ひとりぼっちの異界征伐
「ギャァァォォォオオオ!?」
三度目の、大鬼の絶叫。しかしその質は一度目や二度目とは大きく異なっていた。それまでの二回は怒りの度合いが強かった。だがこの三度目は命の危機を感じさせる色が強い。つまり簡単に言えば、大鬼のほうも「これはダメだ」と思うほどの大ダメージだったのだ。
重々しい地響きを立てて、大鬼が河原に倒れこむ。それに巻き込まれないよう、颯谷は大鬼から距離を取った。大鬼はまだ怪異としての姿を保っている。つまりまだ倒したわけではない。
だが致命傷だ。放っておけば黒い灰のようになって消えるだろう。しかしそれでも、大鬼の赤い双眸に怯えや命乞いの色はない。その姿に颯谷はモンスターなりの矜持や誇りを見た気がした。
それが勘違いやただの思い込みだと颯谷も分かっている。分かっていて、「それでいい」と思った。どうせモンスターを理解することなどできないのだ。だったら勘違いしていたところで変わらないではないか。
「いま、楽にしてやる」
そう呟き、颯谷は仙樹の長棒を構えた。そして丁寧に氣を練り上げる。狙うのは大鬼の首筋。巨大で外しようもないそこへ、颯谷は伸閃・朧斬りを叩き込む。その一撃が止めになった。
大鬼が黒い灰のようになって消える。身体がデカいだけあって黒い灰も大量だ。一瞬、颯谷の視界は真っ黒に染まった。大鬼が消え、河原に広さが戻る。颯谷は「ふう」と息を吐いてから、すぐに顔を上げてキョロキョロと周囲を見渡す。そして彼らの姿を見つけて満面の笑みを浮かべた。
「マシロ!」
颯谷が駆け寄ると、マシロも激しく尻尾を振りながら彼の腕の中へ飛び込んでくる。ユキとアラレもいて、颯谷は三匹にもみくちゃにされた。彼も笑い声を上げながら三匹をわしゃわしゃと撫でてやる。
「なんだよ~、あれでお別れじゃなかったのか~?」
「くぅ~ん?」
マシロが小首をかしげる。その姿が可愛らしくて、颯谷はマシロの顔を両手でもむようにして撫でた。彼女たちと別れたのはほんの数時間前のこと。だがまるで数年ぶりに再会したかのように嬉しい。颯谷はしばらく歓声を上げながら勝利の余韻に浸った。
「ありがとうなぁ。マシロたちのおかげで勝てた」
「わふ!」
「ははははっ」
颯谷の言葉が分かっているのかいないのか。ともかくマシロは得意げに返事をした。嬉しいのとおかしいのが入り混じって、颯谷はまた笑いながらマシロの顔をわしゃわしゃと撫でた。
やがてテンションが落ち着いてくると、颯谷は乾いた河原に胡坐をかき、マシロの白い毛並みを撫でながら空を見上げる。空の色は相変わらずの群青色。つまりまだ異界のフィールドは解除されていない。異界はまだ征伐されていないのだ。
「あの大鬼、主じゃなかったんかい……」
颯谷の口調はやや渋い。あの大鬼は伝え聞く大鬼よりも巨大で、たぶん強力だった。だからこそヌシの可能性が高いと思っていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。ということはこれから改めて、ヌシかコアを探さなければならない。
「よし。んじゃ行くか」
そう呟いて颯谷は立ち上がる。ヌシでなかったということは、あの大鬼クラスのモンスターがまた現れる可能性は否定できない。だが颯谷の顔に険しさはない。マシロたちが来なくてもそれなりに戦えたのだし、ヌシでないのなら逃げるという選択肢がある。まあ、なんとかなるだろう。そう思っていた。
「わふ」
歩き始めた颯谷の後にマシロたち三匹が続く。どうやら一緒に来るつもりらしい。それを見て彼はくすりと笑った。悪い気はしない。まあ好きにすればいいさ、と思った。
それから二日間、颯谷とマシロたちは異界の中を彷徨った。「コアにしろヌシにしろ、異界の中心部に存在しているパターンが多い」ということは彼も知っている。ただ彼は地図もコンパスも持っていない。異界の地形は大雑把には記憶しているが、見通しの悪い森の中でどちらへ進めば中心部かなんてわかるはずもなかった。
とはいえ「彷徨う」という言葉ほどに悲愴な雰囲気だったわけではない。現れるモンスターは小鬼と中鬼ばかり。あの大鬼のようなモンスターは現れない。不意打ちさえされなければ、今更手こずるような相手はいなかった。
「……というかこれ、本当に見つかるのか? コア……」
三日目、ややウンザリした口調で颯谷はそう呟いた。この三日間、小鬼と中鬼しか現れなかったことで、たぶんヌシはいないのだろうと彼は考えている。そうなると異界征伐のためにはコアを破壊するしかないわけだが、この広い異界の中、たった一人彷徨ってコアを見つけることができるのだろうか。
「そもそもコアって言ってもなぁ……」
異界の核という言葉は颯谷も知っている。だがテレビにしろ写真にしろ、現物の画像を見たことはない。だからコアと言われても実際にそれがどういうモノなのか、颯谷はよく分からないのだ。
「『明らかに異質な物体で、結晶体であることが多い』とは言うけど……」
じゃあ実際にどういうモノなのか、想像はし辛い。というか、コアの形状は毎回違っているのだ。「明らかに異質な物体」というからには、一目見てそれと分かるモノではあるのだろう。だが大きさはどうだろう。
「小さかったり、隠されていたりしたら……」
その場合、自分は気付けないかもしれない。颯谷の声に不安が滲む。見逃さないようにする方法はただ一つ。基本に立ち返って丁寧に周囲の気配を探ること。それだけだ。
それで大丈夫なのかという懸念はもちろんある。颯谷の言う気配探知とは、つまり氣功的な気配を探ること。つまりコアに氣功的な気配がなかったら、どれだけ気配探知を丁寧に行ってもそれでコアを見つけ出すことはできない。
そしてその可能性は決して否定できない。コアは「結晶体であることが多い」という。つまり無機物だ。そして氣功とはつまり生命エネルギーであるから、無機物がそれを持っていることは基本的にない。
だが異界の、この氣功的エネルギーが満ちたこの異界のコアなのだ。氣功的なエネルギーと無関係と考えるのは無理があるだろう。それに雪。雪は言うまでもなく生命体ではないが、しかし氣功的なエネルギーを含んでいた。つまり先例はある。
(それに……)
それにどのみち、他にできることなどない。なら四の五の言わずにやるしかない。颯谷は集中力を高め、周囲の気配を探りつつ歩を進めた。とはいえ消耗も激しくなる。暑さもあいまって、休憩の回数が増えた。
「ふう……」
仙果を食べてエネルギーを補充し、冷たい湧き水を飲んで身体をリフレッシュする。颯谷はそのまま顔を洗い、水浴びをして日差しで火照った身体を冷ました。彼が水場から離れると、マシロたちが競うように水を飲む。マシロたちが水を飲み終えるのを待ってから、颯谷はまた歩き始めた。
夜は凝視法を使ってコアを探す。コアは、少なくとも普通の樹木よりは多量の氣功的エネルギーを内包しているはず。夜間に凝視法を使えば、それが光り輝いて見えるだろう。もちろん徹夜することはなかったが、夜の時間も彼は有効に使った。
とはいえ気配探知で探れる範囲も、凝視法で視認できる範囲も、それほど広いわけではない。つまり広範囲を調べるためには歩くしかない。夏、汗を流しながら、颯谷はひたすら歩いた。
そして大鬼を倒してから六日目。颯谷はついにコアを見つけた。コアがあったのは森の中。そこだけぽっかりと木々がなく、日差しが燦々と降り注いでいる。不自然に木々がないのは最初からそうだったのか、それとも異界化の影響か。ともかくそのひらけた場所の真ん中にコアはあった。
「本当に、『明らかに異質』だなぁ」
それを見て颯谷は苦笑した。コアは直径が30センチほどだろうか。橙色で、表面はかなりゴツゴツしている。わずかに発光しており、その光が不規則に揺らぐ。そういう物体が、だいたい彼の胸の高さに浮いていた。
手品でこういうのは見たことがある。だがこれは本当に、タネも仕掛けもない。颯谷は「反重力物質?」と呟いたが、本当にそうなのかも不明。「そういうモンだ」と考えた方がよさそうな気がした。
「それにしても、守護者がいないな」
周囲を警戒しながら颯谷はそう呟いた。「コアの周囲には強力なガーディアンがいる」と聞いていたのだが、それっぽいモンスターの姿はない。もしかしたらあの大鬼がガーディアンだったのだろうか。近くで戦闘になるとコアを踏みつぶしてしまうので、あえて離れた場所で外敵を撃退しようとした、とかありそうだ。
「ま、何でもいいけど」
ガーディアンがいないならむしろ好都合。颯谷は周囲を警戒しながらコアに近づいた。仙樹の長棒を構え、高周波ブレードを展開。鋭く呼気を吐きながらそれを振りぬく。手応えはない。一拍の後、コアにヒビが入り、そして粉々に砕け散った。
「ふう……」
万感の想いを抱きながら、颯谷は大きく息を吐いた。いろいろと思い出すかと思っていたが、案外何も浮かばない。ただ達成感だけがある。そしてじわじわと「生き残ったのだ」という安堵感がわいてきた。
空を見上げると、群青色のフィールドが徐々に薄くなっていく。十秒ほどの時間をかけて異界のフィールドは消え、高い青空が広がった。白い雲が浮かんでいる。ほぼ一年ぶりの白い雲だ。異界は征伐されたのである。
「終わった……」
そう呟いてから、颯谷は視線を水平に戻した。そしてふと、足元に何か落ちていることに気付く。拾い上げてみると、どうやらコアの欠片らしい。他にはないので消えてしまったのだろうが、ではなぜコレだけ残ったのか。彼は首をかしげながらも、なんとなくそれをズボンのポケットにしまう。戦利品のつもりだった。
さて異界を征伐しても、ここが人里離れた場所であることは変わらない。さらに異界を征伐したことで、仙樹は急速に枯れてしまう。ありていに言って、このままだと飢え死にしかねない。颯谷もそれは分かっているので、足早にその場を離れた。
彼が向かったのは大鬼と戦ったあの河原。異界が消えても、それまでに出現したモンスターが消えるわけではない。それで途中、彼は何度かモンスターに遭遇した。今更戦闘に問題はないが、彼は小さな違和感を覚える。モンスターがいつもより狂暴に思えたのだ。
「いや、モンスターはいつも狂暴だけどさ……」
勘違いかと思い、彼は小さくを肩をすくめてそう呟いた。ただ勘違いでないのなら、氾濫で大きな被害が出る一因はそれなのかもしれない。彼はそんなふうに思った。
河原に到着すると、颯谷は薪を集めてきて火を熾した。温まるためではない。合図のためだ。異界が消えれば、警察か国防軍が状況確認のためにヘリかなにか飛ばすはず。それに見つけてもらうのだ。そのためにも小さな炎ではだめだろう。彼は熱いのを我慢してせっせと薪をくべた。
そしておよそ20分後。颯谷の目論見通り、彼の目の前にヘリが爆音を立てながら降りてきた。それを見てマシロとユキとアラレは足早に茂みの方へ走り去る。その背中に颯谷は大きく手を振った。
「またな!」
その声が聞こえていたかは分からない。でも颯谷がマシロにまた会いたいと思ったのは本当だ。そしてまたきっと会えると思っている。マシロもこの異界を生き延びたのだから。
「桐島颯谷君かな!?」
ヘリから降りてきた国防軍の兵士が、彼に名前を確認する。約一年ぶりに聞く人の声。ヘリの爆音に負けないよう、彼は大きな声で「はい!」と答えた。
~第一章 完~
颯谷「オレは、生き残った!」




