、アレは凄かった。あの域に達するには一体何年かかるのか。颯谷は果てしなく感じる。
だがそれでも地道に鍛錬を続けていけば、いつかはできるようになるだろう。誰かと競っているわけではないし、早急に身に付けなければ命が危ういわけでもない。異界の中、生きるか死ぬかの瀬戸際で氣功能力を磨いていたころと比べれば、ひっ迫感はない。のんびりやっているのとは違うが、焦っても仕方がないと颯谷はごく自然にそう思っていた。
「ふう……」
站椿の姿勢で流転法を一時間ほど続けると、さすがに集中力の限界を感じて颯谷は構えを解いた。滴る汗をタオルで拭う。彼はそのまま壁にもたれかかった。
疲れた。肉体的にもそうだが、大分氣を消耗したように感じる。氣を消耗するのは仕方がないが、消耗が激しいのは未熟な証だ。
(やっぱり先は長いな)
心のなかでそう呟き、颯谷はまた汗をぬぐった。そんな彼に門下生の先輩がこう声をかける。
「お~い、桐島~。師範来たぞ~」
「あ、はいっ」
「颯谷君。どうかしたか?」
「はい、あの、少し相談したいことがあるというか……」
「ふむ。では座って話そう」
そう言って茂信と颯谷は別室に移動した。二人の背中を見送ると、残った門下生のうち、誰かが大きく息を吐く。その音がなんだか大きく響いて、苦笑がさざ波のように広がった。そして別の門下生がそのまま苦笑気味にこうつぶやく。
「おっかねぇなぁ……」
そのつぶやきは決して大きくなかったが、その場にいたすべての門下生の耳に届いた。そして何人かが苦笑を浮かべたまま頷く。「おっかない」というのは、他でもない颯谷のこと。恥を承知で告白するなら、彼らは流転法を行う颯谷に圧倒されていたのである。
より正確に言うのなら、颯谷が扱う氣の量があまりにも多いので、どうしてもプレッシャーを感じてしまうのだ。もちろん彼にそのつもりがないことは分かっている。だがもうこれは本能的な恐怖と言っていい。肉食獣と同じ檻の中に入れられてしまったら「怖い」と思うのと同じで、生物として当たり前の反応なのだ。
もちろんここにいる彼らは全員氣功能力者。怯えて食われるだけのウサギではない。例えるならば猟犬。獰猛で統制された彼らは格上相手であってもひるまない。トラやライオンが相手でもその喉元を食いちぎることができるだろう。
だが桐島颯谷は、あの新入りはそういう尺度では測れない。例えるなら彼は恐竜だ。それもティラノサウルスのような肉食の恐竜。もはや生物としての格が違う。そう思わざるを得ないほど存在感であり威圧感なのだ。
「さすが、異界を一人で征伐ってのは伊達じゃねぇなぁ」
「大鬼の話も、大きさはともかくとして、本当なのかもしれん」
そのつぶやきに他の門下生たちも首を縦に振って同意する。能力者界隈では「中鬼(相当のモンスター)を一人で倒せるようになったら一人前」と言われている。さらに「大鬼を三人で倒せたら一流」で、「大鬼を一人で倒せたら化け物」だ。
とはいえ、中鬼を一人で倒せるとしても、実際に一人で倒すことはあまりない。実戦では複数人(たいていは2、3人)で当たることがほとんどだ。なぜならその方がリスクを下げられるから。遊んでいる戦力がいるのに一人で戦うなんて、そんなことをするのは死にたがりの馬鹿と言っていい。大鬼も同様で、実際には5、6人かそれ以上で囲むことがほとんどだ。
だが颯谷の場合、そんなことは言っていられなかった。なにしろ一人しかいないのだから。一緒に戦ってくれる仲間はおらず、彼は常に一人で戦わなければならなかった。異界の中では小鬼が出たという話で、そういう異界は良くある。だからその点を不審に思う者はいない。
小鬼が出たのであれば、中鬼と大鬼もいたはず。その三種類はセットだからだ。そして中鬼を倒せないようでは、異界の中を移動するのもおぼつかない。だから彼が一人で中鬼を倒せるであろうことについては、氣功能力者として一人前であることは、皆が納得している。
問題は大鬼だ。彼は「8~10メートルくらいの大鬼を倒した」と言っていた。それを聞いた道場の人間は揃って「そりゃウソだろ」と思ったものだ。大鬼の身長は普通4~5メートル程度。その倍というのはいくら何でも盛りすぎで、あまりにも現実味がない。
そもそも普通サイズであっても、大鬼を一人で討伐したというのは荒唐無稽に聞こえる。もちろん、そういう例がないわけではない。だがそれは熟練の氣功能力者が優れた仙具を使い、それでもギリギリで掴む勝利。勝っても再起不能になる場合が多く、そういう例を知っている彼らからすれば、颯谷の言っていることは子供っぽい作り話にしか聞こえなったのだ。
もちろんその話を否定するだけの証拠はない。颯谷自身、彼らが信じていないことを感じ取ったのだろう。ことさらにその話を語ることはしなかった。それに仮にウソだったとしても、「一人で異界を征伐」という偉業の価値が下がるわけではない。それでこの話はなあなあというか、その場限りのネタみたいな扱いだった。
だが颯谷が流転法の鍛錬を始めると、他の門下生たちも件の話に信憑性を覚え始める。彼の扱う氣の量があり得ないほどに多かったからだ。それこそ自分たちが猟犬だとしたら、彼をティラノサウルスに例えてしまうくらいに。
大鬼の身長が8~10メートルというのはさすがに見間違いというか誇張だろう。だが普通サイズの大鬼なら、倒せてしまうのではないか。猟犬ですら、わずかとはいえ可能性があるのだ。ティラノサウルスなら、かなり現実的ではないだろうか。みな今はそんなふうに思っている。
「いったいどれだけのモンスターを倒し、どれだけ氣の量を増やしたのやら」
そう呟いた門下生の声音には畏怖の色が浮かんでいる。普通、一回の異界征伐で一つのパーティーあたり小鬼なら500体、中鬼なら50体も倒せば大漁だと言われている。颯谷の場合は一人だったから、いわゆる経験値は総取りだ。しかしそうだとしても、この程度の数であれほどの氣の量になるはずがない。
颯谷本人に聞いた時には「分かんない」と答えていた。本人はさらに「数えてなかった」と言っていたし、聞いた側も「そりゃそうだよな」と思ったので、それ以上詳しく聞くことはしなかった。だがもしかしたらアレは、「数えるのも嫌になるくらい倒した」という意味だったのではないか。
だとしたらその数はどれほどか。例えば征伐100回分だとして、小鬼を5万体、中鬼を5千体も倒せば、アレくらいになるのだろうか。あまりに果てしなさ過ぎて、ちょっと想像が及ばない。だが「一人で異界征伐」という所業がすでに想像の埒外である。なら本当にこれくらいの数なのかもしれない。
まあこれは想像というよりは妄想だし、実際のところ颯谷の実力云々は別にいいのだ。この世界は実力主義ではなく成果主義なのだから。それに颯谷はこの千賀道場の門下生。この先、一緒に征伐を行うこともあるだろう。彼の実力はその時に見ることができる。だから今、それがどうのと言うつもりはない。
問題なのは、その大鬼を食い殺しかねないティラノサウルスと一緒に稽古しなければならない、ということだ。はっきり言っておっかない。内心ビクビクである。もちろんこのティラノサウルスは実際には人間なのだから、意味もなく襲い掛かってきたりはしないだろう。だがそれでも……。
「金玉縮こまるぜ」
ある門下生が冗談交じりにそういうと、他の門下生たちは笑い声をあげた。だが誰もそれを否定しない。ある者は「うんうん」と頷いている。
「今なら、大鬼相手でもビビらないかもしれない」
「勝てるかどうかは別だけどな」
「でも中鬼ならいけそうじゃないか。少なくともアレと比べればザコに思えてくる」
「騙されるな。錯覚だよ、それは」
「なんにしても感覚がおかしくなりそうだぜ」
ある門下生がそう言って肩をすくめると、他の門下生たちも頷いて同意する。「中鬼くらいは大したことない」と思ってしまう時点で、大分毒されていると言っていい。
「ところで、まだ気づかれてないよな?」
一人が声を潜めてそう尋ねる。つまり彼らがプレッシャーを感じてしまっていることが颯谷にバレていないかどうか、ということだ。それに対し、別の門下生が重々しく頷きながらこう答えた。
「いつも壁に向かっているし、集中しているからな。大丈夫だろう」
何人かがさらに頷いて同意する。要するに彼らは虚勢を張っているのだ。その理由は、突き詰めて言うなら先輩としての意地である。入門してまだ間もない新人に、氣の量はともかく技術的にはまだまだ未熟な新人に、早々となめられるわけにはいかないのだ。
「さ、無駄話は終わりだ。稽古、稽古」
まとめ役がそう言って手を叩くと、それを合図に門下生たちはそれぞれの稽古に戻る。少しでも長く先輩面するためにも、ダラダラと稽古しているわけにはいかない。彼らの稽古にも熱が入るのだった。
茂信「ティラノサウルスを指導しなければならない私の立場よ……」




