駿河家3
特別権限。通称「特権」。これを与えられた者は俗に「特権持ち」と呼ばれたりする。
ある時期まで軍が対応に当たっていた異界征伐は、徐々に民間へとその役割が移されていった。この理由はすでに説明したが、付け加えるべき大きな理由がもう一つある。怪異に対しては近代兵器よりも氣功能力のほうが有効だったのだ。軍は近代兵器を扱い、民間の武門や流門が氣功能力を伝えていく。そういう住み分けが行われたのだ。
そういうわけで武門や流門の氣功能力者たちが異界征伐を担うことになったわけだが、もちろんそれで全てが上手くいったわけではない。報奨金は良い。十分に高額だ。最初に問題になったのは征伐隊の損耗率の高さ。現在に至る統計によれば、征伐隊の損耗率の平均は三割弱。
もちろん経験や実力には差があるので「一回の異界征伐である能力者の死ぬ確率が30%」と簡単に考えることはできないが、目を覆いたくなるような損耗率の高さであることは間違いない。ちなみにこれでも軍が征伐を行った場合よりマシと考えられているのだから、どれだけ軍が異界を不得手としているか分かる。
まあそれはそれとして。颯谷も骨身にしみる経験をしたが、異界の中は常に危険と隣り合わせ。ふとした拍子に命を失うかもしれないし、そうでなくとも手足を失うような大怪我をするかもしれない。言ってみれば、お金では買えないモノを失うリスクが高いわけだ。
そうなると熟練者ほど異界を敬遠するようになる。お金はもう十分に持っている。資産を増やすにしても、これ以上わざわざ危険を冒す必要はない、というわけだ。
もちろん報奨金を受け取れば、その後三年間は特別徴用に応じる義務がある。だが例えば、一度報奨金を受け取った後、次は受け取らないことを前提にして危険な役割を避けるというようなことはできる。
だが経験と実力を兼ね備えた熟練者が現場から離れるというのは、異界の速やかな征伐の観点からするとよろしくない。熟練者を欠くことで現場の段取りが悪くなるという面もある。ただそれ以上に、氣の量はモンスターを倒すことでしか増えないからだ。
技術的な指導は異界の外でもできる。だが直接的なパワーアップは異界の中でしかできない。熟練者が来ないということは、逆に言えば氣の量が少ない素人ばかりということ。戦力に不安があるのはもちろん、異界征伐が可能かさえ怪しい。
別の言い方をすれば、優秀な氣功能力者ほどさっさと異界から離れてしまうのだ。だが前述したとおり、それは異界の速やかな征伐の観点からするとよろしくない。どうにかして彼らを繋ぎとめる必要がある。そこで用意されたエサが「特権」だった。
特権には例えば税制面での優遇措置などが含まれている。しかもこの優遇措置は特権持ち個人だけでなく、特権持ちが実質的な所有者となっている法人にも適用される。つまり特権持ちが経営している会社は法人税を免除されるわけだ。当然いろいろと制約はあるが、この優遇措置が経営上かなりのメリットであることは言うまでもない。
ただし権利には義務が付きまとう。具体的に言うと、特権持ちはその権利を返上するまでの間、異界征伐の特別徴用に応じる義務がある。そして正当な理由なしに応じなかった場合には特権の剝奪はもちろん、多額の罰金と禁固刑が科されることになる。とはいえそれでも、特権が大きな優遇措置であることは間違いない。
ちなみに報奨金を受け取った場合にしろ、特権に付属する義務にしろ、実際に特別徴用される場合には国から召集令状が送られてくる。そしてこの召集令状、巷では「赤紙」と呼ばれていた。別に赤くないのに。
閑話休題。特権とはつまり、それを与えられる能力者個人はもちろん、武門や流門という組織そのものを狙った制度と言っていい。個人としては十分に満たされているとしても、組織としては特権が欲しい、もしくは特権を失うわけにはいかない。そういう状況を作り出すことで、第一線級の熟練能力者たちが異界から離れてしまうのを防ごうとしているわけだ。
もちろん、そう簡単に特権を得られるわけではない。特権を与えられるのは「異界征伐に顕著な功績があった者」と定められているが、異界の外から個々の能力者がどんな活躍をしたのかは確認できない。それで「異界征伐に参加した回数が十回以上で、かつ獲得した報奨金の合計額が50億円以上」か「獲得した報奨金の合計額が150億円以上」が大体の目安となっている。
ただし目安はあくまでも目安。はっきりと「顕著な功績」があると分かる場合には、個別に審査して特権が与えられることがある。今回の颯谷の場合がそれだ。彼は一人で異界を征伐し、氾濫などによる被害を未然に防いだ。「顕著な功績」があることは明らかだ。
ちなみになぜ「獲得した報奨金の合計額が150億円以上」の目安が適用されないのかというと、彼はまだそれを受け取っていないから。この目安が適用される場合には、まず報奨金を受け取ってから「特別権限付与に係わるお知らせ」が来ることになる。この辺はお役所仕事だ。
その特権について、剛は「報奨金を受け取るなら、特権は得ておいた方がいい」と言う。その理由について、彼はさらにこう語る。
「大金を得ると、有象無象が寄ってくるからな。特権というのは要するに、国が守ってくれるってことだ。身を守るためには持っておいた方がいい」
「なるほど……」
颯谷はそう呟いて大きく頷いた。税制面での優遇措置が注目されることが多いが、特権にはほかにも優遇措置も含まれている。他にも、例えば裁判になった場合には、裁判官が特権持ち寄りの判断を下すことも珍しくないと言われている。
もちろん、特権持ちだからといって傍若無人に振舞えば、それ相応の結果を身に招くことになる。そもそもこれは異論の多い制度で、声の大きな「人権派」も多いのだ。とはいえ普通に暮らしている分には、特権が大きな保護となるのは間違いない。
「逆に報奨金を受け取らないのなら、特権ももらわない方がいいだろう。特権目当てで寄ってくる奴もいるし、特権自体に徴用に応じる義務があるからな。ちぐはぐだ」
「ですね……」
「ここまでで、何か質問とかあるか?」
「じゃあ、実際のところ、赤紙ってどれくらいの頻度で来るんですか?」
「たしか今のところの運用だと、前回の征伐から最低でも半年は空けるようにしているらしいな」
あご髭を撫でながら、剛はそう答えた。実際のところ、半年ごとに召集令状が来ることはまずなくて、三年間で一回か二回、多くても三回というのが現実的なペースだ。要するに国としても、優秀な能力者を使い潰しては長期的に見て国家の損失と考えられているわけだ。
加えて、能力者の強制動員は政権にとっても諸刃の剣。どういうことかというと、確かに異界征伐が速やかに行われれば政権支持率は上がる。だがある能力者が優秀だからと言って召集令状を乱発すると、その地域では政権支持率が下がる傾向にあるのだ。
地域住民からすれば優秀な能力者は、万が一異界顕現災害に巻き込まれた時には、それを征伐してくれる守り神的な存在。それが国の都合で酷使され使い潰されかねないとなれば、当然いい気はしない。そういう悪感情が選挙結果に反映されれば、与党は議席を失うことになりかねず、それが一種の抑止力となるというわけだ。
「そんなわけだから、徴用するにしてもまずは近くの地域から動員されるのが普通だな」
「徴用されない場合ってあるんですか?」
「ない。基本的に動員した能力者たちだけで征伐が可能なように徴用が行われる。志願はあくまでも+αという扱いだ。もっとも志願であっても征伐隊に加われば義務を果たしたとカウントしてもらえる」
「なるほど……」
颯谷は少し考え込みながらそう呟いた。つまり東北地方の能力者が九州まで行って異界征伐をしてこいと言われることは、ないわけではないが稀、ということだ。また自分から志願することで、どの異界にいくかもある程度は自分で決められるようである。思っていたよりもハードルが低くて、颯谷はちょっと安心した。
「それと次なんですけど、報奨金を受け取らなくても武門とか流門がその、接触? してくるって言ってたじゃないですか」
「そうだな」
「それって、どう対応すれば……?」
「話を聞いてみて、受けてもよさそうなら受ければいいんじゃないのか。逆に異界征伐にはもう関わりたくないと思っているなら、一切拒否すればいい」
「……それが駿河家のお話でも?」
「それがウチの話でも、だ」
「特権持ちでも?」
「特権持ちでも、だ」
大きく頷いて、剛はそう答えた。それを聞いて颯谷はホッとした表情を浮かべる。「嫌な話は断っても大丈夫」と言ってもらえるのは安心できる。特に特権持ちの話を断ったら後々ヤバいのではないかと心配していたが、どうやらそういうわけでもないらしい。
「だいたい、特権持ちと言ってもそんなに大したモノじゃない」
「そうなんですか?」
「ああ。世間的には勘違いされていることも多いが、特権持ちは別に超法規的存在ではない。法を犯しても罪に問われないなんてことはない。罪を犯せば罰則を受ける。それは一般の人たちと変わらないさ」
「なるほど……」
剛の説明を聞いて颯谷は神妙に頷いた。どちらかというと彼もそういうイメージを持っていたので、剛の話はちょっと新鮮だった。
「もちろん優遇措置は受けている。ただそれはあくまでも保護が目的。その保護対象が特権持ち個人ではなく、武門や流門全体であるというのが、ちょっと勘違いしやすいのだろうな」
「それならどうして、個人に特権が与えられるんでしょうか……?」
会社や法人に対しての優遇措置なら、まるで特権持ちが「貴族」であるかのようなイメージを世間に与えることはなかっただろう。颯谷のそんな疑問に対して剛は肩をすくめながらこう答えた。
「会社なら、能力者はそこを辞めてしまうかもしれないだろう?」
お金を払って優秀な能力者を引き留められるなら、国は幾らだって予算を用意するだろう。だが能力者がベットしているのは自分の命。ある程度稼いだなら異界から遠ざかりたいと思う者が多くても、それは自然なことだろう。
仮に会社が特権を与えられているとしたら、能力者個人が会社を辞めるハードルはそれほど高くないだろう。働いていようが辞めてしまおうが、それが個人の特権云々にはかかわってこないからだ。
だが会社の代表者、もしくは株主が特権持ちであれば、その個人が特権持ちでない限り会社はその恩恵を受けられない。つまり特権持ちの能力者が異界征伐を続ける動機になるわけだ。
そうやって優秀な能力者が現場から離れてしまうのを防ぎつつ、優遇措置の恩恵を受けた組織内で次世代の能力者の育成を行わせる。要するにそれが特権制度の狙いだ。武門や流門の側としても、次世代で特権がなくなるのは避けたい。当然、育成には力が入る。それこそ、国の思惑通りに。
「こういう言い方は被害妄想が入っていると言われるかもしれないが、特権というのは武門や流門をいわば人質に取る制度だと私は思っている。優れた能力者と言えども、世間のしがらみからは逃れられんということだ」
「はあ……」
苦笑を浮かべてそう語る剛に、颯谷は分かったような分からないような声で返事をする。そんな彼に剛は少し意地悪気な笑みを浮かべてさらにこう告げる。
「そうそう、さっきは身を守るために特権は持っておいた方がいいと言ったが、特権を持っていると接触自体はたぶん増える」
「えっ、なんでですか!?」
「すべての武門や流門に特権持ちがいるわけではないからな。そこへフリーの特権持ちが誕生するのだから、そりゃ勧誘するだろ。お見合いも含めて」
「ええぇ……」
なにしろ特権は個人に与えられるものだから、その個人を組織に引き込んだだけでは組織全体として恩恵を受けることはできない。財産相続などを円滑に行うには身内にしてしまうのが一番手っ取り早く、そのための第一歩はやはりお見合いというわけだ。
「正直な話、駿河家だって二人目の特権持ちは欲しい。私だっていつ死ぬか分からないんだからな」
「…………」
達観したような剛のその言葉に、颯谷はごくりと唾を飲み込んだ。そういう考え方をするのは能力者だからなのか、それとも武門を率いる立場だからなのか。颯谷にはまだ理解できない。顔を強張らせている彼を見て、剛はふっと表情をやわらげてこう言った。
「まあ、さっきも言ったが嫌ならすべて断ればいい。特権持ち相手に強引な真似はしないさ」
要するに、特権を得ても得なくても接触や勧誘は行われ、特権を得ればそのやり方が下手になるということのようだ。少なくとも颯谷はそう理解した。それなら特権は得ておいた方がよさそうだが、しかし特権には特別徴用が付きまとう。もう少し考えよう、と彼は思った。
「叔父様、颯谷さん。そろそろお昼にしませんか?」
話が一段落すると、タイミングを見計らっていたのか、木蓮が二人にそう声をかける。剛も「そうしよう」と言って立ち上がったので、颯谷もそれに続く。
「あ……!」
足が痺れたせいでこけそうになって、二人に笑われた。
剛「特権を持っていると普通の傷害保険でも入れる。持ってないと、征伐隊向けのお高い保険になる」




