駿河家5
「おっともうこんな時間か。よし颯谷、ラーメンを食いに行こう」
伸閃の実演をした後、颯谷と剛はまたいろいろなことを話した。仙具のこと、氣功能力のこと、そしてもちろん異界の中でのこと。話題は尽きず、時間はあっという間に過ぎていく。そして颯谷がそろそろおいとましようかと思い始めたころ、剛が彼をそう誘った。
「これからまた電車と新幹線だろう? 少し早いが夕食だ。食べていくといい」
剛がそう言ってくれたので、颯谷はありがたくご馳走になることにした。二人は剛が運転する車で彼の行きつけのラーメン屋へ向かう。ちなみに美咲と木蓮は遠慮した。曰く「おいしいお店なんですけど、いつも量が多くって……」とのこと。まあ確かに二人とも食は細そうだ。
「ああ、タケさん! いらっしゃい!」
「よ、大将。席、空いてる?」
暖簾をくぐって店に入ると、すぐに店主が剛に声をかける。二人の様子は親し気で、本当に長年通っているようだ。店主は颯谷のほうに視線を向けると「おや」という顔をして、それから剛にこう尋ねた。
「初めての子だね。どうしたの?」
「ウチの客だ」
「へえ、それじゃあサービスしないと!」
「いつも悪いな」
「なぁに。駿河さんとこにはいつも世話になってるからね」
そう言って店主は二人を開いているテーブルに案内する。二人はラーメンと餃子を注文。運ばれてきたラーメンも餃子も、たしかに量が多い。サービスしてくれたのだとしても、四人前くらいありそうだ。颯谷は思わず「おおぅ」と声を出してしまった。
「ここは良く来るんですか?」
分厚いチャーシューにかぶりつきながら、颯谷は剛にそう尋ねる。すると彼は少し考えてからこう語り始めた。
「私がまだガキだったころ、この辺一帯が異界顕現災害に巻き込まれたことがあってな」
その異界を征伐したのが、駿河家を中心としたいわゆる武門。彼らはわずか3日でその異界を征伐してみせた。その時の中心人物が当時の駿河家当主駿河成人。剛からすると祖父にあたる人物だ。
「3日ってことは、規模としてはそんなでもなかったんですか?」
「そうかもな。だがそれ以上に無理をしたのさ」
異界の中には閉じ込められた一般市民が二万人以上いると見込まれた。もたもたしていたら犠牲者が何人出るか分からない。それで異界が顕現すると、成人はすぐさま一門から決死隊を組織。異界の中心部へ向かい、そのまま帰らぬ人となった。ちなみにこの時、剛の伯父も戦死している。
「それで、3日……」
「そうだ。そのおかげで助かった人が、助かったと思っている人が今もたくさんいる。親とか祖父母からその話を聞かされて育った世代もな。さっき大将が言っていた『駿河家には世話になっている』っていうのは、つまりそういうことだ」
剛は淡々とした様子でそう語り、ラーメンを啜った。颯谷としてはなんと言っていいか分からない。ただ気になっていたことをこう尋ねた。
「その、タケさんの前の当主って……」
「私の兄貴、木蓮の父だな。4年前に、な……」
やっぱり、と颯谷は思った。なんとなくそんな気はしていたので、木蓮の前ではそのことには触れないで置いたのだ。それで正解だった、と彼は内心で胸をなでおろした。
「私が当主になったのは、結局のところ私が特権持ちだったからだ。知っていると思うが、ウチは不動産業をやっている。株式含めて私が相続した方が面倒がないし、税金も取られない。そんなわけでな、それこそ“お株”が回ってきたわけだ」
ただ、確かに剛は100%の株主だが、実質的な会社の経営は先代当主の妻、つまり彼の義姉が代表取締役社長として行っている。曰く「駿河家の男どもはいつ死ぬか分からない」ので、会社の経営などは女性たちが主体になっているのだ。
「ま、否定はできんわな。異界征伐とはそういうモンだ」
「……じゃあ、美咲さんも会社の経営に関わっているんですか?」
颯谷がそう尋ねたのは、特別駿河家の会社経営に関心があったからではない。ちょっと話題を変えたかったのだ。そんな彼の内心を知ってか知らずか、剛は餃子をつまみながらこう答えた。
「今は専業主婦だ。将来は分からんがな。まあ働くことはあるとしても、社長にはならんだろう。次の社長は正之の婚約者でほぼ決まりだ。あ、正之っていうは木蓮の兄で、私の甥だ」
「あれ、じゃあ木蓮さんは……?」
「あの子はそうだなぁ、どこかに嫁に行くか、ウチで働くか。まあ、家に縛られるような時代でもないさ」
「社長にはなれないんですか? 一応というか、直系でしょう?」
「正之の婚約者を決めるときになぁ。相手方のお嬢さんは本当はデザイン方面に進みたかったらしいんだが、そこを曲げて経済学部に入ってもらったんだ。そういう事情もあるから、よほどの事情がないとそこはなぁ……」
剛はそう言ってラーメンのスープを啜ると、ふと顔を上げてニヤリと意味ありげな笑みを浮かべる。そして箸先を颯谷に向けながらこう言った。
「でもまあ、可能性がないわけじゃない。例えば私が死んだときに正之がまだ特権持ちになっていなくて、どこかのフリーで年回りもちょうどいい特権持ちが木蓮と結婚して駿河家に入ってくれるなら、あの子を社長にというのもアリな判断だろう」
「……そんな都合のいい特権持ちがいるといいですね」
剛が誰を念頭に話しているのか、颯谷はもちろん分かっている。分かっていて、あえてとぼけた。剛も全然本気ではないから、「まったくだ」と言ってニヤニヤと笑う。ただその後にやや真剣な声音でこう言った。
「まあ社長云々はともかくとして、だ。二人目の特権持ちが欲しいのは本当だ。正之にはそれが求められている。婚約者のお嬢さんもそうだが、なかなか酷な話だよ」
そう言って剛はラーメンを啜った。先ほど彼は「家に縛られるような時代でもない」と言った。だが次期当主ともなれば、そうも言ってはいられないのだろう。そして彼はさらにこう続ける。
「ただまあ、特権持ちになるのはなかなかハードルが高い。だから颯谷が特権持ちになってウチに来てくれるなら、本当に歓迎するぞ?」
「タケさんが頑張ってくださいよ。その正之さんが特権持ちになるまで」
「バカヤロウ、頑張っとるわ。知ってるか、異界征伐ってのは頑張らないと死ぬんだぞ」
「知ってますよ、嫌ってほど。っていうか、頑張っても死にそうになりますけどね、異界の中って」
「ホントにそうだな」
剛がしみじみとそう答え、颯谷は小さく笑う。異界征伐を経験した者だけが分かる共感、とでも言おうか。それを感じあって、二人は小さく笑った。
「ところでタケさん。タケさん、っていうか氣功能力者って普段は何をしてるんですか?」
「普段というと?」
「年がら年中、異界の中で戦っているわけじゃないでしょう? 異界征伐がない時は何してるんですか? 普通に働いているとか?」
「働いている者もいるが少数だ。それに働くと言っても身内の道場などが多い。こういっては何だが、異界征伐の報奨金と比べれば普通に働いて得られる収入なんて誤差みたいなもんだ。それなら次の征伐に向けて準備していたほうがいい」
剛の言葉に颯谷は「なるほど」と思って頷いた。颯谷の例で言うなら、異界征伐の報奨金は350億円。100人で頭割りしたとしても、1人3.5億円だ。普通に働いて年収500万と仮定しても、「誤差」というのは決して言い過ぎではない。
「準備っていうと、具体的には何をするんですか?」
「まあ要するに鍛錬だな。武芸、氣功能力、筋力、体力。鍛えられるものはなんでも鍛える」
「特に大事なのは?」
「筋肉だな」
「ええぇ……」
即答した剛に対し、颯谷はやや不満げな声を上げた。彼としては一番大事なのは氣功能力だと思っている。彼が異界征伐を成し遂げられたのは、筋肉ではなく氣功能力を鍛えたからだ。しかし剛は大真面目にこう語った。
「筋肉は大事だぞ。いいか、氣の量は異界の中でしか増やせない。つまり外で鍛えるのは主にコントロールだ。基礎的な出力が増えるわけじゃない。だが筋肉は違う。鍛えればちゃんと強くなる。だから筋肉は大事だ」
「ええぇ~、何か詭弁に聞こえるんですけど。だったら異界の中で氣の量増やせば良くないですか?」
そもそも氣功能力を使えば身体能力は底上げされるのだ。そしてその増幅率というのは、氣の量が多いほど大きい。だから筋肉を鍛えるよりも氣の量を増やした方が効果的、なはずなのだ。だが剛は小さく首を振りながらこう答えた。
「異界征伐って基本、組織的にやるんだよ。命令系統がきっちり決まってるわけじゃないけど、役割分担みたいなのはあって、自由気ままに動くなんてことはあんまりできない。氣の量増やすためにモンスター倒して回るなんてことは、なかなかなぁ……」
「う~ん……、でもそれで征伐に苦労してたら意味ないんじゃないですかねぇ……」
「持ち込める食料の量とか、いろいろ制約もあるからな。食料がどんどん減っていくのに征伐の目途が立たないなんて時は、そりゃ焦るぞ」
「ああぁ、なるほど……」
颯谷は納得の表情を浮かべた。異界の中では補給が受けられない。颯谷が曲がりなりにも食料に不安を抱えなかったのは、彼が一人だったからだ。これがもし二人で、食料も二倍必要だったとしたら、異界の中での生存戦略もまた大きく違っていただろう。
「それに、だ。装備も背嚢も基本的にみんな重いからな。征伐隊に加わるには、まずそれに耐えられるだけの身体づくりをしなきゃならん。だからやっぱりまずは筋肉だ」
「あ~、丸腰で行くわけじゃないですもんねぇ」
「そうだぞ。さらに言うなら、そういう重い装備や背嚢を持った仲間を担いで逃げるだけの筋力も欲しい。まあさすがにこれは氣功能力併用での話だが」
「だいたいどれくらいの重さなんですか、それ」
「100キロオーバーはザラだな。体重次第では全部で200キロ超えなんて奴もいる」
「ひぇ……」
颯谷は顔を引きつらせて驚いた。とはいえ、剛の言っていることは道理だ。負傷した仲間を助けることは、人道的な観点から当然というだけでなく、いざという時に自分が助けてもらうためにも必要なこと。
また負傷者が持っている背嚢や装備は、すべて異界の中では替えのきかない貴重な物資。捨てていくことなどありえない。だが負傷者も物資もすべて回収して持っていくためには、相応の能力が必要になる。つまり筋肉だ。
颯谷自身のことを考えてみれば、100キロオーバーの荷物を担いでモンスターから逃げるだけの能力があるとは、とても思えない。これは氣功能力も含めての話である。だが異界の外では氣の量は増やせない。ではどうするかというと、やはり筋肉を鍛えるしかない。
「オレも筋トレするかなぁ……」
「おう、やっとけやっとけ。そんなひょっろい腕と身体じゃ、見てるこっちが心配になる。ああでも、成長期に筋トレやりすぎると背が伸びないらしいぞ」
「どうしろって言うんですか……」
「ほどほどにやれってことだな。あと柔軟性も大事だぞ。ケガをしにくい身体になる。これは俺も毎日やっている」
「なるほど……」
頷きながら颯谷は最後のチャーシューを口に運ぶ。このタンパク質が筋肉になることを願いながら。
ラーメン屋で満腹になるまで食べてから、颯谷は剛に駅まで送ってもらった。剛の運転する車を見送り、駅の待合室の硬い椅子に座りながら、颯谷は今日のことを振り返る。いろいろな話が聞けた。来てよかった、と思う。
剛に何かを決めてもらったわけではない。だが決めるためのアドバイスはもらった。「あとは決めるだけだ」と思いながら、颯谷は電車に乗り込んだ。
颯谷「筋肉の話しか覚えてない」




