駿河家1
「ええっと、迎えが来てるはずなんだけど……。なんだよ、『高級車と美少女を探せ』って」
静岡県某市。その外れにある駅から出てきた颯谷は、スマホに入ったメッセージを見ながらそう文句を呟いた。送り主の名前は駿河剛。六年前の異界顕現災害で征伐を果たした能力者グループのうちの一人であり、これから颯谷が会いに行く人物である。
およそ一か月前。たった一人で異界征伐を果たしたことで、桐島颯谷の人生は大きく変わった。異界の中にいるときは生き残ることで頭がいっぱいだったが、いざ生き残ってみると、彼を見る世間の目は大きく変わっていたのである。
あれやこれやと対応しているうちに、子供ながらも彼は理解せざるを得なかった。「どうやら自分の人生、普通ではなくなってしまったようだ」と。だが普通ではなくなった人生をどう生きれば良いのか。颯谷は誰かに相談したかった。そして相談できそうな人と言えば一人しか心当たりはない。それが駿河剛だった。
インターネットで調べてみると、静岡県で不動産業を営む会社の会長として彼の名前があった。もう少し調べてみると、どうやらあの駿河剛で間違いないらしい。ただアポなしで電話して何を話せば良いのかよく分からなかったので、彼は剛に宛てて手紙を書いた。ちなみに送り先の住所は会社にした。自宅の住所はさすがに出ていなかったのだ。
『突然のお手紙、失礼いたします。私は桐島颯谷と言います。六年前の異界顕現災害で剛さんに助けてもらった者です。この度、二度目の異界顕現災害に遭遇してしまいましたが、あの時剛さんに教えてもらった知識のおかげで生き延びることができました。本当にありがとうございました。
異界を征伐して外に出てきて、手紙には書ききれないほどいろいろなことがありました。正直に言って戸惑っています。誰かに相談したいと思いましたが、話を分かってくれそうな人の心当たりは剛さんしかいません。一度会って話を聞いてもらえないでしょうか。連絡をお待ちしています』
最後に電話番号を書き、内容を玄道に確かめてもらってから、颯谷は手紙を投函した。彼のスマホに連絡があったのはその五日後。見覚えのない電話番号に首をかしげながら応答すると、その相手は剛だったのだ。
どうせ会って話をするのだからと長話はせず、実際に会う日取りだけ決めてその日は電話を終えた。そして約束の日の朝早く、颯谷は玄道に軽トラで最寄り駅まで送ってもらい、在来線と新幹線を乗り継いでこうして駿河家の最寄り駅まで来たのである。
ただ駅から駿河家までは車で十分程度かかるという。颯谷は「タクシーを使う」といったのだが、剛が「迎えを出す」と言ってくれたので、彼はそれに甘えることにした。したのだが、その際のメッセージがひどい。「高級車と美少女を探せ」って一体何なんだ。彼は眉間にシワを寄せながら顔を上げた。
「あっ」
顔を上げた瞬間、彼は瞬時にメッセージの意味を理解した。少々さびれた駅に似つかわしくない黒塗りの高級車と、そこに楚々と佇むセーラー服の美少女。間違いなくアレだ。分かりやすすぎる。
颯谷が「高級車と美少女」に気付くと、少女のほうも彼に気付く。彼女は背筋を伸ばして颯谷に歩み寄ると、美しくお辞儀をしてこう言った。
「おはようございます。桐島颯谷さんでしょうか?」
「あ、はい。そうです」
「わたしは駿河木蓮といいます。叔父の剛に言われて、颯谷さんをお迎えに上がりました。どうぞこちらへ」
木蓮に促されて、颯谷は黒塗りの高級車の後部座席へ乗り込んだ。高級車の座席は、彼がこれまでに座ったどのソファーよりも座り心地が良い。ほんの一か月前まで原始人よりもひどい生活をしていたのがウソのようだ。
木蓮が颯谷の隣に座り、二人がシートベルトを締めると、車は音もなく走り出した。木蓮が教えてくれたところによると、この車は駿河家のプライベート車ではなく、駿河家が経営している会社の車だという。
「そんな車を出してもらって、良かったんですか?」
「会長のお客様ですから、問題ありません。それに将来的にはビジネスに結びつくかもしれませんから」
颯谷の懸念に運転手の男性がそう答える。彼は「本当に良いのか?」と思ったが、向こうが「良い」と言っているのだからそれで納得しておく。彼がひとまず納得したのを見て、木蓮がさらにこう話しかけた。
「颯谷さんは確か、中学の三年生ですよね。わたしも中三なんですよ。同い年ですね」
「へえ、そうなんですね」
セーラー服を着ているから中学生か高校生だろうとは思っていたが、まさか同学年とは。というか同い年だから迎えをやらせたのかもしれない。颯谷はそう思った。
「進路とか、どうされるんですか?」
「それも含めて相談したいな、って思っていて……。その前に受験がどうなるか……」
やや遠い目をしながら、颯谷はそう話す。彼はおよそ一年の間、異界に閉じ込められていた。当然その間、勉強は何もしていない。それで今の彼は同級生と比べて勉強がかなり遅れている状態だった。なんなら、習ったはずのことさえ危ういレベルである。
「それは大変ですね。良ければ、連絡先を交換しませんか?」
「え、なんで?」
「オンラインでなら、一緒に勉強会ができますよ」
「ああ、なるほど……」
それは良いかもしれない、と颯谷は思った。同級生の友人たちは、当然だがみんな受験生。つまり自分のことで手いっぱいだ。しかも彼の場合、一人だけレベルが低いから、混じって一緒にというのはなかなか難しい。ただそういう事情は同い年の木蓮も同じはず。
「でも駿河さんも……」
「名前で呼んでください。駿河だと、叔父と間違えてしまいますから」
にっこりと微笑まれ、颯谷は一瞬言葉に詰まった。なぜだか分からないが、彼女の笑顔には圧がある。その圧に逆らってまでわざわざ「駿河さん」呼びを続ける理由もなくて、颯谷は彼女の要望を容れた。
「……木蓮さんも受験生でしょ、いいの?」
「はい、大丈夫ですよ。それに『人に教えることで理解が深まる』ともいいますから」
木蓮がそういうので、颯谷は彼女と連絡先を交換した。実際にメッセージのやり取りができる事を確認すると、木蓮が「できましたっ」と小さくはしゃいで笑顔を浮かべる。そしてさらにこう言った。
「楽しみですね!」
「う、うん」
颯谷はやや硬い表情で木蓮にそう答える。彼女の笑顔に不覚にもドキッとしてしまったのは秘密だ。もっとも、バックミラーで二人の様子を見る運転手さんにはバレバレだったが。
さてそうこうしているうちに、車は駿河邸に到着した。駿河邸は日本家屋の造りで、周囲は塀で囲まれている。ただ二階建てで、時代劇で見るような武家屋敷というふうではない。
車が停まったのは正門前。木蓮と颯谷はそこで車から降りた。二人が降りると、車はまた発進した。木蓮が言うには会社に戻るのだという。
「こちらです」
木蓮に案内され、颯谷は正門をくぐる。そして母屋へ向かった。母屋の玄関を開けると、そこには作務衣を着た大柄な男性が二人を待っていた。
「叔父様、お客様をお連れしました」
「ああ、木蓮。ご苦労様」
木蓮と男性がそう言葉を交わす。それから男性は颯谷のほうへ視線を向け、大きく破顔してこう言った。
「六年ぶりか。大きくなったなぁ、坊主」
「お久しぶりです、タケさん」
颯谷がそういって頭を下げると、剛は嬉しそうに大きく頷いた。剛は颯谷に家に上がるように言うと、木蓮にお茶の用意を頼んでから、彼を庭に面した和室に案内した。ちなみにこのタイミングで、颯谷は持参した手土産を手渡した。
和室には大きなテーブルがあり、向かい合うように座布団が敷かれている。剛に勧められて颯谷はその座布団に腰を下ろす。すぐに木蓮が冷たい緑茶とお茶請けの和菓子を持ってきて、それを二人の前に置いて下がる。その緑茶を一口飲んでから、剛はしみじみとした口調でまずこう言った。
「それにしても、一人で異界征伐か。よくやり遂げたなぁ、すごいぞ、坊主。いや、もう坊主とは呼べないな。颯谷君と呼ぼうか」
「呼び捨てでいいですよ」
「そうか。じゃあ、そうさせてもらおう」
そう言って剛は気持ちの良い笑みを浮かべた。それにつられて颯谷も笑みを浮かべる。それで少し緊張が解けて、彼も緑茶のコップに手を伸ばした。
「それで、相談したいことがあるという話だったが……」
「はい。でも何から話せば良いのか……。まあ、一番聞きたいのは特権のことなんですけど……」
「特権か。なるほどな」
「はい。あと、報奨金を受け取るかどうかとか……」
「ふむ。まあ確かに悩ましいな。ちなみに幾らだった?」
「約350億でした。なんかもう、何が何だか……」
心底困った様子で、颯谷はそう答えた。異界征伐を成し遂げたあの日、国防軍のヘリに救出された彼はそのまま病院へ直行した。その日はいろいろな検査をしたり、玄道と再会したりして忙しく、ともかく入院することになった。
久しぶりのまともな食事をおいしくいただき、夢にまでみた柔らかいベッドで眠る。特に不調に感じるところもなかったので、颯谷も翌日には退院するつもりでいたのだが、結果として彼は二週間程度も入院することになってしまった。
翌日、彼は38.5度の高熱を出したのだ。高熱は一日で収まったのだが、その後も37度台の微熱が続き、さらに強い倦怠感のためにベッドから起き上がれない日が続いた。怠くて何もやる気が起きず、食事とトイレ以外は寝て過ごすような生活が約二週間。「クーラーの効いた部屋でダラダラ過ごす」という野望がかなったわけである。
もっとも、結果的にはそれでよかったのかもしれない。彼が寝込んでいる間に、玄道は避難先のアパートから自宅に戻って諸々の用事を済ませることができた。取材やテレビ出演の依頼など様々あったらしいが、本人の体調不良を理由に玄道がすべて断っている。
とはいえ、実は何もなかったわけではない。颯谷が病院で寝込んでいる最中に、どこぞの記者が彼の病室に忍び込んだのである。しかも事前に取材を断った相手だったらしく、これには玄道も激怒。病院を通じて警察に連絡する事態になった。
そんなこともあったが、微熱が下がると颯谷の体調はすっきりと回復した。今までの不調がウソのようで、彼は冗談交じりに「生まれ変わったみたい」と話した。そして医師からも「健康!」のお墨付きをもらい晴れて退院した彼を待っていたのは、新たな面倒事だった。
颯谷がおよそ一年ぶりに自宅に帰ると、彼を待っていたのは三通の封筒。一つは異界顕現災害の被災者へのお見舞金についてのお知らせ。もう一つは異界征伐に係わる報奨金のお知らせ。そして最後の一通は特別権限付与資格に関するお知らせだった。
まずお見舞金だが、これは図らずも異界に閉じ込められてしまった人に対して政府が支給しているお金だ。基本的に一日当たり一万円で計算され、年齢制限はない。ちなみに非課税。ただし異界征伐後に生き残っていた人に対してのみ支払われ、異界の中で死んでしまった人の遺族には支払われない。
颯谷はこのお見舞金を六年前にも受け取っている。そして今回も受け取れるわけだが、その額なんと372万円。実に一年以上、異界の中でサバイバルしたことになる。確かにそれくらいの期間だろうとは思っていたが、こうして実際に数字になると、「我ながら良く生き残れたもんだ」と彼は思うのだった。
次に異界征伐に係わる報奨金だが、これについて説明する前に、前提となる事柄を話しておかなければならない。異界から(実際には征伐後に)得られる資源と、軍隊という組織がどれだけ異界を不得手とするかについてである。
まず資源だが、その代表が虹石と天鉱石だ。虹石はその名前通り光の当たり具合によって虹色に輝く石で、天鉱石は薄く青みがかった鉱石である。その二つとも異界が現れてから初めて確認された物質だ。熱心な研究が行われ、その結果この二つの鉱物は優れた資源であることが分かった。
虹石は燃料、つまりエネルギー資源だ。そのまま燃やせば石炭の代わりになり、粉砕したうえで水に溶かせば灯油の代わりになる。さらにアルコール系の溶媒に溶かせば軽油やガソリンの代わりにもなるという、きわめて汎用性の高いエネルギー資源だった。
もう一つの天鉱石は鉄鉱石などのように精製してから使用する。精製した天鉱石は天鋼と呼ばれ、鉱石のときよりも深い青色をした金属だった。ちなみに英語ではそのまま「Blue Steel」と呼ばれている。
天鋼の特徴は、鉄より強く、アルミより軽く、そしてほとんど錆びないことである。残念ながら生産量は鉄や銅のように多くはない。価格もそれなりに高くなる。しかしその特徴が極めて優れていることに疑いの余地はない。そして多少コストが上がろうとも、性能を優先する分野というのは確かにある。その一つは軍事だ。
天鋼は軍事兵器の素材としての需要が大きい。特に天鋼で軍艦を造った場合、速力や燃費には大きな差が出る。また錆に強いという特徴は船舶のためにあるようなもの。長期的に考えれば維持管理のコストを下げることができ、全体としてはむしろ安上がりだとすら言われている。
日本はずっと資源のない国だと言われていた。だが世界中に異界が出現するようになり、特に日本は異界が頻繁に現れる。それはつまり日本には多量の虹石と天鋼があることを、そして今後もその量が増えていくであろうことを意味している。
異界が現れたこの世界で、日本は一躍資源大国となったのである。
剛「驚いたさ。手紙が来た時に一番な」




