大鬼戦2
大鬼が蹴り飛ばす石の散弾をかいくぐり、かいくぐれないモノは身体の周囲に纏った氣を厚くして防ぎつつ、颯谷は弧を描くように走って大鬼との距離を少しずつ縮めていく。狙うのは大鬼の足元、アキレス腱だ。
「……っ」
顔に当たりそうになる石を、間一髪で避ける。大鬼との距離が縮まれば縮まるほど、飛んでくる石を避けるのは難しくなる。外纏法で防御していても、石がぶつかれば痛い。中には颯谷の拳よりも大きな石もある。そういう場合はもっと痛かった。
それでも彼は足を止めない。背を向けて距離を取ることもしない。そんなことをしてもこの大鬼は倒せないからだ。まずアキレス腱を切り、この大鬼を立っていられなくする。転ばせてしまえば、首や心臓などの急所にも手が届くだろう。
仮に転ばなかったとしても、自由に動くことはできなくなるはず。つまり運動能力を大きく低下させられるのだ。それがその後の戦いで有利に働くのは想像に難くない。現状で狙える最大の弱点。それがアキレス腱だ。
「グゥゥォォオオ!」
ある程度近づくと、大鬼の攻撃パターンが変化する。石を蹴り飛ばすことはしなくなり、代わりに直接足で蹴り飛ばしたり踏みつけたりしようとしてくる。大鬼の足を振りぬくその風圧だけでよろめきそうになり、踏みつけ攻撃のたびに地震のような突き上げる衝撃に体勢を崩しそうになる。
それでも颯谷は足を止めない。幸いというか、この感じは月歩を使っている時とよく似ている。彼は上から降ってくる、壁のような踏みつけを避けつつ、大鬼の足元へもぐりこんだ。
当然だが、アキレス腱は脚の裏側にある。だからアキレス腱を切るためには、大鬼の背後へ回り込まなければならない。だが大鬼の側も動く。蹴るにしても踏みつぶすにしても、やりやすいのは相手が自分の前にいるとき。だから大鬼は颯谷を自分の前に置くように動く。大鬼と颯谷の間で、ポジション取りの駆け引きが始まった。
(くっそ……!)
顔を歪ませながら、颯谷は心の中で悪態をつく。ポジション取りで有利なのは大鬼の方。一歩が大きいので、少し動いてしまえば颯谷を引き離せるからだ。そしてまた近づいてきたところを攻撃する。
思いのほか俊敏な大鬼に、颯谷は振り回された。しかも大鬼がジャンプしたり踏みつけたりするたびに、大きな振動が彼を襲う。転ばないようにするだけで精一杯の時もあって、そういう時を狙われると全力で逃げなければならなかった。
(どうする……、どうする……?)
走り回っているせいで体力の消耗が激しい。このままでは体力が尽きて負けてしまう。颯谷は走りながら打開策を模索した。そして一つだけ思いつく。ただ危険だ。だがやらなければジリ貧。彼は腹をくくった。
石の散弾をガードし、蹴りは横っ飛びで回避する。待っているのは踏み付け。その攻撃が来た時、颯谷は大鬼の足の裏へ伸閃を放った。伸ばされた不可視の刃が大鬼の足の裏を縦に大きく切りつける。傷はそれほど深くないだろう。だがそれは大鬼にとって思いがけない反撃だった。
「グアァ!?」
それは反射的な反応だったのだろう。大鬼が咄嗟に踏み下ろそうとしていた足を持ち上げる。そうして生まれた一瞬、いや一拍の猶予。その間に颯谷は一気に前へ出る。そして大鬼の軸足のわきをすり抜け、その裏を取った。
振り返れば目の前に大鬼のアキレス腱。デカすぎてもう訳の分からないサイズ感だが、今はそれさえどうでもいい。颯谷は両手で仙樹の長棒を振り上げる。繰り出すのは高周波ブレード。わずかな手ごたえだけ残し、その刃は大鬼のアキレス腱を切り裂いた。
「グゥゥォォオオ!?」
大鬼が絶叫を上げた。そしてそのまま崩れ落ちる。咄嗟にもう片方の足で踏ん張ろうとするが、そちらは足の裏に切り傷がある。踏ん張り切れず、大鬼はそのまま転倒した。
「よしっ、よしっ、よしっ!」
大鬼の転倒に巻き込まれないよう、颯谷は一旦走って離脱する。彼は笑みを浮かべながら歓声を上げた。やっと通じた。今までの特訓は無駄ではなかった。その思いが一段と強くなり、彼のテンションが爆上がりする。ただそれも長続きはしなかった。
「がぁ!?」
突然、颯谷は後頭部にガツンと強い衝撃を受けた。背中にも痛みがあるのだが、後頭部の衝撃が強すぎて意識をすべてそちらに持っていかれる。一体何が起こったのか。目の前がチカチカするなか、彼は背後を振り返る。
颯谷が見たのは、倒れこんだ大鬼の姿。颯谷は大鬼が何をしたのか分からなかった。しかしすぐに明らかになる。大鬼は河原の石をすくうようにして握ると、それを彼に向って投げつけたのだ。
咄嗟に颯谷は両腕で顔をかばった。同時に纏う氣の層を厚くする。投げつけられた石が次々彼に命中する。その攻撃に耐えて彼が大鬼の様子をうかがうと、大鬼はまた石を掴んで腕を振りかぶっていた。
「……っ」
颯谷は顔を引きつらせる。そしてともかく足を動かした。棒立ちしていては狙われるだけだと思ったのだ。実際、動き始めると被弾率は下がった。しかし大鬼はそれでも石を投げ続けている。その精度、一度に投げる石の数、そして繰り返す速度。そのどれもが足で石を蹴り飛ばしていたときを上回る。
そうなった理由は簡単だ。足ではなく手を使っているからである。二本の脚で立っていた時、大鬼が手で石を拾うには腰をかがめなければならなかった。それを面倒と思っていたのかは分からないが、大鬼は手っ取り早く脚で石を蹴り飛ばすことを選んでいた。
だが転んだことで、手が地面につくようになった。すぐに石を握れるようになったのだ。だから今度は手を使っている。そして大鬼が手で石を投げ始めたことで、颯谷にとっては攻撃の脅威度が上がることになった。
皮肉な結果と言えるだろう。だが顔をしかめていても状況は変わらない。どうするべきか、颯谷は走りながら考える。
(立ち上がらない、か……)
大鬼は石を投げ続けているが、その一方で立ち上がる気配はない。立ち上がれないのか、それとも立ち上がらないと割り切ったのか。どちらにしろアキレス腱を切ったのだから、大鬼の機動力は大幅に低下したはず。ということは、ここで逃げてもたぶん追っては来られない。
とはいえ、あの大鬼が主だった場合、どうしても倒さなければ異界の征伐はならない。ヌシでなかったとしても、時間が経てば回復してしまう可能性がある。そういうことも考えれば、ここで退くのはやっぱりリスクが大きいように思える。ではあの状態の大鬼とどう戦うか。
(まずは……!)
まずは近づかないとどうにもならない。いくら伸閃の間合いが広いとはいえ、大鬼が投石で攻撃してくるような距離だと届かないのだ。颯谷はまた弧を描くようにしながら、大鬼の側面へ回り込むようにしつつ距離を詰める。
ただ大鬼も、そう簡単に側面へ回り込ませてはくれない。両手を地面について四つん這いになりながらも、常に顔を彼に向け続けている。そして地響きを立てながら体の向きを変え、腕を伸ばして彼を捕まえようとする。颯谷は転がるようにしてその手を避けた。丸太のように太い腕が、彼の頭の上を通り過ぎていく。
大鬼の手を避けると、颯谷はすぐに立ち上がった。顔を上げると、そこには大鬼の顔面が。デカい。とにかくデカい。顔だけで颯谷の身長くらいある。おかしな話かもしれないが、立っていた時よりも大鬼のことを化け物じみて感じた。
「ああああっ!」
恐怖を振り払うようにして颯谷は伸閃を放つ。その一撃は大鬼の顔面を切り裂いた。大鬼が鉄面皮であるかは分からない。ただ人間に置き換えて考えても、顔面への攻撃というのは反応が大きくなるもの。何より彼の一撃は大鬼の目を捉えていた。
「ギャァァォォォオオオ!?」
両手で顔を覆いながら、大鬼は絶叫を上げる。颯谷は「よしっ」と頷いてさらに距離を詰めた。だがそれはちょっと迂闊だったかもしれない。目を傷つけられた大鬼が、怒り狂って暴れ始めたのだ。
「グゥゥァァアア!」
大鬼がでたらめに腕を振り回し、颯谷を弾き飛ばそうとする。それだけでなく、上から叩き潰そうとする。大鬼が地面を叩くと、それだけで局地的な地震が起きた。
彼は月歩も駆使しながら、その立体的な攻撃をどうにか回避し続ける。ただ腕の薙ぎ払いに巻き込まれて飛んでくる石までは避けきれない。また石がいくつも彼の身体に当たった。
「ガァ! ガァア! ガァア!」
目を怒らせて怒鳴り散らしながら、大鬼は太い腕を振り回す。颯谷にとって幸いだったのは、大鬼が四つん這いの姿勢であること。身体を支えるため、振り回すのは片腕だけなのだ。そのおかげで何とか攻撃を回避し続けることができている。大鬼と比べて身体がとても小さかったおかげと言えるかもしれない。
ただその一方で、巨大な大鬼はきっと体力も無尽蔵だろう。なにより腕を振り回すだけの大鬼と比べ、颯谷はずっと全身を全力で動かしている。どちらの体力が先に尽きるかは自明だ。そして均衡を崩す要素は他にもある。
「……っ」
顔めがけて飛んできた石礫。それを避けるため、颯谷は反射的に首を傾け、さらに腕で顔をかばった。そのせいで少しだけ体勢が崩れ、視界も狭くなる。その結果、一瞬だけ反応が遅れた。
「がぁ!?」
クリティカルヒット、ではない。大鬼の側からすればたぶんかすっただけ。大振りした腕の、指の先っぽが颯谷に届いたのだ。だがその一撃は彼にとって、中鬼に殴られたときと同じくらいの衝撃があった。
ちゃんと踏ん張っていなかったせいもあり、颯谷の身体は放り出されたように宙を舞った。肩から河原に墜落し、そのまま二回三回と転がる。四回転がる前に、彼は跳ね起きて何とか二本の足で立った。
だがその彼を暗い影が覆う。頭上を見上げて彼はほほを引きつらせた。そこにあったのは高々と振り上げられた大鬼の手のひら。彼を叩き潰そうと、大鬼はその手を勢いよく振り下ろした。
颯谷は立ち上がったばかりで、すぐには回避行動に移れない。どうするべきか。考えるより先に身体が動いた。足を踏ん張り、仙樹の長棒を頭上で水平に構える。これだけでは防げない。だからもう一手重ねる。
「ああああああっ!」
颯谷の雄たけびと、大鬼が河原を叩く音が重なる。彼はぺちゃんこに、なっていなかった。膝を深く曲げてはいるものの、長棒を構えた姿勢のままちゃんと立っている。大鬼の手を見れば、不自然に指が一本ない。
種明かしをすれば簡単だ。つまり高周波ブレードで切り飛ばしたのである。ただそれでも上から押しつぶされそうな衝撃はあった。はっきり言って全身が痛い。一方で大鬼は二度目の絶叫を上げた。
「ギャァァォォォオオオ!?」
しかし大鬼は萎縮したりはしなかった。むしろさらに怒り狂う。大鬼の攻撃が激しさを増す。両手を駆使しての攻撃だ。颯谷は全力でそれを回避する。だが全力であるためにそのペースは短時間しか維持できない。
(ヤバ……、息が……!)
呼吸が追い付かない。足がもつれるのを、颯谷はぐっと踏ん張って堪えた。だがそのせいで動きが一瞬止まる。そしてその隙を大鬼は見逃さない。大鬼は彼を叩き潰さんと拳を振り上げる。その時、颯谷に意外な援軍が来た。
「「「ワン、ワン、ワンッ!!」」」
犬のけたたましい吼え声が河原に響く。それで大鬼の注意が一瞬颯谷から逸れる。そのわずかな猶予を見逃さず、彼は一挙に大鬼の懐へもぐりこんだ。同時に氣を練る。
脳裏に浮かぶのは、凝視法で見た大鬼の姿。氣がまるで間欠泉のように立ち昇り、本体の姿はまるで霞がかっているかのようだった。存在感がないのではない。むしろありすぎて朧気になることもあるのだと、彼は学んだ。
それを斬らねばならない。いや斬るだけではない。千載一遇のこの好機に、大鬼へ大ダメージを与えなければならない。颯谷が持つ中でそれができそうなカードはただ一枚。ただそのカードを切っても可能かどうかは分からない。
だから、底上げする。「名付け」によって。名付けることによって方向性を定め、イメージを強化するのだ。今まであの技に名前を付けてこなかったのは、決してそれを狙っていたわけではないが、結果としてこの局面ではプラスに働いた。
「はあああああっ!」
大きく振りかぶった仙樹の長棒を、河原に叩きつける勢いで降りぬく。放つのは伸閃と高周波ブレードを組み合わせたあの技。名付けて「伸閃・朧斬り」。その一撃は大鬼の腹を縦に大きく切り裂いた。
マシロ「わたしは、さよならなんて言ってないのよ!」




